この件の続き。
なんかきてたwww=====
id:Francesco3
http://aburax.blog80.fc2.com/
「差別問題に固着する症状」だの「被害妄想」と「被害の誇大妄想化」だの分析の体勢をとって他人を中傷するまえに、
そんなことしなきゃならないじぶんの「症状」を分析してみればいいのに。
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言われなくてもさんざんこのブログでしている。クサヴァからも「自分語り」と言われたが、それは大野さんのブログにおいて自己分析を並行してやっていたからだ。
わたしはメンヘラだ。自分の病気について知るために精神分析を学び始めた。
ラカン派ではクライエントが分析主体、つまり分析する。
今回こういった文章を書くきっかけとなった
「ねばねば」についてはこのブログでさんざん言及しておる。以前は「ファルスの想像的作用」という意味で
「精液」と述べていた。こういった意味で、一般的なフェミニズムの(
学問的探求ではない)政治活動的な側面を
「フェミニズムとは精液である」と述べたことがある。
他人を分析することは自分の脳内他者を分析することであり、それは自己分析につながる。
ちなみに分析による解釈はその人からすれば「中傷」と受け取られることもありうる。
患者にとって聞こえのいい言葉だけを吐くのが分析解釈ではないため。
次。=====
id:torly
[解説]
http://h.hatena.ne.jp/torly/9259275023025211563
なんでそんなことを調べていたかというと、相変わらず日本語版wikipediaの項目がおかしかったからです。
まあスキゾイドはいいとして、ああしたアプローチは80~90年代に流行ったもので、当時比喩でなく本当に子供だった私は精神医学のトピックとしてアレ系の話を大真面目にチェックしていた(といっても、金も大きな本屋もamazonもなかったので、大半はオリジナルを手に取らずに終わったけども)のでした…おお黒歴史黒歴史。
というか、「精神医学」のトピックとしてああしたネタがかなりの比重を取って扱われるのって、つまりはそういうムック的な本を手に取る層からしてそもそもそういう、明らかにプロじゃない(医者というか、脳のね)人たちってことやね…今更だけど…
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わたしは最初からただのメンヘラだと言っておろう。
それに「時代遅れ」だからってなんだい? 精神分析自体いまだにヒステリーなどという概念を利用している時代遅れだ。
「科学は常に最先端で時代遅れであってはならない」って空気があるように思えるんだが、これなんだろうな? 古典力学だって現代でも日常ではよく利用されているだろ、建築現場とか。
結局あれか、科学は不確定性原理のように「理論は実物を完全に表すことができない」ってなったわけで、だから最先端の科学は「新しい理論を!」とあれやこれややってるわけだが、それを「時代遅れであってはならない」って勘違いしているのか。
ただの確認なんだけど、torlyさんは最先端の(脳)科学をやっているプロなの?
あたしゃ別に脳科学は否定しとらんよ。
脳科学的な記事も書いたことあるし。ただ今はそっちに興味ないってだけで。
ちなみにオートポイエーシスって概念が大好きなのは十川幸司って精神科医さんで、わたしはそれについて揶揄的な意味で使うことが多い。
ここから。
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これって要するに「精神的なオートポイエーシス」と同じことだと思うんだけどな。わたしは。ラカン派の十川幸司がバカの一つ覚えみたいにこの言葉を使っているが、文化人類学的には「いやそんな力説するほどのことじゃないだろ」ってレベルなのよね。
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つか脳科学以外の「80~90年代に流行った学問」は君にとってすべて「ムック的な」ものになるんじゃないのか?
だとしたら別に「ムック」で構わない。つか「ムック」でも新しい知を発見できる場合があろう。「しょせんムックだから」などと侮蔑しながら読んでいるとそうはならないだろうが。
がちゃぴーん! つか「ムック差別」だよなこういうの。正確には「黒歴史」なる「アレ系の話」をしている人たちを差別している、ってことか。あ、一応言っておくが揶揄だぞ?
