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<title>アブラブログ</title>
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<description>「読む消費」から「スローリーディング」へ</description>
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<title>「魔術的思考」</title>
<description> 死ぬ。いつかは、ってギャグにしておこう。わたしは多くの他人とシニフィエが違う。この言葉は強力だ。意味を理解するとこの言葉によって示されるそれは、わたしを炭火で炙っている。遠赤外線。「そうだ、その熱だ、だがお前の発しているその熱をお前は熱く感じているのか？」と。多分お前らはそう思わないんだろうが、ノエマが自壊する、っつってもわかんないんだろうな。わかりやすく言ったら「キチガイババアが死ぬ死ぬっつって
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<![CDATA[ 死ぬ。いつかは、ってギャグにしておこう。<br /><br />わたしは多くの他人とシニフィエが違う。<br />この言葉は強力だ。意味を理解するとこの言葉によって示されるそれは、わたしを炭火で炙っている。遠赤外線。「そうだ、その熱だ、だがお前の発しているその熱をお前は熱く感じているのか？」と。<br />多分お前らはそう思わないんだろうが、ノエマが自壊する、っつってもわかんないんだろうな。わかりやすく言ったら「キチガイババアが死ぬ死ぬっつってるだけ」になるだろうから言わない。いやそれで正しいんだけどな。そうじゃなくて、お前らの自己防衛機制ってすげえな、ってことだよ。苦痛を伝染させられない。<br />「死にたい」じゃなくて「死ぬ」なところもポイントなんだがな。まーいいや。<br />苦痛の伝染に重心を置いたら、「殺してやる」になるのか。<br />お前らこのブログ読まない方がいいよ。殺意という呪いがかかるから。いやまー鈍感な奴、すなわちいかにも正常人な奴なら防衛できるんだろうけどな。防衛できるから鈍感なんだけどね。<br />鈍感じゃない奴は読むな。<a href="http://www.nicovideo.jp/watch/sm8830235" target="_blank" title="暗黒の夢に飲み込まれちゃうよ。">暗黒の夢に飲み込まれちゃうよ。</a>マジモンのパラノイアもパス。こっちはわたしがうぜえから。<br />魔術的思考です、はい。<br /><br />おそらく「魔術的思考」のシニフィエも違う。<br />多くの人たちは、魔術的思考というと精神的なものを想像する。幻想的なものを連想する。<br />わたしは違う。わたしにとって「魔術的思考」というシニフィアンは物理学に連鎖する。「魔術」とは「物理」なのだ。精神的なものではなく肉体的なものなのだ。<br />たとえば、好きな相手（呪いたい相手でもいい）に自分の血液を練り込んだチョコクッキーをプレゼントする。これって肉体的で魔術的だろ？　チョコなのは血の味をごまかすため。<a href="http://aburax.blog80.fc2.com/blog-entry-580.html" target="_blank" title="この記事">この記事</a>から。<br />＝＝＝＝＝<br />つうか、自分の手が関わった物が、自分という人格なんて関係なく使われていく楽しみって、魔術的思考だと思うんだよな。修羅くんが自作の竹刀をライバルの六三四にプレゼントしたシーンを覚えてたのもそういうのを感じたからかもしれない。<br />＝＝＝＝＝<br />わたしにとっての「魔術的思考」とはそういうものだ。この思考の構造を、どう表現すればいいかで、物理学は非常に的確だった。量子力学はまさにわたしが考えていた魔術的思考そのものだった。<a href="http://aburax.blog80.fc2.com/blog-entry-555.html" target="_blank" title="この記事">この記事</a>のコメント欄から。<br />＝＝＝＝＝<br />どうでもいいけど固体でもすり抜ける感がわたしにはあって困る。「壁があるからそっち行けない」がピンと来ないというと大げさだがそのような感じ。 <br />量子力学とかこの感覚の格好の言い訳にはなったわ。 <br />「固体は固い」っていうのは単にお前らの思い込みだったんじゃんか、ってね。<br />2009-09-29 火 07:46:24 /URL /脂 /編集 <br /><br /><br />さらに独り言。もうイトウさんとかは読まなくてもいいようなこと。 <br /><br />＞「壁があるからそっち行けない」がピンと来ないというと大げさだがそのような感じ。 <br /><br />これを主張するのに、ちょっと知恵をつけ始めたガキんちょ時代なんか、「電気は金属って固体の中を通っていくじゃん」みたいなこと言ってたな。 <br />大人からすれば屁理屈大魔王だ。 <br />屁理屈じゃないんだよな。本当に固体を通り抜ける感覚があったから、なぜみんなにはそれがないのかわからないから、言ってたんだよ。<br />2009-09-29 火 10:19:03 /URL /脂 /編集 <br /><br /><br />ギャグその３。 <br /><br />＞「電気は金属って固体の中を通っていくじゃん」 <br /><br />の続き。 <br /><br />屁理屈大魔王を倒しにきた大人勇者の攻撃。 <br />「お前は電気じゃないだろ」 <br />またちょっと知恵をつけた屁理屈大魔王の反撃。 <br />「原子には全て電子がありますが？」<br />2009-09-29 火 19:02:05 /URL /脂 /編集 <br /><br /><br />そして屁理屈大魔王は量子力学という最終兵器を手に入れましたとさ。<br />2009-09-29 火 19:03:47 /URL /脂 /編集<br />＝＝＝＝＝<br />「壁をすり抜ける感覚」なんて魔術的だろ。でも電気なら可能だ。電気だって物だ。わたしにとっての「物」のシニフィエはそういうものだ。<br />物理学はむしろわたしの魔術的思考を形あるものにしてきた。<br />逆に言えば、わたしが量子力学の発生以前にこの魔術的思考を開陳していれば、量子力学の予言になっていた、ということでもある。現代風に言うならば、中二病者の戯言が物理学の発展によって証明された、ってことである。まあわたしが量子力学の発生以降に生まれているのは事実なのでそんなことは言わないが。<br /><br />一応注記しておくが、これは万能感が根拠になっているのではない。「壁をすり抜けられる」などという一部で表象される万能感の維持、などではない。わたしにとって電気とは苦痛そのものだ。<a href="http://aburax.blog80.fc2.com/blog-entry-243.html" target="_blank" title="癲癇を疑われていたわたし">癲癇を疑われていたわたし</a>は実感を持ってそう言える。脳内で電気がスパークすることは苦痛である。苦痛を証明することが万能感だと言うなら、「万能感の」シニフィエがそういうものならば、「万能感」でもいい。<br />この思考の実践が、演劇になるのだろう。<a href="http://aburax.blog80.fc2.com/blog-entry-226.html" target="_blank" title="この記事">この記事</a>から。<br />＝＝＝＝＝<br />大学の専攻は物性物理だった。ある時、量子力学と演劇がわたしの中でがきゅーんと繋がった。マジデ。理屈とかそんなチャチなもんじゃねえ状態だった。<br />＝＝＝＝＝<br />物理とは、わたしという苦痛そのものである物質を証明するアリバイで、演劇がその証拠だったのだ。そのアリバイと証拠で行われる完全犯罪が、「魔術的思考」だ。<br />わたしにとって魔術的思考とは理系の思考なのだ。<br /><br />しかしわたしは物理も演劇も手に入れられてない。中途半端なままだ。物理学者でもないしプロの演劇人でもない。いや大道具はプロとしてやってたけど、劇団に所属する学生をプロの人工（「にんく」な）として派遣するのは実はよくあることだ。アル○ザンとか。ちなみにテレビスタジオもやったことあるぜ。『電波少年』なんか三十分とかからずに仕込めた。大掛かりなのは時間かかったけどね。『特命リサーチ200X』とかすごかった。二階部分もちゃんと作ってたし。さすがにそういう金かかるのは二週撮りが普通みたいね。