精神疾患名といううんこ
2010/01/22/Fri
お前らってメンヘラにならない限り自分の心を掘り返さないんだろうな。
あたしはメンヘラになる前からやってたけど。
その程度なら普通にもいるだろうね。つか傍から見たら「自分の心を見ている」と思われない人だったんだろう。自分勝手だし。団体行動苦手だし。もろB型だし。ってかなんで「自分の心を見ていたら」自分勝手にならない、団体行動苦手にならない、自己中心的にならない、ってなるんだろう?
診断されて、社会から疎外された日々を送ることができた。自分の心を掘り返しまくった。中坊さんの言う「面壁」。
わたしの他者が希薄な症状は悪化した。
自分の心を掘り返すなんてそりゃー辛いよ。でもやってしまう。自分の中の苦痛と向き合ってしまう。
これをわたしは教えてあげてんだよ?
精神疾患名って贈り物をもらい損なった君たちに。
自己愛型ひきこもりラカニアンくんとかリアクションないよなー。「うんこは贈り物だ」って言ってるからやってあげたのに、お礼も返してこない。首の取れた猫の死骸でも送ってこいよ。
人格をけなしあおうぜ。
木田原形而くんもいらっしゃい。そんなもじもじしてないで。
思考停止って、こう、ガリバーみたいだ。何本ものロープで固定されている。
悪くないよ。この状態なら正常人の顔できる。おそらく正常人として認めてもらえる。
でも思考停止って、イコール行動停止なんだよな。わたしの場合。眠ることや食べることもできなくなる。
死ね。
リアルでも口癖になってて困る。
昔いた会社からアクセスがあると心臓が飛び出そうになる。体中の内部が噴出しそうになる。『トータル・リコール』のラストシーンみたいな。押し潰されそうになる。いなくなってしまいたくなる。死にたくなる、と理屈的には同じだけど、死んでも死体は残るからだめ。いなくなりたい。
こんな言葉嫌いだけど、絶対勘違いしてくる奴がいて、そういう奴はわたしをむしろ苦しめるんだが、この瞬間に限って、今だけこう言いたい。
助けて。
わたしの苦痛を全て受け取って。
それでわたしの苦痛は取り除けるのか。
全て取り除けたら、わたしはいなくなれる。
この記事。
(物という)「爆発」=(量子力学的なそれじゃない)「エネルギー」=(量子力学的な)「質量」=「苦痛」。
これがわたしが伝染させたいもの。
わたしの贈り物。
なんか今一瞬近づけたのに。言葉にしようとした途端消えた。
物を爆発と思えないのは、鏡像段階のせいじゃないのか?
あ、でもましになった。いなくなりたいと思う感じが減った。
おっと言い忘れてた(ハウスの口調で)。そらパパさん、前記事の君の娘についての部分、これわたしの個人的な経験をもとにして述べている。
わたしはそういう診断は受けていないが、もし君がわたしを自閉症スペクトラムに含まれると思っていたなら、そして君の療育が功を奏し、娘の認知認識が徐々に正常(という異常)化していったとしたら、娘は君という性格に対して強いフラストレーションを感じる可能性が高いだろうな。
知的障害あってよかったのかもしれないよ。認知認識が正常(という異常)化されるまでの道のりが長くて。
認知認識が正常(という異常)化された娘にとって、君という存在は「自己の根拠となる他者」になんかならず、ただの「二次障害の一つの要因」となるだろうな。
ま、今のうちに「巷に溢れる感動的な(笑)障害者物語」はあきらめとけ、って話。
これって自閉症児を持つ全ての親にも言えることなんだが、安心したまえ、わたしの印象では、最近のアスペルガー症候群者ってわたし用語の未去勢者にあてはまらなさそうな人も多く、いわば過剰診断状態だから、一概にそうなるとは限らないと思う。中には「巷に溢れる感動的な(笑)障害者物語」ができる人もいるだろうな。
お前らむしろ「巷に溢れる感動的な(笑)障害者物語」をしたくて過剰診断してんじゃねえ? って思うわ。ただのマチポンプ。オナニー。
そういう意味で、厳密な理論を組み立てているそらパパさんや、過剰診断を意識的に避けているkyupinさんは、わたしは「政治的に」応援している。そらパパさんもいいこと言ってるんだよな。このつぶやきにおける「治したいという情熱」がおそらく「巷に溢れる感動的な(笑)障害者物語」をしたがっていることに相当するだろう。
脳内治療者の反論。「いや、治療する相手がどう思っていようが関係ないんだ」ねえ。ふうん。君が治療することによって別の苦痛が生じるようになる。そんな時って大体その苦痛を感じさせるようにしてくれた犯人を恨むよな? 君は治療した人に恨まれる覚悟はできているのかい?
そもそも「誰かを治療したい」って「思い遣り」自体が不快なんだよ。
つかさ、あるアスペスレで嫌悪されている「思い遣り満載で接してくるうざい定型女」が自閉症児の親であったりして、わたしの主観ではそらパパさんのコメント欄にも多数出没してる、ってのが消されたコメントにあったわけだが、それに対するそらパパさんの返信が、この記事でも触れたこれだ。
=====
実のところ、仮にそれが向いていないタイプの人であっても、その役割をまっとうしなければならないわけです。
=====
こうやってさ、社会のせいにして(役割をまっとうしなければならないのは社会がそう決めているからだろ?)、(自閉症児を育てるのに)向いていないタイプの人が、「なぜ自分は向いていないのだろう」って思考するのを棚上げするんだよな。
「向いていない」とわかったら、自分の心を掘り返せよ、って思うわ。素で。
そりゃー辛いことだろうよ。痛いことだろうよ。
だからやんないだけだろ。
こうやって「自分の心を掘り返す」作業を一方的に精神疾患者に押しつける。
そのために「内面を論じない」だけだろ。
あたしはメンヘラになる前からやってたけど。
その程度なら普通にもいるだろうね。つか傍から見たら「自分の心を見ている」と思われない人だったんだろう。自分勝手だし。団体行動苦手だし。もろB型だし。ってかなんで「自分の心を見ていたら」自分勝手にならない、団体行動苦手にならない、自己中心的にならない、ってなるんだろう?
