玉と石
2010/02/20/Sat
ママさんとのメッセペースが落ちてきた。
ところどころに差し挟まれる日常エピソードがおもしろいのだが、なかなか語ってくれない。多分ママさんは「どうでもいい話題」と思っているのだろう。ブログにうpするまでもない話だと。一般的目線で言えばつまるところ「日常生活の愚痴」だしな。
そういう、玉石混交の石が、精神分析にとっては玉なんだけどなあ。いや確かに石ばっかになると石として純化して玉になっちゃうからあれではあるが。
精神分析に玉を見出そうとする哲学者も多いから勘違いされるんだろうな。
馬鹿だよなあ、ほんと。
学者って馬鹿なんだよ。学者じゃない馬鹿が多い。学徒じゃなく、英雄になりたがっている奴らが。
しかたないんだけどね。人間みんなそういうもんだ。「上がりたがる」症状。この正常という精神疾患の症状のせいで共産主義は失敗した。
言っとくけど、自分が英雄になるための玉は、精神分析にはないよ? 木田原形而ちゃん。ヘーゲルとかやった方が君の精神的健康にはよいと思うんだけど。
むしろ英雄譚を冷めた目で分析するのが精神分析だからね。君はよいオイディプス臨床例として精神分析の役に立つだろう。
なんでこういう誤解が生まれるのかな。
そもそも学問ってのが玉化してるんだろうな。英雄になるための武器あるいはとして見ている男の子が多いから。女の子なら、聖母になるためのー、なんだろうな、学問はドレスにゃなんねえもんな、あんまり。文学畑ならドレスとして利用している牝豚は多いな。牝豚にはクリステヴァ後期の仕事は理解できないだろう。クリステヴァ派じゃないが野島直子とかおしゃれに無頓着な人間じゃないか、なんて妄想できるもんな。昔の腐女子臭。西川直子は微妙。クリステヴァはクラインっぺえところあるからな。それこそ『初めに愛があった』なんてクリステヴァ自身が回帰してるし。
=====
化粧なんてどうでもいいと思ってきたけれど
最後の最後にあんたに思われたい
=====
ああくせえ。
あたしクリステヴァ派だけどそこには回帰しないよ。むしろ裏を回っている。わたしに鳥居はくぐれない。クリステヴァは鳥居をくぐらず、初詣にきたゴミクズどもを、すなわち石を観察していたが(分析家としては正しい態度である)、クラインと同様、やっぱり最後は鳥居をくぐってしまった。
男の子のその武器を、女の子のそのドレスを、分解する道具が精神分析なんだよ? 英雄目的で、聖母目的で精神分析やるのは本末転倒だよ?
あ、まあ、マリア目的なら、レイプされるのも厭わなければありかもね。「分析家のディスクール」は対象aが能動者になっているから。そもそもマリアなんて神にレイプされたわけだし。
ねえねえ、君たちはなんで学問やってるの?
飲茶がまた「ライトノベル哲学本」を出すそうだが、「史上最強の哲学」って、「何も語らない哲学」になんじゃねえの? って思った。
エポケーしたら内部の理屈は完全化しやすくなろうさ。だからエポケーしまくればいい。すべてを保留すればいい。何も語らなければいい。
そこにあるものは完全に近づくだろう。
哲学ってな武器というよりリスカのカッターだと思うんだがなあ。だから一番つおいのは死んでること。自傷で一番つおいのは自殺。
そうではないのか。「今の哲学にはバキ分が足りない」とか言ってるし。バキってよく知らないけどこれでしょ?
ちゃんちゃん。
宣伝したのでこの本買ってわたしに送れ、飲茶へ。
飲茶のことだから、バキだって「上がりたがる」症状として読んでないだろ? カイジみたいに「生死の間際のヒリヒリ感」として読んでるんだろ? シンケンジャーとかわたし見てないが(仮面ライダーは結構見てる。カブトと響鬼が好き)、お前が評価してるのってこの「生死のヒリヒリ感」じゃん。「ヒリヒリ感」って福本マンガでよく出てないっけ?
