またまた報告、って報告記事のタイトル考えんのめんどくせえ。
2010/01/19/Tue
木田原形而くんが新記事書いたのでコメントつけといた。いつもの調子で十個くらいつけたと思う。公開するかどうかは彼の勝手。
でもね、ほんと彼の言う通りだと思うんだ。そう思ってる証拠として最初につけたコメントをコピペしておく。
=====
うん。なんか語義通りに受け止めると、ほんと君の論説ってわたし応援したいんだよね。
でもね、「治療の失敗」つまり「悪化」を求めてるんだ。わたしは。精神分析理論を症状の悪化に利用している。これはわたしのブログでも公言している。
君は何を求めて精神分析理論をやってるの?
精神分析理論から臨床を排除するため?
なぜそんなことしたいの?
わたしはね、自分がメンヘラだから、自分の精神疾患的苦痛を他人に味わわせてみたいの。そうすれば自分の苦痛の原因を探るヒントが得られそうじゃん。そういや『Dr.HOUSE』ってドラマでもあったな。投薬をやめて患者の症状を悪化させて病原を探るっての。
わたしは自分がそうだから精神分析やってるのね。
「精神分析理論から臨床を排除するため」って、君にはなんにも関係ないことだよね? 精神分析理論は君じゃない。臨床されるのは君じゃない。なのになぜ君はやってるの? あ、ごめん君がメンヘラだったら関係していることになるけど。
ねえねえ教えて。
=====
「だから精神分析から臨床を排除しよう」なんて理屈にならないけど。
そう、精神分析の臨床とは、本質的に残酷なものなんだ。まさに「ペスト」。フロイトが性的トラウマに悩む女性患者に言った「あんたその夢の男にレイプされたがってんだよ」。
わたしはだから精神分析やってるんだ。自分が臨床素材になること前提で。リアルメンヘラですしおすし。
だってさ、現代の心理カウンセリングとか、そらパパさんとこでも言ったけど、ほーんと甘ったるすぎて信用できないんだもん。このブログで言う「精液」垂れ流しまくり。あーうん、彼の言う「患者に優しい療法」だからこそ、わたしは彼らの「(言語外含む)コミュニケーション」が信用できない、ってこと。
むしろ現代の状態がそうだから、彼は「精神分析治療とは患者に優しい療法であるべきだ」と勘違いしてしまったのだろう。そうじゃないから、そうじゃないことを批判している、と。一人相撲なんだな。
彼も被害者なのだ。「精液」の。
こういう感覚ってわかんないかなー? あれ、説明するためにもっそい俗化させてもらうなら、「草食系男子とか信用できねえ。どうせ裏で幼女レイプエロゲとかやってんだろ?」って感じなのよね。
でもそうでしょ? 性欲ってのは本能なんだし。
「草食系男子」とかさ、結局女子にウケずじまいだったじゃん。そういうことなんだと思うよ。「いやむしろむっつりスケベとしての草食系がいいんだ」なんて変な趣味の人もいたかもしれんが。わたしそういうところある。「勃起してるちんちんを必死に隠そうとしている男子ってかわいい」的な。
あと、じょしこーせーメンヘラがいいこと言ってたな。「殺し合いでないセックスは信用しない」って。ほんとやばそうな子だったのでリンクはしてない。ブログパス制になってるし。
このブログなら、小笠原晋也の行動を擁護しているような発言が多いのも、そういうことなんだよな。
うん、めっさガキ臭いだろ? そのまんまでババアになってしまった人間もいるんだ。
わたしみたいなのを治療するために精神医学はあるんだろ?
