不自然な君が好き
2008/08/02/Sat
こんな自分語りブログにするつもりはなかったのに。
いやまあ垂れ流しブログにしようとは思ってたけど。この「垂れ流し」は、たとえば巷にある日記系ブログのような「垂れ流し」ではなく、なんて言えばいいのかな、わたしが正しいと思っていることならば常識的に間違っているとされていることでも言おう、という垂れ流し。喩えて言うなら、2ちゃんの世間で悪く言われているような側面、かなあ? 巷に溢れる日記系ブログって、大体常識的に間違っていることは書いてないじゃない? いやそんなこと言ったら読まれなくなったり炎上しちゃったりするんだから当然のことなんだけど。むしろ無意識的にわたしが思う常識に順応できている、と言えるだろうか。その自然さがとってもわたしにしてみれば違和感がある。「ツレションキメエwww」なんだな。
C-C-Bの『不自然な君が好き』は好きでした。ええ。とっても。
この「わたしが正しいと思っていることならば常識的に間違っているとされていることでも言おう」が、「わざと間違ったことを言っている」と解釈されるのがイヤで、その防衛として自分語りしてるのかなあ? ああこれが理想自我って奴かなあ? いや違う?
でもわたしは記憶なんてのは後日脚色された幻想であることも理屈で知っているし体感として認知しているので、自分で語る「自分語り」すら自分で信用していなかったりする。だから他人がわたしの自分語りを読んで「この記事自体も演技なのでしょうか? 」とか聞かれても、ツレション的には
「ホントだよ☆ わたしっってヘンかな? (∩。∩;)ハズカチー」
とか答えられるけど、真摯に答えるとなると
「演技であるかもしれないし演技じゃないかもしれない」
みたいな文章になってしまう。
なのでそんな文章だと思って読んでくれれば。炎上しようがどうしようが構わんし。わたしの人生これ炎上、と言やあそうだし。いや波乱万丈な人生って意味じゃなくてね。独我論的な心的事実として。
この記事とかで、小さい頃病院通いしてたことは書いたんだけど、自分で書いてしまってからこのことがやけに気になるようになった。
とはいえ母親には何度か聞いている話でもあり、今さら聞いても同じ言葉が帰ってくるだけだった。
今のブログや、会社にいた頃の反社会的態度というか、そういうのってこのせいかな? などと思って、母親にこれまでも何度か、
「わたしの小さい頃ってどうだった? 反抗的というか、反抗期みたいな時って」
みたいなことを尋ねた。まあ帰ってくる答えは毎回ほぼ同じ。
「とても手のかからない子だったねえ。大人しかった」
多分この言葉には、今のわたしの生活を憂いていて、それに対する批判も込められているだろうが、わたしは知ったこっちゃない。
わたしのフィクションかもしれない記憶によれば、わたしは相当手に負えない子供だったはずだ。
たとえば、幼稚園の頃、初めて通園バスに乗った時、わたしは大泣きして、周りをすごく困らせた。園児とはいえ彼らにも既に社会性はあったらしく、そんなわたしを冷ややかに見る周りのオトモダチが怖かった。ほんとに怖かった。だから余計に泣いた。この恐怖はよく覚えている。
あるいは、初めて小学校に登校した時。制服の帽子のリボンが取れているだか取れかかっているだかで、ものすごい駄々をこね、入学式には出席せず、校長室だか応接室だか、大きなソファーで泣き疲れて寝ていた記憶がある。多分これは事実だ。卒業してから先生(一年から四年まで同じ担任だった)に「こいつはものすごい変人になるかものすごい大物になるかのどっちかだと思った」と笑い飛ばされたエピソードだからだ。ごめんなさいものすごい変人になっています。
こんな子供が「手のかからない」とか「大人しい」とかって、あんた認知機能おかしいんじゃないの? と素で思った。そう母に言った。素で。言ったら、
「ああ、ほんと手のかかる子だったね」
だと。あんたマジデ脳みそおかしいんじゃないかと。
そういうわけで、母親の証言は当てにならないとわたしは思っている。なんせわたしの母親だからな。脳みそおかしいのは仕方がない。
仕方ないので、叔母に聞いてみることにした。
叔母も母と(つまりわたしと)血は繋がっているわけだが、彼女は看護師だ。祖父母の家の近くに住んでいて、いろいろあって祖父母の家によく預けられていたわたしを、叔母は面倒見てくれていたらしい。ああそう言えばそうだったかな、ぐらいだけど。わたし的には。
しかし、叔母の話も、母と似たり寄ったりだった。目新しい情報はなかった。叔母も母と同意見だったのだ。
「泣きもしないし駄々もこねないし死んでるかっていうぐらい大人しかった」
だとよ。
いや泣いてたし。駄々こねまくりだったし。と母にしたのと同じ反論を返すと、
「外弁慶だったんじゃない?」
