2011/10/31/Mon
原父はすでに死んでいる。それが「父の名」だ。
では、「原父は生きている」とするのも、「原父などもともといなかった」とするのも、「父の名の排除」となる。
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2011/10/25/Tue
なんか最近
コメント欄がうるさくなってきたのでコピペしておく。
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つか今の記事コメント欄消してるのに書き込むなよ阿呆。
すでにコメント書き込まれた記事はコメント禁止にできない仕様なんだ、fc2は。
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全部のコメントを禁止するつもりはないが、「独り言」としてコメントを書けない奴(人間のほとんどがそうだが)が来られるとわたしの病状は悪化するのでこないでください。
一時期アスペ関係論じててアスペな人がいっぱい書き込んできたけど、まあ自称アスペで普通の人に感じるいやさがある人もいたけど(もちろんわたしの勘違い、誤読かもしれない)、アスペは独り言上手なんだよな。elveさんちに書き込んでいるちょびさんなんかは独り言が上手い。アスペではないが(兄弟がアスペではあるらしい)放浪人さんもな。
書き込むなら「独り言」然として書き込んでくれよ。他者に責任回避ドレーン確保して書き込むな。
少なくとも自我から解離して書き込んでくれ。ヒステリー状態で。
コメント欄開放してた時期の言い分。=====
ここのコメント者なんかわたしの味方じゃないからな。2ちゃんねらみたいなもんだ。「敵にしたらおそろしいが味方にしたら頼りない」。いや敵にしてもおそろしくないのがうちのコメント者たちだが。基本的に「人間関係そのもの」から孤立しているような奴らだから。
そんなような奴らのためにコメント欄は開放している。「独り言」を語る場として。
なので、もし「藤田博史という症状」における「個人的な分析」を披露したければ、ここで「独り言」として語ればよい。わたしに語りかけるな。まあ今回に限っては、言い出しっぺはわたしだから、異なる部分があれば議論は受けつけるが。
言っとくがこの「独り言」は精神分析的な意味で、だからな。いくら表面的に一人でこの場に乗り込んで論を開陳したとしても、「他者によく思われたいがため」「仲間を増やしたいがため」などというような症状が見られたら、即アウトだ。それはわたしの言う意味での「独り言」ではない。ツイッターの「つぶやき」だ。あれって基本そうだろ、「仲間を増やすための独り言」。だからみんな「他人を気遣う」「他人に媚びる」「つぶやき」しか言えない。
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ツイッターみたいな「つぶやき」は「独り言」じゃないからな。
まあアスペも論じなくなって、くるのは藤田博史をはじめとする「独り言」できない人たちばっかになったので、閉鎖しました。
そういういきさつです。
2011/10/22/Sat
何がいやなんだろう、と考えた。
ある一部の人間個体、傾向的に男性に多いが、「父への欲望」を、「神」や「真理」や「イデア」を求めていることとして、欲望じゃないとしたがる人たち。
このすりかえがまず一つ。
欲望とは他者の欲望である。「どんな他者か」を「神」や「真理」や「イデア」(を持っている人)としているだけ。
次に、「父への欲望」、つまり「神」や「真理」や「イデア」や、あるいはもう少しやんわり言って「大人らしさ」を求めるのは、繰り返しになるが結局は他者の欲望であり欲望なのだが、別の他者の欲望である欲望を、否定する根拠になっている。
ここで否定されるのは、古典的な言い方だが(古典物理のような考え方を仮にする、というようなこと)、「母への欲望」だと言っても構わないだろう。
「否定の否定」か。否定を否定するためではなく、それは「父への欲望」だから、「母への欲望」を否定しなければならないんじゃないか?