そのわたしが「患者に優しい療法」が信じらんない、っつってるんだけど。
あれだよ、別にさ、木田原くんが、「自分が患者だった場合を考えると、そんな残酷な臨床をされるのは嫌だ」って言っているなら、「そうよねそういう人多いよね」くらいなのね。
でもさー、「自分が患者だった場合を考えると」とか被害妄想すぎない? 木田原くんがメンヘラだったらごめんだけどさ。
あーそっか、木田原くんメンヘラなのかもしんないね。だから「残酷な臨床」に対し被害妄想的に過剰反応している、と。ちょっとそんな感じはするもんなー。いやごめんメンヘラ板とかいるとそういう目で見ちゃうのよ。人類皆平等に精神疾患者、ってね。
でもさ、君がメンヘラであっても、数少ないかもしれないけど、わたしみたいな臨床が残酷であることを知ってやってる人もいるんだし、君は他の「患者に優しい療法」を受ければいいんじゃない? って思う。「患者に優しい療法」ならそこらに大量にあるよ。石を投げればそういうクリニックにあたるだろうよ。こういうラカン派(笑)もいるみたいだし。
でもそれを他人に押しつけたがるのが中二病なんだろうね。
「ボクチンの考える理想の世界(≒社会、なのがエディコンたる証拠)って正しいでしょ? ね? ね?」
あーうん、君ってそこのLAKAN精神科学研究所のライバルレベルだ(笑)。まずこいつらやっつけてよ。
別に「精神分析の臨床とは残酷なものだ」っていう主張はいいんだよ。むしろいっぱいしてほしい。だけど「だから精神分析から臨床は除外すべきだ」って理屈に展開されちゃうと、それは道徳的にとっても正しいことだから、わたしみたいな需要が無視されちゃう。むしろ臨床が残酷じゃなくなったから、わたしみたいに心理カウンセリングに不満を覚える人間が増えた、って考えてほしい。ほんと結構いるぜ。「心理士そのものがキモイ」ってメンヘラ。あ、ナラティブセラピーについて述べたこの記事とか参考になるかもね。
=====
「客観的真実などはなく、すべては相対的である」
=====
は正しいんだよ。ならさ、「殺し合い」も相対的に見てよ。そしたらそれが「絶対的」な何かになるかもしれない。そんな予兆。パニック発作の予期をメタ化したような予兆。
「殺し合いでない臨床は信用できない」
そう、木田原くんの言う通りなのだ。精神分析は、その臨床が残酷である事実を思い出せ。精神分析家は破壊をおそれてはならない。
さあ、わたしを破壊して。
ねえねえ、「精神分析の臨床は残酷だ」からって、なんで「精神分析から臨床は除外すべき」なの? 道徳的にそうだから? 道徳から疎外されたのがメンヘラたちじゃない?
ねえねえ、なんで?
ってか木田原くんさ、議論しようよ。逃げてないで。
この記事とかわたしの記事に対する反論なんじゃない? いやあなたらしきホスト追って少なくともリンク踏んでまで読んでないのは知ってるけど。違ったらごめん。ほらあたしメンヘラだから。被害妄想ばりばりだから。
「殺し合い」しましょ?
わたしは自分自身の中にどうやってもある苦痛について探りたくてやっている。それが見つかったとして、それを除去するかどうかはその時の話。
このために、わたしは精神分析理論という「肉屋の包丁」を必要としている。
そのために、この包丁で他人を切り刻むこともある。
わたしはわたしのために精神分析をやっている。
ねえねえ、木田原くん、あなたはどうして精神分析を学んでいるの?
ごめんね、わたしひねくれてるからさ、こんな風に思っちゃうんだ。対象の紆余曲折に沿ってもともと穴だらけな精神分析理論の穴を、これ見よがしに指摘することで、精神分析理論っていう巨人(その実ただのぼろぼろの風車)を倒そうとしたがっているだけじゃないかって。
多分ねー、そんなことしても誰も君を英雄と思わないよ。ただの一人相撲。
ああうん、自らをドン・キホーテにたとえるくらいなら、わたしあなたを応援してもいいよ? かっこいいと思う。巨人を倒すことは、風車を巨人に見せた自分の幻想化回路を倒すことだからね。
でも君にはできなさそう。自分の思考回路の一部を壊すことだから。
自分が臨床されるのが怖いから、君の想像上の「患者」をダシにして、それを排除しようとしているんじゃない? 要するに、君が臆病なだけじゃない? ってこと。
ねえねえ、あなたはどうしてそんなにまで臨床を排除したがってるの?