とか。いやそれ使い方間違っているから、と思ったけど言わなかった。ああこいつも母の一族だな、と思ったから。
脳波検査についても聞いたが、何か密約でもしているのか知らないが、母と同じ答えしか返ってこなかった。つまり、前出の記事以上の情報はなかった。
とはいえ叔母なわけだから、母よりは他人事なのであろう。彼女はぽろっと本音を言った。
「○○(わたしの本名)は人と脳みそが違うのよ」
多分これには、いい大学行かせてもらったくせに今の生活はなんなんだ、という嫌味も入っているに違いない。だが、母のそれより真実を漏らした言葉のように聞こえた。
彼女は、わたしを、キチガイとは言わないが、脳みそが異常な人間だと思っているのは確かである。あるいは、看護師だから、器質的な異常について、クールなのかもしれない。
まあどうせこんなブログ見ちゃいないだろうが一応、突然妙な電話してごめんね、と社交辞令を言っておこう(言ってなかったことを今思い出した)。
多分、こういうのから、自我理想じゃなくて理想自我(ややこしいしわたしもよく間違えるし正直よくわからない)が生まれるのかなあ、とふと思った。
理屈的には、鏡像段階で鏡に映る自分が理想自我で、まあそれは象徴的ファルスなんだが、これは象徴というよりクリステヴァ的に言うならセミオティックなもので、ファルスがより象徴化されたのが自我理想、という感じはわかるけど。象徴的ファルスってのが問題なのよね。想像的でもあり象徴的でもあるから。ラカンの三界理論を覆す点。要の点でもあるけれど。
要するに、理想自我とは想像界的かつ象徴界的なものであり、象徴界的なものが自我理想、という感じ? わたしはよくわからないからいつも適当にこう説明している。「自我が受動的に「感情移入する」ような形で同一化しようとするイメージ的な理想が理想自我で、自我が所有的に「把握する」ような形で同一化しようとする言語的な理想が自我理想」とか。うん、自分のよくわかってなさを微妙に暴露できている説明の仕方だ。
ここで言うなら、「泣いて駄々こねまくりだった子供のわたし」は、自我理想? いやチゲエなあ。そんなん理想でもなんでもない。よく自我理想はプライドのようなものとして語られることが多いが、泣いて駄々こねまくりの自分がプライドになるわけがない。
しかし実は、大人しかった記憶もないわけではない。さっきも言ったようにこれはただの記憶であるので自分であまり信用していないが、乳児の頃の記憶として、こんなのがある。
わたしはベビーベッドかなんかに寝ている。誰もいない。何も動かない。お腹がすいたことを主張しようとして、泣こうとする。泣き方がわからない。動けない。仕方ない。このままでいよう。
ところが直後、「ハイハイオチチネエ」と言って近寄ってくる母(?)に向かって、「違う」という意味で、わたしは泣くのだ。
この記憶は、小学生の頃から持っていて、母にも何度か言ったことのある記憶だ。「だからどうした」みたいな態度を返されたが。「だからどうした」とわたしも思う。
この「このままでいよう」っていうのが、叔母の言う「死んだような大人しさ」なのかな、とふと思ったりした。
わたしは、言語というのは、その本質は、全て「ノン」を意味するものだと思っている。これはこういう記憶があるからかもしれない。泣くことが言語に変化する。とても簡単な理屈だ。ここにはラカン論で言うところの「シニフィアン連鎖の中の欠如」などというものは、存在しない。
また、だから、合意を目的として用いられる言語に、常に違和感を感じるのだ。
たとえばこの文章も、「自分が異常であることを、即ち自分が特別であることを主張する文章である」みたいに解釈されると、わたしは「違う」と反論する。
そういうところもないわけではないが、そういった解釈からこぼれ落ちたものに、わたしは意識が向く。特にこの文章に限っては、異常であることを否認したくて書いている部分がある。わたしだって「普通に」泣いて駄々をこねたのだと。いや、そう解釈されても、「違う」と反論するだろう。わたしはただ事実を確かめたくて、こんな文章を書いていると。この文章にも、わたしの中でこんな反論が形成される。「事実を確かめるだけなら、わざわざ文章化する必要ないじゃん。ブログに書くなんざなおさら」と。
もちろんそんな言葉の裏全てを網羅することなんて、人間には無理であることもわかる。この記事で言うなら、自分の気持ちなど多少なりとも常に既に劣化しているのだ、と。むしろ、本当の自分の気持ちなど、自分の気持ちの本質など、わたしにはわかりっこないのだ。もちろん他人にも理解できるはずがない。わたしの思考はこういった考えが基本になっている。
だから、ラカン論が理解できないというのが、むしろわたしは理解できない。
