お前らの物語
2011/05/03/Tue
頭痛い。
頭取りたい。
大野さんちでまたやらかした。
ダンス。きれいなダンスではないけど、暗黒舞踏的というかバリの舞踏劇的というか。
物語を否定しているわけじゃない。
ただ、どうしても、物語に入り込めないだけ。
お前らの。
もういやだ、ほんとやめてくれ。
なんで「わたしは芸術で死ぬ」なんて言っちゃったんだろう。
また2ちゃんから飛んできててチョーウゼーと思ったので調べた。
は? なんで三年前の記事がスレになってんだよ。バカかお前ら。
ちなみにあたしぬ速って微妙にあわないんだよな。vipの方がマシ。つか最近2ちゃん自体そんなにいかない。っていってるか。うちのプロバイダ規制されすぎ。
まあ3年前ならいいや。今のわたしが「うわああ」となることはあんまない。
あ、おもろいレス発見。
=====
430 :名無しさん@涙目です。(関東・甲信越):2011/05/02(月) 15:26:55.89 ID:WD6ZzCGDO
小学生時代、アスペのブサ女がガキ大将に叩かれた。
するとブサ女が叩き返した。
ガキ大将がまた叩き返す、ブサ女がまた返す。
そのうちガキ大将がマヂパンチで制圧しようとするがブサ女も殴り返す。
キレたガキ大将が跳び蹴りを食らわし倒れた隙に逃走。
起き上がったブサ女は奇声を発しガキ大将を追う。
ガキ大将は隠れたらしく見つからない。
中庭に出たブサ女は大声で奇声ともに「殺す」と叫び髪の毛をブチブチと抜きながら叫んでいた。
今でも思い出すとゾッとする。
=====
これわたしも似たようなことあったぞ。わたしアスペじゃないが。ここのコメント欄。
=====
そうなんだよな。中高一貫でしかも男子と同じ練習をするんだから、身長差がそれこそ大人と子供レベルに違う先輩男子とも稽古してたんだよ(あたし背低い)。
よく転がされたんだよな。先生にもよく吹っ飛ばされた。つばぜりあいって奴な。あれ一種の殴りあいだよ。防具つけているから痛くないだけで。ああま身長差でどうしても相手の小手がわたしの面の位置にくるってのはあったんだろうけど。
でも立ち上がって向かっていくんだよな。ある先輩から「こいつこええ」と言われたほどだ。
=====
またわたしのブログ自閉症についての記事が多く、当事者からもよくコメントもらうんだが、その一人のコメント。ここ。
=====
あと、私自身自閉症なの。そいで私は自閉症スペクトラムの中でも比較的軽い(社会に適応出来るかどうかと言う尺度で見ると障害の度合いが軽い)方なのだけど“痛い”が何故ダメなのか解らないんだよね。普通の人間は、血がドバッと出ただけで大騒ぎするでしょ? あれが理解できねぇ。
私は指を折ったことがあったのだがその時平然としてたから逆に気持ち悪がられたよ。人間、些細なコトにはあまり気を配らないでしょ? 例えば日常会話の中で何回ア段の言葉を喋ったとか、お茶の温度とかさ。「アレッ? このお茶何か味薄くないですか?」程度の些細なこと。そんな些細なことが私にとっては指が折れたってことだったんだよね。
=====
これな、アスペってのは肉体的な苦痛に対しては(「鈍感」ではなく)「無頓着」なんだ。斎藤環も論文に書いている。
=====
彼女が直接的な暴力に対していかにも無頓着であることも、逆の方向からそれを裏付ける。暴力は身体感覚には訴えてくるが、疎外される感覚はむしろ安心をもたらしたのではないか。
=====
でさ、そのガキ大将が逃げ出したのは、「自分ならこれだけ痛めつけられたら逃げるはずなのに逃げない」から怖くなったわけだろ。しかしその子は痛みに対して(再度言うが「鈍感」つまり「感じていない」のではなく)「無頓着」だから、立ち向かった、と。
まあなんつか、とっても享楽的なエピソードじゃない。
多分な、正常人たちの方が、心的苦痛と身体的苦痛をごっちゃにしているんだ。正常人は痛めつけられると、身体的苦痛と同時に、「リビドー的な関係の弛緩」平たく言えば愛情的な関係性が壊れることについて心的苦痛を感じている。ところが自閉症者は「リビドー的な関係」から「疎外」されることについてあまり心的苦痛を感じない。となると、同じ痛みでも、正常人は「身体的苦痛+心的苦痛」を感じているのに対し、自閉症者は「身体的苦痛のみ」となる。だから、正常人と比して、自閉症者は痛みに対して「無頓着」となるわけだ。
まあそういう話だと思うよ。
頭取りたい。
大野さんちでまたやらかした。
ダンス。きれいなダンスではないけど、暗黒舞踏的というかバリの舞踏劇的というか。
物語を否定しているわけじゃない。
ただ、どうしても、物語に入り込めないだけ。
お前らの。
もういやだ、ほんとやめてくれ。
なんで「わたしは芸術で死ぬ」なんて言っちゃったんだろう。
また2ちゃんから飛んできててチョーウゼーと思ったので調べた。
は? なんで三年前の記事がスレになってんだよ。バカかお前ら。
