いちねんのけい
2008/01/01/Tue
あけおめことよろ。
……んで。
んー。
あー。
ヴぁー。
どぅおー。
あーいや。
なんていうのかな。
いやめでたいのでしょう。みんなが言うなら。
そういうことぢゃなくて。
あー小説。
いやね。いろいろと。なんていうか、小説を小説という領域の中だけで考えているようなカンジの昨今。やヴぁい。わたし的に。
それだけなんだけど。
いやね、こういうカンジから小説「マニア」とかになるのかなー、と他人事のように自分を見ている自分がこの文章を書いておりまして。
小説に限らない……ってこたないか。小説に限ってるな。詩なんかは詩以外の、たとえば言語学的な土台で「まだ」考えられる。
んー……。
なんていうか、ミステリなんかミステリのルールがあるじゃん。それを守るのも大事だけど壊すのも面白い。守るべきではないものを壊すのはあんまり面白くない。カタルシスがない。ギャグならすべる。
あー話それそ。
んー。
小説はこうあるべき? みたいなもの? それはどうあがいても独我論的な個人的な縛りに過ぎないけど、言語化して共有したら幻想の神的な我々個人を抑圧する拘束する整序する構造になる。さらに無意識化して超自我化したら構造主義の言う構造になる。
……って違うなー。
フィクション。コンタック。ツマンネ。
現実。ラカンの言う現実界はおいといて。普通の現実。唯物論的なゲンジチュ。あっちょんぶりけ。いたおいつじのぶらっくじゃーっく! 笑ってはいけない病院見てました。
またそれた。
現実は、煩雑で混沌としている。複雑系。バタフライエフェクト。にゃー。今年はもっと媚びようかなと。違う違うそんな話ぢゃなくて。
でも意外と現実なんて単純。すっきりしてたり。禅僧が悟る自然。学者のひらめき。ユングのシンクロニシティ。因果ではなく相で見れば世界は太極図。インヤンバカーンってオヤジギャグ。ユングならまーるいお尻じゃなくてマンダラ。KANだっけ。なつかしー。喉壊しても平気でテレビ出る歌手って初めてだったからよく覚えてる。
心配ないからね。
嘘でもいいから言われたい。
そして「ないわけねーだろーが」と反論したい。それでもないって言われたい。そしてまた反論したい。泥沼したい。泥沼キライ。ぬまぬましたくてしたくない。粘液の擦り合いは皮膚が溶けるようだからぐらぐらする。呪術的効果。想像界の作用。幻想。◇。「性関係は存在しない」。ラカンやっぱすげえ。
年末年始に飲む酒は(以下ご想像にお任せ)。
やっぱ反中沢新一しないとメスのままだな。メスであることを突きつけられる。だめんずうぉーかーってそういうことかもしんない。
中沢はどうでもよくて。
一人称ボクにする? ボクッコ? うひゃwww 笙野頼子は「オレ」を使う。だけど気持ちはわかる分痛々しい。逆にメスを感じる。めんでえから「私」でいい。漢字だなやっぱり。でもひらがなにしとこ。ラカンのファロセントリスムをまだ疑ってるから。
お、なんだか知らないけど一年の計みたくなってるな。計を刑と変換したくなったのは秘密にしておこう。マゾヒストぶって媚びていると思われると逆に女王様になりそうでマゾヒストとしていやんなる。まあそれに群がるオスカマキリどもを極悪に笑うテリブルマザーすればいいのかもしんにゃーけど。にゃー。笙野の「にゃー」はある種すかっとした。
一般人とは鈍感な人のことである。精神障害者と比した場合の正常者とは忘れることがウマイ人である。
忘れっぽいのはステキなことです。そうじゃないですか?
飽和の量より増えたなら忘れるより他ない。ゴミ箱に捨てるしかない。ゴミ箱の存在すら忘れなければならない。だけど、忘れるから、戻ってくる。現実界から回帰してくる。メビウスの輪。ゆーびろんとぅみー。あれ上手く歌えるおっさんって意外と好きかもしれない。
あ、泣けるかも。
ケツメイシでもいいや。JANA行ってねーな最近。
あー。
ヴぁー。
現実は、世界は一つである。そんな思い込み確信自信ためしてガッテン。
なんでだろ? 一発屋どうしてるのかね。テツ&トモだっけか。ソウカの人たち。
何故わたしの見える感じる世界とそれ以外の世界を同じだと思えるのだろう? えぽけー。
一つ。
母親の胎内いた時の、その時の世界との同一感。一体感。出産直後と鏡像段階でそれは隔てられる。関わり方が大きく変わる。
中核自己感。
ばらばらだった身体が(ラカン)統一される。まず身体内部の刺激が統合整序される。
これの名残か隠喩か。
いや……やっぱ、あがぺー?
想像的父ねー。正直あまりピンとこねえ。
なんでだろう?
