2014/08/03/Sun
おーい、水上雅敏見てるー?
お前「精神分析の終わりには分析主体が精神病や倒錯に近い状態になるものだが、どうすればそうなるか」とか悩んでたじゃん。
その答え小笠原晋也が言ってると思うよ。
小笠原は精神医療の現場について述べていたんだが、それは大学の言説=強迫症の言説にしかなってないから、ヒステリーは症状を語ることができず、自殺や自傷をしてしまう、とかなんとか。
お前たちの言説もさ、大学の言説=強迫症の言説にしかなってないからなんじゃねーの。
「無チュキチュキ」な虚無主義者の水上くんはどう思う?
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2014/08/03/Sun
簡単に言えば、ファルスの取り扱い方なんだよな。
分析家の言説では生産の座にS1が来て、それはΦである、というのが藤田博史の説で、藤田はΦを生産するのが精神分析だと思っていると思われる。
一方、向井雅明はファルスは部分対象でしかないとしている。
小笠原晋也は、4つの言説における生産の座は閉出(排除)の座であり(アクロバティックな話であるとはわたしも思ったが)、精神分析とはS1あるいはΦを排除することだとしている。
向井の考えも小笠原の考えも、精神分析の実践において、ファルスは重要な位置を占めていない。
向井と小笠原はともにヒステリーと分析家の関わりについて深く考えている。
Φとは要するに「男という存在根拠となる象徴」なわけだから、藤田の精神分析は男性的、ファルスに重きを置いたものなんだよ。
わたしは小笠原の考えに近い立場だが、もちろんファルスは抑圧されるものであるので、抑圧されたそれをむき出しにするのは、わたしの考えでも精神分析としてありだと思われる。小笠原の言葉であれば「男を精神分析するには予備面接で十分に想定的知の主体の転移をさせなければならない」というあたりに相当するだろう。
藤田の精神分析は、男が分析主体である場合の予備面接的なところに重点を置いた精神分析だ、ということだ。
二階堂奥歯もファルスがどーたらとかよく書いてた気がする。
二階堂は偏った精神分析しか知らずに死んでいったんじゃなかろうか。
もしもう少し生きて向井やら小笠原の精神分析を学んでいたら、と思ってしまう。
まあただのわたしのペニス妬みと二階堂への転移の話にすぎませんが。
こういう書き方だと藤田の考えが少数派のように思われるかもしれないが、単に自分の考えと近い向井と小笠原の二人を挙げただけで、わたしの体感としては、藤田の「ファルスを生産するのが精神分析」っていう考えの方が、日本ラカン村ではメジャーだと思うよ。
まあ女の子で精神分析やりたいなんて人はそうそういないだろうが、もしそんな奇特な子がいたら、ラカンはやめとき、やるなら向井さんか小笠原さんちへ、ってわたしは言うなあ。
まあでもあれか、美容整形受けたがる女ってのはφになりたがっているわけだから、そういう子へのアフターケア(藤田さんちそこアピールしてたわよね、美容整形口コミサイトかなんかで)みたいな心理カウンセリング的な何かとしては藤田の考えは有効だったりするのかもしれない。
日本のaを真理にしているヒステリーちゃんたちはラカン派は危険かと。相性悪い確率が高い。
鶏肉を無性に食べたい。
男運ならぬ分析家運が悪かったとか。
すべては運、偶然さ。
生きるも死ぬも。男も女も。