馬鹿なの? 死ぬの?
2008/10/30/Thu
なんていうか、いろいろおかしくてしょうがない。笑いが止まらない。
頭が変っていう意味と、笑えるっていう意味が、同じ「おかしい」っていう音で表現されている理由がわかった気がする。
ほんっと馬鹿だよな。お前ら。
馬鹿なの? 死ぬの?
馬鹿なの。死ぬの。
絶妙な受け答えである。
死ぬのです。むしろ死ねているのです。ちみたちは。
あーおかしー。
悟りってあれだね。「このギャグのどこがおもしろいか」っていうのがわかるのも一つの悟りだよね。
精神分析なんてギャグとして秀逸すぐる。たとえばここみたいにナンセンスで料理するとそのギャグの真髄がよくわかるのかもしれない。わたしはよーわからんけど榎本俊二的センスとラカンが融合したらおもろいだろうなーみたいな感じでおもろい。っていうかラカンとネグリちゃんと描き分けろよ(笑)。努力は認めるが。
クライン論の「芸術は全て乳房を求めている」なんて言葉も腹抱えて笑ってしまう。「ギャグで言っているのかそれは」レベル。とはいえ馬鹿が何も知らないまま短絡的に笑ったりしてたら「ここで言う乳房とは「悪い乳房」を含む部分対象を意味しているのであり、「芸術は部分対象を目指している」と読み替えて解釈せねばならない」とかって反論するけど。馬鹿が馬鹿を笑う。わたしはその上で「部分対象を統合した対象aなりという正常な(去勢された主体にとっての)対象をも含むのが芸術である。神話を由来とする物語などは、部分対象を統合する作用も持っている事実が証拠である。要するに、「部分対象への解体」と「正常な対象への統合」、即ち「解体/統合」を脱構築する場こそが芸術なのである。クラインの考える「芸術」は視野が狭すぎる」とさらに反論する。
まあ「部分対象の世界を完全に失ってしまった自分」=「去勢されてしまった自分」=「オトナな自分」という自覚が大きなハードルになってるんだろうねー。理論家も臨床家も。
お前ら全然わかってねえよ(笑)。ほんと笑えるくらいにオトナ。
「ハイハイチミタチノホウガオトナデチュヨー、ヨカッタデチュネー」
こう煽るとコドモのフリすんだよな。本質はオトナなのに。まさに笙野頼子が言う「反権力ブリッコする権力者」どもだ。オムツプレイで射精するオヤジか。
そんなに都合よくころころと去勢という断絶は飛び越えられねえんだよ!
未去勢者というキチガイが正常人を殺すのは、自然の摂理によって裏付けられた事象である。
お前ら正常人は、そのことを無意識的に認めている。
馬鹿どもが作った法律なるもので、キチガイが正常人を殺しても罪に問えないとしている。
お前らは馬鹿だから、キチガイが正常人を殺す権利を、正統なものとして認めてしまっている。
馬鹿すぎるから、自分たちがキチガイを殺してしまっていることを自白している。
キチガイが正常人を殺すのは、窮鼠が猫を噛むことだ。
猫は生きるシステムとして、鼠を殺さなければならない。
その時、微々たるものではあるが、おおよそ不公平な取引ではあるが、代償が生じる。
それが、キチガイが正常人を殺す権利である。
権利なんて大仰なものですらない。それは、ただそうであるだけのことである。自然の摂理によって裏付けられた事象にすぎない。食物連鎖などというシニフィアンから棄却された些細な現実にすぎない。
台風や地震で愛する人が死んだ。お前らは台風や地震を罪人に仕立てあげるのか? エコロジーなんて自分たちに都合のよい言い訳をして、それを免罪符にしているだけではないか?
ああ、傲慢でいられる精神障害が「正常という精神障害」だから、平気なんだろうな。
やっぱ生きている価値ないよ。正常人って。
お前らに、「生」という言葉に示差される資格はない。
殺せ。殺せ。
正常人たちを殺せ。
ファロセントリストたちを殺せ。
これは自然の摂理としても、理屈としても正しいのだ。
何故なら死にながら生きていくことが「正常という精神障害」なのだから。
====
神は久しい前から彼らを十字架に釘付けしたものと信じていたが、
彼らは反乱し、
鉄、
血、
炎と骨で武装し、
<不可視のもの>を罵倒しながら進んでいく
≪神の裁き≫を終えるためである。
=====
お前らはキチガイになりたいんだろ? コドモになりたいんだろ? オトナでいたくないんだろ? 去勢という断絶を飛び越えたがってるんだろ? 言語ゲームから跳躍したがっているんだろ?
ならば同胞を殺せ。
お前自身のファルスを殺せ。
それが、お前の求めている世界だ。
「いいのよ、それで」
わたしは、処女でありながら神というただの言い訳によって孕まされたマリアの笑みをもって、お前らに享楽の許しを与えているのである。
死という許しを与えているのである。
残酷で、無意味で、無責任な笑みをもってして。
わたしは基本、思想も宗教も一つの難しいギャグとして考えてるところがある。元々は宗教だったけどね。実家がそんな系だからジジババがやってることなんかほんとコントにしか見えなかった。
ギャグはやっている人間が本気に見えれば見えるほどおもしろい。
わはー(乾いた笑い)。
頭が変っていう意味と、笑えるっていう意味が、同じ「おかしい」っていう音で表現されている理由がわかった気がする。
ほんっと馬鹿だよな。お前ら。
馬鹿なの? 死ぬの?