そもそもさー、現代でも精神分析のせいで自殺する人がいるなら、その分析家自殺教唆で捕まってるだろ。
いやそこまでやれる分析家はわたしは逆に評価するけどね。
フロイトはそうだったのかもしれんが、今でも人を自殺に追い込めるほどの力を持った理論だったらこんなに軽んじられてるわけねえだろ。
この辺パラノイア臭え。
つか木田原くん、君お医者さん? お医者さんが言うなら説得力あるんだけどさ。「だからあなたは精神分析理論を利用しないんですね」って。
んで、君はなんで精神分析やってるの?
ただの思想として、楽しみたくてやってるんなら、別に精神分析である必要ないよね。他にたくさんあるんだし。
なぜわざわざ、人を自殺に追い込んだこともある理論を、君は勉強してるの?
やっほー、中野昌宏さん見てるぅ? あなたんとこの「一方的通信教育生」のボロがどんどんはがれてっちゃるよー。はがれちゃってるつかかわいいね、この子。ほんとこのコラムに出てくる「クリス」だわ。「まっすぐ」な子。
ただの報告です。
あ、ごめんそらパパさんとこのコメントで、「臨床心理士」とかつってるけど、彼「認定心理士」だったわ。
訂正しておきま。
思考しすぎて気が遠くなった。吐き気がした。涙が出た。
この涙には何か意味があるのだろうか、と思う。意味なんてないなら、赤ん坊が生まれた時の涙だとなろう。
うん、吐き気による涙。二日酔いの時に流す涙に似ている。だから意味なんてない涙に近いと思う。
果たしてそうだろうか。
わたしは誰かに助けてもらいたくて泣いているのではないか。
生まれたばかりの赤ん坊は誰かに助けてもらいたくて泣いているのではないか。
嘘だ。そんな意味はない。意味のない涙にそんな意味を付加するからファルスは増長するのだ。ロリコン野郎は勃起するのだ。
本当に意味はないのか。
田村隆一『帰途』から。
=====
あなたの涙に 果実の核ほどの意味があるか
きみの一滴の血に この世界の夕暮れの
ふるえるような夕焼けのひびきがあるか
言葉なんかおぼえるんじゃなかった
日本語とほんのすこしの外国語をおぼえたおかげで
ぼくはあなたの涙のなかに立ちどまる
ぼくはきみの血のなかにたったひとりで掃ってくる
=====
田村の思う涙には意味がありそうだ。それ、「ヒステリー者のディスクール」としての涙だよ、と教えてやりたい。言葉に近い涙だよ、と。
田村の思う涙は助けてほしがってる涙だ。
じゃなければ、誰かがその中にいられるはずがない。
君がそこで立ち止まったのが、それが意味のある涙である証拠だ。
意味のない血や涙はただの液体だ。
誰も立ち止まらない。
誰も帰ってこない。
むしろ人は眉をひそめる。
むしろ田村はそこに意味を付加しようとしているのではないか。ロリコンエロゲにはまるオタクたちと同様に。
二日酔いの涙の中に、誰が立ち止まるだろうか。
キチガイババアの自殺した血に、誰が帰ってくるだろうか。
意味なんてない涙は、そんな涙しか、わたしはそういう物。
意味、意味、意味、
あるよ?