「父への欲望」と「母への欲望」の差異は、死の欲動を下敷きにしているか、である。「母への欲望」においては、死の欲動は全否定される。
しかし、「父への欲望」は死の欲動の保存ではない。それはあくまで「母への欲望」と同じ構造の心理である。
死の欲動の保存が目的ならば、つまり「母への欲動」は死の欲動を全否定してしまうからそれを妨害するという目的ならば、「父への欲望」はまったく的外れである。
剥製や標本を大量に作って「自然を保存しようとしている」と言っているようなもんだ。
つまり非合理的なのだ。「父への欲望」とは。
それは理(ことわり)ではない。
あれだよ、過去の恋愛を男は「名前をつけて保存」するが、女は「上書き保存する」とかって。
その保存されたフォルダは相手そのものではない。
原父とはセックス日記をつけているオヤジと同じだ。「なんとなくクリスタル」ってか。
2011/10/18/Tue
とっくの昔に解いた問題を蒸し返すのが心理カウンセラー。
心というものは何度も解いてあげなくてはならないものらしい。
RPGみたいだ。
RPGなら経験値が溜まってキャラは成長するけど、そんなものは妄想だ。
いや最初からこんなにつっぱねてたわけじゃないよ。最初はわたしも言われた通りに解いていた。
そしたら強迫反復とか。
それお前らの方だろ。
人に自分の強迫反復やらせて「君は強迫反復だ」と言うのが心理カウンセラー。
詐欺師の方がまだ賢い。
心理カウンセラーはバカがなっちゃいけない。
いや、バカだから心理カウンセラーなんかになりたがるのか。
やってることはRPGと同じだということに気づけ。
奇妙な台本だった。
普通台本というのは、たとえそう書かれていなくても、照明がついたところからはじまっている。いや、客入れ中に、何がしかのイベントを指示する台本もあるかもしれないが、それはあくまで演出だと思う。
その台本は、暗転の中はじまる。
暗転の中、「誰か」という、おそらくそういう役でありその役者を示す人間について描かれている。
「誰か」はまず、上下を認知するそうだ。自分が立っている地面、舞台を認知する。
次に舞台上をくるくる回って、前と後ろを認知する。障害物にぶつかって右と左を認知する。
そして、ここが問題なのだが、観客を認知するのだが、それは暗転の最中である。
真っ暗闇なので「誰か」は観客を認知できないはずだ。
だが、気配としてそれを認知する。
そうやって、舞台と客席を認知する。
このとき、「誰か」は一つの誤解をする。
一番最初に覚えた上下を、舞台と客席だと勘違いしてしまうのだ。Z軸がX軸になるようなことだ。
「勘違い」と書いたが、「誰か」はこの上下と舞台と客席の違いはわかっている。わかっているが、同じことだと考えてしまうようになる。
台本はそこで終わる。
照明がつかないままで。
世界以前に存在する主体。
世界に所属する主体はすべてRPGのキャラとなんの違いもない。
妄想だ。
2011/10/15/Sat
昔の知人に、何度やってもセックスがただ痛いだけで気持ちよくないって女子がいて、医者に診てもらったら、膣が、腫瘍とかじゃなくて、奇形みたいになってて、おそらくそれが原因だ、と言われた子がいた。手術しても治るかどうかわからないと。まあ普通に考えて手術とかするならそういう精密な検査もしなきゃなんないだろうしいやだよなあ。ある程度の検査はしてるんだろうし。
頭蓋骨開かれるのと膣内を覗かれるのは似てる。小学生の頃毎月脳波検査受けてたわたしは毎月マンコチェックされてたようなもんだ。
自分の体をいじってまで快楽って感じたいものか?
いや一度味わったのならそう思うかもしれない。幻肢みたいなものか。
その子は、「ちゃんとつきあうなら、そういう話をしてそれを理解してくれる人とつきあえばいい」みたいに言っていた。
まあ傍から見たら普通の子なんだけどな。真面目ってわけでもない。どちらかってと遊び人タイプ。
「性器が非エロス化し非性器がエロス化する」ですか。こういう人もヒステリーになるわけ?
逆なんじゃね。普通の人があまりに性器をエロス化して見ているだけなんじゃ。性器だって脳みそと同じ肉体だ。
性器はエロスではないだろ。エロスとは想像の産物にすぎない。
普通の人はあまりに性器をエロス化して考えるから、それを抑圧するために、非性器が非エロス化するんじゃね。清楚な服着たり真面目なカッコするんじゃね。
その清楚さ自体が、想像の産物の産物なんだよ。
性器を抑圧するのは性器がエロス化しているから。抑圧する奴の方がエロいんだよ、バカ。
ファルスとはいわばペニスの幻肢である。