自分の体
2007/04/02/Mon
自ら死を選ぶということは、自分の体を無駄遣いすることだ。
だけど、それより大事なものを手に入れたり、それそのものになったなら。
その人にとって、自分の体は「余り」に過ぎない。
物語は自分と自分の体を繋ぎとめる輪だ。
だけど輪だから、永遠に続く一本の線でなければならない。
物語は複数あってはならない。
数が増えるほど、その人にとって、それは物語ではなくなる。
自分という物語を書く神を手に入れてしまったら。自分が同一化してしまったら。
人は正気でいるために違う神を求めるだろう。
しかし神は神だ。
神に上下はない。
物語を書く神を手に入れてしまったら、神と同一化してしまったら、それは物語ではなくなる。あるいは複数の物語となる。
狂気に身を浸すか死か。
自分という物語を守るために、物語に結末を与える死だってある。
私はそれを、恍惚の死と呼ぶ。
死の世界に行けないように、生の世界へ自分を「刺し縫い」している一点が、自分の体である。
刺し縫いする糸が、物語である。
だけど、それより大事なものを手に入れたり、それそのものになったなら。
その人にとって、自分の体は「余り」に過ぎない。
物語は自分と自分の体を繋ぎとめる輪だ。
だけど輪だから、永遠に続く一本の線でなければならない。
物語は複数あってはならない。
数が増えるほど、その人にとって、それは物語ではなくなる。
自分という物語を書く神を手に入れてしまったら。自分が同一化してしまったら。
人は正気でいるために違う神を求めるだろう。
しかし神は神だ。
神に上下はない。
物語を書く神を手に入れてしまったら、神と同一化してしまったら、それは物語ではなくなる。あるいは複数の物語となる。
狂気に身を浸すか死か。
自分という物語を守るために、物語に結末を与える死だってある。
私はそれを、恍惚の死と呼ぶ。
死の世界に行けないように、生の世界へ自分を「刺し縫い」している一点が、自分の体である。
刺し縫いする糸が、物語である。
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