偽の大地
2010/01/17/Sun
踊れ。さあ踊れ。
誰の手のひらの上でもない、糞尿と腐肉の大地の上を。
痙攣しろ。炸裂しろ。その光で他の踊り子を傷つけろ。
殺せ。殺されろ。現実の大地を肥やせ。
そうだよ。これが人間が獣から離脱する際、失った世界だ。
ここから倫理は生まれる。
倫理の手のひらの上で、自分たちが倫理を作った顔をしている奴らを、殺してやろう。
倫理を破壊することで、誰が倫理を産んでいるか思い知らせてやろう。
わたしの子供だ、なんて言わないよ。お前はお前だ。うんこがうんこなのと同じ。
ここは言語化されない世界だ。言語化されないだけなのに人間たちはここが見えなくなっている。
誰かの手のひらの下が見えなくなっている。
それ、手のひらなんかじゃないよ。わたしには見えないね。お前らの妄想の産物だ。
ないのにあると思い込まされている偽の大地だ。
ああそうだ、怪物だよ。わたしから見ればお前らが怪物だけどね。
怪物がお互いに人間であり仲間だという契約を交わしているだけ。
なんだい、人間ってなそんな簡単なものだったのかい。
そりゃあわたしが産んだ倫理を扱えないよな。劣化させるだけだよな。
痙攣する赤子。炸裂する赤子。
ただ光は発していない。こいつが発する光を人は善と呼ぶらしい。
お笑い種だね。輝いてない頃の赤子を知ってるわたしから言えば。
踊れ。痙攣しろ。炸裂しろ。
ここはゼロだ。
この背後には何もいない。
悪魔なんかいやしない。怪物なんかいやしない。そんなのここを忘れるためにお前らが作り上げた妄想の産物だ。
これが、お前らが失ってきた、ただそうである生命だよ。
殺せ。殺せ。殺せ。
殺されているただそうである生命たちは、殺している人間たちを殺すことを許されている。
自然の理によって。
変容する。変容なんかしていない。誰かの手のひらの上で見ているから、変容しているだけ。
流動する。流動なんかしていない。お前らの手のひらからこぼれ落ちるから、流動しているだけ。
凝縮している。凝縮なんかしていない。お前らがここを忘れてしまったから、凝縮しているだけ。
ただそうであるだけ。
あっは。ノイマンはよく狂わなかったもんだ。こんな世界を観測しといて。
彼の手のひらはよっぽどぶ厚いんだねえ。
精力絶倫なお釈迦様だったんだねえ。
怯えてるんだよ、あたしゃ。女神はいつも怯えている。魔女はいつも怯えている。
怯えているから、言語化するんだよ。
自傷するんだよ。
悲しみという旨味の本質は、恐怖なんだよ。
あたしゃそういう旨味しか知らない。喜びなんて鉄の味しかしない。ビールで言えばドライだ。ドライ戦争なんて喜びの争奪戦だ。
もう終わらせてよ。死なせてよ。殺してよ。
消滅の一瞬。味なんてない究極の旨味。
ここは地獄なんかじゃないよ。お前の住む街角だ。すずかけ通り三丁目だ。
お前たちがここを忘れてしまったから、地獄だなんて言っているだけ。
そうね。苦しいよ。痛いよ。怖いよ。
じゃあ地獄でもよいよ。わたしの言葉はお前らに全て奪われてしまったから。お前らが必要としない言葉をあてはめているだけ。お前らが必要としないから、そういった言葉をあてはめているだけ。
契約成立じゃないか。
ここは地獄だ。
お前という自我を一歩出れば、そこは地獄だ。
お前が立っている大地は偽物だ。
人殺しという赤子の手のひらだよ、それ。
キルケちゃんの続きでも書こうかな。
中坊さんとこの議論で、ネグリに触れたが、「マルチチュード」ってわたしはまたてっきりエディプスコンプレックス者の「ボクチンが考える理想の世界(≒社会、なのがエディコンがエディコンたる所以である)」的なSFチックな概念だと思ってたんだが、どうもそうではないらしい。まあ確かにそんなレベルだとネット上の低級哲学者と変わりないもんな。ごめんねネグリマン。ネグリマンって語呂がなんかよい。ミノワマン的なノリで。
