「本とはタダで読むもの」という反社会的思考回路がなぜかわたしの頭の中にある。
いやまあ盗んだりはしないけど。
立ち読みはよくしてたな。開店から夕方までいて家族が迎えにくるもんだから店員に顔覚えられてたわ。あ、夏休みとかね。
祖父も蔵書が多い人だったから、よく忍び込んで、内容なんて理解していないまま「本を読んでるふり」してたなあ。なんか暗いんだよ。電気はあるんだけど。窓の向きがあれなのか、昼でも薄暗い。つか壁を本棚が占領するから暗くなるのか。んで、電気もつけず暗いまま読んでた。よく「目が悪くなる」って祖母に怒られた。今でも両眼1.0以上です、おかげさまで。まあもちろんまったく読めないほど暗くなったらやめたし。ご飯になるしね。
そういったことを思い出した。
「引用好き」という部分は、わたしはわたしの母を連想する。むちゃくちゃゴシップ好き。聞いてもいないわたしに町内のゴシップを話してくる。
引用とゴシップはどう違う? どちらも「人から聞いた話」だ。
それに母は、大雑把な言い方になるが、カルト宗教の信者になった父母、つまりわたしの祖父母から、「逃げていた」ように思う。
いや表面上はなかよくやっていたよ。カルトとか言ってるけど結構歴史あるし、普通に接する分にはいたって普通なジジババだったと思う。仏教を信仰しているジジババとなんら変わりない。あ、ババアはときどき頭おかしかったけど。
その逃げが、近所のゴシップ収集という行動に走らせていたのではないか、という、邪推。
ずっと前、人間の死骸に腐葉土みたいな草葉をかけて隠そうとしている夢を見た。起きてから「いや埋めろよあたし」と夢につっこんだ。
「引用」にしろ「ゴシップ」にしろ、「人から聞いた話」というのは、この腐葉土みたいなものかもしれない。
たまきんみたいに「なんちゃってラカニアン」でいるつもりだったんだけどなあ。深みにはまってるなあ。
ラカン知ってる人とはラカンで語るのが一番楽なんだもん。
大野さんで明確になったわ。
なんて閉鎖的なのかしら。ラカニアンってば。
ああ、ラカニアンたちにニヤニヤされている気がする。
「
崖っぷちへよこそう」
あ、そうそう。
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「海」というのは、こういう具合でもあるからね。
「海、遠い海よ!と私は紙にしたためる。――海よ、僕らの使ふ文字では、お前の中に母がゐる。そして母よ、仏蘭西人の言葉では、あなたの中に海がある。」(三好達治「郷愁」)
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この記事で挙げた
この曲なんかもろに「海はお母さん」なんだが、
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EDの方が好きだったな。なんか子供心に自殺の歌だと認識していた気がする。
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なんだよね、あたし。
海に潜ったら死ぬだろjk。
わたしもこのブログの文章を「瓶詰め手紙」と表現したことがあるが、ここが違うのではないだろうか。
彼らは母たる海に瓶詰め手紙を送る。
わたしは死の世界に瓶詰め手紙を送っている。
わたしの手紙に宛先はない。
誰かに届かせるための手紙ではない。
宛先を書いてしまうと、届かせようと思って書くと、届かなくなるから。
死の世界たる海へ送っているのに、人間どもが邪魔をするから。
宛先がないからこそ届くのではないかと思える。邪魔しないでくれ。
お前の海は母でいい。だがそれでわたしの海を汚染するな。
またわたしの手紙が届かなくなる。
いやま、全部の手紙がそうってわけじゃないけどね。
人に届くだけで満足できる人がうらやましいよ。
あ、「EDの方が好き」って「インポテンツが好き」って意味じゃないからね!
あれだな、デリダの
「手紙は宛先に必ず届くとは限らない」ってのは、「宛先がある」って時点で論破されてることになるんだな。
「手紙に宛先などない」と言うべきだった。ラカンに反論するなら。
「宛先」など重要ではない。「宛先」とは「言語の死刑囚」がそこから脱獄するための逃げ道だ。
バーカバーカ。
これ無料だったら流行ったろうになあ。
この「宛先」て、想像的に言えば「顔」だよな。たまきんの
この論文を連想した。
しかしまあ、ラカン派は偉いね。普通の人が誉めてくれないようなことを進んでやってるんだから。
大野センセの夢を読むと、ほんとこの人elveさんより精神年齢低いって言い方悪そうだから換言すると未去勢的な傾向があるよな、と思う。
ハテセンさんの言う通りだよ、ほんと「少女」。思春期ちょっと前ぐらいか。あーまさにロリコンが大好きな時期じゃん。だから大野さん人気あるのか。好きも嫌いもあわせて。
elveさんは高校生ぐらいになんのけ?
大野さんの夢についてのわたしの言及は
ここ。わたしゃロリコンじゃないなからあんまノリノリではないけど一応。
ショタの方がウマウマです!