いや何がすごいってテレビのセットってあれ怖いよ。平台縫わないんだぜ？　箱馬の上に平台乗っけるだけ。舞台は釘で縫ったりツカミでつかんだりするだろ？　それしないんだ。まじで驚いた。それでもなんとかなるもんなんだよな。へーって思ったわ。ああそうそう今思い出したけど、特番のクイズとか大量の芸能人が出演するのあるよな。あれ楽屋足りないんだわ。常識的に考えたらそうだよなとは思うけど、そういう時って大広間みたいなところを使うんだよね。かといってそこそこ有名な芸能人たちを大部屋役者扱いするわきゃいかない。だからどうするかっていうとな、大道具がパネルおっ立てて小部屋を作るんだよ、大広間に。そこを仮の個人楽屋にするんだ。これマジ話だかんな。特番の大道具ってセット組む以外にそういうこともさせられるんだ。あほみたいだろ？　芸能界ってほんとキチガイの世界なんだ。そんなあほみたいな楽屋は若いアイドルとかが使うんだが、お前らこういう余計な苦労をかけてるってこときちんと自覚しろよな、って思ったわ。でもキンキキッズなんかミュージックステーションの特番イベントで唯一一組だけ大道具部屋にも挨拶しにきてすげえって思った。いやわたしがいなかっただけで他にも来てたのかもしれないけど。ジャニーズってすげえよな、タレントの教育が、ってしみじみ思った。だから微妙にキンキファンだったりする。ちっこかった。二人とも。あとすげえ細かった。おどれーた。テレビに一般人が映るとリアルではそう見えなくてもデブに見えるってあれマジだよ。足とかナグリで叩いたらぽっきりいきそうだったもん。いやバラシとかほんとそんな風にバラすからさ。木足の筋交いとかいちいち釘抜いてらんないから叩いて外す。折れちゃうとだめなんだよ。折れないまま両端の釘で縫った部分が外れないと。折れたら釘のとこが外れないままだったりするし、折れた箇所ってささくれてて危ないだろ。だからナグリの横っ面で叩くんだ。衝突する面積が広くなって圧力が分散するから木材は折れにくくなる。ほんとベテランとか魔法みたいにぽんぽん外していくんだよな。きれいに。とか言いながらそのベテランって本職だと限らないのが大道具のおもしろいところ。某大御所俳優の二世とか、役者やっててテレビでセリフつきの役もらってたりするんだけど、それだけじゃ食えないらしくて大道具やってた。って好きでやってるのかもしんないけど。つかその大御所俳優がえらいわ。甘やかしてないって意味で。そんなわけでその大御所俳優も好感度アップしたという単純なわたしであった。<br />まあなんつか豆しばの豆知識みたいなもんだとってそんなことどうでもいい。ともかく、プロとしてやっていても、わたしは兵隊だったし、中途半端に終わった。全く演劇と関係ないところに就職したしね。大道具はむしろ、<a href="http://aburax.blog80.fc2.com/blog-entry-290.html" target="_blank" title="物に翻弄され続けてきたわたしの人生をそうだと証明したようなものだ。">物に翻弄され続けてきたわたしの人生をそうだと証明したようなものだ。</a><br />あーそうそうそういう意味でとんねるずとか好きじゃないけどスタッフたちをいじるのは好感持てる。いじり方もいい。スタッフたちを見下していじっているのが。スタッフなんて見下されてナンボだからよ。見下された方がいい給料もらえる。ってお笑いと一緒か。あ、ちょっととんねるず許してやる気持ちになった。<br /><br />……あ、何言いたいのか忘れた。ってか言いたいことは言えた気もするので、終わり。<br /><br /><a href="http://aburax.blog80.fc2.com/blog-entry-590.html" target="_blank" title="この記事">この記事</a>の、<br />＝＝＝＝＝<br />機械は故障するのが自然である。故障しないということが不自然なのである。物は言うことを聞かないのが現実である。<br />＝＝＝＝＝<br />って奴、あれ、宮崎駿作品ってよくメカが登場するんだが、彼の描くメカってそんな感じがする。一筋縄じゃ行かない。すぐ故障する。すぐおかしい動作をする。しそう。いや、確かに『ナウシカ』あたりはそうでもない。立派な、おそらくリコールされないようなメカばかりだ。だけど『ラピュタ』のメカはぼろい。すぐ故障しそう。<br />なので、宮崎は機械の現実を知ってそう、とわたしは推測してしまう。<br />こういう機械の自然な姿を、現実を描ける作家ってそういないよな。普通の人が機械を描いても、「物は完璧に支配できるはず」という無意識にある確信が漏れてしまう。『スチームボーイ』なんてそうだよな。故障しそうじゃない。故障しない、リコールされないような正規品としてのメカが大量に組み合わさってスチーム城はできている。製品として安心できる。信頼性がある。一方『ラピュタ』の海賊一家の乗る飛行船なんてすぐリコールされてしまいそう。そんな部品ばっかを組み合わせてできている。まさに海賊版の部品ばっかを組み合わせてる、ってつまんねえか。実際乗組員はメンテナンスで毎日走り回ってただろ。ああ、<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%AA%E3%82%B3%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%A5" target="_blank" title="ブリコラージュ">ブリコラージュ</a>だな。<br />機械製造の現場を生きれば「故障しない機械なんてありえない」とわかるはずなんだがな。全ての製品にリコールの可能性がある。被害妄想的かもしれないが、そう思うようになるんだよ。ほんと、「機械は故障するのが自然で、故障しないのが不自然」なんだ。スチーム城とかさすがに何人かの兵隊のっつか部下に当たる設計者がいたんだろうが、そういう人たちはおとーちゃんの機械を信頼しきっている態度に「ちゃんと現場を見ろよハゲ」なんて思ってただろうな。なんかちょこっとそんなシーンなかったっけ。現場の技術者みたいなのがおとーちゃんに報告するようなシーン。自分が関与した建築物でにこやかにテープカットするおえらいさん方を見てたらほんとそんな風に思う。わたしの設計した部品がそいつの頭上に落ちてこねえかな、って。あ、これも魔術的思考よね。っていうか、うわべだけ見てにやついてんじゃねえよ、ちゃんと現場も見ろよ、って感じなんだけど。<br />要するに、宮崎は「物は言うことを聞かない」ことを知っていそうだが、大友は、頭ではそう思っているのかもしれないけれど、無意識の奥底では「物は完璧に支配できるはず」と思い込んでいそう、ということだ。いや、この二つの作品を比べると、だけどね。とはいえ両者ともテレビアニメレベルのメカなんかよかよっぽどその現実を見ようとしているとは思う。『スチームボーイ』はその細密な描写からそう思える。『ラピュタ』のメカの描写なんて、作られた年代が違うってのもあるが、『スチームボーイ』より粗い。だけどわたしは『ラピュタ』の海賊船の方が機械の現実を描けていると思える。<br />要するにこの二人が機械論を語ったら、わたし個人は宮崎の方を信頼するだろう、って話にすぎないんだがね。『アンチ・オイディプス』が使う「機械」なんて言葉なんかよりよっぽど宮崎の「機械」のシニフィエの方が納得できる。<br />これ一応元機械設計者のイメージなわけだから割と信用できると思うぞ。このブログの文章の中では。人を人として見れない人間が語る人のイメージなんか信用できるわきゃないだろ。ところがこの文章は、人でさえ物として見てしまう人間が語る物のイメージなんだもの。<br />人でさえ物として見てしまう人間なのだが、物を信用しきれてもいない、ってところがミソなのよね。<br />だから人だって信用できない。当然だ。人間だって、どうあがいても、お前がいくら否認しようとも、物である現実は揺るがない。量子の集合体であることは揺るがない。<br />また当然、物である自分だって信用できていない。わたしは。<br /><br />結局、ちょっとこなれた表現をするなら、「人と機械が関わっている光景において、人でさえ機械の一部のように見えるかどうか」という話なんだろうな。『ラピュタ』の海賊船において乗組員は機械の一部だ。仕込みやバラシの光景なんかも、機械とは言えないけど、大道具たちは物に見える。わたしには。わたしも物として動いている。人が物を支配などしていないので、海賊船の乗組員たちは飛行船という機械に支配されている、大道具たちはセットという物に支配されている、とも表現可能な光景。まあ現場の人間にこんなこと言ったら反論されるだろうけどね。「物とは支配可能だ」という固定観念から逃れられないお前たちに向けてわかりやすく説明しようとしてこう言っただけ。支配するとかされるとかじゃない関係なんだよな。