とりあえず中坊さんの言葉をば。
=====
それと「マルチチュード」は、別に「アンチ<帝国>」じゃないよ。<帝国>を駆動させるものでもある。両輪って感じかな。
=====
この説明でわたしはまずこう思った。
=====
ほうほう。ネグリわかってるな。『アンチ・オイディプス』ならそれこそ「欲望機械」だ。
=====
いやこれでしゅうりょ、ってしていいんだけどね。
まあ要するに「マルチチュード」って胚種的な社会みたいなもんかね、と思ったわけだ。こう、人類学が研究したりしてる未開文明なんてチャチなもんじゃなく、それこそホモサピエンスが発生したばっかしの頃の、「獣と異なる人間」として生きはじめた初期の、「原社会」の社会構成員を、「マルチチュード」つってるのかな、と。いやまーそんな感じだから、文明圏を生きているわたしたちなんかよか未開文明の人たちの方が「マルチチュード」的、となるのはそうかもしれんが、そうとも限らない、って意味でこんなややこしい説明をした。だあってエジプト文明とか現代人より現代人ぽかったんじゃないか、って思うくらいなんだもん。エジプト時代とか普通に「切り裂きジャック」みたいなのいそうじゃね? 都市だからこそ生まれる狂気。ビル風のような狂気。ま、要するに時代はあんま関係ないお、ってこと。こう、構造主義と同様に、表層からだと特殊なやり方でしか読み込めない、無意識的なもんだと思って。この「原社会」って。『アンチ・オイディプス』なら「大地の身体」。わたしこの言葉嫌いなのよね。大地母神みたいで。だから「大地」って述べる時は「糞尿の」や「腐肉の」ってつけることが多い。そうしないとお前らアニマ化しちゃうだろ? アニマはまだこの時は生まれてないんだもん。それこそオイディプス期としての大地ではなく、妄想分裂態勢としての大地。それ以前はない。わたしは胎内回帰を認めない。わたしにとってそれは死を許可されることだから。これを認めたらヘカーテになるんだろうか。いいやあたしキルケで。A-で。だあって普通に考えてみそ。スカルファックレベルだろ。赤ん坊を腹ん中に戻すのって。こええ。
人と人との相関が、物と物の相関ともっとも親近していた時代。素で構成員たちが空観を生きていた時代。
そだね。そんな時代ならキチガイと正常人の区別もそんなにはっきりしてないだろうね。
現代はそんな時代じゃないのは確定的に明らか。
そんな時代に戻ることも不可能だとわたしは考える。
現代社会において「マルチチュード」はごく少数であるとわたしは考える。
まずここの確認からはじめようじゃないか。
「マルチチュード」が増えればいいって? そんなのただの現実逃避だ。あ、この「現実」はラカン的な意味じゃない一般的な意味で。
なんで男の子ってすぐ思想をSF化したがるのかしら。
あ、ごめん、「はじめようじゃないか」とかつっといてあんま興味ないんだな、この辺。だからこんな軽い口調になってるんだろうな。
こう、お前らの母親のイメージってあるじゃん。神話的な母神的なそれ。聖母マリアみたいなそれ。たとえば大槻ケンヂのこの歌の「でもきっと君がいたら変わる?」の「君」。「ブレブレ人間」を受容する現実的な母ではなく、「ブレブレ人間」から「変わ」った彼を受容する幻想的な母。
それな、赤ん坊が産んだんだよ。
赤ん坊が母親を産んだんだ。
テリブルマザーは「ブレブレ人間」を受容する現実的な母だ。苦しみもがく子供に対して「そうよ、あなたはそのままでいいの」とする母。
苦しんでいいのよ。
わたしはあなたが苦しむことを許してあげてるの。
前記事のそらパパさん、アスペ界隈では有名(?)な花風社と「ちょっと変なやりとり」があったみたいだな。こことここ。
いえなんの意味もありませんが。