殺意。
あ、だめだ。しゅうりょ。
なんでこれが言語化できないんだろう。いやできるんだけど。被害妄想とかβ要素とか。そう、抽象的な、っていうか、うーん、「精液」がぶっかけられないことが多い言葉なら、「これかなー」と思う言葉はある。言葉に恣意的に定められる。だけどその差異は「精液」によって曖昧になる。もともと言語の隙間のようなそれだから、差異が曖昧になると、その意味自体が消滅する。
だから無意味のまま。
これ書きたい。言葉じゃない言葉になるんだろうな。それこそ創作言語。一人で自分勝手に動いちゃう文字。動かなくてもいいけど、ノート一面に書かなくちゃいけなくなる。
でも、別にそれはそれであって、そうじゃないのもあるんだから、隙間を埋めるようなことはしない。ここがわたしが統失じゃないと思えるところ。
正常人と同じなんだ。なのに実際の正常人たちとは違う。それとそれがどうしても分離していることに苦しみを感じていない。
二つの世界。
二つ、じゃないんだよね、一つと、数詞があてはまらない世界。
まぃおーん、ヴおあああわわわん、どりゅっでぃぐっもゎわああん、とした、クラインの壷、ってなんかよすぎだけど、うにゅーんってなってて、で、多分これが、シンボルの原初。「部分は全体、全体は部分」な何か。ああうん、自他未分化かもね。
嫌味の方が相手を傷つけられるって思うのは中学生までだよねーキャハハ。大人への羨望を利用した攻撃だからね、それ。象徴界をきちんと生きているよ、ボクチン、ってことだから、大人にあまり効かない。あれ、ニートに「あー仕事が忙しい」って言うようなもんで、大人になることを半分あきらめた子供のまま大人になった物体には効かないんだよね。
そんなのよりさ、この「でた!げえっ!」とかの方が効いた。結構傷ついた(笑)。ほーって思ったわ。こういうのがむしろだめなのか、ってね。対わたしとしていいセンス持ってるよ君。わたし殺害の天才かもしんない。
その人のツイッター見てると、毎日が「殺し合い」なんだろうなー、って思った。子供の頃を思い出す。今は大量の武器を持ってるけどね。
よくも悪くもなく正直すぎるんだろうな、彼女。
うちの母も、なんつかこう、思ってることが顔に出るってかな。表情や言葉になる直前の段階で、感情に素直っていうか。ほんと今だから言語化できるけど、心の中から母親をどうやって殺すかで毎日生きてたもんな。勉強できたのもそういうんがあるかも。母親にいかに口を出させないようにするか。
でもまあうちのより自省しているな。うちのはほんと自省しない。その時の気分で生きている。
でもあんま今は憎いと思わないんだよな。ほんと毎日心の中でいかに母を殺すかってやってたから、一人暮らしはじめて全然気になんなくなった。「いなくなってわかるその大切さ」とか嘘だと思うもん、母に関しては。実際の生活で母の影響がなくなったら、あっさり心の中から殺せた。
うん、憎悪なのかもしれないけど、コンプレックスじゃないんだよね。「邪魔だからどいて」レベル。なのに全然どかないから憎悪と言われてもおかしくない感情になる。
ほんとただ「邪魔だからどいて」だったから、一人暮らしはじめてあっさり殺せたんだろうな。心の中から。
「殺す」とかって言葉遣いがあざとい、って思われそうだけど、「存在させなくする」って意味だから、「殺す」が適当でしょ? 実際殺意持った時あるし。って普通の思春期の子ならみんな持ってるもんだと思ってわたしはこう言ってるんだけど。「母殺し」とか言うじゃん。
でもゼロにはすることはできない。でも「邪魔だからどいて」だから、邪魔じゃなくなったらよい。
ああそうか、「でた!げえっ!」って驚きだから効いたのか。そうね、母の言動でショックだったので、覚えているのが多いのが、驚きな気がする。「なんで驚くの?」って。うん、わたしにとって驚かれることって、恥ずかしいことって連鎖する。こう、大人の世界では驚きのあとに笑いがきたりするけど、わたしはどうしても驚きのあとで怒りとか嫌悪がくる。驚かれたら怒られる、みたいな。結構トラウマ。厳密な用語としての、じゃなくて、不確定性トラウマ。
だからそのあとの彼女の言葉は、わたしにとって不利なものじゃないと頭ではわかっていても、「ウキー」ってなる。ちょっとだけ。
まー母親を家畜のように思ってる人の言い分だけどね。
でもね、ほんと彼の言う通りだと思うんだ。そう思ってる証拠として最初につけたコメントをコピペしておく。
=====
うん。なんか語義通りに受け止めると、ほんと君の論説ってわたし応援したいんだよね。
でもね、「治療の失敗」つまり「悪化」を求めてるんだ。わたしは。精神分析理論を症状の悪化に利用している。これはわたしのブログでも公言している。
君は何を求めて精神分析理論をやってるの?