<br />これは、そこで働く人たちが、「物とは信用できない、物とは支配不可能だ」と、頭じゃなくて体で、考えているかどうか、そう思ってしまっているのかどうか、が原因となっていると思える。そういったことを原因としたアクティングアウト。それが『ラピュタ』の海賊船の中であり、仕込みやバラシの現場だ。<br />ああそうね、『アンチ・オイディプス』における「機械」なんか、そう述べる「語る主体」が「物とは信用できない」と思ってなさそうだから、わたしには嘘臭く聞こえるんだな。信用できないということは警戒しているってことだろ？　彼らという「語る主体」は「機械」に対して全く警戒していない。だからドゥルーズ＝ガタリとわたしの「機械」のシニフィエは別物だ、と思える。<br />そうね、「警戒」。「支配するとかされるとかじゃない関係」ってそういうことだ。動物なんて人間と比べたら周囲を警戒している状態が多いと思われるが、あれどうだよ。動物は周囲の物を支配しているわけじゃない。周囲の物に支配されているわけじゃない。そういうこった。<br /><br />思考がばらばらだ。君はバラバラハートは赤いバラってなんだっけって<a href="http://www.youtube.com/watch?v=0qKIebBUZBE" target="_blank" title="トシちゃん">トシちゃん</a>か。<br />最近綾瀬はるかと沢口靖子がだぶる。ってか綾瀬演じるドラマ<a href="http://www.tbs.co.jp/jin2009/" target="_blank" title="『JIN -仁-』">『JIN -仁-』</a>の咲と沢口演じる<a href="http://www.tv-asahi.co.jp/kasouken/" target="_blank" title="『科捜研の女』">『科捜研の女』</a>のマリコがだぶってるだけだが。<br />「草食系男子」に続き「理系の女」を流行らせようなんて『平凡パンチ』の時代からやってそうなこと（いやごめん『パンチ』にいたことがあるって某編集者を想定して言っているだけ。個人的なイメージ）をテレビでやってたが、あれだよ。咲でありマリコ。リアルの理系女が言うんだから間違いない。<br />でもこの二人もわたしとは違う。<a href="http://tv.foxjapan.com/fox/lineup/prgmtop/index/prgm_cd/49" target="_blank" title="『BONES』">『BONES』</a>のボーンもそうだが、咲やマリコ側であり、わたしとは違う。いや咲やマリコと比べたらもっと向こうにいそうだ。男性的享楽側に。単に咲やマリコの方がガキだって話にすぎないんだが。<br />こういう対比をすると、自分はマッドサイエンティストとか、サイコパスの側になるんだよな。自分がそうなりたい、と思っているのではなく、他人事で自分をキャラ化したらどうなるか、って思考実験の結果にすぎないんだけど。演出家の視点で考えて。もちろんキャラ化だからリアルの自分じゃない。そういうキャラが出ても「ここが違う」と思うだろう。『JIN -仁-』なら野風だ。篭の鳥。わたしは<a href="http://aburax.blog80.fc2.com/blog-entry-433.html" target="_blank" title="自分を篭の中の鳥だと思っているのに、">自分を篭の中の鳥だと思っているのに、</a>男たちは篭から抜け出ようとわたしという篭の中に入りたがる。それでわたしを見つけて逃げていく。野風なら梅毒に蝕まれた観音様を拝んで逃げていく。家に帰っていく。<br />わたしがなりたいのは咲やマリコやボーンなどといったキャラだ。勝手に決めつけないでくれ。その証拠に咲も<a href="http://aburax.blog80.fc2.com/blog-entry-380.html" target="_blank" title="マリコ">マリコ</a>も誉めてるだろ、このブログで。<br />実際いるんだよ、こういうタイプ。こういうのが男に好かれる。ブサイクでも。お前らほんとに<a href="http://aburax.blog80.fc2.com/blog-entry-286.html" target="_blank" title="「ごっこ遊び」">「ごっこ遊び」</a>だよな、ってしみじみ思う。<br />ああ羨ましいんだよ、そいつらが。<br /><br /><a href="http://www.youtube.com/watch?v=zcUjFCb3TrA" target="_blank" title="ゆうこあいこりょうこけいこまちこかずみひろこまゆみ">ゆうこあいこりょうこけいこまちこかずみひろこまゆみ</a><br />似たよな名前はいくらもあるのにわたしじゃだめね<br />綺麗ね可憐ね素直ね比べりゃあの子が天使<br />泣いても妬いてもあの子にゃなれないわたしじゃだめね<br /><br />この歌詞そらで書ける自分にワロタ。<br />男たちが、いや男に限らない、一般的な大人たちが求める幻想と、わたしは常に食い違っている。<br />そうなりたいと思うが、それは余計な煩わしさを避けたいからだ。<br />そうなりたいと思うのが原因じゃない。それは結果だ。<br />だからわたしは一生「あの子」になれない。<br />そうなりたいと思うのが原因になれば、咲やマリコやボーンになれるのかもしれない。<br /><br />今読み返して思ったんだが、『ラピュタ』の乗組員や大道具だけじゃなく、ホステスもそうだよな、と思った。まあわたしホステスはあくまでバイトだったからとやかく言えないけど。だから以下はあくまでただの印象を根拠にした戯言。<br />水商売の隠語で客のことを「枝」や「口座」とかって言うんだよね。客を「物」として見ている。じゃあそのシニフィエは支配可能なのかどうか、って話になるんだが、微妙。ホステスやボーイは客から「物」として見られている。これは大道具なんかより顕著だよな。「物」として扱う態度が水商売の客の方が顕著。大道具や建築現場の職人の相手はまだ「設計図」だからな。その裏に「客」がいる。この「客」たちが「物」として扱う「物」のシニフィエは支配可能な物だ。それも顕著。物の中に物じゃない人格を見出そうとして客はホステスにプロポーズをする。花魁は身請けされる。「支配可能な物」というより「支配可能な人」だな。だから支配できないんだけど。客側自身がそう見てるから。支配し支配されるなんてことこそが幻想で、現実じゃないから、支配しようとしても支配できないって話なんだけどね。<br />だからこそ水商売人たちは客に物のシニフィアンを当てはめている、となると、支配し支配される関係なんだな。支配されてるから支配し返してやろう、っていうのは「支配」っていう幻想の中での意味でしかない。結局「主人のディスクール」じゃん、って。渋谷に集うコギャルたちと変わらない。うん、実際そうだと思う。バイトレベルのホステス（っていうかホステスって大体バイトだしな）は神経症だ。<br />だけどね。こう、わたしキャバじゃなくてスナックで働いてたんだけど（キャバも突発でやったことはある）、そこのママとかは神経症じゃないと思う。「主人のディスクール」ではない。<br />「神経症じゃない」って言ったけど、実際は神経症なんだと思う。つまり正常人だと。好きになった男には素の顔を見せるんだろうね。それを見てたらわたしも「神経症だ」と言えるけど、そうは言えない。わたしがうわべだけしか見てなかったってことだけど、ほんとうわべだけなんだもん。好きになった男になんかやかやするってところが想像できないってわけじゃないけど想像しにくい。なよなよって男に甘えるのか男を尻に敷くのか。なんでもありそうだった。全ての予測が可能だから予測不可能だった。パワフルだった。明らかな吃音症の自称暴力団員の常連と取っ組み合いのケンカして追い出したり。暴力団員とか嘘っぱちだって見抜いてたんだろうね。本当に暴力団だったとしても動じないんだろうな。「あんなの飼ってたらおたくの看板に傷がつくよ」ぐらい言いそうだ。ほーんと映画みたいな世界。あ、ごめん、個人的に「役者の勉強」って言い訳でやってたからこういう言い方になっちゃう。「（稽古の）エチュードだよ」って本気で言ってたもん。劇団員には。<br />何が「主人のディスクール」と違うのか。<br />やっぱり、「人」を含めた「物」は支配不可能だ、って前提が、彼女にはあったから、って気がする。確かに昔は支配可能だと思っていたのかもしれないけど、世界に対するあきらめ、みたいな。じゃなきゃ夜の人間にならないよな、って。今の女子大生バイト（わたしとかって）じゃなくて、昔ながらの夜の人間ってそういうところがあるのかもしれない。<br />「口座」なんて、自分の都合で引き出せるのが本当の口座なんだけど、客という「口座」はそうじゃない。