トレンドに左右される学問なんか学問じゃないだろ。それこそそいつが
「アルチュセールをこれ見よがしに持って歩く学生」と同じ心理で学問をやっている、「知がファッション化している」証拠じゃないか?
お前が飽きたかなんかして「アレ系の話」をしなくなった、ってだけだろ。それを「黒歴史」と言うところにお前の「アレ系の話をしている人たち」への差別心が表れている。あ、繰り返すが揶揄だよ。
「飽きた」ならいいよ、別に。
そらあたしもいろいろな学問飽きてきたしな。物理学とか。ちなみに90年代はわたしは大学生で、学科の物性物理と、演劇やっていたので演劇論がメインだったな。まあフェミとかそれこそ東大だからニューアカ的なものとか齧ったが。基本ミーハー(つかうちの学部「スペシャリストではなくゼネラリストを育てる」ってのが売り文句だったし。教養学部な。文系ばっか有名だが理系もあるんだぜ)。今やってる精神分析や心理学なんか侮蔑してたわ。
つか「アレ系の話」ってなんだ?
こんな曖昧な単語でなぜコミュニケーションできるのか。
そのコミュニケーションには別の目的があるからだろう。(学問村における)「アレ系の話」はこのコミュニケーションにおいてさして重要ではない。「アレ系な話」を「黒歴史」だとすることで、別件についての会話がなされている。
それは何か。
ほんとこう、そこにいるやつらって「非理論的なその人の風評をさげるだけを目的とした言い方」しかできないのな。
まあ勝手にやってくれ。あたしゃただのメンヘラだし、匿名だし、風評がさがってくれて構わん。
精神分析理論における議論なら受けつけるが。たとえばtorlyさんならそのわたしのスキゾイドについての言及に対する疑問を明確に述べればよい。「ムック的な」などという印象論で片づけずに。
なぜこういった話し方をするのか。
「めんどくさいから」? それはわかる。わたしのような人間と議論するのはそりゃーめんどくさいだろう。
であるならば、ここでの要件は「脂という人のスキゾイド論への疑問」なのだが、脳科学や精神医学とまったく関係のない話をしている場で会話しなければならないのか。
その理由はなんだ?
そこには、「同じ人を批判することで芽生える連帯感」があるのではないだろうか。それは「欲望関係の成立による快楽」の一つの形態である。
わたしは「陰口」自体は批判しない。相手に伝える手段が乏しく、伝達がめんどくさいときに発する批判はいやがおうにも「陰口」になる。事前にそいつと会話してなかなか話が通じないことがわかっていれば、そいつに伝わらぬようあくまで「独り言」として批判するのもありだ。その「独り言」をあとでチェックし、それにより相手が何を言いたかったのかを推測するヒントになることも多い。わたしの場合は、だが。
しかし多くの人たちの場合、「陰口に同調することで得られる奇妙な連帯感」が生じているのではないのか? これがわたしの言う「ねばねば感」でもある。
この記事から。
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つかさ、あたし別に陰口そのものは否定しないんだよね(
ここのコメント欄参照)。あってもいい。相手に聞かれないことに意味がある批判。陰口ってほんと去勢済み主体、未去勢者関係ないからな。むしろ陰口好きなのはどっちかってと未去勢者だと思う。2ちゃんのアスペスレなんか陰口のオンパレードだもんな。まーそのくらい鬱屈してるからこそ病院行くんだろうけど。
でもさー、陰口を言って、他の誰かが「そうそう、わたしも思ってた。むかつくよねー」って言われたとするじゃん。
それって嬉しいか?
