髪の毛だけが泣くのです
2009/04/06/Mon
入社してすぐ地方の工場に飛ばされた。
設計職ではあったが、現場主義的なところがある会社だったので、「まず現場を覚えろ」ということだった。
その時わたしは丸坊主にした。
表向きの理由は「現場のオヤジどもがむかつくから」だった。
確かにオヤジたちの微妙なリアクションには満足した。爽快だった。
しかし本当の理由は、……いや、これも後付けの理由である。
この一件以来、わたしは「ちょっと変わった人」という立場を確保し、周りの人たちから、腫れ物に触るようにとまではいかないが、距離を取った付き合い方をされるようになった。
快適だった。
「ちょっと変わった人」という立場で数年すごした後、めでたく本社に戻った。
スタイルがよければカッコもついたんだろうけど背ー低いし「一休さん」とか言われたわ。あるお笑い芸人にも似てると言われたが本人のプライバシー保護のため内緒にしておきます。
この事件は、わたしにとってちょっとしたイニシエーションだった。
普通ならば去勢の承認と解釈されるであろう。わたしが未去勢者ならば、去勢の承認ではなく、事後的で擬似的な「去勢のような過程」を試みたものだと言えるだろう。
去勢の承認ならばファルスの再発見ということになるが、わたしが発見したのは「ちょっと変わった人」というキャラクターだった。それまでと比較して着心地が多少よい着ぐるみだった。去勢の承認はファルスという軸の再発見であるが、未去勢者にはそれがない。あっても壊れている。見つけた途端ガラスのように砕けてしまう。未去勢者がする事後的で擬似的な「去勢のような過程」は、元々主体の奥深くにあったものを再発見することではない。絶対的未知を目前にして必死でやりくりする工夫の一環である。サントームである。柵の増築である。わたしは「ちょっと変わった人」というキャラクターにより周りの人から距離を取ってもらえるようになった。柵である。
このことをもって自分は未去勢者である、などとは言わないが、少なくとも去勢の承認とは違うように思える。傍から見れば、この事件は現場のオヤジたちという社会への参入であるとも解釈できる故、去勢の承認とされてもおかしくないことは理解している。しかしわたしにとっては、社会即ち人なるものの総体への参入というより、周りの人が距離を取って付き合ってくれるようになったことの方が重要だった。
去勢済みな主体が生後二年以内に通過した去勢というイニシエーションを、未去勢者たちは何年も遅れて通過しようとしている。それに怯えながら、それに向かってしまう。
去勢とはバンジージャンプなどのように生死の境として象徴される。であるならば、わたしは自分の髪という一部を殺した、と言えるかもしれないが、そんな風には思わなかった。
この時わたしはこう思った。
「人生とは棄てることと見つけたり」
わたしはわたしの一部分である髪を棄てたのだ。
ラカンを学んでクリステヴァのアブジェクシオン(棄却することという意味)という概念を知った時、まるで仕組まれているみたいだと思った。
アブジェクシオンとはサンボリック=象徴界の定立を論じる概念である。一方去勢(鏡像段階)とは、ラカンの言う通り象徴界への参入を意味する。従ってアブジェクシオンは去勢というイベントをミクロに論じるための概念である、と言える。わたしはこのブログでは「アブジェクシオンは鏡像段階の裏面である」と表現している。
丸坊主にした時、体が軽くなった。
髪だけではなく、いろいろなものが纏わりついていたんだ、と思った。
会社員時代はばりばり正常人だった。パラノイアックだった。出世願望があった。
自分の主観世界をよりよくするためだけに働いた。
他者のことなんかこれっぽっちも考えてなかった。
恋愛の場面では、自分は自体愛的だったと述べたが、会社では自己愛的だった。
元結ほどけば崩れるように
髪の毛だけが泣くのです
統合された事物としてのわたしではない髪を、わたしに断りもなく自分勝手に泣く髪を、髪という断片を、わたしは棄てた。髪という得体の知れない物自体的なモノを殺害した。丸坊主になることで髪という自分の一部分を所有できるようになった。絶対的未知性を帯びた髪を棄てることで所有可能なモノとして髪を所有できるようになった。
だからわたしは、その後しばらくの間正常人として生きられた。統合された事物としてのわたしを生きられた。
一時的に。
……あれ、涙が出てきた。
なので終了。
尻切れトンボすまぬ。
……このことにしてもそうだが、最近のわたしの思想、中学生ぐらいから考えていたことを学術的用語でデコレートしているだけな気がする。「ああそうそう、昔こんなこと考えてたわ」って。理屈的にというよりイメージ的に似ている。もちろんデジャヴなのかもしれないけれど。
わたしは成長していない。
丸坊主にした頃からも、中学生の頃からも。