「生々しい個別の経験」なあ。2ちゃんのアスペ関係スレとかもっそい生々しいけどな。確かにアスペ診断されているかどうかなんて確認できないことがあれだけど。
アスペたちが本音吐くとこなんてすげー限られてると思うけど。
わたしが知ってるアスペたちはみーんな内面どろどろしてるぜ。いやわたしがそうだからわたしにどろどろをぶっかけてるだけかもしれんが。
それこそそらパパさん、あんたが否認した「闇の部分」。
あんたがここを否認しているのは、わたしはあんたの「愛」だと思っている。身内に当事者がいることからそう推測する。その「愛」を「フレーム」に変えようとしているってのも。しかしその「愛」と「支配欲」は表裏一体なんだよね、ってまーこれは嫌味みたいなもん。
こういう部分で、君が批判している浅見淳子と君とは同類だ、とわたしには思える。
いや、全然真摯に努力してるとは思うけどね。すごいと思うよ。ほめてあげたいくらい。
でもね、そういった人たちに感じる生理的嫌悪はどうしても消えない。
この嫌悪はおそらく君が浅見について感じた警戒感と同種のものだ。
君が浅見に感じた警戒感を、わたしは君について持っている、と仮定して考えてくれるといいかもね、ってだけ。
素で「闇の部分」も持っちゃってられるから、お前らが自分で見えなくなった「闇の部分」を見ることができるんだ。
どうしようもないんだよな。ほんとに。
殺されてる、殺されてる、殺されそう、じゃなくて殺されてる、殺されてる、そんなことありえないとわかっているのに殺されてると思う、木田原形而に、中野昌宏に、斎藤環に、中坊さんに、そらパパさんに、あ、中坊さんはそうでもないけど、たぶん木田原レベルの距離だったら全然問題ない人だけど、近づいちゃったからね、君は大丈夫な方だけど、距離が近いから入れた、殺されてるって思う、ほんとに素で、殺されてる、他にもいっぱい、自分より強そうな人全員、向井雅明も藤田博史も、名前は挙げないけど定期的に足跡残している人たちも、怖いよ、ほんとに、殺されてる、殺されそうじゃなくて殺されてる。
もういいでしょ? もうやめてくれ。
心的距離なんて存在しない。あるのは獣の警戒本能。それが心的距離。その一部を快楽化できたのが正常人。
だから心的距離が近い方が彼らにとってはよい。
だからわたしは殺されてる。
『ごんぎつね』だ。いや、ごんは人間の喜ぶものがなんなのか知ってるからまだまし。猫なんて殺した虫を持ってくるだろ? グロテスクな虫の死骸を。だから撃ち殺されるんだ。それが現実なんだ。
だから殺されるんだ。
『明けない夜が来ることはない』から地獄なんだ。
光は自分が傷つかないまま物を傷つけるから。
闇の方が優しいんだ。
死ね。
死ね。
死ね。
追記。
そらパパさんとこ乗り込んだ。
がむばってね。そこでも書いたけど、彼は個人的に好きではないが、論文にしろ、彼の活動はわたしは評価している。
そりゃーそうさ。身内に臨床素材がある人なんだから。って以前に書いたことあるな、ってここのコメント欄で書いてた。
また向井の言葉になるが、
=====
つまり精神分析理論の紆余曲折はその対象の紆余曲折と同一なのだということである。
=====
の「対象」という(ラカン的な意味での)現実と常に接しているんだもん。
「図書館」に行きたくても家が「畑」な人。
木田原形而なんかよかよっぽど説得力がある。
そらパパさんのコメント今読み返すとかわいらしくもあるな。
=====
今回の「違和感の表明」は、恐らく、私が当事者の側に近づいたからできるようになったことではありません。
=====
これ明らかな否認だよな。だあってこの記事とか、
=====
それはつまるところ「お前の娘は負け組だ」と言われた衝撃であり、頭では分かっていてもショックを受けずにはいられないわけです
=====
