2007/05/29/Tue
世界一周旅行の、目的地はどこでしょう?
答え:自分ん家。
生きることとは世界一周旅行のようなもの。
生まれる前という非「生」から出発し、死という非「生」が目的地。
――あ、いざ文章にしていみると意外とつまんねえなこれ。
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2007/05/27/Sun
「スローリーディング」ってなんか違うなあ……。
いあ、正しいとは思うんだけどね。今の時代では。相対的に。
なんだろう……?
「闘う読書」
うーん、違う。男性性じゃなく。ファルス的じゃなく。
「冒険する読書」
あ、近いかも。でも、うーん。
「受難の読書」
あー、これと「冒険する読書」を足して二で割った感じ。
私は孤高で豪華。
そんな歌があったなあ。
文字の世界における、受難の冒険。苦行になると、欲望が軽視される。欲望も禁欲もある世界。普通の世界。文字の世界では、「文芸」。
受難の道程。道端に咲いている花や小川のせせらぎが、信憑を生む。その道程にリアリティが生じる。刺し縫いが生じる。
だけど、目的地は、花や小川ではない。目的地なんてない。あるとは思ってるけどないことを知っている。じゃあ何故あなたはその道を行くのか?
「花や小川が、いろんな表情を変えてくるから」
何故わたしはその道を行くのか。
「だけど、立ち止まらない。その花がどんなに美しくても、小川が安らかでも、わたしはこの道を進むでしょう」
目的地があるかないかわからないのに?
「『先に』進むとは言えません」
目的地なんて、「ない」か「狂気」か「死」だと、うすうす感づいているのに?
「この道を進むのが、好きなだけかもしれません」
わたしはふと思い立ち、花を摘んで小川に投げ入れる。それでも気が済まないので、そこらに転がっていた小石を投げ入れる。四つ五つ投げても小川は止まらない。キリがないことを悟ったわたしは、自分の頭を投げ入れる。
小川は、止まりはしないものの、泥で濁った。血かもしれないがどうでもよかった。やっとわたしは再び歩き出せる。
――マゾヒストでヒステリーって、うざいね。
「うるせえw」
2007/05/25/Fri
知らないことは当たり前。
知らないことは純粋。
知らないことは無垢。
だから、知らないことは素晴らしい。
こうして、無知は権力化していく。
知らないことは恥でも被権力でもない。だけど、知らないことは権力でもない。
資本主義社会では、「消費者」としての多数派の側にいれば、
「多数の消費者」として権力を振舞える。
知らないことは純粋。
知らないことは無垢。
知らないことは素晴らしい。
だから、知らないわたしたちは純粋な「天使」である。
これが、わたしが
「オタクは天使である」と言った理由である。
2007/05/22/Tue
●象徴的去勢の承認+想像的去勢の否認
例:ヒステリーや強迫神経症や恐怖症や抑鬱症などの神経症全般。あるいは倒錯としてのフェティシスム。
●象徴的去勢の否認+想像的去勢の承認
例:中二病やモラトリアムなどといった、少年あるいは青年が大人の社会に参入する過程で起こる精神世界。
●象徴的去勢の否認+想像的去勢の否認
例:「父の名」を排斥した、精神病としてのパラノイア。
●象徴的去勢の承認+想像的去勢の承認
例:理想的人格。あるいは完全なる人格。完全なる故変化を必要としない。即ち、死した人格。
鬱病の精神世界は、四番目の「死した人格」の領域に近接し、「理想的人格」の引力から逃れられない状態なのではないだろうか。
即ち、狂気にもっとも遠い領域である故、狂気と同値の、狂気の裏面のような領域に隣り合っているのが、鬱病者たちなのではないだろうか。
2007/05/08/Tue
隠喩とは、構造のひび割れである。
換喩とは、地震である。
地震が、ひび割れを大きくする。ひび割れにより、構造は破壊される。人はまた、構造を組み直す。
糸車を放り投げる赤子のように、飽きることなく、それを繰り返す。
2007/05/04/Fri
熱せられたフライパンの上で踊る水滴のような思考状態。すぐ蒸発してしまう。水滴はフライパンと接触できない。
まあ、思考停止中ってこった。
今考えているのは強迫神経症者が畏れる、あるいは抑鬱症者が自己愛的に同一化する「無為」こそがアガペーなのではないか、ということ。
無を考えること。
フロイト・ラカン・クライン・クリステヴァ論をフランケンシュタインみたいにつぎはぎした
対象a論の続き。
ここを記すことができれば、中沢新一論のスピリットとグレートスピリット、一神教の神と多神教の神の違いも輪郭がはっきりとしてくる。
――だけどね。
理論はある程度頭の中で完成している。理で厚化粧することもできる。だけど、理をつくせばつくすほど、いや言葉を重ねれば重ねるほど、それを論ずることが「無為」に思えてくる。
あったりまえだぶー。「無為」そのものに対する考察なんだから。
まあ、たいした理論じゃないけどね。思いついたはいいけど書くに値しない内容に思えてくる。そりゃー思考っていうのは言葉だから、思考の時点で無為に思えてきて当たり前さ。
なんていうか、「もったいない」という言葉がいちばんしっくりくる感じ。
……というなんでもない言い訳でした。