あたしは嬉しくないんだな。逆に「別にお前に同意してもらおうと思って言ったわけじゃねーよ」って思う。お前が本当にそいつにむかついているんなら、わたしの言葉に乗っかるような真似しないで、お前自身の言葉で言え、って。
それに、陰口なら反対意見も出てきやすいじゃん。賛美だと快楽原則によって反論は出にくくなるけど、陰口はそうじゃないから、全く関係のない他人でも反論してくる。
その反論をデータの一つとして、自分の価値観を解析する、ってのはありだと思うんだわ。その瞬間はこっちも拙い理屈で反論するかもしれないけど、そういう不快なことほど覚えてる性格だからさ、後日脳内反論のネタになるんだわ。こういった脳内反論があればこそ正確な言葉を選択できるようになる。ただの呪詛が批判としてマッシュアップされる。陰口ではなく論戦として舞台にあげることができる。
ってゆっか、わたし陰口って呪いの一種だと考えているんだけど、呪いって他人にばれちゃいけないもんじゃん。お百度参りだって他人に見られたらアウト。藁人形もそうだよな。
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陰口は別にしていいけど、それを同意するも反論するもいいけど、同意することでお前ら何かしらの快楽を得ているんじゃねえの?
それがキモイんだよ。
ああ、こういった「非理論的なその人の風評をさげるだけを目的とした言い方」しかできない人たちを大野センセは
「あてこすらー」だと言っているわけだな。
やっと把握したよ。
「世論を誘導したい」って欲望。
ああそういうことか。これ結構重要だな。割合として大きくなくとも。
あたし個人的に
クサヴァって嫌いなタイプなんだが(ときどき萌えるので脳内では萌えキャラにしている)、この意見には同意だな。
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オレの理解はこうだ。チェス子らあてこすらーどもは以前から大野さんに反感を持ちつつも「正面から」対話しようとせず、影で相手を特定せずあれこれ陰口を連ねていた。直接に何か言ってくることはなかったことから大野さんに隙が生まれ、つい自分のblogのコメ欄で同定をしてしまった。根本にあるのは大野さんとあてこすらーとの対立だが、直接の原因はあてこすりだよw
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なぜ彼ら彼女ら「あてこすらー」は、「「正面から」対話しようとせず」「相手を特定せず」批判したがるのか。
確かに(この場合)彼ら彼女らの欲望は大野さんに向かっている。
しかしそれと同時に、「世論」「世間様」、つまり「大文字の他者」をも欲望している。
つまり「あてこすらー」たちは、大野さん本人と対話したいのではなく、「こういう人を批判している私は正しいよねっ」と、大野さんに限らない不特定多数の周囲の人間、「世論」「世間様」「大文字の他者」と対話したがっているわけだ。
大野さんは「大文字の他者」たちと会話するためのネタでしかない。
いやそこまでいってないがな。極端に言えば、って話。
当該者の場合、大野さんへの欲望と、大文字の他者への欲望が混在している。
「直接の原因はあてこすりだよ」は、直接かどうかはわたしはどうも言わないが、「その当人の妄想「世間様」を味方につけ、そのような批判をすること」となるな。
大野さんは一般より大文字の他者への欲望は少ないだろう。「あてこすらー」についても分析的な視点を取れる。しかしそれがまったくないというわけでもない。「あてこすり」という攻撃は、軽いボディーブローのように彼女の心にダメージを与えていたのだろう。
しかしその文章からはまったくダメージを受けているようには見えない。これが当該者の「(大野さん、こういった周囲の意見を聞いて)ご自分が嫌われている理由がわかりましたか?」などという言葉になったのではないだろうか。
「実際あなたは「世間様」から嫌われるタイプなのに、私たちがこれだけあてこすって、あなたが「世間様」から嫌われるように工作しているのに、どうしてあなたの心はダメージを受けないの?」
と。
この場合、彼女の言う「心からの反省と謝罪」とは、具体的に言えば(そのシニフィエは)、大野センセが「世間様」から嫌われることで心にダメージを受けた、ということだ。こういった心のダメージを表現しない限り、当該者は納得しないだろう。