これは、理解できるのが当然だ、という意味も含まれていようが、そもそも他人なんて理解できるわけがないのだから、理解できないと言っているわけだ。この文章について、「理解できるのが当然だ」あるいは「あなたもラカン論を理解しなさい」などという行間を読むには、「他人は理解できる」という前提がなければ成立しない。「他人であるわたしを理解すること」が「ラカン論を理解すること」にスライドしているのだ。
わたしはそういった前提がない、とは言わないが、一般より弱い。だから、むしろ単に事実を述べている言葉として、この言葉は存在する。「わたしはラカン論を理解できないという他人が理解できない。そもそも他人なんて理解できるものではないから」という事実。
わたしが言っていることは、おかしいだろうか? わたしは脳みそがおかしいのだろうか?
わたしはわたしが書いた文章を見て、全くそんなことは思わない。むしろツレション的に世の常識などといったものに、無意識的に従順できる人間たちの方が、脳みそがおかしいと思える。
この「常識への従順」は、精神分析的な理屈では、「超自我の抑圧の承認」となろう。
違うのだ。
超自我とかそんな問題じゃない。それは超自我が形成できている主体だからそう思うだけであって、わたしが言っている「常識への従順」は、言語的象徴的なものに限らない。むしろ想像的である。わたしはそれらに生理的嫌悪を感じている。情動的に否定している。そうやって自分の情動も否定している。否定ということは象徴的なものだ。そう。象徴的なのだ。想像界があって象徴界が生まれる、という理屈はわかる。しかし、想像界の直前にある、前-象徴界的なものとでも言うべきものがある。現実界的なものとして。
ジジェクは超自我を現実界的なるものと述べている。わたしはこれには反論する。わたしの言う前-象徴界的なものが現実界的なものであって、超自我は想像界と象徴界によって、それを二重に劣化した、とても非現実界的なものだと。ジジェクは、この劣化について、触れてはいるが、それを劣化を呼ばない。淡々とさえ語っていない。定型発達者あるいは正常人の権力者っぷりを露に、超自我を称揚する。非神経症者など死に絶えてよいと言わんばかりに、「心の理論」と親近する超自我を、嬉しそうに人間の本質に据える。殺人鬼が自分の行為を英雄譚のように語るがごとく。少しオブラートにくるんで言い換えるなら、「オレ千人斬り達成したぜ」とか自慢する脳みそがちんちんになっているヤロウのごとく。ジジェクの『アンチ・オイディプス』に対する反論など、「ヤルまで面倒な女がいいか、ヤリやすい女がいいか」と議論する男根主義者同士の酒飲み談義である。ジジェクもドゥルーズ=ガタリもファルスから逃れられていない。
いいのだそれで。ファルスがあるのが正常人なのだから。
この前-象徴界的なものは、ファルスなどではない。言うなれば、誰もいない何も動かない空間に、一人残された飢えた乳児が感じる、「不動という享楽」である。
シニフィアンは、確かに固定的という意味で不動的である。言語的自己感に固定化されているのがオイディプスであるとする『アンチ・オイディプス』とも、固定化という意味で繋がるだろう。そういった意味で、わたしは「前-象徴界的なもの」と述べているが、定型発達者が考える、少なくともジジェクが述べている象徴界とは、全く別なものである。ラカン論的にも、別物だと思える。
これだけは、はっきりと言える。
それは、象徴などではない。
やっぱり、定型発達者って死に絶えていいように思えた。
わたしの愛は、そういう愛なのだ。
わたしは定型発達者を愛するが故に、こう言うのだ。
「正常人こそがキチガイだ。正常人はみんな死に絶えればいい」
これは、愛の言葉なのだ。
ネエ、オネガイガアルノ。
シンデ。シニタエテ。
いやまあ垂れ流しブログにしようとは思ってたけど。この「垂れ流し」は、たとえば巷にある日記系ブログのような「垂れ流し」ではなく、なんて言えばいいのかな、わたしが正しいと思っていることならば常識的に間違っているとされていることでも言おう、という垂れ流し。喩えて言うなら、2ちゃんの世間で悪く言われているような側面、かなあ? 巷に溢れる日記系ブログって、大体常識的に間違っていることは書いてないじゃない? いやそんなこと言ったら読まれなくなったり炎上しちゃったりするんだから当然のことなんだけど。むしろ無意識的にわたしが思う常識に順応できている、と言えるだろうか。その自然さがとってもわたしにしてみれば違和感がある。「ツレションキメエwww」なんだな。
C-C-Bの『不自然な君が好き』は好きでした。ええ。とっても。
この「わたしが正しいと思っていることならば常識的に間違っているとされていることでも言おう」が、「わざと間違ったことを言っている」と解釈されるのがイヤで、その防衛として自分語りしてるのかなあ? ああこれが理想自我って奴かなあ? いや違う?