設計職ではあったが、現場主義的なところがある会社だったので、「まず現場を覚えろ」ということだった。
その時わたしは丸坊主にした。
表向きの理由は「現場のオヤジどもがむかつくから」だった。
確かにオヤジたちの微妙なリアクションには満足した。爽快だった。
しかし本当の理由は、……いや、これも後付けの理由である。
この一件以来、わたしは「ちょっと変わった人」という立場を確保し、周りの人たちから、腫れ物に触るようにとまではいかないが、距離を取った付き合い方をされるようになった。
快適だった。
「ちょっと変わった人」という立場で数年すごした後、めでたく本社に戻った。
スタイルがよければカッコもついたんだろうけど背ー低いし「一休さん」とか言われたわ。あるお笑い芸人にも似てると言われたが本人のプライバシー保護のため内緒にしておきます。
この事件は、わたしにとってちょっとしたイニシエーションだった。
普通ならば去勢の承認と解釈されるであろう。わたしが未去勢者ならば、去勢の承認ではなく、事後的で擬似的な「去勢のような過程」を試みたものだと言えるだろう。
去勢の承認ならばファルスの再発見ということになるが、わたしが発見したのは「ちょっと変わった人」というキャラクターだった。それまでと比較して着心地が多少よい着ぐるみだった。去勢の承認はファルスという軸の再発見であるが、未去勢者にはそれがない。あっても壊れている。見つけた途端ガラスのように砕けてしまう。未去勢者がする事後的で擬似的な「去勢のような過程」は、元々主体の奥深くにあったものを再発見することではない。絶対的未知を目前にして必死でやりくりする工夫の一環である。サントームである。柵の増築である。わたしは「ちょっと変わった人」というキャラクターにより周りの人から距離を取ってもらえるようになった。柵である。
このことをもって自分は未去勢者である、などとは言わないが、少なくとも去勢の承認とは違うように思える。傍から見れば、この事件は現場のオヤジたちという社会への参入であるとも解釈できる故、去勢の承認とされてもおかしくないことは理解している。しかしわたしにとっては、社会即ち人なるものの総体への参入というより、周りの人が距離を取って付き合ってくれるようになったことの方が重要だった。
去勢済みな主体が生後二年以内に通過した去勢というイニシエーションを、未去勢者たちは何年も遅れて通過しようとしている。それに怯えながら、それに向かってしまう。
去勢とはバンジージャンプなどのように生死の境として象徴される。であるならば、わたしは自分の髪という一部を殺した、と言えるかもしれないが、そんな風には思わなかった。
この時わたしはこう思った。
「人生とは棄てることと見つけたり」
わたしはわたしの一部分である髪を棄てたのだ。
ラカンを学んでクリステヴァのアブジェクシオン(棄却することという意味)という概念を知った時、まるで仕組まれているみたいだと思った。
アブジェクシオンとはサンボリック=象徴界の定立を論じる概念である。一方去勢(鏡像段階)とは、ラカンの言う通り象徴界への参入を意味する。従ってアブジェクシオンは去勢というイベントをミクロに論じるための概念である、と言える。わたしはこのブログでは「アブジェクシオンは鏡像段階の裏面である」と表現している。
丸坊主にした時、体が軽くなった。
髪だけではなく、いろいろなものが纏わりついていたんだ、と思った。
会社員時代はばりばり正常人だった。パラノイアックだった。出世願望があった。
自分の主観世界をよりよくするためだけに働いた。
他者のことなんかこれっぽっちも考えてなかった。
恋愛の場面では、自分は自体愛的だったと述べたが、会社では自己愛的だった。
元結ほどけば崩れるように
髪の毛だけが泣くのです
統合された事物としてのわたしではない髪を、わたしに断りもなく自分勝手に泣く髪を、髪という断片を、わたしは棄てた。髪という得体の知れない物自体的なモノを殺害した。丸坊主になることで髪という自分の一部分を所有できるようになった。絶対的未知性を帯びた髪を棄てることで所有可能なモノとして髪を所有できるようになった。
だからわたしは、その後しばらくの間正常人として生きられた。統合された事物としてのわたしを生きられた。
一時的に。
……あれ、涙が出てきた。
なので終了。
尻切れトンボすまぬ。
……このことにしてもそうだが、最近のわたしの思想、中学生ぐらいから考えていたことを学術的用語でデコレートしているだけな気がする。「ああそうそう、昔こんなこと考えてたわ」って。理屈的にというよりイメージ的に似ている。もちろんデジャヴなのかもしれないけれど。
わたしは成長していない。
丸坊主にした頃からも、中学生の頃からも。
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