「愛に見返りを与えない存在」
2011/09/30/Fri
アガペーとは「見返りのない愛」。
「見返りを求めない愛」。
であるのならば、「愛に見返りを与えない存在」がなければそれは成立しない。
ここのコメント欄から。
=====
そうか。だからヴェール心理療法の人がスキゾイドは
>与える(giving)よりも摂る(taking)
と言ったのか。
=====
スキゾイド以外の人間が「与える」のであれば、彼らは「与えあっている」となる。
その「与えあい」が「見返り」になっている。
そこにアガペーは存在しない。
「与える」などと言っているが、それはアガペーではない。そこにあるのは交換原則だ。
「摂る」スキゾイドがいなければアガペーは存在しえない。
「愛を摂る存在」が。
他人の心をもてあそべばよい。
他人の心も積み木となんら変わりはない。
脳という物質の化学反応だ。
形のないものに誰が「愛」なんてつけたのだろう
それを名づけてしまったから交換原則になってしまうのではないか。
「愛」なんて名づけられてない世界の方にアガペーはあるのではないか。
「剰余価値」だってそうだろ、そんな風に名づけたからそれに対価を払わなければならなくなった。
本当に剰余価値を搾取している資本家がいなければ、剰余価値に見返りを求めない労働者も存在しない、ってことか。
なんだかんだ言って剰余価値に対価払ってるだろ。資本主義だろうが共産主義だろうが宗教だろうが。
それに何かしら名をつけた時点で。
だから病んだんだよ。
もちろん金がなきゃ生きてけないから、生きてく程度には金ほしいけどさ。
わたしにとって機械設計は魔術的思考だったんだよ。
見返りのない行為。むしろ「愛の交換原則」から逃れる場所。
=====
つうか、自分の手が関わった物が、自分という人格なんて関係なく使われていく楽しみって、魔術的思考だと思うんだよな。修羅くんが自作の竹刀をライバルの六三四にプレゼントしたシーンを覚えてたのもそういうのを感じたからかもしれない。
=====
人間は八割死ね。
「見返りを求めない愛」。
であるのならば、「愛に見返りを与えない存在」がなければそれは成立しない。
ここのコメント欄から。
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そうか。だからヴェール心理療法の人がスキゾイドは
>与える(giving)よりも摂る(taking)
と言ったのか。
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スキゾイド以外の人間が「与える」のであれば、彼らは「与えあっている」となる。
その「与えあい」が「見返り」になっている。
そこにアガペーは存在しない。
「与える」などと言っているが、それはアガペーではない。そこにあるのは交換原則だ。
「摂る」スキゾイドがいなければアガペーは存在しえない。
「愛を摂る存在」が。
他人の心をもてあそべばよい。
他人の心も積み木となんら変わりはない。
脳という物質の化学反応だ。
形のないものに誰が「愛」なんてつけたのだろう
それを名づけてしまったから交換原則になってしまうのではないか。
「愛」なんて名づけられてない世界の方にアガペーはあるのではないか。
「剰余価値」だってそうだろ、そんな風に名づけたからそれに対価を払わなければならなくなった。
本当に剰余価値を搾取している資本家がいなければ、剰余価値に見返りを求めない労働者も存在しない、ってことか。
なんだかんだ言って剰余価値に対価払ってるだろ。資本主義だろうが共産主義だろうが宗教だろうが。
それに何かしら名をつけた時点で。
だから病んだんだよ。
もちろん金がなきゃ生きてけないから、生きてく程度には金ほしいけどさ。
わたしにとって機械設計は魔術的思考だったんだよ。
見返りのない行為。むしろ「愛の交換原則」から逃れる場所。
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つうか、自分の手が関わった物が、自分という人格なんて関係なく使われていく楽しみって、魔術的思考だと思うんだよな。修羅くんが自作の竹刀をライバルの六三四にプレゼントしたシーンを覚えてたのもそういうのを感じたからかもしれない。
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人間は八割死ね。
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