でもわたしは記憶なんてのは後日脚色された幻想であることも理屈で知っているし体感として認知しているので、自分で語る「自分語り」すら自分で信用していなかったりする。だから他人がわたしの自分語りを読んで「この記事自体も演技なのでしょうか? 」とか聞かれても、ツレション的には
「ホントだよ☆ わたしっってヘンかな? (∩。∩;)ハズカチー」
とか答えられるけど、真摯に答えるとなると
「演技であるかもしれないし演技じゃないかもしれない」
みたいな文章になってしまう。
なのでそんな文章だと思って読んでくれれば。炎上しようがどうしようが構わんし。わたしの人生これ炎上、と言やあそうだし。いや波乱万丈な人生って意味じゃなくてね。独我論的な心的事実として。
この記事とかで、小さい頃病院通いしてたことは書いたんだけど、自分で書いてしまってからこのことがやけに気になるようになった。
とはいえ母親には何度か聞いている話でもあり、今さら聞いても同じ言葉が帰ってくるだけだった。
今のブログや、会社にいた頃の反社会的態度というか、そういうのってこのせいかな? などと思って、母親にこれまでも何度か、
「わたしの小さい頃ってどうだった? 反抗的というか、反抗期みたいな時って」
みたいなことを尋ねた。まあ帰ってくる答えは毎回ほぼ同じ。
「とても手のかからない子だったねえ。大人しかった」
多分この言葉には、今のわたしの生活を憂いていて、それに対する批判も込められているだろうが、わたしは知ったこっちゃない。
わたしのフィクションかもしれない記憶によれば、わたしは相当手に負えない子供だったはずだ。
たとえば、幼稚園の頃、初めて通園バスに乗った時、わたしは大泣きして、周りをすごく困らせた。園児とはいえ彼らにも既に社会性はあったらしく、そんなわたしを冷ややかに見る周りのオトモダチが怖かった。ほんとに怖かった。だから余計に泣いた。この恐怖はよく覚えている。
あるいは、初めて小学校に登校した時。制服の帽子のリボンが取れているだか取れかかっているだかで、ものすごい駄々をこね、入学式には出席せず、校長室だか応接室だか、大きなソファーで泣き疲れて寝ていた記憶がある。多分これは事実だ。卒業してから先生(一年から四年まで同じ担任だった)に「こいつはものすごい変人になるかものすごい大物になるかのどっちかだと思った」と笑い飛ばされたエピソードだからだ。ごめんなさいものすごい変人になっています。
こんな子供が「手のかからない」とか「大人しい」とかって、あんた認知機能おかしいんじゃないの? と素で思った。そう母に言った。素で。言ったら、
「ああ、ほんと手のかかる子だったね」
だと。あんたマジデ脳みそおかしいんじゃないかと。
そういうわけで、母親の証言は当てにならないとわたしは思っている。なんせわたしの母親だからな。脳みそおかしいのは仕方がない。
仕方ないので、叔母に聞いてみることにした。
叔母も母と(つまりわたしと)血は繋がっているわけだが、彼女は看護師だ。祖父母の家の近くに住んでいて、いろいろあって祖父母の家によく預けられていたわたしを、叔母は面倒見てくれていたらしい。ああそう言えばそうだったかな、ぐらいだけど。わたし的には。
しかし、叔母の話も、母と似たり寄ったりだった。目新しい情報はなかった。叔母も母と同意見だったのだ。
「泣きもしないし駄々もこねないし死んでるかっていうぐらい大人しかった」
だとよ。
いや泣いてたし。駄々こねまくりだったし。と母にしたのと同じ反論を返すと、
「外弁慶だったんじゃない?」
とか。いやそれ使い方間違っているから、と思ったけど言わなかった。ああこいつも母の一族だな、と思ったから。
脳波検査についても聞いたが、何か密約でもしているのか知らないが、母と同じ答えしか返ってこなかった。つまり、前出の記事以上の情報はなかった。
とはいえ叔母なわけだから、母よりは他人事なのであろう。彼女はぽろっと本音を言った。
「○○(わたしの本名)は人と脳みそが違うのよ」
