2012/08/19/Sun
生きる意味とかそんなんじゃなくて、単純にいろいろと行動を起こす気が起きない。
食事や排泄や呼吸はできている。ただ食事と睡眠はあまり健康的と言えない。
はじめから存在させてほしくなかった、と思う。
あなたたち人間の世界にわたしは最初からいなかった。
そうしておいてくれた方が、お互いに平和だったろうに。
スポンサーサイト
2012/08/08/Wed
工事現場のような場所で、そういったところの建材は意外と野ざらしにされて安心するものだが、ここのはプラスチックかカーボンかヨットの構造材みたいなものがあちこちに、ある場所は整理され積み重ねられているが、ある場所は巨大な幼稚園児が遊んだあとのようにちらばっていたりする。
そんな中、小道がある。どこを歩けばいい、と言う道がある。
ここをそれたら多分危ないのだろう。事故など普通に起きてそうな現場である。
しかしこの小道も何か目的、どの場所とどの場所を結ぶなんて考えていなさそうで、うねうね曲がっていたりはしないが、ところところ意味のわからないS字路があるが、でも何かこう、歩いていてどこかに辿り着きそうな気がしない小道である。
ところところで分岐していたりもする。
そんなところで、その小道を流れる血管のように、わたしが広がっていく。
小道の外に出ないように広がっていくが、ときどき足を踏み外す。血管の外に滲み出る。
血管もそういうものだよねそう言えば。
毛細血管だけの人体。糸でできた人体。糸がもつれただけなのが人体。
そんなことを考えると、何も考えることがなくなる。
ただ、覚えているのは、ちらかされたヨットの構造材のようなそれらが、散乱した折り紙のように見えた。
折りたたみ式か。それはありだな。
なるほどなあ、と思った。
2012/08/03/Fri
井上問題って結局「自分の欲望はきれい、他人の欲望は汚い」って話な気がするな、
井上の心理として。自分のそれも、他人にとっては、自分にとっての他人のそれと同様の「汚い」欲望になりうると気づいてない。
「私の愛だけはきれいなのよ、欲望なんかじゃないのよ、オナラじゃないのよ(古い)」
まあこれなくしちゃ「女」としてやってけなくなるのはわからなくもない。
クラインもクリステヴァも最終的に「愛」に屈した。
「女」に限らないか、むしろ「人間らしさ」とかだな。「自分の欲望はきれい、他人の欲望は汚い」とは。
2012/08/01/Wed
聴覚がほこりのように目の中に入ってる感じ。音が視覚をふさいでる。いつかの重さ。重くはない。筋肉で持っているわけではない。重力と逆、浮力。この世には重力も浮力もある。なのに人間の世界には重力しかない。浮力など最近証明されたおまけのような力でしかない。
両方あるのに、風船をつなぎとめる糸を切断するように、風船は地面とつなぎとめられる。
この力はなんだ。
これがあるから人間の世界は嘘しか存在しない。人間の世界は現実ではない。
『不思議の国のアリス』の世界をファルスだと解釈するのもありだろう。そうかもしれない。
しかし現実の世界では、たとえば一個の机の大きさは大きくもないし小さくもない。なので大きいか小さいか考えると大きくもなったり小さくもなったりする。一個でもない。あるかないか考えるからあったりなかったりする。一個になったりする。
もしアリスが行った世界がファルスならば、それはクサマヤヨイの作品のごときペニスが無数に乱立している状態で、それはそういうものである。
それはただの池である。光が屈折している。屈折していない光はない。わたしたちが知っている光はすべて空気中という池の中で見ているのである。
であるので一個の机が大きくなったりもするし小さくもなったりするし一個ではなくなったりするかもしれない。しかしそれは光という物質であって、一個の机が大きくなったり小さくなったり一個でなくなったりすることはない。大きくも小さくも一個でもない。机はあるわけでもないしないわけでもない。
おかしいのは光の作用であるそれを作用だと思っていないことだ。
それが人間の世界が嘘であるゆえんである。
こうやって人間はまるで小金を貯めるように嘘をためていく。
その結果できあがったのが、正常な人間たちが「現実」と思っている世界だ。フロイトの言う「現実原則」であり、それはラカンから言わせれば現実ではない。
現実原則と快楽原則は相反してなどいない。それらの対立はいわばプロレスである。出来レースなのである。
同じなのである。どちらも「人間なるもの」という嘘なのである。
そうなんだろうな。この風船をつなげている糸を切断することでつなげている「誰か」を妄想しているのだろう。それが「絶対他者」などという、「理想の人格」などというパラノイアの病理なのだろう。
そしてそれは現代医学において「正常な精神」とされている人間ほとんどが持っている病理である。
わたしは正常なお前たちを治療するつもりはない。ただそれを「現実ではない幻想だ」とわかっていない点がお前たちの精神疾患であると言っているのである。
この病理は、いや病原菌は非常に強力である。この患部を人体から切り離すのは非常に難しい。そいつの命も奪うことになりかねない。
しかしわたしはその患部を実験観察する。それをつきとめるために。実験動物を殺してはいけないなどという理はない。
わたしがやっているのはただの科学である。