こういった場合精神分析的解釈では、逆に言えばこれは、当該者がそういったことで心にダメージを受けていることの自白である、となる。
つまりは、この当該者自身が、「世間様」から悪く言われることに対し過剰に自己防衛している。そういう症状である、と。
要するに、「世間様」と当該者と大野センセとの三角関係なわけだ。
大野さんは「世間様」をそんなに、比較的、気にしていない。
当該者は「世間様」にあれこれと愛情を注いでいる。なのに「世間様」は思うように大野さんを嫌わない。
もちろんそれだけじゃない。当該者は大野センセにも欲望している。
というか、おそらく最初は大野センセを「世間様の代表者」のように見ていたのではないだろうか。ガッコのセンセだし本出版してるし。
なのに、「私が知っている世間様とはまったく違う!」とわかった。
「むしろ「世間様」から嫌われるタイプじゃないか。なのになぜそうなってないんだ?」
結果、
「よろしい。であるならば、私たちが大野さんに「世間様」から嫌われる苦しみを覚えさせてやろう」
となった、とかそんなところなんじゃねーの。
その攻撃あんま効かないと思うけどな。大野さん。つかわたしも最初大野さんは「世間様を過剰に欲望している人」だと思って
殴り込んだわけだが(世の中にはそういう人間の方が多いからな。そういう人間に「お前は世間に媚売ってるだけじゃねえかwww」と言うのが
ここで言っている「すました奴の仮面をはぎたがる」ことだ)、話すと違っていると思えた。いや他者を欲望してはいるのだが、どちらかと言うとその人格傾向は「おひとりさま」タイプだと今では思っている。実際に臨床してな。
あと、大野さんは実名だから「世間様」からの距離は近いだろうな。「世間様」から嫌われている度合いが同じならば、機能的に考えて、大野さんの方が「世間様」から受ける実害は大きかろう。
わたしは匿名だからねー。わたしの風評ならどんどんさげてもらって構いませんよ? つかここでよく「正常人の八割死ね」とか書いてるわけだし今さらんなの気にしてもな。リアルでも「(ひきこもりならぬ)とじこもり」状態だし。
大野さんにアドバイスするなら、今回の件はそれこそ以前言っていた「悪い場所に置き去りにされる」ってののいい想像的事象になるわけだから、いいんじゃねえの。「世間様」に嫌われて「父」から「悪い場所に置き去りにされる」。
あとあれ、ただブクマで罵倒するだけの奴なんかは「大野さんは「大文字の他者」たちと会話するためのネタでしかない。」だろうな。別にそういう奴はそういう奴でいい。
いわゆるネットイナゴだ。わたしも大概ネットイナゴだしな。よくわかる。別に叩かれてる生贄の人にそれほどむかついてもないし思い入れもないけど、ちょっとむかつくことあったしみんな叩いているから叩いとけ、ってことはある。逆になんでみんなそんなにむかついているのかがわからなくて生贄の擁護レスをすることもある。まさにダブルスタンダード。名無しっていいね。この場合「本人乙www」などと言われるわけだが、わたしが本人でないことはわたしがわかっているので別になんとも。ときどき調子に乗って「本人」のまま議論したりして「本人必死だなwww」とか言われることもあるが、そこで侮蔑されているのは「本人」であってわたしじゃないからどうでもいい。わたしにとってその「本人」もどうでもいい人間だから。
あ、脱線した。まいいやこのまま脱線。
はてなは2ちゃん祭りよかこういった「ただ盛りあがればいい」ってネットイナゴは少なそうだな。いや場所によるだろうが。増田界隈は多いのかもな。
わかった。はてながキモイのはネットイナゴが少ないからだ。
「イナゴ」とは動物であり人間ではない。「世論」「世間様」「大文字の他者」ではない。それらを欲望しない。「ネットイナゴ」という単語はそういったことを意味しているのではないか。たとえば「2ちゃんねらは敵に回すと怖いが(それこそネットイナゴ化する)、味方にすると頼りない」という言説。「世間様」を欲望しているわけじゃないから「味方にすると頼りない」。
2ちゃんの祭りは、2ちゃんねら自身が「恣意的な世論誘導」のようなやり方を拒否する。祭りは自然発生的なものでなくてはならない。こういった暗黙の了解がある。
これは逆に言えば2ちゃんねらたちの「大文字の他者とされることへの否認」ではあろう。比喩でいいなら「陪審員になることへの否認」。もっと言えば「社会的責任に対する否認」。匿名性がこの傾向に一役買っているものと思われる。増田界隈は「恣意的な世論誘導」を嫌悪する傾向があるんじゃないか?