多分これには、いい大学行かせてもらったくせに今の生活はなんなんだ、という嫌味も入っているに違いない。だが、母のそれより真実を漏らした言葉のように聞こえた。
彼女は、わたしを、キチガイとは言わないが、脳みそが異常な人間だと思っているのは確かである。あるいは、看護師だから、器質的な異常について、クールなのかもしれない。
まあどうせこんなブログ見ちゃいないだろうが一応、突然妙な電話してごめんね、と社交辞令を言っておこう(言ってなかったことを今思い出した)。
多分、こういうのから、自我理想じゃなくて理想自我(ややこしいしわたしもよく間違えるし正直よくわからない)が生まれるのかなあ、とふと思った。
理屈的には、鏡像段階で鏡に映る自分が理想自我で、まあそれは象徴的ファルスなんだが、これは象徴というよりクリステヴァ的に言うならセミオティックなもので、ファルスがより象徴化されたのが自我理想、という感じはわかるけど。象徴的ファルスってのが問題なのよね。想像的でもあり象徴的でもあるから。ラカンの三界理論を覆す点。要の点でもあるけれど。
要するに、理想自我とは想像界的かつ象徴界的なものであり、象徴界的なものが自我理想、という感じ? わたしはよくわからないからいつも適当にこう説明している。「自我が受動的に「感情移入する」ような形で同一化しようとするイメージ的な理想が理想自我で、自我が所有的に「把握する」ような形で同一化しようとする言語的な理想が自我理想」とか。うん、自分のよくわかってなさを微妙に暴露できている説明の仕方だ。
ここで言うなら、「泣いて駄々こねまくりだった子供のわたし」は、自我理想? いやチゲエなあ。そんなん理想でもなんでもない。よく自我理想はプライドのようなものとして語られることが多いが、泣いて駄々こねまくりの自分がプライドになるわけがない。
しかし実は、大人しかった記憶もないわけではない。さっきも言ったようにこれはただの記憶であるので自分であまり信用していないが、乳児の頃の記憶として、こんなのがある。
わたしはベビーベッドかなんかに寝ている。誰もいない。何も動かない。お腹がすいたことを主張しようとして、泣こうとする。泣き方がわからない。動けない。仕方ない。このままでいよう。
ところが直後、「ハイハイオチチネエ」と言って近寄ってくる母(?)に向かって、「違う」という意味で、わたしは泣くのだ。
この記憶は、小学生の頃から持っていて、母にも何度か言ったことのある記憶だ。「だからどうした」みたいな態度を返されたが。「だからどうした」とわたしも思う。
この「このままでいよう」っていうのが、叔母の言う「死んだような大人しさ」なのかな、とふと思ったりした。
わたしは、言語というのは、その本質は、全て「ノン」を意味するものだと思っている。これはこういう記憶があるからかもしれない。泣くことが言語に変化する。とても簡単な理屈だ。ここにはラカン論で言うところの「シニフィアン連鎖の中の欠如」などというものは、存在しない。
また、だから、合意を目的として用いられる言語に、常に違和感を感じるのだ。
たとえばこの文章も、「自分が異常であることを、即ち自分が特別であることを主張する文章である」みたいに解釈されると、わたしは「違う」と反論する。
そういうところもないわけではないが、そういった解釈からこぼれ落ちたものに、わたしは意識が向く。特にこの文章に限っては、異常であることを否認したくて書いている部分がある。わたしだって「普通に」泣いて駄々をこねたのだと。いや、そう解釈されても、「違う」と反論するだろう。わたしはただ事実を確かめたくて、こんな文章を書いていると。この文章にも、わたしの中でこんな反論が形成される。「事実を確かめるだけなら、わざわざ文章化する必要ないじゃん。ブログに書くなんざなおさら」と。
もちろんそんな言葉の裏全てを網羅することなんて、人間には無理であることもわかる。この記事で言うなら、自分の気持ちなど多少なりとも常に既に劣化しているのだ、と。むしろ、本当の自分の気持ちなど、自分の気持ちの本質など、わたしにはわかりっこないのだ。もちろん他人にも理解できるはずがない。わたしの思考はこういった考えが基本になっている。