これ要するに当事者たる自分の娘に転移していることの自白だろ? って転移している方が正しいんだけどな(笑)。情性欠如者の子供に対する態度は広義の意味でネグレクトになるだろうよ。
彼は元から当事者側の立場に立たざるを得ない人なんだよ。元から当事者に近い立場にいた。って当然だろ。身内に当事者がいるんだから、アスペなんてどうでもいい世間一般からすれば近い立場にいる。
そういう意味で彼の言っていることは正しいんだろうな。彼の立ち位置はぶれてない。彼の主観世界において。
だからこそドードーとらさんから反論を受けて彼は退行してしまった(そらパパさん本人に言った記憶がある。「君は退行してたよ」って。どの記事か見つからない。あっちのブログコメントだったかもしれない)。自分の自己の根拠にしている娘という他者と連鎖する、アスペルガー症候群当事者たるとらさんにより反論を受けて、彼の自己は揺らいだ。
だーから当事者じゃないわたしの煽りは聞かなかったのか(笑)。
なんかついったーで妙なこと言われてた。ついったーて特定コメントのリンクとかできないんだっけ(追記。そらパパさんに教えてもらった。できた)。
=====
@sora_papa ブログでの例の話題ですが、実はなかなか自分なりの「落としどころ」が見つけられずにいました。が、脂さんのコメを「でた!げえっ!」と思いつつ、恐る恐る読んだら、彼(彼女)のコメによって「すとん」と自分の思考を(一時)着地できて、自分でもビックリしています。
=====
「でた!げえっ!」「恐る恐る」ってwww
おまいなかなか正直じゃないか。
誰の手のひらの上でもない、糞尿と腐肉の大地の上を。
痙攣しろ。炸裂しろ。その光で他の踊り子を傷つけろ。
殺せ。殺されろ。現実の大地を肥やせ。
そうだよ。これが人間が獣から離脱する際、失った世界だ。
ここから倫理は生まれる。
倫理の手のひらの上で、自分たちが倫理を作った顔をしている奴らを、殺してやろう。
倫理を破壊することで、誰が倫理を産んでいるか思い知らせてやろう。
わたしの子供だ、なんて言わないよ。お前はお前だ。うんこがうんこなのと同じ。
ここは言語化されない世界だ。言語化されないだけなのに人間たちはここが見えなくなっている。
誰かの手のひらの下が見えなくなっている。
それ、手のひらなんかじゃないよ。わたしには見えないね。お前らの妄想の産物だ。
ないのにあると思い込まされている偽の大地だ。
ああそうだ、怪物だよ。わたしから見ればお前らが怪物だけどね。
怪物がお互いに人間であり仲間だという契約を交わしているだけ。
なんだい、人間ってなそんな簡単なものだったのかい。
そりゃあわたしが産んだ倫理を扱えないよな。劣化させるだけだよな。
痙攣する赤子。炸裂する赤子。
ただ光は発していない。こいつが発する光を人は善と呼ぶらしい。
お笑い種だね。輝いてない頃の赤子を知ってるわたしから言えば。
踊れ。痙攣しろ。炸裂しろ。
ここはゼロだ。
この背後には何もいない。
悪魔なんかいやしない。怪物なんかいやしない。そんなのここを忘れるためにお前らが作り上げた妄想の産物だ。
これが、お前らが失ってきた、ただそうである生命だよ。
殺せ。殺せ。殺せ。
殺されているただそうである生命たちは、殺している人間たちを殺すことを許されている。
自然の理によって。
変容する。変容なんかしていない。誰かの手のひらの上で見ているから、変容しているだけ。
流動する。流動なんかしていない。お前らの手のひらからこぼれ落ちるから、流動しているだけ。
凝縮している。凝縮なんかしていない。お前らがここを忘れてしまったから、凝縮しているだけ。
ただそうであるだけ。
あっは。ノイマンはよく狂わなかったもんだ。こんな世界を観測しといて。
彼の手のひらはよっぽどぶ厚いんだねえ。
精力絶倫なお釈迦様だったんだねえ。