だとしたら、お前にとって「史上最強の哲学」は、「語らない哲学」だ。
ソクラテスの時代から哲学はパトスを排除してきている。だから、そうなる。パトスを排除しているがために「語らない哲学」が最強になる。
中村雄二郎とか「パトスの知」「臨床の知」を組み入れたら語れるがな。死ぬために語る。死ぬために戦うのがバキなら、お前やっぱ中村を経由しろ、馬鹿が。
そもそもお前が本出せるようになったのも株で「生死のヒリヒリ感」をネットに垂れ流したからだろうが。たかだか百万ごときで死にそうになっていたからこそお前はブレイクしたんだ。
あ、飲茶には言ったけどあたし株板で飲茶が死ぬように、つまりもっと失敗こくように仕向けてた人です。はい。
だあってそうした方がこの人もっとおもしろくなると思ったんだもーん。いやね、それこそ百万単位の損して手首切ったとかってスレが、飲茶フィーバーのあとであったんだけど、つまらなかったもんね。手首切った画像まであげてたけど、飲茶スレのほうがわくわくした。なんかリスカ野郎は、「お前本気で死ぬ気ないだろ」って感じ。飲茶は死のうなんて思ってなかったろうけど、死ぬとは思ってなかったけど、本気さを感じた。リスカ野郎より。必死さがあった。
芸術作品として考えたら、飲茶事件とそのリスカ事件なら、わたしは飲茶事件を評価する、って話だ。
いやま、飲茶事件より、2ちゃんじゃないところで、株で失敗して自殺するまでを実況するサイトがあって、家族をなんとか言いくるめて、家族と別れてから自殺したってサイト(本当に自殺したかどうか知らんが今はURLなくなってる)の方がぐっときたけどな。すげー冷静なの。
自分の子と心中まで考える母親。
子殺しと親殺し。一瞬に凝縮された永遠。
もっとも完成された意味かもしれない。
わたしにとってラスボスであり、もっとも求めているシーン。
わたしは殺されることで、正常人を殺す心の準備はできてるから、あとはわかってくれる人に殺されればいいだけなんだけど。
わたしの方が殺しやすいはずなんだけどなあ。
西田幾多郎は意図的に避けてきたんだが、年貢の納め時なのか。
ああ、やだなあ。
気持ち悪いなあ。
その辺じゃないとわたしはフェミできない、多分、ってのは誰かに言ったな。
ただの直感だったけど、そっちいってフェミ口調、っていうか、ファルスになったら、肥大したクリトリス化したら、わたしの直感は正しかった、となる。
実験感覚の興味はあるんだが。
生理的にだめだな。
わたしと歩いていた道が違いすぎる。
森の獣道を人間が「思索の道」と言って侵略してきてるようなもんだ。
住宅のために侵略してくる人間なら魔女でも撃退できる。
しかし、思索のために訪れる人間を、獣は攻撃できない。
メカゴジラならぬメカ魔女じゃないと西田には勝てそうにない。
人間の友となるロボットを作るのは難しいが、人間を絶滅させるロボットを作るのはたやすい。実際に今すでにあるじゃないか。核爆弾など。
動物も死ぬだろうけど、生命は生き残るだろう。
だからメカ魔女。
「森の獣道」っつうとわたしなんかはドゥルーズを思い浮かべるんだが、ベルクソンつながりなのな、西田とドゥルーズって。
ベルクソンは全然だめなのにな。典型的なオイディプスなのに、なんでドゥルーズとか西田とかになるんだろう。獣道どころか天空の城ラピュタじゃん。
よっくわからん。
もしかして正常人にとっては、未去勢者が主に生きている獣道が天空の城だったりすんの?
バッカだねえ、ほんとに。
お前の世界にない道はすべて天空にあるものかよ(笑)。
やっとのことで辿り着いた天空の城にあったのは、自然の中に普通にある獣道でした。
『青い鳥』かよ(爆笑)。
天空の獣道にも獣のうんこがそこかしこに落ちてるよ。
あ、獣道んとこ適当にリンクしたけどいいこと言ってあったので再掲するな。
=====
自閉症者の多くが向かっている方向とは確かに逆だよなー。
だめだよみんなわたしの真似しちゃ。
うずくまるもあり、歩き続けるもあり。歩き続けること即ち事故を起こすってことだけど。ファルスに不具合のある人は。
わたしはうずくまらないってだけ。
=====
自閉症者ならば、療育の表面的なところだけ見事に成功しているが、(自閉症が他の発達障害と違う点である)人間性の根本とも言えるべき箇所に障害が残っている、という意味で療育に失敗した人間が、仮想的にどうなるか、を考えるとき、わたしという症例は役に立つだろう。
療育の表面的な部分ってな、比喩的に言えば、学校の教育じゃない学習塾の教育だ。ファルスを眼中に入れないでサントームだけを強化する教育。軸はエポケーして柵の構築方法だけを教える教育。