ここ数日腹の調子が異常におかしい。
今も腹いてえ。
これ書いてる途中にうんこいったんだけど出そうで出ない。
便秘ってわけじゃないんだけどな。
昨日はビーフン吐いた。ビーフンの吐瀉物ってなかなか芸術的である。
なんか消化器官の統合的機能が変になってる気がする。
まあ睡眠リズム崩れたしな。頓服のせいで。
寝すぎるんだよー困るんだよー。
あと大野センセの援護射撃ってわけじゃないからな。大野センセについてもわたしゃ批判している。「この件についてはメールで」って言われたのでメールでやってる。ちょうど今送ったとこ。
いらいらしてんだよ。八つあたりだよ。八つあたりだから全員に等しく攻撃してあげなきゃならないだろ?
つーかさ、「名誉毀損」を争点とするなら、当該者はハンドルネーム、大野さんは実名であるって点がなぜこれほどまで言及されないんだろう?
Midasさんがちらっと言及してたが。=====
Midas ↓天才あらわる 大野は実名。主は匿名。HN相手に名誉毀損は成立しない。HNは非実在。本件は差別でない。日頃ブログ主が非実在社会問題を差別だと難癖つけるのは自分こそが実在してないから
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ここをつかれると言い返せないから
「差別問題」にしているだけなんじゃねえの?
余談だがMidasさんの
このコメントはすげーと思ったわ。
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Midas バカ?, 童貞乙 理解が浅い。女性とは自己疎外によって初めて成立する自己同一性。「売春婦」は自称のみが許される社会的w呼称。id:Francesco3は矛盾してない。2人は全く同じ事を言ってる。「どっちも女子力が足らん」と書いた通り
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そそ。ここでの「どっちも女子力が足らん」はこの記事で言うなら「大野センセも当該者も大文字の他者を欲望している」ってことだな。わたしの解釈だが。大文字の他者への欲望が、彼女らの「自己疎外」を妨害している。
加えるなら「自己疎外」なんてしなくても生まれつき疎外されているのが自閉症だな。
あああと、心の問題を考えない場合。
クサヴァは「あてこすり」を戦略として考えているが、別にそれはそれでいいんだよな。実名を明言せず、だけど文脈から明らかに誰とわかる書き方で、批判を書く。わたしもよくやる。
「口ゲンカ」、つまり相手の心にどれだけダメージを与えるかという戦いにおける戦略の一つである。
なぜそのような戦略が必要かは、法的係争になった場合のことを考慮して、である。いや実際の判例では、毀損している相手を実名で書かなくとも、「誰が見ても明らかにそいつだとわかる」ならばアウトである。しかし「誰が見ても」ってところが曖昧だ。目の見えない人はどうなるのか。日本語がわからない人はどうなるのか。ここら辺は裁判官の裁量になるのだろう。「裁判官は横目で世間を見ている」ものである。
なので、実際の効果のほどは(わたしの脳内では)実証されてはいないが、まあそういったリスクを避けるのを目的としてるならそこそこ機能するんじゃね、と思っている。
あ、要するに「陰口」とおんなじで「あてこすり」がダメって話じゃないよ、ってこと。
わたしが問題にしているのは内面だ。そいつの心がどうなっているか。
それ以外はどーでもいい。煮るなり焼くなりどうぞ。
それとどうでもいい話。
大野さんのブログコメントでわたしはよく(最初はクサヴァが揶揄として用いた語である)「キャットファイト」と述べていたが。
今回の大野さんと当該者のケンカは、「キャットファイト」ではない。