「枝」なんていつ生えるかどこから生えるかわからない。<br />そうね、前提として、「「口座」とか言ってるけど都合よく引き出せるわけないじゃん」的なものがある。「支配し支配される関係」なんて嘘っぱちだって部分が、あくまでも前提として、あるんだな。「嘘」だからそれに乗ってあげよう、って。<a href="http://aburax.blog80.fc2.com/blog-entry-376.html" target="_blank" title="嘘は優しさで優しさは嘘だから、">嘘は優しさで優しさは嘘だから、</a>ってこれはわたし論でむりくりすぎた。<br />要するに、「主人のディスクール」なんて非現実界という意味で非現実的な想像的かつ象徴的構造（構造主義的な意味での）にすぎないんだけど、非現実という意味で嘘だと思ってそれに乗ってあげてる、ってところが、「主人のディスクール」じゃないんだよね。「主人のディスクール」をしている人たちはその世界が嘘だと気づいていない。上野千鶴子なんかもここに入る。<br /><a href="http://kabashira.com/blog/?p=375" target="_blank" title="中坊さんとごちゃごちゃやってて、">中坊さんとごちゃごちゃやってて</a>そこで西原理恵子や松浦理英子って名前出したんだけど、この二人もそんな感じがする。スナックのママと似ている。って両方とも「理」って文字が入ってるのな。わたしは入ってないけど。<br />でも、こういった人たちともわたしは違う気がする。わたしは「それ嘘じゃん」って言う。言ってしまう。何も考えずに、素の顔で。<br /><a href="http://aburax.blog80.fc2.com/blog-entry-304.html" target="_blank" title="……まーだからカウンターに顔を叩きつけられるんだろうね。">……まーだからカウンターに顔を叩きつけられるんだろうね。</a><br /><br />……あれ？　「嘘だと思ってそれに乗ってあげてる」ってあずまん『動物化するポストモダン』のシニシズムじゃんね。ああそうね、「あきらめ」感は共通してるかも。でも「嘘」に乗って切腹までするんでしょ？　あずまんのは。スナックのママはそんなことしねーよ。車谷長吉『赤目四十八瀧心中未遂』でもラストで女は心中しないだろ。当然、「嘘」なんだから。意味なんて全て。「嘘」に乗って切腹したりする男は「嘘だ」と頭で思ってるだけ。あずまんの言うシニシズムはそういうもの。「嘘」とわかっていながら「嘘」に重心を置いてしまう悲しい男の性。<a href="http://aburax.blog80.fc2.com/blog-entry-450.html" target="_blank" title="狡猾な">狡猾な</a>テリブルマザーは心中寸前「バーカ」と言って身を翻す。<br />そういう違い。だから「ほんとうわべだけなんだもん」となるんだよ。あ、ごめん、「嘘」とわかっていながら「嘘」に重心を置いてしまう悲しい男の性」ってまるっきり中坊さんに当てはまるよな。そうと思って言ったわけじゃないけどそうだねと思った。<br />『赤目』のヒロインは後でこんなことを言うんだろうな。<br />「違うの、その時は本当に心中しようと思ってた。心中してもいいって。でも、なんだか急にバカらしいっていうか、無意味だなっていうか、そんな風に思えたんだよね。そんな自分にびっくりするほど」<br />うん、この人は昔ながらの夜の女なんだろう。<br /><br />つか、大道具の話と水商売の話で口調が変わってるのもおもしれえな。まあ書いた時間は離れてるけど。シニフィアンじゃなくてシニフィエにすぐ影響されるんだよな。<br />わたしって単純。 ]]>
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<title>「余計なお世話」が基本なんだよ。</title>
<description> その地にはじめて立った時まず最初に感じたのは、異文化を象徴する、いや異文化そのものと言えるような景色ではなく、日の強さだった。日本はやはり日差しが弱いのだろうか、光化学スモッグとかそんなんで、などと考えていた。情緒もへったくれもない。しかし、同じ日光でも、場所によってこのように感じ方が違う、と言うのは、わたしを何か満悦させるような、というと言いすぎだが、異文化に一歩足を踏み入れる勇気と両替可能な気
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<![CDATA[ その地にはじめて立った時まず最初に感じたのは、異文化を象徴する、いや異文化そのものと言えるような景色ではなく、日の強さだった。日本はやはり日差しが弱いのだろうか、光化学スモッグとかそんなんで、などと考えていた。情緒もへったくれもない。しかし、同じ日光でも、場所によってこのように感じ方が違う、と言うのは、わたしを何か満悦させるような、というと言いすぎだが、異文化に一歩足を踏み入れる勇気と両替可能な気持ち、とでも言えるようなものだった。<br />要するに、多少心は躍っていたのだ。ただ、その原因はいかにも異文化然とした街並みによるものではなく、日差しの強弱の差だった、ということを言いたかっただけかもしれない。そういうことにしよう。<br />そういうことにできない。<br />「日差しの強弱」という表現もおかしい。光度の強弱というだけなら、日本でだって曇り空の時は光度が低いだろう。従って、光度の強弱というだけなら、わたしはこのような感覚を抱かなかったはずだ。<br />そうではなくて、乱反射の度合い、とでも言おうか。日本の風景より、その風景は平坦に見えたのだ。陰影が弱い……というわけでもないか。陰影は強い。日差しは強い。だけど、その影を含めて平坦に見えた。影の輪郭が際立ちすぎていたので平坦に見えたのか。<br />舞台照明にボーダーライトという概念がある。それは、歌舞伎のように、舞台の世界を平坦に見せる場合に用いられる。一方、サスペンションライトという概念もあるのだが、それは舞台の世界に陰影をつけるためにあるものだ。陰影があるから奥行きがあるように見える。真正面から光を当てるだけより、斜めから当てて鼻や目尻の影をつけた方が顔は立体的に見えるだろ？<br />わたしがその地で見た風景は奥行きがなかった。陰影はくっきりしていたのだが、くっきりしすぎていて、まるで書割のように見えた。平坦だった。<br />西洋の舞台ではサスペンションライトがメインになり、日本の歌舞伎などと言った舞台はボーダーライトがメインになる。そう教えられた。実際は両方使うしどちらを頻繁に使うなんて決まってないのだが。これはあくまでイメージ的な表現。<br />サスペンションライトは光源が限定されている。一方ボーダーライトは光源が均等に並んでいる。均等に光を当てれば景色は平坦になる。実際の日光は照明機材と比べて均等なはず。しかし西洋の舞台（照明技術に関する部分に限るよ、当然）の方がリアリズムだと言われる。立体的だから。しかし、日光が自然のままで風景を照らせば、景色は平坦になる。リアリズムとはリアルではない、という言葉を思い出す。<br />うん、どちらかというと歌舞伎だった。<br />でも、昔の歌舞伎なんてろうそくで演じてたんだから、サスペンションライトでの光景なんかと比べて、よっぽど陰影があったと思うんだよな。ゆらめいているんだし、光源が。<a href="http://aburax.blog80.fc2.com/blog-entry-30.html" target="_blank" title="薪能">薪能</a>とか何回か見たんだが、ほんと雰囲気あったよ。瞬間瞬間で世界が変わる。奥行きどころか多次元の世界。だから「ボーダーライトは歌舞伎」っていうのも違うと思うんだよな。平坦に見せようって努力は確かに存在したのかもしれないけど。舞台ツラに一列にろうそくを並べたりね。いわばフットの原型だよな。当然、ろうそくだけじゃ光度が足りないから、昔の歌舞伎小屋には窓があった。窓から光を取り入れて上演していた。空が暗くなれば終演。そうだったらしいよ。<br />わからなくなった。<br />わからなくなったけど、ボーダーライトとサスペンションライトってわたしが知っているイメージの対比を用いることで、その地のイメージに、二方向から照明が当てられたようなことであり、その実体がよりわかりやすくなったということで、よしとする。もちろんわたし個人が。お前ら読者なんて関係ない。<br /><br />会社の仕事で東南アジアに飛んだことがある。わたしは異邦人だ。言葉も通じない。マナーもわからない。観光する時間もなくはなかったが、わたし以外は中年男性ばかりだ。観光するならわたし一人でなんとかしなくてはならない。ああそれだ。それがよかったのかもしれない。