精神分析理論から臨床を排除するため?
なぜそんなことしたいの?
わたしはね、自分がメンヘラだから、自分の精神疾患的苦痛を他人に味わわせてみたいの。そうすれば自分の苦痛の原因を探るヒントが得られそうじゃん。そういや『Dr.HOUSE』ってドラマでもあったな。投薬をやめて患者の症状を悪化させて病原を探るっての。
わたしは自分がそうだから精神分析やってるのね。
「精神分析理論から臨床を排除するため」って、君にはなんにも関係ないことだよね? 精神分析理論は君じゃない。臨床されるのは君じゃない。なのになぜ君はやってるの? あ、ごめん君がメンヘラだったら関係していることになるけど。
ねえねえ教えて。
=====
「だから精神分析から臨床を排除しよう」なんて理屈にならないけど。
そう、精神分析の臨床とは、本質的に残酷なものなんだ。まさに「ペスト」。フロイトが性的トラウマに悩む女性患者に言った「あんたその夢の男にレイプされたがってんだよ」。
わたしはだから精神分析やってるんだ。自分が臨床素材になること前提で。リアルメンヘラですしおすし。
だってさ、現代の心理カウンセリングとか、そらパパさんとこでも言ったけど、ほーんと甘ったるすぎて信用できないんだもん。このブログで言う「精液」垂れ流しまくり。あーうん、彼の言う「患者に優しい療法」だからこそ、わたしは彼らの「(言語外含む)コミュニケーション」が信用できない、ってこと。
むしろ現代の状態がそうだから、彼は「精神分析治療とは患者に優しい療法であるべきだ」と勘違いしてしまったのだろう。そうじゃないから、そうじゃないことを批判している、と。一人相撲なんだな。
彼も被害者なのだ。「精液」の。
こういう感覚ってわかんないかなー? あれ、説明するためにもっそい俗化させてもらうなら、「草食系男子とか信用できねえ。どうせ裏で幼女レイプエロゲとかやってんだろ?」って感じなのよね。
でもそうでしょ? 性欲ってのは本能なんだし。
「草食系男子」とかさ、結局女子にウケずじまいだったじゃん。そういうことなんだと思うよ。「いやむしろむっつりスケベとしての草食系がいいんだ」なんて変な趣味の人もいたかもしれんが。わたしそういうところある。「勃起してるちんちんを必死に隠そうとしている男子ってかわいい」的な。
あと、じょしこーせーメンヘラがいいこと言ってたな。「殺し合いでないセックスは信用しない」って。ほんとやばそうな子だったのでリンクはしてない。ブログパス制になってるし。
このブログなら、小笠原晋也の行動を擁護しているような発言が多いのも、そういうことなんだよな。
うん、めっさガキ臭いだろ? そのまんまでババアになってしまった人間もいるんだ。
わたしみたいなのを治療するために精神医学はあるんだろ?