わたしの定義では、「世間様」などという陪審員の視線を気にしないで行われる戦いである。
このケースは、当該者は「世間様」なり「法なる象徴的父」を気にして戦っている。陪審員に「お前は正しい」と言われるのを目的として戦っている。
大野センセにもそのケはある。
ちなみにこれが「どっちも女子力が足らん」ということであると思う。
したがって、「キャットファイト」ではない。「女子力が足りない者」同士の戦いなのだから。
これがわたしをいらいらさせる。
もっとケンカしろよ。他人の目なんて気にならなくなるほどに。
あいややりたくないならいいけど。
あ、「ちょうど今送ったとこ。」とか書いたけど送れてなかった。
まあいいや、ここにも書いているようなことだし。
文章書いてたらいらいらも落ち着いてきたのでどうでもいいです。
はい次、次。
あ、いいフレーズ思いついた。
「わたしの人生すべて黒歴史」
ああいいなこれ(笑)。
なんかハイクから飛んできてるけど反応あったのかね。
まあどうでもいいや。わたしただのメンヘラでプータローで実名じゃないし。思う存分風評をおさげください。
飽きたので次。大野さんまたやらかしてくださいよー。大野さんについての解釈はまだ飽きてない(ってことにしておく)。
おもれーなーほんと大野さんち。
あとあれだ、torlyさんの件だが、「当時比喩でなく本当に子供だった私は」とか書いているわけで、とすると彼にとっての「黒歴史」たる「アレ系の話」をしているわたしは「子供だ」ってことになるわけだが、うん、別にいいよ子供で、って思うんだよな。
東大の理系教授とかほんと人間的にガキばっかだったし。社会出て思ったもん。「東大のジジイどもってガキだったんだなあ」って。いやもちろんわたしの印象論にすぎんが。
つかさ、なんで「それは子供だ」ってのが「黒歴史」になんだろうね。
藤田博史とかもそうだったが、「大人らしくあること」ってそんなにいいことか?
「大人らしくありたがる症候群」っての考えた方がいいんじゃねえの。特に男性の心理傾向として。
わたしは子供でいいよ。退行的だと自分で思うし。
あ、忘れてた。こういうときはこう言えばいいって決めてたんだ。
「ハイハイキミノホウガオトナデチュネー、スゴイデチュネー」
藤田にもちゃんと言ってるな(笑)。律儀ですこと。
うわああ! 西村賢太が芥川賞取ってる!!!
おいおい文学界、なんつかまあ、狙いすぎだwww
確かに西村みたいに飛び抜けてるのは今いないけどさー。なら車谷長吉にあげればよかったのに。
私小説ファンとしてはニヤった。西村そこそこおもろいよ。
私小説の再興はまあそうだと思うけど、ミソジニーの復権、みたいな。
おいクサヴァ西村読んでみろこれを機会に。強烈な「自分語り」。いや私小説だから「自分語り」になるんだけど。
まあおめっとさん。私小説はもっとがんばってほしいねえ。
最近文学離れてたから朝吹って読んだことないんだよな。しばらくしたら100円で買えるだろうから思い出したら読んでみよう。
最近はほんと本読んでない。elveさんから「情報処理能力が高い人」とか言われたが、んなことねえよ。たかがネットの実名じゃない人間の文章も、有名な著作も、同じ「情報の入力」であるだけ。
必死なんだよこちとら。
なんかフイタので。
これ。=====
Francesco3 インターネット そこにどれだけ個人情報が含まれてるかじゃね問題は/あいかわらず無反省の大野さんに絶望した。
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「絶望した」ってことは、かすかになりとも希望を持っていた、ってことだよね?
そんな希望を持ってたから、大野センセの発言にいちいちカチンときたんじゃないの?