「わたし一人でなんとかしなくてはならない」状態。それが公言できる状態。「観光」を根拠に。<br />わたしの主観世界では、「わたし一人でなんとかしなくてはならない」という状態は、大人から怒られるものとなっている。そんなこと言うと必ず「一人では限界がある」などと言われ、「一人でなんとかしようとするな」と怒られる。わたしはこれが慢性的なトラウマになっている。<br />だから、それがよかったのかもしれない、と思ったのだ。<br />「お世話」の異物が「余計なお世話」なのではなく、「余計なお世話」の異物が「まともなお世話」なんだな、わたしの場合。<br /><br />だからこのブログでも読者のコメントなんて基本「余計なお世話」なんだ。「余計なお世話」をするなと言ってるんじゃないよ？　そう自覚してコメントしてくれって言っているの。<br />そーゆーこと。<br /><br />なんかアクセス数が伸びてるんだがアク解見ても普通だしURLで検索しても原因がわからなくてキモイ。新規の奴らどっからきたんだ？<br />つか<a href="http://aburax.blog80.fc2.com/blog-entry-593.html" target="_blank" title="この記事">この記事</a>の「つか「トラックバック（１）」って文字だけでびくっとする。コメントはまだ慣れてるからか。」って要するにわたしを攻撃するならコメントよかトラバの方が効果的だ、ってことだよな。わたしの心理上。<br />弱点さらけだしてんじゃーん。 ]]>
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<dc:date>2009-11-25T02:14:21+09:00</dc:date>
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<title>魔女の眷属</title>
<description> 　神の軍隊と魔女の戦争が起きた。　魔女は首をはねられた。　首をはねた若者は英雄として凱旋帰国した。　一方、戦争の舞台となった村は、廃墟と化していた。　戦禍の中央に、首をはねられた魔女の体が倒れていた。首はしるしとして軍隊が持ち帰った。　ある新月の晩、蛆の湧いた魔女の体がむくりと起き上がる。　廃墟となった村を徘徊する。　魔女の体は、ある新しい死体を見つける。若い村娘の死体だ。　戦争に巻き込まれ、軍隊
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<![CDATA[ 　神の軍隊と魔女の戦争が起きた。<br />　魔女は首をはねられた。<br />　首をはねた若者は英雄として凱旋帰国した。<br />　一方、戦争の舞台となった村は、廃墟と化していた。<br />　戦禍の中央に、首をはねられた魔女の体が倒れていた。首はしるしとして軍隊が持ち帰った。<br />　ある新月の晩、蛆の湧いた魔女の体がむくりと起き上がる。<br />　廃墟となった村を徘徊する。<br />　魔女の体は、ある新しい死体を見つける。若い村娘の死体だ。<br />　戦争に巻き込まれ、軍隊の槍でか自分の魔法でかは知らないが、傷つきながらもしばらくは生きていたようだ。つい昨日まで生きていたのだろう。苦痛に歪んだ顔。生きていた頃は美少女として通っていたのかもしれないが、今は見る影もない。幼児の泣き顔のようにくしゃくしゃになっている。<br />　蛆の湧いた魔女の体に異変が起きる。体中に纏わりついた蛆と腐敗した肉が溶け合っていく。蛆にしてみれば自分の食物に襲われていることになる。朝食として用意されたベーコンが、口に近づいた途端触手を生やし、食べようとした人間を襲うようなことだ。これは何も不思議なことではない。腐肉を食らう蛆と腐肉は基本的になんら違いはない。村娘が生きて魔女の死骸を見たとしたら、彼女はそう感じただろう。<br />　魔女は村娘を生き返らせようとしている。気まぐれに。頭がないのだから「気まぐれ」と言うよりほかない。<br />　魔女は、まだ原型を保っている村娘の死体の、首をはねる。自分の時ほど血はあまり噴き出ない。もう死んでいるから。もしこの時魔女に首がついていたら、その首は「かわいそうに」などと思うのかもしれない。しかし首がないので、魔女の体内で蛆と腐肉の融合が促進されただけだった。<br />　魔女の腕が村娘の首を持ち上げる。自分の腐敗した肉体の上に乗せる。蛆と融合するのと同じ機制で、村娘の首の切断面と、魔女の体の切断面が融合していく。<br />　……ぼんやりとした、明かりとも闇とも言えない景色。色とも無色とも言えない色彩。水彩画のような、だけど色たちは際立っている。色と色は、交じり合ってもいて、独立もしている。<br />　朝だ。どんより曇った朝。<br />　目が覚めた村娘は、呆然とする。外界と交じり合っている自分の体の、一つ一つの反応に翻弄されている。<br />　それらが少しずつ輪郭を持っていく。必要のない反応は棄てられ、必要な反応は統合され、ある一つの景色を生み出していく。<br />　村娘自身は気づいてなかったが、この時同時に、腐りかけていた魔女の体も、徐々に癒えつつあった。村娘の体として。<br />　しかし村娘の頭は、まず村の惨状に意識が向く。当然、この惨状は自分が昨日まで経験していた死の苦痛と直結している。<br />　村娘の意識が遠のく。しかし遠のききれない。失神できない。まだ首と体が融合しきれていないから。腐敗した体が癒えきってないから。<br />　昨日まで感じていた死の苦痛を、彼女は再び感じている。しかし今度は、体は逆方向に向かっている。死ではなく生に向かっている。<br />　彼女は死の苦痛に翻弄されている。彼女はそういう身体反応を感じている。生き生きと。躍動感たっぷりに。<br />「ふつふつと湧き上がってくる」と表現するのがぴったりなその身体反応は、彼女の頭で「恨み」として処理される。<br />　誰だ。誰を恨めばいいのか。魔女か。魔女はもう死んだ。軍隊は歓声を挙げていた。死にかけていたわたしの家族に目も向けず。重傷で苦しんでいたわたしに目も向けず。<br />　魔女がいた頃、わたしたちは確かに魔女に怯えて暮らしていた。わたしの年上の友人も魔女の生贄となった。その頃こんな身体反応があれば、わたしは魔女を恨んだだろう。しかし当時はこんなもの感じなかった。生まれた時からそんな環境だったからだ。<br />　この身体反応が生じたのは、軍隊が来た後であるのは事実だ。このような身体反応は生まれてはじめてだ。それは、それについて処理された情報をわたしの人生の過去に照らし合わせる限り、「恨み」と呼ばれていたものだと考えられる。<br />「恨み」だ。<br />　誰だ。誰を恨めばいい。<br />　とりあえず、軍隊だ。神の軍隊だ。神だ――。<br />　魔女の体ではなく、元の肉体で息を吹き返していたとしたら、彼女はこんなことを思っただろうか。わからない。思ったかもしれないし思わなかったかもしれない。思ったならば彼女は魔女の眷属だった、ということにすぎないだろう。同じ土地に住んでいるのだから、そうである可能性を棄てることはできない。魔女がやった行為は無意味だった。そんな行為しなくても同じ結果になった。彼女が魔女の眷属だったなら。<br />　村娘は、破壊された家の台所で、どうにかこうにか食事を作りながら、おとぎ話を想像するがごとく、そんなことを思った。<br />　蘇生してから数日後のことだった。一度覚醒した数時間後、ある程度体が癒えたのか、彼女は失神した。再び覚醒した時、彼女は村の惨状を、一つの景色として認識することができた。彼女は空腹を感じていたというより、廃墟という景色の中に、ちっぽけでもいいから日常を持ち込もうとして、台所に向かったのだった。これはたとえば、のっぴきならない状況で、夫婦が心中も視野に入れた口論をしている場面を思い浮かべてほしい。結論も出ていないが、二人ともただ疲れて口が聞けなくなった。そんな時、妻がふらりと立ち上がって、毎日しているのと全く同じリズムで食事を作りはじめる。そのようなことと似ていた。そのような状態で彼女は、自分のうちにある神への恨みを確認したのだ。<br />　しかし、彼女は蘇生の事実を知らない。その事実はおとぎ話にすぎない。 ]]>
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<dc:date>2009-11-24T00:52:14+09:00</dc:date>
<dc:creator>脂</dc:creator>
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<title>動く石柱</title>
