「無というトランポリン」
2014/07/01/Tue
他んところでよく書いてることだがこっちに書いたことねえなあと思ったので書いとこ。
えーと。最近の記事ならここらへんか。
抜粋する。
まあある程度臨床して、確かに神経症者や倒錯、すなわち現代精神医学が正常とする精神は、ある局面、水上雅敏いわく「少し精神病や倒錯に近い状態」になった際、非常に強固な抵抗をしてくる、ということはわかっている。
自閉症者や精神病者は、簡単にというか蟻地獄的に精神が不安定になったり、発症する。
「ある局面で神経症者・倒錯者がしてくる強固な抵抗」を、このブログでは「トランポリン」と表現することがある。
神経症者・倒錯者たちは、精神分析アプローチをすると、「少し精神病や倒錯に近い状態」の「ある局面」において、あたかも「トランポリン」でぼよよーんと跳ね返るように、元の神経症的な、欲望構造(欲望の抑圧という欲望も含む)に戻っていく、という比喩である。
ではこの「トランポリン」とはなんだろう、と。
まあ抜粋した文章では「それが父の名なん?」って話にはしてるが、他のところでは、わたしは「無というトランポリン」と述べることがある。
これは、上記の(わたしの臨床における)「少し精神病や倒錯に近い状態」の「ある局面」とは、抑鬱的な状態であることが多いからだ。
なのでこの「トランポリン」を「喪の症状」と言ったりもする。
これはラカン派の実践においてデプレッションが重視されていることにも同調する。
まあそれだけの話。
ブログ内検索で「トランポリン」って単語検索すれば大体の話はしてるが、「無というトランポリン」ってのはブログで書いたことないなと気付いたので書いておくというだけの記事でした。
えーと。最近の記事ならここらへんか。
抜粋する。
まあある程度臨床して、確かに神経症者や倒錯、すなわち現代精神医学が正常とする精神は、ある局面、水上雅敏いわく「少し精神病や倒錯に近い状態」になった際、非常に強固な抵抗をしてくる、ということはわかっている。
自閉症者や精神病者は、簡単にというか蟻地獄的に精神が不安定になったり、発症する。
「ある局面で神経症者・倒錯者がしてくる強固な抵抗」を、このブログでは「トランポリン」と表現することがある。
神経症者・倒錯者たちは、精神分析アプローチをすると、「少し精神病や倒錯に近い状態」の「ある局面」において、あたかも「トランポリン」でぼよよーんと跳ね返るように、元の神経症的な、欲望構造(欲望の抑圧という欲望も含む)に戻っていく、という比喩である。
ではこの「トランポリン」とはなんだろう、と。
まあ抜粋した文章では「それが父の名なん?」って話にはしてるが、他のところでは、わたしは「無というトランポリン」と述べることがある。
これは、上記の(わたしの臨床における)「少し精神病や倒錯に近い状態」の「ある局面」とは、抑鬱的な状態であることが多いからだ。
なのでこの「トランポリン」を「喪の症状」と言ったりもする。
これはラカン派の実践においてデプレッションが重視されていることにも同調する。
まあそれだけの話。
ブログ内検索で「トランポリン」って単語検索すれば大体の話はしてるが、「無というトランポリン」ってのはブログで書いたことないなと気付いたので書いておくというだけの記事でした。
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