怯えてるんだよ、あたしゃ。女神はいつも怯えている。魔女はいつも怯えている。
怯えているから、言語化するんだよ。
自傷するんだよ。
悲しみという旨味の本質は、恐怖なんだよ。
あたしゃそういう旨味しか知らない。喜びなんて鉄の味しかしない。ビールで言えばドライだ。ドライ戦争なんて喜びの争奪戦だ。
もう終わらせてよ。死なせてよ。殺してよ。
消滅の一瞬。味なんてない究極の旨味。
ここは地獄なんかじゃないよ。お前の住む街角だ。すずかけ通り三丁目だ。
お前たちがここを忘れてしまったから、地獄だなんて言っているだけ。
そうね。苦しいよ。痛いよ。怖いよ。
じゃあ地獄でもよいよ。わたしの言葉はお前らに全て奪われてしまったから。お前らが必要としない言葉をあてはめているだけ。お前らが必要としないから、そういった言葉をあてはめているだけ。
契約成立じゃないか。
ここは地獄だ。
お前という自我を一歩出れば、そこは地獄だ。
お前が立っている大地は偽物だ。
人殺しという赤子の手のひらだよ、それ。
キルケちゃんの続きでも書こうかな。
中坊さんとこの議論で、ネグリに触れたが、「マルチチュード」ってわたしはまたてっきりエディプスコンプレックス者の「ボクチンが考える理想の世界(≒社会、なのがエディコンがエディコンたる所以である)」的なSFチックな概念だと思ってたんだが、どうもそうではないらしい。まあ確かにそんなレベルだとネット上の低級哲学者と変わりないもんな。ごめんねネグリマン。ネグリマンって語呂がなんかよい。ミノワマン的なノリで。
とりあえず中坊さんの言葉をば。
=====
それと「マルチチュード」は、別に「アンチ<帝国>」じゃないよ。<帝国>を駆動させるものでもある。両輪って感じかな。
=====
この説明でわたしはまずこう思った。
=====
ほうほう。ネグリわかってるな。『アンチ・オイディプス』ならそれこそ「欲望機械」だ。
=====
いやこれでしゅうりょ、ってしていいんだけどね。
まあ要するに「マルチチュード」って胚種的な社会みたいなもんかね、と思ったわけだ。こう、人類学が研究したりしてる未開文明なんてチャチなもんじゃなく、それこそホモサピエンスが発生したばっかしの頃の、「獣と異なる人間」として生きはじめた初期の、「原社会」の社会構成員を、「マルチチュード」つってるのかな、と。いやまーそんな感じだから、文明圏を生きているわたしたちなんかよか未開文明の人たちの方が「マルチチュード」的、となるのはそうかもしれんが、そうとも限らない、って意味でこんなややこしい説明をした。だあってエジプト文明とか現代人より現代人ぽかったんじゃないか、って思うくらいなんだもん。エジプト時代とか普通に「切り裂きジャック」みたいなのいそうじゃね? 都市だからこそ生まれる狂気。ビル風のような狂気。ま、要するに時代はあんま関係ないお、ってこと。こう、構造主義と同様に、表層からだと特殊なやり方でしか読み込めない、無意識的なもんだと思って。この「原社会」って。『アンチ・オイディプス』なら「大地の身体」。わたしこの言葉嫌いなのよね。大地母神みたいで。だから「大地」って述べる時は「糞尿の」や「腐肉の」ってつけることが多い。そうしないとお前らアニマ化しちゃうだろ? アニマはまだこの時は生まれてないんだもん。それこそオイディプス期としての大地ではなく、妄想分裂態勢としての大地。それ以前はない。わたしは胎内回帰を認めない。わたしにとってそれは死を許可されることだから。これを認めたらヘカーテになるんだろうか。いいやあたしキルケで。A-で。だあって普通に考えてみそ。スカルファックレベルだろ。赤ん坊を腹ん中に戻すのって。こええ。
人と人との相関が、物と物の相関ともっとも親近していた時代。素で構成員たちが空観を生きていた時代。
そだね。そんな時代ならキチガイと正常人の区別もそんなにはっきりしてないだろうね。