<description> 中坊さんから初めてトラバもらってびびった。つか「トラックバック（１）」って文字だけでびくっとする。コメントはまだ慣れてるからか。いや「トラバすんな」って言ってるんじゃなくてね。社交辞令的には「トラバありがとうございます」って奴になるんだろう。そういう文句だと思ってくれ。こんな感じで毎日がハラハラドキドキ状態。そりゃーパニック発作も起こすわ。最初は向こうのコメント欄に書こうと思ったけど長くなりそうだ
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<![CDATA[ <a href="http://kabashira.com/blog/?p=375" target="_blank" title="中坊さんから初めてトラバもらってびびった。">中坊さんから初めてトラバもらってびびった。</a>つか「トラックバック（１）」って文字だけでびくっとする。コメントはまだ慣れてるからか。<br />いや「トラバすんな」って言ってるんじゃなくてね。社交辞令的には「トラバありがとうございます」って奴になるんだろう。そういう文句だと思ってくれ。<br />こんな感じで毎日がハラハラドキドキ状態。そりゃーパニック発作も起こすわ。<br />最初は向こうのコメント欄に書こうと思ったけど長くなりそうだったのでメモ帳に書いてたら（今メインPC使ってない、なんとなく）予想通り長くなったので記事数稼ぎがてらこっちにうｐっておく。<br /><br />んで。<br />まー「ふんふん」ってレベルなのだよね。だから君の文章には「うりゃああ」って感じにならない。知り合いだからってわけじゃないのは常連読者の君なら知ってるだろ？　たとえば君より古い知り合いのイトウさんにでも「うりゃああ」って感じになったことがある。<br /><br />つーのは、君の文章って、わたしのシニフィエを劣化するようなものではあるんだが、どうしても『仏陀ヶ谷』みたいなイメージで読んでしまうんだな。だから「うりゃああ」となれない。<br />なかなかうまい防衛策じゃないか。対わたしとして。<br /><br />ということで本題。<br />＝＝＝＝＝<br />新宿とか渋谷の駅前の混雑の中で、恐らくみんな感じているであろう「ウワー、モー、みんな邪魔！」というちょっとしたイライラ感を思い出してもらえればわかると思う。<br />　僕なんか、巨大な箒で全員掃いてしまいたいと思ったりするけれど、しかしながら、一人一人に人格があると考えると（つまり“擬人化”だ）、「いや、そんなことは考えちゃいけない」と思い直す。<br />「掃いてしまいたい」と思った瞬間には（つまり“擬人化”していない瞬間）、そこにいるヒトの大群は、動物と同じように僕の認識上「モノ」扱いなわけだ。<br />＝＝＝＝＝<br />の部分。<br />まーわかりやすさを優先したらこういう説明でもいいんだよな。劣化は施されているが「うりゃああ」ってならない。<br />「うりゃああ」じゃない感じで一言言ってみよう、と思ったら、どうも自分の態度が教師みたいな感じがしてきた。まあわたしの文章が元になっているものだから、「いやこの文章はこういう意味で」という感じで教師的態度になる、と思ってくれ。なんせそれはわたしの文章だからな。なのでわたしは教師になる。君よりわたしの方が「わたしが書いた文章の意味」を知っているに決まっている。<br /><br />「うん。そうだね」。これが全部読んだ後の感想。なんの感慨もない言い方で。わーほんと教師みてえ。<br />でもな、一応、「これは受験勉強の範囲じゃないけどね」って家庭教師が留意した上でする説明のような感じで突っ込んでおくなら、「渋谷の駅前の混雑の中で、巨大な箒で全員掃いてしまいたいと思う状態」っていうのは、掃かれる奴らが物じゃない場合だってあると思う。要するに、そいつらには人格があるからこそ「掃いてしまいたい」と思う気持ち。いわば対人恐怖症チックな精神状態。<br />そいつらを本当に物として見ているなら、去勢済み主体なら「物は支配できる」という確信が奥底にあるはずなので、「邪魔だからどける」となる。物に対して人間は常に王様だからね。まあ実際には何十キロある物体が数百体あるわけだから、ブルドーザーとか使わなきゃいけなくなるだろうな。建築設計なら基本計画図じゃなくて施工図的な思考法。そんな状態なら、まあ「そいつらを物として見ている」ってことになるんだろうな。その時の君は現場監督みたいなもんだ。<br /><br />ところがだな、「物として見る」にも二つあるんだ。「物」の異なるシニフィエ。ここでは「支配可能な物」と「支配不可能な物」と説明したらわかりやすいか（わかりやすく述べているわけだからわたしもわたしの考えを劣化しているんだよ）。<br />後者の「支配不可能な物」は、「木村敏論における「絶対的未知」性を帯びた物」とか「ラカン論における<a href="http://aburax.blog80.fc2.com/blog-entry-387.html" target="_blank" title="「物の殺害」">「物の殺害」</a>以前の物」とか「わたし論における<a href="http://aburax.blog80.fc2.com/blog-entry-290.html" target="_blank" title="「悪意としての物」">「悪意としての物」</a>」とか「哲学風に言えば物自体的な物」とかになる。ここではかっこつけて「物自体的な物」という言い方を採用しておこうか。仮に。<br />前者はまあ一般的な「物」のシニフィエだと思ってくんねえ。なので余計な説明はしない。むしろわたしがこっちを説明すると混乱するだけだろう。「物は支配可能だ」という固定観念が無意識化している正常人すなわち去勢済み主体が人類において大多数を占めているわけだし。多数派のシニフィエってことだな。<br /><br />んじゃ、渋谷の駅前の混雑の中というシチュエーションで、そいつらを「物として見てい」て、その「物」が、一般的な「支配可能な物」というシニフィエではない、「支配不可能な物」すなわち「物自体的な物」というシニフィエである場合はどうなのか。<br />それこそ、そこにある「人ごみ」すなわち「大量の動く石柱のごとき物々」は、君が書いている「里に降りてきたクマ」やら「薬やって錯乱したパンツいっちょのライフル男」になるんだ。後者とか近いよな。要するにそれキチガイだろ。わたしのブログでは、キチガイとは「人を人らしくたらしめる人なるもの」という精神疾患に罹患していない人間たちだ、となる。キチガイは人じゃなくて物だ。物だから人も物として見る。そいつが未去勢者だったなら、「物自体的な物」としてそれを見ている。<br />だからクマは人を襲い、ライフル男は無差別に人を撃つんだよ。物を本当の物（に親近した物）として見ているから。駅前の混雑を構成する動く石柱どもは、全てクマでありライフル男なんだ。自分も等しく「物自体的な物」であるクマであったりライフル男だったりするその物は、「物自体的な物」である動く石柱たちを襲う。<br />クマはライフル男はそれを箒で掃いても無駄だということを知っている、心の奥底ではそう思っている。最終的に「物とは支配不可能なんだ」というところに行き着いてしまう。動く石柱群を撤去しても新しい障害物が生じてしまう世界に生きている。クマやライフル男が人を襲うのは、賽の河原で孤児が石を積み重ねているのと同じだ。<br /><br />でもさ、ここでポイントなのが、動く石柱群をブルドーザーではけるのと、爪やライフルで襲うのって、同様のアクティングアウトだと言えるよな。「襲う」って感じの意味で。「ブルドーザー」も「爪」も「ライフル」も比喩なんだから。言うこと聞かない、つまり支配不可能なクマを撃ち殺すのも同じだ。<br />要するに、「物は支配できる」という固定観念が無意識にばっちり備わっている人間（＝去勢済み主体＝正常人）も、「物は支配不可能だ」っていう人間（＝未去勢者＝わたし語用におけるキチガイ）も、渋谷の駅前で同じような行動を起こすかもしれない、ということだ。<br /><br />ここなんだよな。最近わたしが引っかかってるのって。どっかの記事にも書いたが、「キチガイの行動学」みたいなもんを考えていると、結果的に正常人と同じような行動になっちゃうことが多いじゃん、って思ったんだわ。これだってそういうことだよな。現場監督がブルドーザーではけさせるのも、クマを撃ち殺すのも、クマが爪で襲うのも、ライフル男がライフルを乱射するのも、同種と言えば同種だろ。「襲う」ってニュアンスで考えれば。違うと言えば違うが。<br />だけど中身が決定的に違う。シニフィエが違う。<br />石柱を撤去する現場監督やクマを撃ち殺す猟友会メンバーと、人を襲うクマやライフルを乱射する薬中男とで、見ているものが違う。生きている世界が違う。