報告しとくか。
2009/01/14/Wed
パトスのややこしいところは、象徴界の裏打ちとして現実界との接着剤になっているにも関わらず、欲望が欲動になるすんでのところでストッパーとして作用している点だ。
象徴界的な、たとえばそれこそ学問的な場においては、シニフィアン連鎖が現実界から遊離して抑鬱症やニヒリズムに陥らないための糊として、パトスは作用する。科学の暴走を止めるのは愛だ、みたいな物語はうざいくらいに巷に溢れている。
では、現実界に親近するにはパトスを重視しておけばよいのか、となるが、そうでもない。パトスは最終的にはアガペーに帰着する。つまり人なるものに興味の対象を限定させるよう強制する原パラノイアが、現実界の手前で立ちはだかる。
現実界に親近する世界を生きている人間がもっとも怖れる原パラノイアが、パトスの奥底に眠っている。
一方、見事に現実界から遊離できた人間、即ち去勢済みの人間たちは、学問的な場を怖れる。シニフィアン連鎖の複雑な構造体を、まるで父を怖れる息子のように怖れる。学生にありがちな学問に対する異常な否認である。中二病あるいは反抗期あるいはエディプスコンプレックスである。わたしはこれが理解できない。全くというわけじゃないけれど。
……まあ、よくわからないけど、一応こういうことしてたよっていうご報告。
こことかこことかここでぎゃーぎゃーやり合ってた相手んところに乗り込んでた。
ここ。リンク貼んのめんどいから勝手にログ漁って。読みたい人は。臨床系の人ならいわゆる「超自我が強すぎて自傷するBPD」のよい症例だと思うよ。
興味が向いたら老若男女問わずだなわたしって。
はあ。死にたい。
どうでもいいけど大学はまあいいとして妙なところからアクセスがあるんだがこのブログって一体何ジャンルになるんだ? 一応「小説・文学」のつもりでやってるんだが。精神分析と文芸論組み合わせたクリステヴァ論者だし。自称。
っていうかどんなブログとして読んでるわけ? お前ら。
とても文芸論にゃ見えないっていうのは自覚してるがラカン派精神分析なんてシニフィアン連鎖を分析するのが精神分析って考えなわけで要するに文芸論じゃんって思ってるだけなんだが。
こんな身勝手なブログよく読んでるよな。感心するわ。
フロイトは、多くの臨床と試行錯誤をもって構築した自分の学(理屈体系)を、詩人たちがあっさりと表現しているのに驚きを隠していないが、現代でも同じだと思うぜ。それは少なくとも科学に偏重した現代の学問などではなく、たとえばマンガとか2ちゃんのレスとか(俗ではない)卑俗な場で散見されるものだと思う。現代では詩人は確かに絶滅しかけているけど、なんだかんだ言って人は詩人なんだと思うよ。特にネットなら2ちゃんなどのような卑俗な場(それこそ便所の落書き!)で語られているそれは、わたしには詩人の言葉だと思えるものが結構転がっている。玉石混淆だが、一般的な玉ではない石が、わたしにとっては詩人の言葉だ。
詩人の言葉は便所の落書きなのだ。
ああごめん、ここでの詩人の言葉っていうのはアルトーの言う苦痛に満ちたテクストってことだけどね。ルイス・キャロルのテクストのようなものは除外。
知ってる? 北朝鮮で金豚の悪口かけるのって便所の落書きぐらいなもんらしいぜ。
便所の落書きじゃなくなった2ちゃんはテレビのワイドショー化するだろうな。要するに卑俗から俗へ。
某ニュース系板で★記者やっていた頃よりはるかに見なくなったけど俗になりそうで卑俗なままだから2ちゃんってすごいよな。
2ちゃんは便所の落書きであるべきなのだ。
それがフロイトを驚嘆させた詩人の言葉が許される場なのだ。
象徴界的な、たとえばそれこそ学問的な場においては、シニフィアン連鎖が現実界から遊離して抑鬱症やニヒリズムに陥らないための糊として、パトスは作用する。科学の暴走を止めるのは愛だ、みたいな物語はうざいくらいに巷に溢れている。
では、現実界に親近するにはパトスを重視しておけばよいのか、となるが、そうでもない。パトスは最終的にはアガペーに帰着する。つまり人なるものに興味の対象を限定させるよう強制する原パラノイアが、現実界の手前で立ちはだかる。
現実界に親近する世界を生きている人間がもっとも怖れる原パラノイアが、パトスの奥底に眠っている。
一方、見事に現実界から遊離できた人間、即ち去勢済みの人間たちは、学問的な場を怖れる。シニフィアン連鎖の複雑な構造体を、まるで父を怖れる息子のように怖れる。学生にありがちな学問に対する異常な否認である。中二病あるいは反抗期あるいはエディプスコンプレックスである。わたしはこれが理解できない。全くというわけじゃないけれど。
……まあ、よくわからないけど、一応こういうことしてたよっていうご報告。
こことかこことかここでぎゃーぎゃーやり合ってた相手んところに乗り込んでた。
ここ。リンク貼んのめんどいから勝手にログ漁って。読みたい人は。臨床系の人ならいわゆる「超自我が強すぎて自傷するBPD」のよい症例だと思うよ。
興味が向いたら老若男女問わずだなわたしって。
はあ。死にたい。
どうでもいいけど大学はまあいいとして妙なところからアクセスがあるんだがこのブログって一体何ジャンルになるんだ? 一応「小説・文学」のつもりでやってるんだが。精神分析と文芸論組み合わせたクリステヴァ論者だし。自称。
っていうかどんなブログとして読んでるわけ? お前ら。
とても文芸論にゃ見えないっていうのは自覚してるがラカン派精神分析なんてシニフィアン連鎖を分析するのが精神分析って考えなわけで要するに文芸論じゃんって思ってるだけなんだが。
こんな身勝手なブログよく読んでるよな。感心するわ。
フロイトは、多くの臨床と試行錯誤をもって構築した自分の学(理屈体系)を、詩人たちがあっさりと表現しているのに驚きを隠していないが、現代でも同じだと思うぜ。それは少なくとも科学に偏重した現代の学問などではなく、たとえばマンガとか2ちゃんのレスとか(俗ではない)卑俗な場で散見されるものだと思う。現代では詩人は確かに絶滅しかけているけど、なんだかんだ言って人は詩人なんだと思うよ。特にネットなら2ちゃんなどのような卑俗な場(それこそ便所の落書き!)で語られているそれは、わたしには詩人の言葉だと思えるものが結構転がっている。玉石混淆だが、一般的な玉ではない石が、わたしにとっては詩人の言葉だ。
詩人の言葉は便所の落書きなのだ。
ああごめん、ここでの詩人の言葉っていうのはアルトーの言う苦痛に満ちたテクストってことだけどね。ルイス・キャロルのテクストのようなものは除外。
知ってる? 北朝鮮で金豚の悪口かけるのって便所の落書きぐらいなもんらしいぜ。
便所の落書きじゃなくなった2ちゃんはテレビのワイドショー化するだろうな。要するに卑俗から俗へ。
某ニュース系板で★記者やっていた頃よりはるかに見なくなったけど俗になりそうで卑俗なままだから2ちゃんってすごいよな。
2ちゃんは便所の落書きであるべきなのだ。
それがフロイトを驚嘆させた詩人の言葉が許される場なのだ。
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