そのわたしが「患者に優しい療法」が信じらんない、っつってるんだけど。
あれだよ、別にさ、木田原くんが、「自分が患者だった場合を考えると、そんな残酷な臨床をされるのは嫌だ」って言っているなら、「そうよねそういう人多いよね」くらいなのね。
でもさー、「自分が患者だった場合を考えると」とか被害妄想すぎない? 木田原くんがメンヘラだったらごめんだけどさ。
あーそっか、木田原くんメンヘラなのかもしんないね。だから「残酷な臨床」に対し被害妄想的に過剰反応している、と。ちょっとそんな感じはするもんなー。いやごめんメンヘラ板とかいるとそういう目で見ちゃうのよ。人類皆平等に精神疾患者、ってね。
でもさ、君がメンヘラであっても、数少ないかもしれないけど、わたしみたいな臨床が残酷であることを知ってやってる人もいるんだし、君は他の「患者に優しい療法」を受ければいいんじゃない? って思う。「患者に優しい療法」ならそこらに大量にあるよ。石を投げればそういうクリニックにあたるだろうよ。こういうラカン派(笑)もいるみたいだし。
でもそれを他人に押しつけたがるのが中二病なんだろうね。
「ボクチンの考える理想の世界(≒社会、なのがエディコンたる証拠)って正しいでしょ? ね? ね?」
あーうん、君ってそこのLAKAN精神科学研究所のライバルレベルだ(笑)。まずこいつらやっつけてよ。
別に「精神分析の臨床とは残酷なものだ」っていう主張はいいんだよ。むしろいっぱいしてほしい。だけど「だから精神分析から臨床は除外すべきだ」って理屈に展開されちゃうと、それは道徳的にとっても正しいことだから、わたしみたいな需要が無視されちゃう。むしろ臨床が残酷じゃなくなったから、わたしみたいに心理カウンセリングに不満を覚える人間が増えた、って考えてほしい。ほんと結構いるぜ。「心理士そのものがキモイ」ってメンヘラ。あ、ナラティブセラピーについて述べたこの記事とか参考になるかもね。
=====
「客観的真実などはなく、すべては相対的である」
=====
は正しいんだよ。ならさ、「殺し合い」も相対的に見てよ。そしたらそれが「絶対的」な何かになるかもしれない。そんな予兆。パニック発作の予期をメタ化したような予兆。
「殺し合いでない臨床は信用できない」
そう、木田原くんの言う通りなのだ。精神分析は、その臨床が残酷である事実を思い出せ。精神分析家は破壊をおそれてはならない。
さあ、わたしを破壊して。
ねえねえ、「精神分析の臨床は残酷だ」からって、なんで「精神分析から臨床は除外すべき」なの? 道徳的にそうだから? 道徳から疎外されたのがメンヘラたちじゃない?
ねえねえ、なんで?
ってか木田原くんさ、議論しようよ。逃げてないで。
この記事とかわたしの記事に対する反論なんじゃない? いやあなたらしきホスト追って少なくともリンク踏んでまで読んでないのは知ってるけど。違ったらごめん。ほらあたしメンヘラだから。被害妄想ばりばりだから。
「殺し合い」しましょ?
わたしは自分自身の中にどうやってもある苦痛について探りたくてやっている。それが見つかったとして、それを除去するかどうかはその時の話。
このために、わたしは精神分析理論という「肉屋の包丁」を必要としている。
そのために、この包丁で他人を切り刻むこともある。
わたしはわたしのために精神分析をやっている。
ねえねえ、木田原くん、あなたはどうして精神分析を学んでいるの?
ごめんね、わたしひねくれてるからさ、こんな風に思っちゃうんだ。対象の紆余曲折に沿ってもともと穴だらけな精神分析理論の穴を、これ見よがしに指摘することで、精神分析理論っていう巨人(その実ただのぼろぼろの風車)を倒そうとしたがっているだけじゃないかって。
多分ねー、そんなことしても誰も君を英雄と思わないよ。ただの一人相撲。
ああうん、自らをドン・キホーテにたとえるくらいなら、わたしあなたを応援してもいいよ? かっこいいと思う。巨人を倒すことは、風車を巨人に見せた自分の幻想化回路を倒すことだからね。
でも君にはできなさそう。自分の思考回路の一部を壊すことだから。
自分が臨床されるのが怖いから、君の想像上の「患者」をダシにして、それを排除しようとしているんじゃない? 要するに、君が臆病なだけじゃない? ってこと。
ねえねえ、あなたはどうしてそんなにまで臨床を排除したがってるの?
