疎外されたピーチ姫
2008/08/16/Sat
バロン=コーエンが述べる「中枢性統合の不具合」は、行為としての統合か、言語あるいは認知としての統合か、区別していない。
行為や発話や認知や様々なところで「統合できてないっぽいじゃーん」という、自閉症者の観察の結果生まれたものだ。
これは、最近のわたしの論によれば、「現実界に親近する領域では、想像界と象徴界の区別が明確に形成されていない」ということに当てはまろう。
これは理屈的には正しいのである。何故なら、象徴的にしろ想像的にしろ、そこからこぼれ落ちたものが現実界という到達不可能な領域である、という設定をラカン本人がしているからだ。
こぼれ落ちた側から見ると、どこからこぼれ落ちたかはあまり関係ないのである。こぼれ落ちた事実だけがそこにある。これをわたしは比喩的にこう述べる。
=====
塔に幽閉された美しい王女も、地底に住まうイザナミやピーチ姫も、閉じ込められた方にとっては、塔か地底かなんて関係ない。救い出そうとする勇者にとって問題なだけである。
=====
そもそも、王女やイザナミやピーチ姫を、そこに閉じ込めたのは誰だ?
人間主義というアガペーに洗脳された陰茎たち陰核たちではないのか?
……こうやってガタリ的な「分裂症者の苦痛は全てオイディプスたちのせいだ」となっていくっと。
pikarrr氏の言う身体知という概念は、ラカン論的に言えば、サントームという第四の輪は、象徴界に関係するものとして述べられているが、これを想像界にも適用させる理屈になる可能性を秘めている。
人間という統合された「想像的かつ象徴的な幻想」を、そういった洗脳を、洗練させる可能性を含んでいる。
もちろん、逆に言えば、事実として存在するその洗脳の、種明かしとなる、即ち洗脳を解く理論にもなるかもしれない。
そんなことどうでもいい。
今は彼を批判すべき時ではない。
彼がキリスト教などといった一神教的なものに目を向けた時が、わたしが批判する時だ。
いまだ彼の論は、起承転結の起承の領域にある。
行為や発話や認知や様々なところで「統合できてないっぽいじゃーん」という、自閉症者の観察の結果生まれたものだ。
これは、最近のわたしの論によれば、「現実界に親近する領域では、想像界と象徴界の区別が明確に形成されていない」ということに当てはまろう。
これは理屈的には正しいのである。何故なら、象徴的にしろ想像的にしろ、そこからこぼれ落ちたものが現実界という到達不可能な領域である、という設定をラカン本人がしているからだ。
こぼれ落ちた側から見ると、どこからこぼれ落ちたかはあまり関係ないのである。こぼれ落ちた事実だけがそこにある。これをわたしは比喩的にこう述べる。
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塔に幽閉された美しい王女も、地底に住まうイザナミやピーチ姫も、閉じ込められた方にとっては、塔か地底かなんて関係ない。救い出そうとする勇者にとって問題なだけである。
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そもそも、王女やイザナミやピーチ姫を、そこに閉じ込めたのは誰だ?
人間主義というアガペーに洗脳された陰茎たち陰核たちではないのか?
……こうやってガタリ的な「分裂症者の苦痛は全てオイディプスたちのせいだ」となっていくっと。
pikarrr氏の言う身体知という概念は、ラカン論的に言えば、サントームという第四の輪は、象徴界に関係するものとして述べられているが、これを想像界にも適用させる理屈になる可能性を秘めている。
人間という統合された「想像的かつ象徴的な幻想」を、そういった洗脳を、洗練させる可能性を含んでいる。
もちろん、逆に言えば、事実として存在するその洗脳の、種明かしとなる、即ち洗脳を解く理論にもなるかもしれない。
そんなことどうでもいい。
今は彼を批判すべき時ではない。
彼がキリスト教などといった一神教的なものに目を向けた時が、わたしが批判する時だ。
いまだ彼の論は、起承転結の起承の領域にある。
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