人間という病理
2012/08/01/Wed
聴覚がほこりのように目の中に入ってる感じ。音が視覚をふさいでる。いつかの重さ。重くはない。筋肉で持っているわけではない。重力と逆、浮力。この世には重力も浮力もある。なのに人間の世界には重力しかない。浮力など最近証明されたおまけのような力でしかない。
両方あるのに、風船をつなぎとめる糸を切断するように、風船は地面とつなぎとめられる。
この力はなんだ。
これがあるから人間の世界は嘘しか存在しない。人間の世界は現実ではない。
『不思議の国のアリス』の世界をファルスだと解釈するのもありだろう。そうかもしれない。
しかし現実の世界では、たとえば一個の机の大きさは大きくもないし小さくもない。なので大きいか小さいか考えると大きくもなったり小さくもなったりする。一個でもない。あるかないか考えるからあったりなかったりする。一個になったりする。
もしアリスが行った世界がファルスならば、それはクサマヤヨイの作品のごときペニスが無数に乱立している状態で、それはそういうものである。
それはただの池である。光が屈折している。屈折していない光はない。わたしたちが知っている光はすべて空気中という池の中で見ているのである。
であるので一個の机が大きくなったりもするし小さくもなったりするし一個ではなくなったりするかもしれない。しかしそれは光という物質であって、一個の机が大きくなったり小さくなったり一個でなくなったりすることはない。大きくも小さくも一個でもない。机はあるわけでもないしないわけでもない。
おかしいのは光の作用であるそれを作用だと思っていないことだ。
それが人間の世界が嘘であるゆえんである。
こうやって人間はまるで小金を貯めるように嘘をためていく。
その結果できあがったのが、正常な人間たちが「現実」と思っている世界だ。フロイトの言う「現実原則」であり、それはラカンから言わせれば現実ではない。
現実原則と快楽原則は相反してなどいない。それらの対立はいわばプロレスである。出来レースなのである。
同じなのである。どちらも「人間なるもの」という嘘なのである。
そうなんだろうな。この風船をつなげている糸を切断することでつなげている「誰か」を妄想しているのだろう。それが「絶対他者」などという、「理想の人格」などというパラノイアの病理なのだろう。
そしてそれは現代医学において「正常な精神」とされている人間ほとんどが持っている病理である。
わたしは正常なお前たちを治療するつもりはない。ただそれを「現実ではない幻想だ」とわかっていない点がお前たちの精神疾患であると言っているのである。
この病理は、いや病原菌は非常に強力である。この患部を人体から切り離すのは非常に難しい。そいつの命も奪うことになりかねない。
しかしわたしはその患部を実験観察する。それをつきとめるために。実験動物を殺してはいけないなどという理はない。
わたしがやっているのはただの科学である。
両方あるのに、風船をつなぎとめる糸を切断するように、風船は地面とつなぎとめられる。
この力はなんだ。
これがあるから人間の世界は嘘しか存在しない。人間の世界は現実ではない。
『不思議の国のアリス』の世界をファルスだと解釈するのもありだろう。そうかもしれない。
しかし現実の世界では、たとえば一個の机の大きさは大きくもないし小さくもない。なので大きいか小さいか考えると大きくもなったり小さくもなったりする。一個でもない。あるかないか考えるからあったりなかったりする。一個になったりする。
もしアリスが行った世界がファルスならば、それはクサマヤヨイの作品のごときペニスが無数に乱立している状態で、それはそういうものである。
それはただの池である。光が屈折している。屈折していない光はない。わたしたちが知っている光はすべて空気中という池の中で見ているのである。
であるので一個の机が大きくなったりもするし小さくもなったりするし一個ではなくなったりするかもしれない。しかしそれは光という物質であって、一個の机が大きくなったり小さくなったり一個でなくなったりすることはない。大きくも小さくも一個でもない。机はあるわけでもないしないわけでもない。
おかしいのは光の作用であるそれを作用だと思っていないことだ。
それが人間の世界が嘘であるゆえんである。
こうやって人間はまるで小金を貯めるように嘘をためていく。
その結果できあがったのが、正常な人間たちが「現実」と思っている世界だ。フロイトの言う「現実原則」であり、それはラカンから言わせれば現実ではない。
現実原則と快楽原則は相反してなどいない。それらの対立はいわばプロレスである。出来レースなのである。
同じなのである。どちらも「人間なるもの」という嘘なのである。
そうなんだろうな。この風船をつなげている糸を切断することでつなげている「誰か」を妄想しているのだろう。それが「絶対他者」などという、「理想の人格」などというパラノイアの病理なのだろう。
そしてそれは現代医学において「正常な精神」とされている人間ほとんどが持っている病理である。
わたしは正常なお前たちを治療するつもりはない。ただそれを「現実ではない幻想だ」とわかっていない点がお前たちの精神疾患であると言っているのである。
この病理は、いや病原菌は非常に強力である。この患部を人体から切り離すのは非常に難しい。そいつの命も奪うことになりかねない。
しかしわたしはその患部を実験観察する。それをつきとめるために。実験動物を殺してはいけないなどという理はない。
わたしがやっているのはただの科学である。
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