2010/09/20/Mon
最近ネトゲ板に出入りしているんだが。
東浩紀がやたら「ゲーム」って言葉使ってるけど、そういったシンボルで表されている文化評論が、見事なまでにあてはまってないんだよな。
ギャルゲ厨とコアゲーマーは別物、って言うかさ。簡単に言うと、だけど。
大体今のネトゲとかギャルゲ風な萌え絵が多いんだけど、そういうの「うぜえ」っていう意見の方が多い。「ギャルゲはギャルゲでやれ」なんだよな。ギャルゲなんてのはむしろゲーム文化のほんの一部分。
東の述べる「ゲーム文化」ってギャルゲ文化なわけじゃん。彼が題材として取りあげるゲームはほとんどギャルゲ。
全然違うんだよなー。
東ってギャルゲしかしてないんだと思うよ。少なくともMMORPGとかFPSやRTSなんかやったことないんじゃないかと。やってたとしても、彼が一番好きなゲームはギャルゲなんだろうな。
それで「ゲーム」なんてひとくくりにしているのがあれなんだよなー。
「東はゲーマーの代弁者だ」みたいに思われているのかもしれないが、全然違うよ、と言っておきたいわ。
正しくは、「東はギャルゲーマーの代弁者だ」である。
『ギャルゲ的リアリズムの誕生』にすべきだったな。
いやまあでも、オタク文化で言えば、彼の文化分析は納得できるところはある。
オタク文化=ゲーム文化、って安易な思い込みが彼の中であったのだろうな。
だから、ゲーム文化の中ではほんの一部分にすぎないのに、オタク文化と親近するギャルゲしか語れない、ってことか。逆に。むしろ。
ほんと「ギャルゲはギャルゲでやってろ」だわ。
いやかく言うわたしがそう思ってただけなんだけどね。オタク文化もゲーム文化も同じだろ、ってな。
そう思って、実際にゲーム文化の中のネトゲ文化に触れたら、「え、全然違うじゃん」って思っただけで。
ほら、あたし臨床主義だから。フィールドワーク派。
もし東がゲーム文化に詳しい評論家なら、『最終幻想十四』についての評論書いてほしいな。
精神分析的にすっごくおもしろい状態になってるお。
馬鳥かわいいよ馬鳥。あたしもともとゲーマーじゃないしよくわからんのだよな。『ファイナルファンタジー』ってタイトルの重み、みたいなのが。
わたしにはブランドは通用しません(ゲームに限る)。