<br /><br />ああ、「対人恐怖症」なんて言葉がぽろって出ているから蛇足するなら、どっちのシニフィエで「物として見ているか」って違いは、神経症としての対人恐怖症と、未去勢者（わたし論では統合失調症者、自閉症者、スキゾイドとなる）の対人恐怖症的症状の違いでもある、ってことになるな。「対人」の「人」のシニフィエが違う。<br />そうなんだよな。アスペルガー症候群者の症状なんてまるっきり神経症なんだもん。これもそう。結果的に正常人と同様になってしまう「キチガイの行動学」。<br />でも、明らかにシニフィエが違う、って話。ちゃちいくなることを自覚して言うなら、本当に、「見ている世界が違う」。独我論における世界が違う。独我論の文脈で言って「違う世界に生きている」ってことだ。<br />中二病者は好きそうじゃね、こんなセリフ。「見ている世界が違う」、「違う世界に生きている」。<br />正常人とキチガイは違う世界を生きている、という意味じゃない。一人一人の見ている世界は違う。一人一人が違う世界を生きている。キチガイはそういう世界を生きている。相手が正常人である場合ももちろん、キチガイ同士であっても別々の世界になる。なのに正常人だけが「みんな同じ世界を生きている」となる。なってしまう。パラノイアの妄想と同じなんだよな。そういう精神疾患なんだよ、（精神医学的な意味で）正常であるということは。<br /><br />この「一人一人が違う世界を生きている。キチガイはそういう世界を生きている。相手が正常人である時ももちろん、キチガイ同士であっても別々の世界になる。なのに正常人だけが「みんな同じ世界を生きている」となる。なってしまう。」を、先の「石柱を撤去する現場監督」と「クマを撃ち殺す猟友会メンバー」と「人を襲うクマ」と「ライフル男」っていう四つのキャラで言い換えてみよう。<br />「現場監督」と「猟友会メンバー」はおそらく同じ（と思い込んでいるだけなのだが）世界を生きているだろう。それとは別の世界を「クマ」と「ライフル男」は生きているが、「クマ」と「ライフル男」は同じ世界を生きているわけではない、ということだ。<br />とはいえ、猟友会メンバーなんかは、言うことを聞かない動物たちと対峙しているんだから、おそらく「支配不可能な物に囲まれた世界」を生きているという意味で、「クマ」や「ライフル男」に若干似た世界を生きていると思われる。都市に生きる一般人なんかよりね。実は現場監督もそうだと思えるんだよな。わたしは。建築現場にもいたことがあるからわかるけど、そこは本当に言うことを聞かない物や自然と対峙し悪戦苦闘している場だ。<a href="http://aburax.blog80.fc2.com/blog-entry-550.html" target="_blank" title="死と隣り合わせの場。">死と隣り合わせの場。</a><br />だけど、猟友会メンバーは森から、現場監督は建築現場から離れれば、そんな世界から逃れられる。日常に戻れる。彼らにとって「支配不可能な物」に囲まれた世界は一部であり、ただの「そういう現場」であり、世界じゃない。一方、「クマ」や「薬中男」は、死と隣り合わせの森や建築現場から逃げられない。一部じゃなくて全てだから逃げられない。そこは「そういう現場」ではなくまさに世界だ。<br />わかりやすく言えば、キチガイは正常人が非日常だと思っているような日常を生きている、ってことになる。これだとわかりやすいだろ？　非日常が日常になってるのってまさにキチガイじゃん。<br />わたしも逃げられなかった。一時期「逃げられた」と思ってたんだけどね。社会人やってた頃は。だからわたしにとっては、<a href="http://aburax.blog80.fc2.com/blog-entry-367.html" target="_blank" title="大人になることこそが現実逃避だと思えるんだよな。">大人になることこそが現実逃避だと思えるんだよな。</a>屁理屈じゃなくて感覚がそういう感覚なんだ。<a href="http://aburax.blog80.fc2.com/blog-entry-267.html" target="_blank" title="ここでも「現実」のシニフィエが違うんだよ。">ここでも「現実」のシニフィエが違うんだよ。</a><br /><br />まあ君から見れば「ボクチンが言おうとしていたことをわざわざわかりにくく整理し直しただけじゃねえか」って文章かもしれないが、一応なすりつけとくわ。<br /><br />いやまあ、ジジェク派すなわちラカン正統派な人なら、「女（ファルスのない人間すなわち未去勢者）は存在しない」ってことになるんだから、「物」のシニフィエが違う人間のことなんか考える必要ないんだけどね。なんせ存在しないわけで。<br />ジジェクなんて職人技だと思うよ。「女を存在させない言い回し」が。ほんとラカニアンとして正統派だと思う。ラカニアンたちはそう思ってないみたいだけど。<br />だからジジェクも攻撃しづらい。「うりゃああ」ってならん。だって存在してないんだもんよ、そいつの世界にわたしの思想が。<br />一方ガタリンとかこっちをダシにしてるでしょ？　だから絡まれるんだよ。わたしみたいなのに。<br />わたしの記事を引用しているわけだから君はわたしに絡んできていることになるが、わたし（という物自体）には触れてないような気がするのよね。絡んできているようで絡んでない。ガタリとかは絡んでないようで絡んできている。そうだよな、『アンチ・オイディプス』でわたしの論に触れてなんかいないわけだから、絡んでないことになる。ジジェクはそのまんま、絡んでいないようで絡んでいないってことだから、わたしから触れる必要が全くないんだ。<br />ああ、この「絡み」ってヤクザのそれとかお笑いのそれみたいな文脈で理解してね。<br /><br />お前ってわたしに絡んできてないんだよ、ほんとに。だから「うんこ」にならない。それはそれで困るわ。こんなめんどくさい説明しなきゃなんないから。<br />絡んでるかもな、って思えるのは「これってさ、「ジェンダー」と同根じゃないかと思うんだよね。」って一箇所のみなんだが、お前が引用した記事における「ジェンダー」ってシニフィアンには深い意味がないので、返答のしようがないんだよな。もしそうなら会話がすれ違っているってことになるのか。すれ違いだから「うんこの投げ合い」にならないのか。<br />どうでもいいけど文中の「ウワー、モー」って谷岡ヤスジの絵柄でイメージした。<br />どうでもいいけどお前の文体って語尾に「だよね」をつけるの多いな。友だちをたくさん作ろうと卑屈な笑みを浮かべるガリ勉くんみたいなイメージ。<a href="http://www.youtube.com/watch?v=JhF_HQRuufE" target="_blank" title="これ">これ</a>嫌いじゃなかったな、ってかいとうせいこうやスチャダラでラップを知ったわたしにとってはドラゴンアッシュみたいなのが「ちげーよなー」なんだよな。でも<a href="http://www.nicovideo.jp/watch/sm1783394" target="_blank" title="FIRE BALL">FIRE BALL</a>みたいなんは好き。ドラゴンアッシュ系とは言わないけど、バイオレンス系、マッチョ系って感じ？　少なくともいとうせいこうやスチャダラって全然マッチョじゃねえだろ？<br /><br />ところでこのブログそういう言葉を使ってるからよく「そういうのを検索してたんだな、すまんね」って思っちゃうキーワード検索でのアクセスがあるんだが、「沢口靖子 浣腸」ってので来てたのを見てなんつーかかんつーかって思った。確かに「沢口靖子」も「浣腸」も使ってるけどさ。<br />検索エンジンっておもしろいよね、って話。<br />「沢口靖子　浣腸」を記事タイトルにしようかと思ったけどいくらなんでもそりゃ遊びすぎなのでやめとく。<br />あとime.nuから時々飛んでくるんだがそれも怖い。<br /><br />わたしは渋谷の雑踏にも一人一人人格を認めるよ。そうでなきゃ話が通じない。<br />その上で、「人格」を物化して、攻撃する。<br /><a href="http://kabashira.com/blog/?p=351" target="_blank" title="お前の言う「井」の上">お前の言う「井」の上</a>にまず乗って、「わたしという「丼」の上の「ヽ」は「ヽ」などではなく、お前らが大地と思っている「井」が乗っている本当の大地だ」って言う。<br />そうした方が「人格」や「井」は壊れやすいことを経験上知ってるから。<br />従って、わたしがライフルを乱射するのは、その後になる。今はその前段階、ってこと。