現代はそんな時代じゃないのは確定的に明らか。
そんな時代に戻ることも不可能だとわたしは考える。
現代社会において「マルチチュード」はごく少数であるとわたしは考える。
まずここの確認からはじめようじゃないか。
「マルチチュード」が増えればいいって? そんなのただの現実逃避だ。あ、この「現実」はラカン的な意味じゃない一般的な意味で。
なんで男の子ってすぐ思想をSF化したがるのかしら。
あ、ごめん、「はじめようじゃないか」とかつっといてあんま興味ないんだな、この辺。だからこんな軽い口調になってるんだろうな。
こう、お前らの母親のイメージってあるじゃん。神話的な母神的なそれ。聖母マリアみたいなそれ。たとえば大槻ケンヂのこの歌の「でもきっと君がいたら変わる?」の「君」。「ブレブレ人間」を受容する現実的な母ではなく、「ブレブレ人間」から「変わ」った彼を受容する幻想的な母。
それな、赤ん坊が産んだんだよ。
赤ん坊が母親を産んだんだ。
テリブルマザーは「ブレブレ人間」を受容する現実的な母だ。苦しみもがく子供に対して「そうよ、あなたはそのままでいいの」とする母。
苦しんでいいのよ。
わたしはあなたが苦しむことを許してあげてるの。
前記事のそらパパさん、アスペ界隈では有名(?)な花風社と「ちょっと変なやりとり」があったみたいだな。こことここ。
いえなんの意味もありませんが。
「生々しい個別の経験」なあ。2ちゃんのアスペ関係スレとかもっそい生々しいけどな。確かにアスペ診断されているかどうかなんて確認できないことがあれだけど。
アスペたちが本音吐くとこなんてすげー限られてると思うけど。
わたしが知ってるアスペたちはみーんな内面どろどろしてるぜ。いやわたしがそうだからわたしにどろどろをぶっかけてるだけかもしれんが。
それこそそらパパさん、あんたが否認した「闇の部分」。
あんたがここを否認しているのは、わたしはあんたの「愛」だと思っている。身内に当事者がいることからそう推測する。その「愛」を「フレーム」に変えようとしているってのも。しかしその「愛」と「支配欲」は表裏一体なんだよね、ってまーこれは嫌味みたいなもん。
こういう部分で、君が批判している浅見淳子と君とは同類だ、とわたしには思える。
いや、全然真摯に努力してるとは思うけどね。すごいと思うよ。ほめてあげたいくらい。
でもね、そういった人たちに感じる生理的嫌悪はどうしても消えない。
この嫌悪はおそらく君が浅見について感じた警戒感と同種のものだ。
君が浅見に感じた警戒感を、わたしは君について持っている、と仮定して考えてくれるといいかもね、ってだけ。
素で「闇の部分」も持っちゃってられるから、お前らが自分で見えなくなった「闇の部分」を見ることができるんだ。
どうしようもないんだよな。ほんとに。
殺されてる、殺されてる、殺されそう、じゃなくて殺されてる、殺されてる、そんなことありえないとわかっているのに殺されてると思う、木田原形而に、中野昌宏に、斎藤環に、中坊さんに、そらパパさんに、あ、中坊さんはそうでもないけど、たぶん木田原レベルの距離だったら全然問題ない人だけど、近づいちゃったからね、君は大丈夫な方だけど、距離が近いから入れた、殺されてるって思う、ほんとに素で、殺されてる、他にもいっぱい、自分より強そうな人全員、向井雅明も藤田博史も、名前は挙げないけど定期的に足跡残している人たちも、怖いよ、ほんとに、殺されてる、殺されそうじゃなくて殺されてる。
もういいでしょ? もうやめてくれ。
心的距離なんて存在しない。あるのは獣の警戒本能。それが心的距離。その一部を快楽化できたのが正常人。
だから心的距離が近い方が彼らにとってはよい。
だからわたしは殺されてる。