ちなみにあたしぬ速って微妙にあわないんだよな。vipの方がマシ。つか最近2ちゃん自体そんなにいかない。っていってるか。うちのプロバイダ規制されすぎ。
まあ3年前ならいいや。今のわたしが「うわああ」となることはあんまない。
あ、おもろいレス発見。
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430 :名無しさん@涙目です。(関東・甲信越):2011/05/02(月) 15:26:55.89 ID:WD6ZzCGDO
小学生時代、アスペのブサ女がガキ大将に叩かれた。
するとブサ女が叩き返した。
ガキ大将がまた叩き返す、ブサ女がまた返す。
そのうちガキ大将がマヂパンチで制圧しようとするがブサ女も殴り返す。
キレたガキ大将が跳び蹴りを食らわし倒れた隙に逃走。
起き上がったブサ女は奇声を発しガキ大将を追う。
ガキ大将は隠れたらしく見つからない。
中庭に出たブサ女は大声で奇声ともに「殺す」と叫び髪の毛をブチブチと抜きながら叫んでいた。
今でも思い出すとゾッとする。
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これわたしも似たようなことあったぞ。わたしアスペじゃないが。ここのコメント欄。
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そうなんだよな。中高一貫でしかも男子と同じ練習をするんだから、身長差がそれこそ大人と子供レベルに違う先輩男子とも稽古してたんだよ(あたし背低い)。
よく転がされたんだよな。先生にもよく吹っ飛ばされた。つばぜりあいって奴な。あれ一種の殴りあいだよ。防具つけているから痛くないだけで。ああま身長差でどうしても相手の小手がわたしの面の位置にくるってのはあったんだろうけど。
でも立ち上がって向かっていくんだよな。ある先輩から「こいつこええ」と言われたほどだ。
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またわたしのブログ自閉症についての記事が多く、当事者からもよくコメントもらうんだが、その一人のコメント。ここ。
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あと、私自身自閉症なの。そいで私は自閉症スペクトラムの中でも比較的軽い(社会に適応出来るかどうかと言う尺度で見ると障害の度合いが軽い)方なのだけど“痛い”が何故ダメなのか解らないんだよね。普通の人間は、血がドバッと出ただけで大騒ぎするでしょ? あれが理解できねぇ。
私は指を折ったことがあったのだがその時平然としてたから逆に気持ち悪がられたよ。人間、些細なコトにはあまり気を配らないでしょ? 例えば日常会話の中で何回ア段の言葉を喋ったとか、お茶の温度とかさ。「アレッ? このお茶何か味薄くないですか?」程度の些細なこと。そんな些細なことが私にとっては指が折れたってことだったんだよね。
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これな、アスペってのは肉体的な苦痛に対しては(「鈍感」ではなく)「無頓着」なんだ。斎藤環も論文に書いている。
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彼女が直接的な暴力に対していかにも無頓着であることも、逆の方向からそれを裏付ける。暴力は身体感覚には訴えてくるが、疎外される感覚はむしろ安心をもたらしたのではないか。
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でさ、そのガキ大将が逃げ出したのは、「自分ならこれだけ痛めつけられたら逃げるはずなのに逃げない」から怖くなったわけだろ。しかしその子は痛みに対して(再度言うが「鈍感」つまり「感じていない」のではなく)「無頓着」だから、立ち向かった、と。
まあなんつか、とっても享楽的なエピソードじゃない。
多分な、正常人たちの方が、心的苦痛と身体的苦痛をごっちゃにしているんだ。正常人は痛めつけられると、身体的苦痛と同時に、「リビドー的な関係の弛緩」平たく言えば愛情的な関係性が壊れることについて心的苦痛を感じている。ところが自閉症者は「リビドー的な関係」から「疎外」されることについてあまり心的苦痛を感じない。となると、同じ痛みでも、正常人は「身体的苦痛+心的苦痛」を感じているのに対し、自閉症者は「身体的苦痛のみ」となる。だから、正常人と比して、自閉症者は痛みに対して「無頓着」となるわけだ。
まあそういう話だと思うよ。
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