<br />この「人格」や「井」を、わたしは<a href="http://aburax.blog80.fc2.com/blog-entry-554.html" target="_blank" title="スターンの自己感形成論の文脈で「着ぐるみ」と表現することがある">スターンの自己感形成論の文脈で「着ぐるみ」と表現することがある</a>が、「まずその着ぐるみ脱げよ、お前初めてか？」って<a href="http://www.nicovideo.jp/watch/sm2281917" target="_blank" title="阿部さん">阿部さん</a>みたいな感じになるのか。<br /><br />あ、読み直して気づいたけど、「わたしという「丼」の上の「ヽ」は「ヽ」などではなく、お前らが大地と思っている「井」が乗っている本当の大地だ」って要するに、ラカンも言ってた「構造主義的贈与交換システムの上に取り込まれる交接、つまり、男性的享楽の上に取り込まれるそれ」って奴だよな。お前の言ってた「井」の意味・文脈にもばっちし当てはまる。ラカニアンだなーほんと君って。エセセセセセ（真似てみた）。<br />日常の一部としての非日常、「井」の中の「ヽ」としてのパトスは、お前らが取り囲んでいるようで、お前らを取り囲んでいるんだよ。まさにラカンの言う「トーラス」すなわちドーナツじゃないか。ドーナツの穴はドーナツの外側の空間でもある。お前たちは自分が穴を取り囲んでいると思っているだけで穴に取り囲まれている。男性的享楽は、構造主義的贈与交換システムは、「井」は、それを取り込んでいると思い込んでいるだけ。日常の上に非日常があるのではなく、非日常という空間の中に日常がある。お前らが日常から抜け出せないからそれを非日常と表現しているだけ。<br />これが<a href="http://aburax.blog80.fc2.com/blog-entry-434.html" target="_blank" title="「無限に有限が寄生する」">「無限に有限が寄生する」</a>ということだ。<br />これ別になんにも難しいことじゃないんだよな。犬を飼うのなんてのもそうだ。自然の一部である犬を、自分たちの都合のいいように取り込んでいる。犬は取り込めたと思い込んでいても、同じ自然の一部である台風には翻弄される。犬という物を支配できたと思っていても、犬を構成する量子は不確定性だ。人も不確定性の量子で構成されている物だ。<br />要するに、ドーナツの生地の部分を生きているか、外側の空間を生きているか、の違いなんだよね。DA・YO・NE。「猟友会メンバー」や「現場監督」は、生地の中から生地の表面に出向いた人たち、ってことになるな。<br />あ、ちなみに言っておくとわたしは構造主義者だぜ。ドーナツの外側を生きてきたからか、大多数の人間（正常人と限る）の精神において、ドーナツという、「井」という構造があるのがよくわかるから。<br />わたしは、ラカン的な意味での「存在しないはずの女」だからこそ、「男性的享楽」がどんなものか見える。あ、中坊さんならいちいちこんなこと断らなくてもいいだろうが他の読者のために言っておくなら、ここでの「女」とは「ファルスのない人間」って意味であり、そういう意味では、人間の生物学的な女性でも、その多くはファルスを持っている。つまり「女」じゃない。わたしは一般の女性にも「男性的享楽」を感じることが多い。<a href="http://aburax.blog80.fc2.com/blog-entry-250.html" target="_blank" title="このブログではそれを「精液」などと呼んだりしている。">このブログではそれを「精液」などと呼んだりしている。</a>一般の女性の方が「精液」を撒き散らかしてくることが多い。<br /><br />要するに、わたしが書く人（正常人）についての論説は、人でなしが見ているような人をシニフィエにしている、ということだ。クマやライフル男から見る人だ。クマやライフル男は、人が生きている場所をずっと観察すれば、「人同士はなんらかのテレパシーを使って行動しているんじゃないか」などと思うかもしれない。ちょうど動物行動学者が蟻や蜂を観察してそんな風に思うごとく。まあ、わたしとクマとライフル男も別々の世界を生きているのが前提だから、どうかわからないけどね。「人とは蟻のようだ」って別に見下してなくてもそう言えるんだよな。そうだろ、動物行動学者は確かに蟻や蜂を見下しているのかもしれないが、逆に、「なんて高度なコミュニケーションツールを持っているんだ」と思っているのかもしれない。その時彼は蟻や蜂をむしろ見上げているだろう。<a href="http://aburax.blog80.fc2.com/blog-entry-119.html" target="_blank" title="わたしは周りの人間たちを「天使」だと思っている。">わたしは周りの人間たちを「天使」だと思っている。</a><br /><br />こんなこと書きながら言葉にできない身体反応に翻弄されているってのも、お前らの主観世界ではわからないんだろうなー。本当、お前たちの主観世界に、物としての、肉体としてのわたしは存在していない。<br />まず足元見てごらんよ。お前の体だって量子でできているんだ。 ]]>
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<dc:creator>脂</dc:creator>
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<title>『コラーゲン』</title>
<description> 夢の中で作詞作曲したのでメモっとく。あなた以外が好きでしたあなたが住む世界にいたかっただけなんですあなたの世界は硬質でわたしの染み込む隙間がなかったのですどうぞそのままで硬質でわたしを受け入れないでわたしの上を滑っていってねあなた以外が好きでしたあなたを好きならそこにいさせてくれたのでしょうかあなたが好きなのはわたしでそうじゃなかった誤解なんですごめんね二番も考えてたけど思いつかないまま目が覚めた
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<![CDATA[ 夢の中で作詞作曲したのでメモっとく。<br /><br />あなた以外が好きでした<br />あなたが住む世界にいたかっただけなんです<br />あなたの世界は硬質で<br />わたしの染み込む隙間がなかったのです<br /><br />どうぞそのままで<br />硬質で<br />わたしを受け入れないで<br />わたしの上を滑っていってね<br /><br />あなた以外が好きでした<br />あなたを好きならそこにいさせてくれたのでしょうか<br />あなたが好きなのはわたしで<br />そうじゃなかった<br />誤解なんですごめんね<br /><br />二番も考えてたけど思いつかないまま目が覚めた。「わたしは本当のことを言っているだけなんです、あなたの世界に住むために」みたいな感じをイメージしてた。<br />曲調はあれ、浅田美代子の『赤い風船』みたいなってか谷山浩子が十五歳の頃作ってたみたいな感じのメロディで。<a href="http://www.bk1.jp/product/82589161" target="_blank" title="『静かでいいな』">『静かでいいな』</a>いいぞ、なかなか。歌い方もあんな感じで。<br />つかこんなんで見出したプロデューサーがえらいと思うわ。すげえ気難しそうなメスガキ。<br />タイトル？　んー、『コラーゲン』、とか。いやフィーリングで。なんの意味もありません。「染み込む」ってだけか。<br /><br /><a href="http://www.youtube.com/watch?v=CCHMHzCJZgM" target="_blank" title="銀河系はやっぱり回ってるう♪">銀河系はやっぱり回ってるう♪</a><br /><br />「まわ」の後の微妙なタンギングがこそばゆい。<br /><br />どうせ人間　地球の上で　せいぜい言っても<br />お月様<br /><br />ここすげえな。このブログなら<a href="http://aburax.blog80.fc2.com/blog-entry-545.html" target="_blank" title="「地に足をつけて生きていない天使」">「地に足をつけて生きていない天使」</a>とか<a href="http://aburax.blog80.fc2.com/blog-entry-134.html" target="_blank" title="「イカロス」">「イカロス」</a>みたいなもんか、「お月様」って。<br />それを「天使」って表現するわたしよか未去勢度はたけえな、この時代の谷山は。 ]]>
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