精神分析家は雲助でなくてはならない。
2012/06/03/Sun
elveさんちの記事にジョージ秋山のマンガの一コマがあり、それつながりで、「ああ(前記事の)Aさんは浮浪雲みたいなもんかなあ」などと思った。
いやまったく違う点はある。はっちゃけるときははっちゃけるが、普段はやや堅い常識人であり、ジェンダー観も「女は男の三歩下がって」的なわりと古臭いところがあった。
こういうところは少しelveさんに似ていると思う。
だがelveさんと決定的に違うのは、「のれんに腕押し」なところである。
ここでの「腕押し」を仮に少し限定しておく。お互いの急所、腫れ物の部分をつつきあうことだとしよう。
elveさんの場合、腫れ物をつつきつつかれすることが多い。自分で相手の急所をつき、相手のナイフを持つ手をつかんで自分の急所に向けさせる。
こういった点においては、わたしのイメージでは、Aさんとelveさんは正反対だと思える。
わたしもどちらかというと急所、腫れ物をつつきつつかれすることが多い。
『浮浪雲』を調べていたら、「足元を見る」という慣用句は、カゴを担いで生計を立てている雲助が、旅人のわらじを見て擦り減っていたら料金を高く設定するところからきた、という話を読んだ。
この「足元を見る」というのも、相手の弱点を見るということだ。
そういった意味ではAさんは雲助ではない。わたしやelveさんが雲助だ。
Aさんとelveさんを会話させてみたい。Aさんの弱点や腫れ物を回避する「のれんに腕押し」技術とelveさんの「相手のナイフを持つ手を自分の急所に向けさせる」技術、どちらが上か。
しかし、Aさんとelveさんの共通点はもう一つある。
それはTPOを読むのがうまいというところだ。いやおそらく世間はAさんの方がうまいと判断するだろうが、わたしからすれば双方うまい。
「TPOが読める」ということ自体の意味にもよるだろう。「TPOを読むことよってその場の空気を壊さない」という意味であれば、Aさんの方が「TPOを読むのがうまい」となるだろう。フロイト風に換言すれば「文化的なエロス的つながりを維持する(のがうまい)」である。
しかしelveさんもわたしも雲助である。「相手の足元を見る」のだ。
これは「TPOを読むことよってその場の空気を壊さない」という意味であれば、「空気を壊す」ことになるゆえ、「TPOを読めない」という意味になるのだろう。
雲助、空気の読めない奴は「エロス的つながりを弛緩させる」のである。
よってelveさんの方が「TPOが読めない」と神経症者は判断するだろう。
フロイトが述べたように、神経症者はエロス的つながりが弛緩すれば不安を感じる。
この神経症症状としての「エロスを失うかもしれないと思うゆえの不安」が、「雲助」が差別用語になっていった心理的背景なのではないだろうか。
さらに蛇足すると、精神分析はトラウマを発見するという目的がある。トラウマこそその主体の心にとって弱点であり腫れ物である。
であるならば、精神分析は「心の足元を見る」学問だとも言える。
精神分析家は雲助でなければならないのだ。
ああそうそう以上はただの思いつきで、前記事の補足を書こうとしたのだ。
おかしくなったAを病院に連れていこうとイベント会場から連れ出したとき、「太陽が出ている」みたいな話になって(そこときはまだ話は通じてたらしい)、太陽の方を見ると、図像化された、それこそこんなみたいな太陽が昇っていた。
わたしはそれを太陽だと思った。
しかし違和感もあったので、しばらく歩いて話が通じなくなったような頃、うしろを振り向いてもう一度太陽を見ると、それはイベントパークの建物の一部であり、本物の太陽は曇ってて見えないことがわかった。
ここなんか印象に残っていたので補完しておく。
いやまったく違う点はある。はっちゃけるときははっちゃけるが、普段はやや堅い常識人であり、ジェンダー観も「女は男の三歩下がって」的なわりと古臭いところがあった。
こういうところは少しelveさんに似ていると思う。
だがelveさんと決定的に違うのは、「のれんに腕押し」なところである。
ここでの「腕押し」を仮に少し限定しておく。お互いの急所、腫れ物の部分をつつきあうことだとしよう。
elveさんの場合、腫れ物をつつきつつかれすることが多い。自分で相手の急所をつき、相手のナイフを持つ手をつかんで自分の急所に向けさせる。
こういった点においては、わたしのイメージでは、Aさんとelveさんは正反対だと思える。
わたしもどちらかというと急所、腫れ物をつつきつつかれすることが多い。
『浮浪雲』を調べていたら、「足元を見る」という慣用句は、カゴを担いで生計を立てている雲助が、旅人のわらじを見て擦り減っていたら料金を高く設定するところからきた、という話を読んだ。
この「足元を見る」というのも、相手の弱点を見るということだ。
そういった意味ではAさんは雲助ではない。わたしやelveさんが雲助だ。
Aさんとelveさんを会話させてみたい。Aさんの弱点や腫れ物を回避する「のれんに腕押し」技術とelveさんの「相手のナイフを持つ手を自分の急所に向けさせる」技術、どちらが上か。
しかし、Aさんとelveさんの共通点はもう一つある。
それはTPOを読むのがうまいというところだ。いやおそらく世間はAさんの方がうまいと判断するだろうが、わたしからすれば双方うまい。
「TPOが読める」ということ自体の意味にもよるだろう。「TPOを読むことよってその場の空気を壊さない」という意味であれば、Aさんの方が「TPOを読むのがうまい」となるだろう。フロイト風に換言すれば「文化的なエロス的つながりを維持する(のがうまい)」である。
しかしelveさんもわたしも雲助である。「相手の足元を見る」のだ。
これは「TPOを読むことよってその場の空気を壊さない」という意味であれば、「空気を壊す」ことになるゆえ、「TPOを読めない」という意味になるのだろう。
雲助、空気の読めない奴は「エロス的つながりを弛緩させる」のである。
よってelveさんの方が「TPOが読めない」と神経症者は判断するだろう。
フロイトが述べたように、神経症者はエロス的つながりが弛緩すれば不安を感じる。
この神経症症状としての「エロスを失うかもしれないと思うゆえの不安」が、「雲助」が差別用語になっていった心理的背景なのではないだろうか。
さらに蛇足すると、精神分析はトラウマを発見するという目的がある。トラウマこそその主体の心にとって弱点であり腫れ物である。
であるならば、精神分析は「心の足元を見る」学問だとも言える。
精神分析家は雲助でなければならないのだ。
ああそうそう以上はただの思いつきで、前記事の補足を書こうとしたのだ。
おかしくなったAを病院に連れていこうとイベント会場から連れ出したとき、「太陽が出ている」みたいな話になって(そこときはまだ話は通じてたらしい)、太陽の方を見ると、図像化された、それこそこんなみたいな太陽が昇っていた。
わたしはそれを太陽だと思った。
しかし違和感もあったので、しばらく歩いて話が通じなくなったような頃、うしろを振り向いてもう一度太陽を見ると、それはイベントパークの建物の一部であり、本物の太陽は曇ってて見えないことがわかった。
ここなんか印象に残っていたので補完しておく。
/ 未分類