そもそもさー、現代でも精神分析のせいで自殺する人がいるなら、その分析家自殺教唆で捕まってるだろ。
いやそこまでやれる分析家はわたしは逆に評価するけどね。
フロイトはそうだったのかもしれんが、今でも人を自殺に追い込めるほどの力を持った理論だったらこんなに軽んじられてるわけねえだろ。
この辺パラノイア臭え。
つか木田原くん、君お医者さん? お医者さんが言うなら説得力あるんだけどさ。「だからあなたは精神分析理論を利用しないんですね」って。
んで、君はなんで精神分析やってるの?
ただの思想として、楽しみたくてやってるんなら、別に精神分析である必要ないよね。他にたくさんあるんだし。
なぜわざわざ、人を自殺に追い込んだこともある理論を、君は勉強してるの?
やっほー、中野昌宏さん見てるぅ? あなたんとこの「一方的通信教育生」のボロがどんどんはがれてっちゃるよー。はがれちゃってるつかかわいいね、この子。ほんとこのコラムに出てくる「クリス」だわ。「まっすぐ」な子。
ただの報告です。
あ、ごめんそらパパさんとこのコメントで、「臨床心理士」とかつってるけど、彼「認定心理士」だったわ。
訂正しておきま。
思考しすぎて気が遠くなった。吐き気がした。涙が出た。
この涙には何か意味があるのだろうか、と思う。意味なんてないなら、赤ん坊が生まれた時の涙だとなろう。
うん、吐き気による涙。二日酔いの時に流す涙に似ている。だから意味なんてない涙に近いと思う。
果たしてそうだろうか。
わたしは誰かに助けてもらいたくて泣いているのではないか。
生まれたばかりの赤ん坊は誰かに助けてもらいたくて泣いているのではないか。
嘘だ。そんな意味はない。意味のない涙にそんな意味を付加するからファルスは増長するのだ。ロリコン野郎は勃起するのだ。
本当に意味はないのか。
田村隆一『帰途』から。
=====
あなたの涙に 果実の核ほどの意味があるか
きみの一滴の血に この世界の夕暮れの
ふるえるような夕焼けのひびきがあるか
言葉なんかおぼえるんじゃなかった
日本語とほんのすこしの外国語をおぼえたおかげで
ぼくはあなたの涙のなかに立ちどまる
ぼくはきみの血のなかにたったひとりで掃ってくる
=====
田村の思う涙には意味がありそうだ。それ、「ヒステリー者のディスクール」としての涙だよ、と教えてやりたい。言葉に近い涙だよ、と。
田村の思う涙は助けてほしがってる涙だ。
じゃなければ、誰かがその中にいられるはずがない。
君がそこで立ち止まったのが、それが意味のある涙である証拠だ。
意味のない血や涙はただの液体だ。
誰も立ち止まらない。
誰も帰ってこない。
むしろ人は眉をひそめる。
むしろ田村はそこに意味を付加しようとしているのではないか。ロリコンエロゲにはまるオタクたちと同様に。
二日酔いの涙の中に、誰が立ち止まるだろうか。
キチガイババアの自殺した血に、誰が帰ってくるだろうか。
意味なんてない涙は、そんな涙しか、わたしはそういう物。
意味、意味、意味、
あるよ?