馬鹿なの。死ぬの。
絶妙な受け答えである。
死ぬのです。むしろ死ねているのです。ちみたちは。
あーおかしー。
悟りってあれだね。「このギャグのどこがおもしろいか」っていうのがわかるのも一つの悟りだよね。
精神分析なんてギャグとして秀逸すぐる。たとえばここみたいにナンセンスで料理するとそのギャグの真髄がよくわかるのかもしれない。わたしはよーわからんけど榎本俊二的センスとラカンが融合したらおもろいだろうなーみたいな感じでおもろい。っていうかラカンとネグリちゃんと描き分けろよ(笑)。努力は認めるが。
クライン論の「芸術は全て乳房を求めている」なんて言葉も腹抱えて笑ってしまう。「ギャグで言っているのかそれは」レベル。とはいえ馬鹿が何も知らないまま短絡的に笑ったりしてたら「ここで言う乳房とは「悪い乳房」を含む部分対象を意味しているのであり、「芸術は部分対象を目指している」と読み替えて解釈せねばならない」とかって反論するけど。馬鹿が馬鹿を笑う。わたしはその上で「部分対象を統合した対象aなりという正常な(去勢された主体にとっての)対象をも含むのが芸術である。神話を由来とする物語などは、部分対象を統合する作用も持っている事実が証拠である。要するに、「部分対象への解体」と「正常な対象への統合」、即ち「解体/統合」を脱構築する場こそが芸術なのである。クラインの考える「芸術」は視野が狭すぎる」とさらに反論する。
まあ「部分対象の世界を完全に失ってしまった自分」=「去勢されてしまった自分」=「オトナな自分」という自覚が大きなハードルになってるんだろうねー。理論家も臨床家も。
お前ら全然わかってねえよ(笑)。ほんと笑えるくらいにオトナ。
「ハイハイチミタチノホウガオトナデチュヨー、ヨカッタデチュネー」
こう煽るとコドモのフリすんだよな。本質はオトナなのに。まさに笙野頼子が言う「反権力ブリッコする権力者」どもだ。オムツプレイで射精するオヤジか。
そんなに都合よくころころと去勢という断絶は飛び越えられねえんだよ!
未去勢者というキチガイが正常人を殺すのは、自然の摂理によって裏付けられた事象である。
お前ら正常人は、そのことを無意識的に認めている。
馬鹿どもが作った法律なるもので、キチガイが正常人を殺しても罪に問えないとしている。
お前らは馬鹿だから、キチガイが正常人を殺す権利を、正統なものとして認めてしまっている。
馬鹿すぎるから、自分たちがキチガイを殺してしまっていることを自白している。
キチガイが正常人を殺すのは、窮鼠が猫を噛むことだ。
猫は生きるシステムとして、鼠を殺さなければならない。
その時、微々たるものではあるが、おおよそ不公平な取引ではあるが、代償が生じる。
それが、キチガイが正常人を殺す権利である。
権利なんて大仰なものですらない。それは、ただそうであるだけのことである。自然の摂理によって裏付けられた事象にすぎない。食物連鎖などというシニフィアンから棄却された些細な現実にすぎない。
台風や地震で愛する人が死んだ。お前らは台風や地震を罪人に仕立てあげるのか? エコロジーなんて自分たちに都合のよい言い訳をして、それを免罪符にしているだけではないか?
ああ、傲慢でいられる精神障害が「正常という精神障害」だから、平気なんだろうな。
やっぱ生きている価値ないよ。正常人って。
お前らに、「生」という言葉に示差される資格はない。
殺せ。殺せ。
正常人たちを殺せ。
ファロセントリストたちを殺せ。
これは自然の摂理としても、理屈としても正しいのだ。
何故なら死にながら生きていくことが「正常という精神障害」なのだから。
====
神は久しい前から彼らを十字架に釘付けしたものと信じていたが、
彼らは反乱し、
鉄、
血、
炎と骨で武装し、
<不可視のもの>を罵倒しながら進んでいく
≪神の裁き≫を終えるためである。
=====
お前らはキチガイになりたいんだろ? コドモになりたいんだろ? オトナでいたくないんだろ? 去勢という断絶を飛び越えたがってるんだろ? 言語ゲームから跳躍したがっているんだろ?
ならば同胞を殺せ。
お前自身のファルスを殺せ。
それが、お前の求めている世界だ。
「いいのよ、それで」
わたしは、処女でありながら神というただの言い訳によって孕まされたマリアの笑みをもって、お前らに享楽の許しを与えているのである。
死という許しを与えているのである。
残酷で、無意味で、無責任な笑みをもってして。
わたしは基本、思想も宗教も一つの難しいギャグとして考えてるところがある。元々は宗教だったけどね。実家がそんな系だからジジババがやってることなんかほんとコントにしか見えなかった。
ギャグはやっている人間が本気に見えれば見えるほどおもしろい。
わはー(乾いた笑い)。
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