知恵と人間性は、関連がないとは言わないが、比例するもんじゃないんだよ。当然反比例でもないが。
あ、もしかして数学無知は、「関連」って言うと比例か反比例しか考えらんないのか。ごめんね。
比例でもなく反比例でもない相関性ってな普通にあるよ。
どうでもいいけど、そういうことだ。
わたしはうずくまらないってだけ。わたしはハイウェイを逆走できる。学習塾で習った知恵というパーツで重戦車を作ることができた。その部品に不良品が混ざっているのは、確かに困るけど、ね。
正常人を殺すためだけに、今は生きている。わたしは。
わたしが獣道を走れば、獣たちが傷つく。なんせスーパーカーで森の中を走ってる人ですから。
……でも、「秋風」になるとは、ね。
なんか足元すくわれた気がするよ。
だから思考が止まらない。
結局このせいなんだな。
だってここ考えたら泣けるもん。
無理だよ、んなの。
突然変異の個体は、それまでの個体を殺すか自分が殺されるかしかない。
嘘。
「秋風」なら。
ああ、もう。
あ、わかった。ベルクソンとシュレーバーって似てるよな。だから嫌いなんだ。パラノイア。
結局さ、草食系男子とか、肉食系な部分を抑圧してるだけじゃねえの? って思うんだ。あたしゃ。ユング的な考え方。人間はもともと全である、って。
だから、そいつがなんで草食系になったかわたしが納得しないと信じられない。そいつを。
肉食系だって同じよ? 部屋に戻ったら股かっぴらいた彼女が「おら、入れろよ」なんつったらさすがに萎えるだろ? 「ほーらあんたの草食系部分発見」ってな具合だ。
お前らなんでそんな表面上のことだけで満足できんの? 嘘で満足できんの?
嘘こそが正常人にとって快楽だからな。ごっこ遊びこそがお前らにとって快楽だからだ。
無自覚に嘘をつけるのが正常という精神疾患なんだよ。
まずそこから議論しようじゃないか、とわたしは言ってるだけなんだがな。嘘つきのお前らに。
正常であることなんてお前らが自画自賛するほど美しいほどでもないって言いたいだけなんだがな。
ベルクソンと比べたらドゥルーズはリアリストって感じがするだろ? ドゥルーズは獣道を歩いていると言えるけど、ベルクソンはお花畑じゃん。文芸的な見方をすれば。
わかんねえ?
嘘を嘘と思わない詐欺師ほど厄介なもんはねえな。
ところどころに差し挟まれる日常エピソードがおもしろいのだが、なかなか語ってくれない。多分ママさんは「どうでもいい話題」と思っているのだろう。ブログにうpするまでもない話だと。一般的目線で言えばつまるところ「日常生活の愚痴」だしな。
そういう、玉石混交の石が、精神分析にとっては玉なんだけどなあ。いや確かに石ばっかになると石として純化して玉になっちゃうからあれではあるが。
精神分析に玉を見出そうとする哲学者も多いから勘違いされるんだろうな。
馬鹿だよなあ、ほんと。
学者って馬鹿なんだよ。学者じゃない馬鹿が多い。学徒じゃなく、英雄になりたがっている奴らが。
しかたないんだけどね。人間みんなそういうもんだ。「上がりたがる」症状。この正常という精神疾患の症状のせいで共産主義は失敗した。
言っとくけど、自分が英雄になるための玉は、精神分析にはないよ? 木田原形而ちゃん。ヘーゲルとかやった方が君の精神的健康にはよいと思うんだけど。
むしろ英雄譚を冷めた目で分析するのが精神分析だからね。君はよいオイディプス臨床例として精神分析の役に立つだろう。
なんでこういう誤解が生まれるのかな。
そもそも学問ってのが玉化してるんだろうな。英雄になるための武器あるいはとして見ている男の子が多いから。女の子なら、聖母になるためのー、なんだろうな、学問はドレスにゃなんねえもんな、あんまり。文学畑ならドレスとして利用している牝豚は多いな。牝豚にはクリステヴァ後期の仕事は理解できないだろう。クリステヴァ派じゃないが野島直子とかおしゃれに無頓着な人間じゃないか、なんて妄想できるもんな。昔の腐女子臭。西川直子は微妙。クリステヴァはクラインっぺえところあるからな。それこそ『初めに愛があった』なんてクリステヴァ自身が回帰してるし。
=====
化粧なんてどうでもいいと思ってきたけれど
最後の最後にあんたに思われたい
=====
ああくせえ。
あたしクリステヴァ派だけどそこには回帰しないよ。むしろ裏を回っている。わたしに鳥居はくぐれない。クリステヴァは鳥居をくぐらず、初詣にきたゴミクズどもを、すなわち石を観察していたが(分析家としては正しい態度である)、クラインと同様、やっぱり最後は鳥居をくぐってしまった。
男の子のその武器を、女の子のそのドレスを、分解する道具が精神分析なんだよ? 英雄目的で、聖母目的で精神分析やるのは本末転倒だよ?