殺意。
あ、だめだ。しゅうりょ。
なんでこれが言語化できないんだろう。いやできるんだけど。被害妄想とかβ要素とか。そう、抽象的な、っていうか、うーん、「精液」がぶっかけられないことが多い言葉なら、「これかなー」と思う言葉はある。言葉に恣意的に定められる。だけどその差異は「精液」によって曖昧になる。もともと言語の隙間のようなそれだから、差異が曖昧になると、その意味自体が消滅する。
だから無意味のまま。
これ書きたい。言葉じゃない言葉になるんだろうな。それこそ創作言語。一人で自分勝手に動いちゃう文字。動かなくてもいいけど、ノート一面に書かなくちゃいけなくなる。
でも、別にそれはそれであって、そうじゃないのもあるんだから、隙間を埋めるようなことはしない。ここがわたしが統失じゃないと思えるところ。
正常人と同じなんだ。なのに実際の正常人たちとは違う。それとそれがどうしても分離していることに苦しみを感じていない。
二つの世界。
二つ、じゃないんだよね、一つと、数詞があてはまらない世界。
まぃおーん、ヴおあああわわわん、どりゅっでぃぐっもゎわああん、とした、クラインの壷、ってなんかよすぎだけど、うにゅーんってなってて、で、多分これが、シンボルの原初。「部分は全体、全体は部分」な何か。ああうん、自他未分化かもね。
嫌味の方が相手を傷つけられるって思うのは中学生までだよねーキャハハ。大人への羨望を利用した攻撃だからね、それ。象徴界をきちんと生きているよ、ボクチン、ってことだから、大人にあまり効かない。あれ、ニートに「あー仕事が忙しい」って言うようなもんで、大人になることを半分あきらめた子供のまま大人になった物体には効かないんだよね。
そんなのよりさ、この「でた!げえっ!」とかの方が効いた。結構傷ついた(笑)。ほーって思ったわ。こういうのがむしろだめなのか、ってね。対わたしとしていいセンス持ってるよ君。わたし殺害の天才かもしんない。
その人のツイッター見てると、毎日が「殺し合い」なんだろうなー、って思った。子供の頃を思い出す。今は大量の武器を持ってるけどね。
よくも悪くもなく正直すぎるんだろうな、彼女。
うちの母も、なんつかこう、思ってることが顔に出るってかな。表情や言葉になる直前の段階で、感情に素直っていうか。ほんと今だから言語化できるけど、心の中から母親をどうやって殺すかで毎日生きてたもんな。勉強できたのもそういうんがあるかも。母親にいかに口を出させないようにするか。
でもまあうちのより自省しているな。うちのはほんと自省しない。その時の気分で生きている。
でもあんま今は憎いと思わないんだよな。ほんと毎日心の中でいかに母を殺すかってやってたから、一人暮らしはじめて全然気になんなくなった。「いなくなってわかるその大切さ」とか嘘だと思うもん、母に関しては。実際の生活で母の影響がなくなったら、あっさり心の中から殺せた。
うん、憎悪なのかもしれないけど、コンプレックスじゃないんだよね。「邪魔だからどいて」レベル。なのに全然どかないから憎悪と言われてもおかしくない感情になる。
ほんとただ「邪魔だからどいて」だったから、一人暮らしはじめてあっさり殺せたんだろうな。心の中から。
「殺す」とかって言葉遣いがあざとい、って思われそうだけど、「存在させなくする」って意味だから、「殺す」が適当でしょ? 実際殺意持った時あるし。って普通の思春期の子ならみんな持ってるもんだと思ってわたしはこう言ってるんだけど。「母殺し」とか言うじゃん。
でもゼロにはすることはできない。でも「邪魔だからどいて」だから、邪魔じゃなくなったらよい。
ああそうか、「でた!げえっ!」って驚きだから効いたのか。そうね、母の言動でショックだったので、覚えているのが多いのが、驚きな気がする。「なんで驚くの?」って。うん、わたしにとって驚かれることって、恥ずかしいことって連鎖する。こう、大人の世界では驚きのあとに笑いがきたりするけど、わたしはどうしても驚きのあとで怒りとか嫌悪がくる。驚かれたら怒られる、みたいな。結構トラウマ。厳密な用語としての、じゃなくて、不確定性トラウマ。
だからそのあとの彼女の言葉は、わたしにとって不利なものじゃないと頭ではわかっていても、「ウキー」ってなる。ちょっとだけ。
まー母親を家畜のように思ってる人の言い分だけどね。
スポンサーサイト