人間というパラノイア
2012/03/25/Sun
「欲望の抑圧」とは「父への欲望」であり、死の欲動も原理に含めた欲望により一般的な欲望を抑圧しているだけにすぎぬのだが、人間たちの「父への欲望」に対する否認はすごいもんだ、としみじみ思った。
「死の欲動も原理に含めた欲望だからいい欲望だ」ってか。
だーからそれは死の欲動を原理にしているだけで欲望は欲望だろ、っつー。
「信仰」なる心理もはほぼすべてそういった欲望かと。
この「死の欲動も原理に含めた欲望だからいい欲望だ」とは、まさに「剥製や標本を作りまくって「自然を保存しようとしている」と言っているようなもん」である。
「父への欲望」も手強い。
人間というパラノイアは本当に手強い。
わたしはすごいところを生きてたんだな。
ああそうそう、「剥製や標本を作りまくって「自然を保存しようとしている」と言っているようなもん」って話はフロイトの『幻想の未来』における「自然の擬人化」ってあたりの文章がポイントになると思う。
フロイトもうちっとそこ掘りさげれよ、これだけじゃ人間というパラノイアを解剖するメスにならん。
まあしょせんユダヤ人だしな。
「死の欲動も原理に含めた欲望だからいい欲望だ」ってか。
だーからそれは死の欲動を原理にしているだけで欲望は欲望だろ、っつー。
「信仰」なる心理もはほぼすべてそういった欲望かと。
この「死の欲動も原理に含めた欲望だからいい欲望だ」とは、まさに「剥製や標本を作りまくって「自然を保存しようとしている」と言っているようなもん」である。
「父への欲望」も手強い。
人間というパラノイアは本当に手強い。
わたしはすごいところを生きてたんだな。
ああそうそう、「剥製や標本を作りまくって「自然を保存しようとしている」と言っているようなもん」って話はフロイトの『幻想の未来』における「自然の擬人化」ってあたりの文章がポイントになると思う。
フロイトもうちっとそこ掘りさげれよ、これだけじゃ人間というパラノイアを解剖するメスにならん。
まあしょせんユダヤ人だしな。
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