「ちがう、そうじゃない!」
って。
当然だよ。大野センセはあなたじゃない。
最初からわかりきってたことじゃん。
最初から絶望していれば絶望することもない。
思考、心というものは
共有できないのが前提だと思っていればいい。
いや、伝えたいときは、伝えたい奴は、伝えればいいと思うよ。伝わらないのが現実、ってだけ。正常な精神が「伝わるはずだ」と、
「手紙は宛先に必ず届く」と妄信しているだけ。
それが正常という精神疾患である。
あ、単なる豆知識だけど、常時絶望してると傍から見てる分には絶望しているって思われないみたいよ。経験論。まあ逆に馬鹿男からは「お前もなんだかんだ言ってちょっとは期待してるんだろ?」と誤解されるがね。
なんかクサヴァみたいにかわいく思えてきたわ、この子。
人よ信じるな けして信じるな
見えないものを
人よほしがるな けしてほしがるな
見果てぬものを
救いなどを待つよりも
罪は軽い
これ『夜会』の動画あったんだけどな。なくなってら。
こんなコメント見ると「大野センセもっと絶望させてあげな」って思っちゃうな(笑)。別IDと同定したことは謝罪したわけだし、その件は終了ってことで、それとは別の話で、「当該者の心はどうなっているのか」を聞けばよい。解釈すればよい。
わたしならそうするな。
だから嫌われるんだけどね(笑)。
つかさ、釣りだと考えても、こんだけ盛大に大野さんという魚は釣られてくれたんだから、あとはどう調理するか、でしょ。釣りあげといてぴちぴち跳ねているのを「いやー、こわいー」とか言ってるようなもんだぞ。
おもれえなあ、二人とも。
なんか最近ドワンゴからアクセスがきてるな。
おい、『ぼくサガ』のアイテムなんかくれ。
豊崎由美の
『妄想選考会』読み入ってしまった。
そういや西村賢太の小説ってつきあってた女を殴ったりするんだよな。私小説っぽい書き方だからすげーリアルなの。
つーかさー。たとえば、だよ?
「つきあってる女が元売春婦だとわかった。むかついたので殴ってやった」なんてブログに書いた馬鹿がいて、2ちゃんなりはてななりで祭りになったとしよう。
あたしは殴った奴を批判する。実際に男に殴られたことあっしな。「被害妄想だ」と言われても構わない。んなこと言われなれておる。
また、殴った奴を擁護するようなコメントにも反論する。そのとき、フェミ論法で「これは差別問題だ」とわめくかもしれない。
そんな奴警察に捕まって罰を受けるべきだ。
しかし、そいつの心をどうにかする社会規制を訴えるなんてことはしない。男だろうが女だろうが、心を支配する社会規制など糞喰らえだって人だし。アナーキズムですか?
今回のケースは、そのような身体的苦痛の被害ではなく、心的苦痛だ。心的苦痛は客観では認識できない。フロイトが「心的外傷は客観的に明らかなものとは限らない」としたように。
今回の大野さんがしたような言動を受け、心を傷つける人がいる可能性は認める。そういったPTSD症状だと解釈するだろう。
であるならば、まずそいつの心の傷をどうにかするのが先である。トラウマが回帰するトリガーなど十人十色である。多数決で決まる社会構造がそんなことに対応できるわけがない。対応したとしたらみんな進んでPTSDになりたがるだろう。フリーライド問題が生じるだろうな。なんせそれは平たく言えば「自分を不愉快にする者がいない社会にすること」なんだから。王様だ。
差別問題に関する議論が目指す解決策とは、大体の場合、社会構造の調整である。社会構造を変革して差別をなくそう、というものである。
差別問題とは社会問題である。差別問題を個人間の感情のもつれに還元してはならない。それは単に好悪の問題となる。
今回の当該者の主張を読むと、大野さんという個人に対する指摘ばかりである。
したがって、これは差別問題ではない、とわたしは考える。
もちろんこれとは別に、社会に実際に存在している売春婦差別を論じるのはいい。しかしそれを、個人間の感情のもつれを一方的に解決するための道具として利用することには、わたしは反対する。
わたしには、今回のケースは、当該者が大野という人物との個人間の感情のもつれを一方的に解決するための道具として利用しているようにしか見えない。
それが腹立たしいのである。
メンヘラ差別という社会に実際に存在している差別を生きているわたしからすれば、実際に存在している差別問題に対する冒涜である。
もし当該者の心がそう考えていたならば、の話だが。
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日頃ブログ主が非実在社会問題を差別だと難癖つけるのは自分こそが実在してないから
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当該者はMidasさんのこの言葉の意味をもう一度よく考えてみるべきではないだろうか。
彼女が差別問題を語ることは、「被害の非現実化」になっていないだろうか。