だから、ラカン論が理解できないというのが、むしろわたしは理解できない。
これは、理解できるのが当然だ、という意味も含まれていようが、そもそも他人なんて理解できるわけがないのだから、理解できないと言っているわけだ。この文章について、「理解できるのが当然だ」あるいは「あなたもラカン論を理解しなさい」などという行間を読むには、「他人は理解できる」という前提がなければ成立しない。「他人であるわたしを理解すること」が「ラカン論を理解すること」にスライドしているのだ。
わたしはそういった前提がない、とは言わないが、一般より弱い。だから、むしろ単に事実を述べている言葉として、この言葉は存在する。「わたしはラカン論を理解できないという他人が理解できない。そもそも他人なんて理解できるものではないから」という事実。
わたしが言っていることは、おかしいだろうか? わたしは脳みそがおかしいのだろうか?
わたしはわたしが書いた文章を見て、全くそんなことは思わない。むしろツレション的に世の常識などといったものに、無意識的に従順できる人間たちの方が、脳みそがおかしいと思える。
この「常識への従順」は、精神分析的な理屈では、「超自我の抑圧の承認」となろう。
違うのだ。
超自我とかそんな問題じゃない。それは超自我が形成できている主体だからそう思うだけであって、わたしが言っている「常識への従順」は、言語的象徴的なものに限らない。むしろ想像的である。わたしはそれらに生理的嫌悪を感じている。情動的に否定している。そうやって自分の情動も否定している。否定ということは象徴的なものだ。そう。象徴的なのだ。想像界があって象徴界が生まれる、という理屈はわかる。しかし、想像界の直前にある、前-象徴界的なものとでも言うべきものがある。現実界的なものとして。
ジジェクは超自我を現実界的なるものと述べている。わたしはこれには反論する。わたしの言う前-象徴界的なものが現実界的なものであって、超自我は想像界と象徴界によって、それを二重に劣化した、とても非現実界的なものだと。ジジェクは、この劣化について、触れてはいるが、それを劣化を呼ばない。淡々とさえ語っていない。定型発達者あるいは正常人の権力者っぷりを露に、超自我を称揚する。非神経症者など死に絶えてよいと言わんばかりに、「心の理論」と親近する超自我を、嬉しそうに人間の本質に据える。殺人鬼が自分の行為を英雄譚のように語るがごとく。少しオブラートにくるんで言い換えるなら、「オレ千人斬り達成したぜ」とか自慢する脳みそがちんちんになっているヤロウのごとく。ジジェクの『アンチ・オイディプス』に対する反論など、「ヤルまで面倒な女がいいか、ヤリやすい女がいいか」と議論する男根主義者同士の酒飲み談義である。ジジェクもドゥルーズ=ガタリもファルスから逃れられていない。
いいのだそれで。ファルスがあるのが正常人なのだから。
この前-象徴界的なものは、ファルスなどではない。言うなれば、誰もいない何も動かない空間に、一人残された飢えた乳児が感じる、「不動という享楽」である。
シニフィアンは、確かに固定的という意味で不動的である。言語的自己感に固定化されているのがオイディプスであるとする『アンチ・オイディプス』とも、固定化という意味で繋がるだろう。そういった意味で、わたしは「前-象徴界的なもの」と述べているが、定型発達者が考える、少なくともジジェクが述べている象徴界とは、全く別なものである。ラカン論的にも、別物だと思える。
これだけは、はっきりと言える。
それは、象徴などではない。
やっぱり、定型発達者って死に絶えていいように思えた。
わたしの愛は、そういう愛なのだ。
わたしは定型発達者を愛するが故に、こう言うのだ。
「正常人こそがキチガイだ。正常人はみんな死に絶えればいい」
これは、愛の言葉なのだ。
ネエ、オネガイガアルノ。
シンデ。シニタエテ。