あ、まあ、マリア目的なら、レイプされるのも厭わなければありかもね。「分析家のディスクール」は対象aが能動者になっているから。そもそもマリアなんて神にレイプされたわけだし。
ねえねえ、君たちはなんで学問やってるの?
飲茶がまた「ライトノベル哲学本」を出すそうだが、「史上最強の哲学」って、「何も語らない哲学」になんじゃねえの? って思った。
エポケーしたら内部の理屈は完全化しやすくなろうさ。だからエポケーしまくればいい。すべてを保留すればいい。何も語らなければいい。
そこにあるものは完全に近づくだろう。
哲学ってな武器というよりリスカのカッターだと思うんだがなあ。だから一番つおいのは死んでること。自傷で一番つおいのは自殺。
そうではないのか。「今の哲学にはバキ分が足りない」とか言ってるし。バキってよく知らないけどこれでしょ?
ちゃんちゃん。
宣伝したのでこの本買ってわたしに送れ、飲茶へ。
飲茶のことだから、バキだって「上がりたがる」症状として読んでないだろ? カイジみたいに「生死の間際のヒリヒリ感」として読んでるんだろ? シンケンジャーとかわたし見てないが(仮面ライダーは結構見てる。カブトと響鬼が好き)、お前が評価してるのってこの「生死のヒリヒリ感」じゃん。「ヒリヒリ感」って福本マンガでよく出てないっけ?
だとしたら、お前にとって「史上最強の哲学」は、「語らない哲学」だ。
ソクラテスの時代から哲学はパトスを排除してきている。だから、そうなる。パトスを排除しているがために「語らない哲学」が最強になる。
中村雄二郎とか「パトスの知」「臨床の知」を組み入れたら語れるがな。死ぬために語る。死ぬために戦うのがバキなら、お前やっぱ中村を経由しろ、馬鹿が。
そもそもお前が本出せるようになったのも株で「生死のヒリヒリ感」をネットに垂れ流したからだろうが。たかだか百万ごときで死にそうになっていたからこそお前はブレイクしたんだ。
あ、飲茶には言ったけどあたし株板で飲茶が死ぬように、つまりもっと失敗こくように仕向けてた人です。はい。
だあってそうした方がこの人もっとおもしろくなると思ったんだもーん。いやね、それこそ百万単位の損して手首切ったとかってスレが、飲茶フィーバーのあとであったんだけど、つまらなかったもんね。手首切った画像まであげてたけど、飲茶スレのほうがわくわくした。なんかリスカ野郎は、「お前本気で死ぬ気ないだろ」って感じ。飲茶は死のうなんて思ってなかったろうけど、死ぬとは思ってなかったけど、本気さを感じた。リスカ野郎より。必死さがあった。
芸術作品として考えたら、飲茶事件とそのリスカ事件なら、わたしは飲茶事件を評価する、って話だ。
いやま、飲茶事件より、2ちゃんじゃないところで、株で失敗して自殺するまでを実況するサイトがあって、家族をなんとか言いくるめて、家族と別れてから自殺したってサイト(本当に自殺したかどうか知らんが今はURLなくなってる)の方がぐっときたけどな。すげー冷静なの。
自分の子と心中まで考える母親。
子殺しと親殺し。一瞬に凝縮された永遠。
もっとも完成された意味かもしれない。
わたしにとってラスボスであり、もっとも求めているシーン。
わたしは殺されることで、正常人を殺す心の準備はできてるから、あとはわかってくれる人に殺されればいいだけなんだけど。
わたしの方が殺しやすいはずなんだけどなあ。
西田幾多郎は意図的に避けてきたんだが、年貢の納め時なのか。
ああ、やだなあ。
気持ち悪いなあ。
その辺じゃないとわたしはフェミできない、多分、ってのは誰かに言ったな。
ただの直感だったけど、そっちいってフェミ口調、っていうか、ファルスになったら、肥大したクリトリス化したら、わたしの直感は正しかった、となる。
実験感覚の興味はあるんだが。
生理的にだめだな。
わたしと歩いていた道が違いすぎる。
森の獣道を人間が「思索の道」と言って侵略してきてるようなもんだ。
住宅のために侵略してくる人間なら魔女でも撃退できる。
しかし、思索のために訪れる人間を、獣は攻撃できない。
メカゴジラならぬメカ魔女じゃないと西田には勝てそうにない。
人間の友となるロボットを作るのは難しいが、人間を絶滅させるロボットを作るのはたやすい。実際に今すでにあるじゃないか。核爆弾など。
動物も死ぬだろうけど、生命は生き残るだろう。
だからメカ魔女。
「森の獣道」っつうとわたしなんかはドゥルーズを思い浮かべるんだが、ベルクソンつながりなのな、西田とドゥルーズって。
ベルクソンは全然だめなのにな。典型的なオイディプスなのに、なんでドゥルーズとか西田とかになるんだろう。獣道どころか天空の城ラピュタじゃん。
よっくわからん。
もしかして正常人にとっては、未去勢者が主に生きている獣道が天空の城だったりすんの?