診断されて、社会から疎外された日々を送ることができた。自分の心を掘り返しまくった。中坊さんの言う「面壁」。
わたしの他者が希薄な症状は悪化した。
自分の心を掘り返すなんてそりゃー辛いよ。でもやってしまう。自分の中の苦痛と向き合ってしまう。
これをわたしは教えてあげてんだよ?
精神疾患名って贈り物をもらい損なった君たちに。
自己愛型ひきこもりラカニアンくんとかリアクションないよなー。「うんこは贈り物だ」って言ってるからやってあげたのに、お礼も返してこない。首の取れた猫の死骸でも送ってこいよ。
人格をけなしあおうぜ。
木田原形而くんもいらっしゃい。そんなもじもじしてないで。
思考停止って、こう、ガリバーみたいだ。何本ものロープで固定されている。
悪くないよ。この状態なら正常人の顔できる。おそらく正常人として認めてもらえる。
でも思考停止って、イコール行動停止なんだよな。わたしの場合。眠ることや食べることもできなくなる。
死ね。
リアルでも口癖になってて困る。
昔いた会社からアクセスがあると心臓が飛び出そうになる。体中の内部が噴出しそうになる。『トータル・リコール』のラストシーンみたいな。押し潰されそうになる。いなくなってしまいたくなる。死にたくなる、と理屈的には同じだけど、死んでも死体は残るからだめ。いなくなりたい。
こんな言葉嫌いだけど、絶対勘違いしてくる奴がいて、そういう奴はわたしをむしろ苦しめるんだが、この瞬間に限って、今だけこう言いたい。
助けて。
わたしの苦痛を全て受け取って。
それでわたしの苦痛は取り除けるのか。
全て取り除けたら、わたしはいなくなれる。
この記事。
(物という)「爆発」=(量子力学的なそれじゃない)「エネルギー」=(量子力学的な)「質量」=「苦痛」。
これがわたしが伝染させたいもの。
わたしの贈り物。
なんか今一瞬近づけたのに。言葉にしようとした途端消えた。
物を爆発と思えないのは、鏡像段階のせいじゃないのか?
あ、でもましになった。いなくなりたいと思う感じが減った。
おっと言い忘れてた(ハウスの口調で)。そらパパさん、前記事の君の娘についての部分、これわたしの個人的な経験をもとにして述べている。
わたしはそういう診断は受けていないが、もし君がわたしを自閉症スペクトラムに含まれると思っていたなら、そして君の療育が功を奏し、娘の認知認識が徐々に正常(という異常)化していったとしたら、娘は君という性格に対して強いフラストレーションを感じる可能性が高いだろうな。
知的障害あってよかったのかもしれないよ。認知認識が正常(という異常)化されるまでの道のりが長くて。
認知認識が正常(という異常)化された娘にとって、君という存在は「自己の根拠となる他者」になんかならず、ただの「二次障害の一つの要因」となるだろうな。
ま、今のうちに「巷に溢れる感動的な(笑)障害者物語」はあきらめとけ、って話。
これって自閉症児を持つ全ての親にも言えることなんだが、安心したまえ、わたしの印象では、最近のアスペルガー症候群者ってわたし用語の未去勢者にあてはまらなさそうな人も多く、いわば過剰診断状態だから、一概にそうなるとは限らないと思う。中には「巷に溢れる感動的な(笑)障害者物語」ができる人もいるだろうな。
お前らむしろ「巷に溢れる感動的な(笑)障害者物語」をしたくて過剰診断してんじゃねえ? って思うわ。ただのマチポンプ。オナニー。
そういう意味で、厳密な理論を組み立てているそらパパさんや、過剰診断を意識的に避けているkyupinさんは、わたしは「政治的に」応援している。そらパパさんもいいこと言ってるんだよな。このつぶやきにおける「治したいという情熱」がおそらく「巷に溢れる感動的な(笑)障害者物語」をしたがっていることに相当するだろう。
脳内治療者の反論。「いや、治療する相手がどう思っていようが関係ないんだ」ねえ。ふうん。君が治療することによって別の苦痛が生じるようになる。そんな時って大体その苦痛を感じさせるようにしてくれた犯人を恨むよな? 君は治療した人に恨まれる覚悟はできているのかい?
そもそも「誰かを治療したい」って「思い遣り」自体が不快なんだよ。
つかさ、あるアスペスレで嫌悪されている「思い遣り満載で接してくるうざい定型女」が自閉症児の親であったりして、わたしの主観ではそらパパさんのコメント欄にも多数出没してる、ってのが消されたコメントにあったわけだが、それに対するそらパパさんの返信が、この記事でも触れたこれだ。
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実のところ、仮にそれが向いていないタイプの人であっても、その役割をまっとうしなければならないわけです。
=====
こうやってさ、社会のせいにして(役割をまっとうしなければならないのは社会がそう決めているからだろ?)、(自閉症児を育てるのに)向いていないタイプの人が、「なぜ自分は向いていないのだろう」って思考するのを棚上げするんだよな。
「向いていない」とわかったら、自分の心を掘り返せよ、って思うわ。素で。
そりゃー辛いことだろうよ。痛いことだろうよ。
だからやんないだけだろ。
こうやって「自分の心を掘り返す」作業を一方的に精神疾患者に押しつける。
そのために「内面を論じない」だけだろ。
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