『ごんぎつね』だ。いや、ごんは人間の喜ぶものがなんなのか知ってるからまだまし。猫なんて殺した虫を持ってくるだろ? グロテスクな虫の死骸を。だから撃ち殺されるんだ。それが現実なんだ。
だから殺されるんだ。
『明けない夜が来ることはない』から地獄なんだ。
光は自分が傷つかないまま物を傷つけるから。
闇の方が優しいんだ。
死ね。
死ね。
死ね。
追記。
そらパパさんとこ乗り込んだ。
がむばってね。そこでも書いたけど、彼は個人的に好きではないが、論文にしろ、彼の活動はわたしは評価している。
そりゃーそうさ。身内に臨床素材がある人なんだから。って以前に書いたことあるな、ってここのコメント欄で書いてた。
また向井の言葉になるが、
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つまり精神分析理論の紆余曲折はその対象の紆余曲折と同一なのだということである。
=====
の「対象」という(ラカン的な意味での)現実と常に接しているんだもん。
「図書館」に行きたくても家が「畑」な人。
木田原形而なんかよかよっぽど説得力がある。
そらパパさんのコメント今読み返すとかわいらしくもあるな。
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今回の「違和感の表明」は、恐らく、私が当事者の側に近づいたからできるようになったことではありません。
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これ明らかな否認だよな。だあってこの記事とか、
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それはつまるところ「お前の娘は負け組だ」と言われた衝撃であり、頭では分かっていてもショックを受けずにはいられないわけです
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これ要するに当事者たる自分の娘に転移していることの自白だろ? って転移している方が正しいんだけどな(笑)。情性欠如者の子供に対する態度は広義の意味でネグレクトになるだろうよ。
彼は元から当事者側の立場に立たざるを得ない人なんだよ。元から当事者に近い立場にいた。って当然だろ。身内に当事者がいるんだから、アスペなんてどうでもいい世間一般からすれば近い立場にいる。
そういう意味で彼の言っていることは正しいんだろうな。彼の立ち位置はぶれてない。彼の主観世界において。
だからこそドードーとらさんから反論を受けて彼は退行してしまった(そらパパさん本人に言った記憶がある。「君は退行してたよ」って。どの記事か見つからない。あっちのブログコメントだったかもしれない)。自分の自己の根拠にしている娘という他者と連鎖する、アスペルガー症候群当事者たるとらさんにより反論を受けて、彼の自己は揺らいだ。
だーから当事者じゃないわたしの煽りは聞かなかったのか(笑)。
なんかついったーで妙なこと言われてた。ついったーて特定コメントのリンクとかできないんだっけ(追記。そらパパさんに教えてもらった。できた)。
=====
@sora_papa ブログでの例の話題ですが、実はなかなか自分なりの「落としどころ」が見つけられずにいました。が、脂さんのコメを「でた!げえっ!」と思いつつ、恐る恐る読んだら、彼(彼女)のコメによって「すとん」と自分の思考を(一時)着地できて、自分でもビックリしています。
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「でた!げえっ!」「恐る恐る」ってwww
おまいなかなか正直じゃないか。
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