バッカだねえ、ほんとに。
お前の世界にない道はすべて天空にあるものかよ(笑)。
やっとのことで辿り着いた天空の城にあったのは、自然の中に普通にある獣道でした。
『青い鳥』かよ(爆笑)。
天空の獣道にも獣のうんこがそこかしこに落ちてるよ。
あ、獣道んとこ適当にリンクしたけどいいこと言ってあったので再掲するな。
=====
自閉症者の多くが向かっている方向とは確かに逆だよなー。
だめだよみんなわたしの真似しちゃ。
うずくまるもあり、歩き続けるもあり。歩き続けること即ち事故を起こすってことだけど。ファルスに不具合のある人は。
わたしはうずくまらないってだけ。
=====
自閉症者ならば、療育の表面的なところだけ見事に成功しているが、(自閉症が他の発達障害と違う点である)人間性の根本とも言えるべき箇所に障害が残っている、という意味で療育に失敗した人間が、仮想的にどうなるか、を考えるとき、わたしという症例は役に立つだろう。
療育の表面的な部分ってな、比喩的に言えば、学校の教育じゃない学習塾の教育だ。ファルスを眼中に入れないでサントームだけを強化する教育。軸はエポケーして柵の構築方法だけを教える教育。
知恵と人間性は、関連がないとは言わないが、比例するもんじゃないんだよ。当然反比例でもないが。
あ、もしかして数学無知は、「関連」って言うと比例か反比例しか考えらんないのか。ごめんね。
比例でもなく反比例でもない相関性ってな普通にあるよ。
どうでもいいけど、そういうことだ。
わたしはうずくまらないってだけ。わたしはハイウェイを逆走できる。学習塾で習った知恵というパーツで重戦車を作ることができた。その部品に不良品が混ざっているのは、確かに困るけど、ね。
正常人を殺すためだけに、今は生きている。わたしは。
わたしが獣道を走れば、獣たちが傷つく。なんせスーパーカーで森の中を走ってる人ですから。
……でも、「秋風」になるとは、ね。
なんか足元すくわれた気がするよ。
だから思考が止まらない。
結局このせいなんだな。
だってここ考えたら泣けるもん。
無理だよ、んなの。
突然変異の個体は、それまでの個体を殺すか自分が殺されるかしかない。
嘘。
「秋風」なら。
ああ、もう。
あ、わかった。ベルクソンとシュレーバーって似てるよな。だから嫌いなんだ。パラノイア。
結局さ、草食系男子とか、肉食系な部分を抑圧してるだけじゃねえの? って思うんだ。あたしゃ。ユング的な考え方。人間はもともと全である、って。
だから、そいつがなんで草食系になったかわたしが納得しないと信じられない。そいつを。
肉食系だって同じよ? 部屋に戻ったら股かっぴらいた彼女が「おら、入れろよ」なんつったらさすがに萎えるだろ? 「ほーらあんたの草食系部分発見」ってな具合だ。
お前らなんでそんな表面上のことだけで満足できんの? 嘘で満足できんの?
嘘こそが正常人にとって快楽だからな。ごっこ遊びこそがお前らにとって快楽だからだ。
無自覚に嘘をつけるのが正常という精神疾患なんだよ。
まずそこから議論しようじゃないか、とわたしは言ってるだけなんだがな。嘘つきのお前らに。
正常であることなんてお前らが自画自賛するほど美しいほどでもないって言いたいだけなんだがな。
ベルクソンと比べたらドゥルーズはリアリストって感じがするだろ? ドゥルーズは獣道を歩いていると言えるけど、ベルクソンはお花畑じゃん。文芸的な見方をすれば。
わかんねえ?
嘘を嘘と思わない詐欺師ほど厄介なもんはねえな。