なんかもうこのブログ読むならelveさんち読んでてくれってレベルだな。
まあ一応
いつものコメント欄コピペ。脂 2011/11/08 05:44
>相手がキチガイになろうが正常化しようがどっちでもいいです、正直。
ここが重要になるのが応用科学だけどなー。
「物質を人の役に立つものに改良する」という前提がある。
精神医学の「狂気を治療する」ってーのも同じ。狂気は人の役に立たないから。
でもさー、医学でも基礎医学ってあるだろ? 人体という物質が死のうが生きようが人体の病理という物性を解明しようとする学問。
基礎科学も同じ。物質が観察結果人の役に立つものになるかなんてカンケーない。
脂 2011/11/08 05:49
精神分析だって現代医学の前では治療の役に立たないのは実証済みなんだから、基礎心理学みたいな立場になっちゃえばいいと思うんだがな。
「クライエントが狂気に陥りようが、心理観察のためならカンケーない」と。
実際に自由連想法は精神病のケがある人にはそういう症状を悪化させるってのはラカン派は自覚してるんだし。
http://d.hatena.ne.jp/lacanian/20100514#p1
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分析がときに精神病の発病を招くという事実は,自由連想の規則がまさに自分自身の言葉で話すことを求めることによる.
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なんかラカン派ってこういった矛盾に自己陶酔している人が多い気がするんだよなあ。
基礎科学出身のわたしからすればそう見える。
脂 2011/11/08 05:54
>人体という物質が死のうが生きようが人体の病理という物性を解明しようとする学問。
すまん、実際はそうじゃないのかもしれない。
基礎科学と応用科学が同じ棟にある学部にあるとどうしてもそういう差異が見えてきてな。その基礎科学と同じようなもんかとわたしが勝手に妄想しているだけ。
脂 2011/11/08 06:02
なんか人間って、「わがまま」を「主体性の過剰さ」としてしか考えられないんだよな。「主体性がない」から「わがまま」だと思われることもある。
なぜなら「主体」ジャーゴンで言えば「自我」そのものが鏡像的他者だからだ。
「主体性=自我が過剰」なのは、逆に言えば他者に固着しているからなのだよ。
「Aと非A」みたいな感じで「自我と他者」としか考えられてないんだよな。そういう固定観念。
その自我自体がそもそも他者だっつーのがラカン理論でありクライン理論。
脂 2011/11/08 06:05
>「主体性がない」から「わがまま」だと思われることもある。
ここがミソジニーあるいはアンチフェミのわかってないところでもあるんだよな。
脂 2011/11/08 06:08
で、主体性=自我と考えているわけだけども、そうすると、ヒステリーなんかは自我の解離である解離性障害なわけだから、「主体性のなさ」となる。
大野さんはヒステリーじゃないと思うんだよな。
脂 2011/11/08 06:18
大野さんにとってのアートってアムカと同じだと思うんだよな。
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ちなみにこの「トランポリン」という言葉はアムカ癖のある某女子高生ブロガーとぎゃーぎゃーしたときに言った言葉だ。そのブログもうないけど。話していて症状がどんどん悪化してきたのにぽよーんと正常に戻る。そのことをそう表現した
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自我を確かめるために自傷する。アートする。
そしてこういうのはどちらかというと自己愛性人格障害であり、自我の解離という意味での解離性障害と語義があわない。
まあさー、隠喩、つまり「文学化」も「物性の現状認識としての言語化」の一つの手段だとは思う。中井久夫とか文学的表現が多すぎて批判されてたりするけども、「評価」「価値づけ」のためではなく「物性の現状認識としての言語化」ならありだと思うのだよね。
でもさー、隠喩に甘んずるのは科学じゃないだろ。語義、字義をいっぺん考えてみろよ。
現代の若者について「数学的思考が足りないとか」とかって批判あるだろ? 東大入試自己採点で自分ちの高校トップだったわたしにとっちゃー今のラカン村住人ですらそういう現代の若者、「ゆとり教育」だ。
脂 2011/11/08 06:21
>自分ちの高校トップだった
あ、ごめん、現役でな。
脂 2011/11/08 06:45
今の日本のラカン派は「文学主義者」つまり「大文字の他者主義者」のいい言い訳になってると思うんだよな。
「理論」になっていない。
脂 2011/11/08 06:47
理系がいつもいらいらするのは、大体の人間が言葉を数学的に考えられないところだと思うんだよ。
何かしらの感情論が混入している。
理論的に話しているときに感情論を巧妙に混入させてくる。
この感情論を欲望と言い換えれば、大文字の他者への欲望ってことになる。
要するに太宰メソッドだ。
脂 2011/11/08 06:51
ラカンは心理を数学的な言語で表現しようとしたらからソーカルに怒られたわけだ。
ソーカルの怒り方も人間的反論だから無視されても仕方ないけどさ。
逆に「俺らの方が数学を正しく使っている」と言い張るぐらいじゃなきゃさー。
物理だって数学者に嫌味言われたりすんだぜ? 物理学者にしてみれば数学なんてただの道具でしかないのに。観測機械と同レベルのもの。
もっとギスギスしちゃいなYO!
なんかこう、物理やってるときも大概思ってたんだが(つまり科学者も科学者ではない奴が多いって意味だが)、ラカン村住人ですら人間って「言葉を数学的に話せない」んだよな。
別に数学的じゃない隠喩はあってもいいんだが、「その隠喩は君の心理としてどういう理屈なの?」って問いに答えられない。
いや答えられないからこそ心理なのか。
そりゃ理系肩身狭いは。
主体性の根拠としての他者が解離しているのはelveさんの方だと思うんだがなあ。