なのげだつ
2014/06/21/Sat
解脱かあ。
まあ、一切空也とかぶっちゃけニーチェの「全ては仮象である」ってことだとは思うし、「正覚とは空をよく知ること」とか言ってるのは積極的ニヒリズムっぺえんだが、ニーチェには解脱がねえんだよな。
それは救いなのかね。
それは人間じゃなくなることだったりすると思うんだが。
むしろ生き地獄に落ちることじゃないかね。
それを「あなたたち人類のために私が受苦しているのです」なんて厚かましいことはわたしは言えない。
わたしが人間がうざいだけ。
生き地獄の方がまだましなだけ。
だが空を観察するのは楽しい。
これは生き地獄でしか楽しめないことだ。
煩悩の中にいる人間は空に気付けない。
享楽ってそういうもんじゃねえの。
天国でもありかつ地獄でもある。
カルト宗教から今やちゃっかり教派神道とかに加盟してる大本とかなら、解脱って出口なおみたいになることだったりすんじゃねの。
あれ現代に生きてたらただの精神病だろ。
同一化っつうか不同不異だな。
同一化からも差異化からもみそっかすでいること。
「不」ってのは単純な否定じゃないんだよなー。「非」や「否」ではない。
不同不異なら、両方であっていいし両方でなくていい、的な。
非同非異だと、同でも異でもあってはならない、となる。
「不」なんだよなー。
論理学的立場から言えばすんげー卑怯な記号なんだよなー。
「八不」を「二項対立の否定」とか言ってる奴は「不」という記号を読み誤ってる。
そもそも空自体が二項対立についての考察で成り立っているわけで。
この「不」の読み違いが「一切の二項対立の排除」となって虚無主義になったと思うんだなあ。
パートナーに父の名がありゃ、片方は精神病でもイマジネールな補助機構(あるいはサントームという補助機構)だけで十分やってけるってのは、シュレーバーがそうだったんだよな。
わたしは自分がどうかわからんが少なくとも藤田博史からは境界例と診断され他の医師が境界例だとするような人でも統合失調症と診断するかつての小笠原クリニックだったら統合失調症になってたんだろうなーってな感じだが、なんとなくそれはわかる気はするわ。
父の名をインセプション()されたわけではないが、精神分析的な意味での世界がそれに守られているわけではないが、父の名を持つパートナーの言動でいろいろ補足される。
まあ、まだましなだけさ。
まあ、一切空也とかぶっちゃけニーチェの「全ては仮象である」ってことだとは思うし、「正覚とは空をよく知ること」とか言ってるのは積極的ニヒリズムっぺえんだが、ニーチェには解脱がねえんだよな。
それは救いなのかね。
それは人間じゃなくなることだったりすると思うんだが。
むしろ生き地獄に落ちることじゃないかね。
それを「あなたたち人類のために私が受苦しているのです」なんて厚かましいことはわたしは言えない。
わたしが人間がうざいだけ。
生き地獄の方がまだましなだけ。
だが空を観察するのは楽しい。
これは生き地獄でしか楽しめないことだ。
煩悩の中にいる人間は空に気付けない。
享楽ってそういうもんじゃねえの。
天国でもありかつ地獄でもある。
カルト宗教から今やちゃっかり教派神道とかに加盟してる大本とかなら、解脱って出口なおみたいになることだったりすんじゃねの。
あれ現代に生きてたらただの精神病だろ。
同一化っつうか不同不異だな。
同一化からも差異化からもみそっかすでいること。
「不」ってのは単純な否定じゃないんだよなー。「非」や「否」ではない。
不同不異なら、両方であっていいし両方でなくていい、的な。
非同非異だと、同でも異でもあってはならない、となる。
「不」なんだよなー。
論理学的立場から言えばすんげー卑怯な記号なんだよなー。
「八不」を「二項対立の否定」とか言ってる奴は「不」という記号を読み誤ってる。
そもそも空自体が二項対立についての考察で成り立っているわけで。
この「不」の読み違いが「一切の二項対立の排除」となって虚無主義になったと思うんだなあ。
パートナーに父の名がありゃ、片方は精神病でもイマジネールな補助機構(あるいはサントームという補助機構)だけで十分やってけるってのは、シュレーバーがそうだったんだよな。
わたしは自分がどうかわからんが少なくとも藤田博史からは境界例と診断され他の医師が境界例だとするような人でも統合失調症と診断するかつての小笠原クリニックだったら統合失調症になってたんだろうなーってな感じだが、なんとなくそれはわかる気はするわ。
父の名をインセプション()されたわけではないが、精神分析的な意味での世界がそれに守られているわけではないが、父の名を持つパートナーの言動でいろいろ補足される。
まあ、まだましなだけさ。
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