統合失調症とは運動機能障害であるってある意味正論なキガス。子供の頃いたじゃん。音楽のテストでみんなの前で笛吹く時、緊張しまくって見ているこっちがキモチワルくなるほど動きがぎくしゃくばらばらになってる子。プレコックス感と同じかも。自転車は一度乗れるようになると何年乗らなくてもまた乗れるようになる。なんでだろうとは思わない。そういうことみたいな。わたしも似たようなところはある。だから車の運転は苦手だ。っていうかムリ。死ぬよ。
なんでだろうと思わないことと、自分の世界と他の世界が同一だと疑えない想像できない必然であると思うことは、同じことなのかもしれない。そうであるなら、中核自己感の名残や隠喩に過ぎないのかもしれない。唯物論って。
ゴムボールプールで、キチガイみたいにはしゃぐ子供たち。
やっぱ子供欲しいのかね。それの隠蔽なのかね。
キモ。
……んで。
んー。
あー。
ヴぁー。
どぅおー。
あーいや。
なんていうのかな。
いやめでたいのでしょう。みんなが言うなら。
そういうことぢゃなくて。
あー小説。
いやね。いろいろと。なんていうか、小説を小説という領域の中だけで考えているようなカンジの昨今。やヴぁい。わたし的に。
それだけなんだけど。
いやね、こういうカンジから小説「マニア」とかになるのかなー、と他人事のように自分を見ている自分がこの文章を書いておりまして。
小説に限らない……ってこたないか。小説に限ってるな。詩なんかは詩以外の、たとえば言語学的な土台で「まだ」考えられる。
んー……。
なんていうか、ミステリなんかミステリのルールがあるじゃん。それを守るのも大事だけど壊すのも面白い。守るべきではないものを壊すのはあんまり面白くない。カタルシスがない。ギャグならすべる。
あー話それそ。
んー。
小説はこうあるべき? みたいなもの? それはどうあがいても独我論的な個人的な縛りに過ぎないけど、言語化して共有したら幻想の神的な我々個人を抑圧する拘束する整序する構造になる。さらに無意識化して超自我化したら構造主義の言う構造になる。
……って違うなー。
フィクション。コンタック。ツマンネ。
現実。ラカンの言う現実界はおいといて。普通の現実。唯物論的なゲンジチュ。あっちょんぶりけ。いたおいつじのぶらっくじゃーっく! 笑ってはいけない病院見てました。
またそれた。
現実は、煩雑で混沌としている。複雑系。バタフライエフェクト。にゃー。今年はもっと媚びようかなと。違う違うそんな話ぢゃなくて。
でも意外と現実なんて単純。すっきりしてたり。禅僧が悟る自然。学者のひらめき。ユングのシンクロニシティ。因果ではなく相で見れば世界は太極図。インヤンバカーンってオヤジギャグ。ユングならまーるいお尻じゃなくてマンダラ。KANだっけ。なつかしー。喉壊しても平気でテレビ出る歌手って初めてだったからよく覚えてる。
心配ないからね。
嘘でもいいから言われたい。
そして「ないわけねーだろーが」と反論したい。それでもないって言われたい。そしてまた反論したい。泥沼したい。泥沼キライ。ぬまぬましたくてしたくない。粘液の擦り合いは皮膚が溶けるようだからぐらぐらする。呪術的効果。想像界の作用。幻想。◇。「性関係は存在しない」。ラカンやっぱすげえ。
年末年始に飲む酒は(以下ご想像にお任せ)。
やっぱ反中沢新一しないとメスのままだな。メスであることを突きつけられる。だめんずうぉーかーってそういうことかもしんない。
中沢はどうでもよくて。
一人称ボクにする? ボクッコ? うひゃwww 笙野頼子は「オレ」を使う。だけど気持ちはわかる分痛々しい。逆にメスを感じる。めんでえから「私」でいい。漢字だなやっぱり。でもひらがなにしとこ。ラカンのファロセントリスムをまだ疑ってるから。
お、なんだか知らないけど一年の計みたくなってるな。計を刑と変換したくなったのは秘密にしておこう。マゾヒストぶって媚びていると思われると逆に女王様になりそうでマゾヒストとしていやんなる。まあそれに群がるオスカマキリどもを極悪に笑うテリブルマザーすればいいのかもしんにゃーけど。にゃー。笙野の「にゃー」はある種すかっとした。
一般人とは鈍感な人のことである。精神障害者と比した場合の正常者とは忘れることがウマイ人である。
忘れっぽいのはステキなことです。そうじゃないですか?
飽和の量より増えたなら忘れるより他ない。ゴミ箱に捨てるしかない。ゴミ箱の存在すら忘れなければならない。だけど、忘れるから、戻ってくる。現実界から回帰してくる。メビウスの輪。ゆーびろんとぅみー。あれ上手く歌えるおっさんって意外と好きかもしれない。
あ、泣けるかも。
ケツメイシでもいいや。JANA行ってねーな最近。
あー。
ヴぁー。
現実は、世界は一つである。そんな思い込み確信自信ためしてガッテン。
なんでだろ? 一発屋どうしてるのかね。テツ&トモだっけか。ソウカの人たち。
何故わたしの見える感じる世界とそれ以外の世界を同じだと思えるのだろう? えぽけー。
一つ。
母親の胎内いた時の、その時の世界との同一感。一体感。出産直後と鏡像段階でそれは隔てられる。関わり方が大きく変わる。
中核自己感。
ばらばらだった身体が(ラカン)統一される。まず身体内部の刺激が統合整序される。
これの名残か隠喩か。
いや……やっぱ、あがぺー?
想像的父ねー。正直あまりピンとこねえ。
なんでだろう?
統合失調症とは運動機能障害であるってある意味正論なキガス。子供の頃いたじゃん。音楽のテストでみんなの前で笛吹く時、緊張しまくって見ているこっちがキモチワルくなるほど動きがぎくしゃくばらばらになってる子。プレコックス感と同じかも。自転車は一度乗れるようになると何年乗らなくてもまた乗れるようになる。なんでだろうとは思わない。そういうことみたいな。わたしも似たようなところはある。だから車の運転は苦手だ。っていうかムリ。死ぬよ。
なんでだろうと思わないことと、自分の世界と他の世界が同一だと疑えない想像できない必然であると思うことは、同じことなのかもしれない。そうであるなら、中核自己感の名残や隠喩に過ぎないのかもしれない。唯物論って。
ゴムボールプールで、キチガイみたいにはしゃぐ子供たち。
やっぱ子供欲しいのかね。それの隠蔽なのかね。
キモ。
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