マザコンくんの「夢(という物語)」の方がノリノリで話せるかもよwww
ああそうそう、
この記事の「分裂病者の症状についてのレトリックとしての「微分」って表現」よく耳にして気になってたけど、そりゃーちと大袈裟すぎね? と思うんだよな。なんかいっつも気持ち悪い。ブログ内検索したけどこの表現使ってないな、あたし。
正常人がバカだから関数全体しか見れないのであって、分裂病者じゃないけど自閉症者はあくまで微分【的】にグラフを見ているだけ。
微分ってのは極値だろ? 極値まではいかない。
(心身二元論における)精神に極値は存在しない。
数学をレトリックで使ってほしくないわ。
レトリックで言うなら「宇宙」とか「∞」とかにしてくれ。
それなら「狂っている」って言われるだろう。
いやま中井久夫嫌いじゃないけど。
それに群れて「分裂病はビブンビブン」ってわめく猿がうっとうしい。
そんなにキチガイ語りたいのならお前がキチガイになってからにしろ。
キチガイにとって
微分じゃない関数にしがみつく努力がどれほど途方なものか理解してから語れ。せめて。関数全体を認識できる、モデル化される以前の「全体」という(人間間の)共通認識ができる自分の能力を自覚してから、語ってくれ。
それが理解できないなら、語るな。キチガイを。王子様が乞食を理解しようとしているだけだ。
お前にそんな資格はない。そんな奴はキチガイに殺されるべき。法だってそれを許している。
死ね。死ね。死ね。
マザコンは、ママに殺されたら本望なのだろうか?
糞。ごめんなさい。
ああもう。
あたしがイザナミだったら、こういう奴一日千人殺せるんだろうに。
腐敗した死骸に顔をそむけてしまうイザナギの子供たちを。
自分の文章に自分で泣きそうになったわ。
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地獄を克服した先にはより辛い地獄が待っている。
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いっそ地獄の住人でいさせてくれ。
助けてくれ、助けてくれ。
中坊さんの
この記事にひっかかっていたが、今では言える。
「助けてくれたとしてもお礼するとは限らないが、助けてくれ」
と。
助けてくれたらお礼しなくてはならないから、「助けてくれ」と言えない。
そんな未来の自分のことなんか自分でわからない。
わかるわけがない。わかるわけがないのに、お前らが妄想の自我によってコントロールできると妄想しているから、「未来の自分は助けられる」と推測できるだけだ。
バカか。
「助けてくれ」に「助けてくれたらお礼をする」なんてメタ言語を読み込むな。
もし読み込んでもそれはお前の妄想だ。
そう断りを入れてから、わたしは「助けてくれ」と言う。
素直に「助けてくれ」と言おうとしているだけなのに、「助けたらお礼をしてくれるだろう」という妄想をお前らが付加するから、言えないのだ。
「無償で助けてやる」という看板を背負ってくれ。「素直に「助けてくれ」と言え」と言うならば。
ある自閉症者は、「なんで他の子たちはあんなに簡単に先生に「教えてくれ」と言えるのだろう?」と不思議がっていた。
未去勢者はまず自分で助かろうとする。
それで死んだとしてもそれはそれで仕方のないことだ。
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助けてくれ、助けてくれ、誰か。助けられないのは知っている。
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お前たちが助けられないのは知っている。
自分が助からないのは知っている。
お前たち人間に言っているのではない。人格神に祈っているのではない。
電子に祈っているのだ。
わたし自身でもある電子に。
これ以上崩壊しないでくれ、と。
疲れた。ほんともう勘弁してください。いや誰かが罪悪感なんて覚える必要のない「勘弁してください」。
もうほんと勘弁してくれ。
勘弁してくれ、と言っているのは死の世界たる海に向けてだから、お前ら人間が罪悪感を覚える必要はない。
それはお前の妄想でしかない。
勘弁してくれ。海よ。
やらなきゃいいのに。
話さなきゃいいのに。
人間の世界に、社会にいなけりゃいいのに。
あたしが、な。
わたしが人ではない海に送る手紙の論旨は、大体が「殺さないでくれ」だ。
「いっそ殺して」もあるがな。そういったときはノリがいい。あ、これが「さわやかな味わい」って奴ですか?
うちの祖母が「頭がおかしい」と誰が言ったんだ?
何をもって「頭がおかしい」んだ?
確かに突然町中で歌を歌いだしたりしたらしい。他人の空き地に勝手に宗教の祠みたいなの作って問題になったらしい。
昼間だからか。わたしも酔っ払ったら夜の町で大声で歌ったりした。バカな野郎が釣れた。
確かに祖母は酒飲みではない、というわたしの記憶がある。祖父母の家で酒宴が開かれた記憶はあるが、祖母が酔っ払っていた記憶はない。給仕役だな。
むしろ母の方が酒飲みだ。
わたしんちは田舎だが、酒宴のとき、給仕役になる女とホステス係になる女と、女たち自身で区別しているところがあるんじゃないだろうか。無意識的に。
もちろんいやいや給仕役あるいはホステスになる女もいるだろう。しかしうちの母は進んでホステスになっていたように思える。
人気者だったと思うよ。田舎町で女手一つで事業起こせる程度には。
だけど、今のわたしは母とうまくやれている。これは酒のおかげが大きい。大江戸温泉に二人で言ったことがあるが、あそこの飲み屋ってオープンなんだよな。テーブルに酒瓶が並んでワロタわ。「お前ら飲みすぎwww」って。
こないだきたときも妙な酒持ってきてたから、わたしとうまくやるには酒が必要だと母も自覚してるんだろうな。
かわいそうな人だ。パニ障に酒を飲ませたらあかんことぐらい知ってるやろに。「娘」と話したいんだろな。ごめんな。
わたしにとっていまだお前は「ご飯製造機」だ。ほんとごめんな、成長できなくて。「ごめん」と言うより「かわいそうな人だ」とは思う。
あれか、あたしって「二代目お嬢ちゃま」なのか。世間的には。いやビンボーだったけど。
酒はきっかけにはなりうるがそれだけだよ。原因ではない。