「母子カプセル」は存在しない。
2014/08/19/Tue
ラカンは、想像的ファルスは-φとしてしかない、としているわけだが、これは他の心理学が言う、幼児期の「母子カプセル」だとか「母子の蜜月」だとかは、それとしては不安定で危険なものでしかない(この記事の向井の論文引用など)、という意味なんだな。
んで他の心理学では、幼児的万能感とはこの「母子カプセル」における欲望が完全に満たされている幼児の状態を指している。
これを平たく説明するなら。
この時期の幼児の主観世界では、世界における他者とは母一人であるわけだ。
でマイナスの取れたφとは、幼児が「母親が欲望している何か」とするものだ。彼はφと同一化することによって「母親は自分を欲望している」となる。
これを大人の主観世界に適用すれば、「世界におけるすべての他者が自分を欲望している」状態となるわけだ。
これを幼児的万能感としており、ある種の人は大人になってもこの状態の主観世界にいることがあるとする。
以上から、ラカンの-φとは「幼児的万能感は存在しない」という意味にもなるわけだが。
だがなー。
ファルスを攻撃してしまう「ペニス妬み」のヒステリーとして言わせてもらうならば、「存在しない」で片付けられる問題か、みたいな感じはある。
確かに(ラカン的な意味で)現実的にはそうなのかもしれないが、(ラカン的な意味で)男(つまりΦの主体)はそういう幻想、φという幻想に固着している場合が多い。
ユングなどは巨大な男根の夢を見てたりする。
こういった男たちに、-φという現実的なイメージを、頭だけではなく、自分自身の存在の原初的なものとしてあると理解させるには、どうすればいいのか。
「母子カプセル」は、あるとするならば、はじめから「不安定で危険なもの」「自分を窒息死させるもの」なのだ。
ラカンはそれを「ワニの口」に喩えた。
「母子カプセル」のリンク先の記事もそうだが、「母子カプセルが父性の登場で壊される」という考え方(前記事の「-φ→Φ」)は、半分間違ってはないが、ラカンは「母子カプセル以前に、それを壊そうとする何かが子供にはある」としているんだな。
その「何か」が「父の名」だったり「死の欲動」だったりするわけだが。
なので「母性の登場より前に、原初的な父性が登場している」という言い方になったりする。「鏡像段階以前に父の名はある」とかって奴だな。
欲望は、はじめから、満たされないものとしてあるんだよ。
終わりまで。
んで他の心理学では、幼児的万能感とはこの「母子カプセル」における欲望が完全に満たされている幼児の状態を指している。
これを平たく説明するなら。
この時期の幼児の主観世界では、世界における他者とは母一人であるわけだ。
でマイナスの取れたφとは、幼児が「母親が欲望している何か」とするものだ。彼はφと同一化することによって「母親は自分を欲望している」となる。
これを大人の主観世界に適用すれば、「世界におけるすべての他者が自分を欲望している」状態となるわけだ。
これを幼児的万能感としており、ある種の人は大人になってもこの状態の主観世界にいることがあるとする。
以上から、ラカンの-φとは「幼児的万能感は存在しない」という意味にもなるわけだが。
だがなー。
ファルスを攻撃してしまう「ペニス妬み」のヒステリーとして言わせてもらうならば、「存在しない」で片付けられる問題か、みたいな感じはある。
確かに(ラカン的な意味で)現実的にはそうなのかもしれないが、(ラカン的な意味で)男(つまりΦの主体)はそういう幻想、φという幻想に固着している場合が多い。
ユングなどは巨大な男根の夢を見てたりする。
こういった男たちに、-φという現実的なイメージを、頭だけではなく、自分自身の存在の原初的なものとしてあると理解させるには、どうすればいいのか。
「母子カプセル」は、あるとするならば、はじめから「不安定で危険なもの」「自分を窒息死させるもの」なのだ。
ラカンはそれを「ワニの口」に喩えた。
「母子カプセル」のリンク先の記事もそうだが、「母子カプセルが父性の登場で壊される」という考え方(前記事の「-φ→Φ」)は、半分間違ってはないが、ラカンは「母子カプセル以前に、それを壊そうとする何かが子供にはある」としているんだな。
その「何か」が「父の名」だったり「死の欲動」だったりするわけだが。
なので「母性の登場より前に、原初的な父性が登場している」という言い方になったりする。「鏡像段階以前に父の名はある」とかって奴だな。
欲望は、はじめから、満たされないものとしてあるんだよ。
終わりまで。
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