「日本人は精神分析できない」
2015/07/20/Mon
ラカンは「日本人は精神分析不可能だ」と言ったが、その「精神分析不可能な日本人」の象徴がイザナギだと思うのな。
彼は「毎日1500人子供を産ませる」とか言ってるだろ。
つまり「性関係はなされるべき」という考えの子なわけだ。
一方、精神分析とは、「性関係は存在しない現実」を知ることである。
精神分析ではイザナギみたいなのは「性関係という幻想に固着している主体」となろう。
ゆえに、その末裔を天皇としてありがたがっている日本人は精神分析不可能である、と。
イザナミの末裔だとか言ってるならわからなくもないがな。
「毎日子供を1000人殺す」と言ったイザナミは、性関係は存在しない現実を生きているのだ。
精神分析的主体である。
「性関係の象徴」がファルスであって、「ファルスという性関係の象徴があるから性関係は存在する」と人間は考えるわけだな。
性関係という幻想を現実だと思い込む。そういう妄想狂として生きる。
なので「産めよ増やせよ」の象徴として天皇一族を担いでいる日本はファルス国家であるわけだよ。
アニミズムとか基本的に「産めよ増やせよ」なわけだが、そういうのは女系文化とかに分類されたりすることもあるんだが、「産めよ増やせよ」って発想自体が男であれ女であれファルスなんだな。
ラカン派においては「男」であるわけだ。それが生物学的に女であっても。
たとえばわたし自身大概トラウマになってるんだが、「人間ってほんとどうしようもねえな」と人間をあきらめるきっかけにもなったのだが、レイプ被害の掲示板みたいなのがあってな。そこに自分自身はレイプ被害を受けてないババアたちが集まってて、レイプ被害者たちに対し「性関係という現実を受け入れなさい」みたいな話で盛り上がってたんだな。
こういうババアたちこそが女系文化と分類されうるが実体としては男性原理たる「産めよ増やせよ」的なアニミズム文化と言えよう。
そういうババアたちに限って「セカンドレイプは許されない」と言うが、お前がレイプ被害者に対して「性関係という現実を受け入れなさい」と言うのがセカンドレイプだろ、と。しみじみ人間の精神とはグロテスクなものだと思った。
このときレイプ被害者に「性関係という現実を受け入れなさい」と教えたがっていたババアたちは生物学的に女であってもファルスの主体であり、精神分析においては「男」とされる。
一方、「性関係は存在しない現実」と直面しているのがラカン派の言う「女」である。
日本神話のイザナミこそが、精神分析的な主体なのである。
「日本人は精神分析できない」とは、日本人は性関係という妄想を妄想だと気付くことが難しい民族だとラカンは言っているのだと思うんだな。
それこそDSMの言う愛着障害のように性関係という妄想に固着しているのがイザナギであり、そういう愛着障害者を国家の象徴としているのが日本という文化なのだな。
「毎日1500人子供を産ませる」と言ったイザナギみたいな考え方は、精神分析では論外なのだな。
しいて言えばここで書いているように予備面接でクリアされるべき問題。
雅子様がイザナミにだぶるぜ。
離婚しちゃえばいいのに、某ダイアナみたいに。
雅子様とかは精神分析的主体と言えるであろう。
こんなことを考えたのは、「男だって女にふられるという被害に逢う」とか言ってた子がいて、「じゃあどういう状態ならいいのよ」と聞いたら、「セックスしたらトントン」と言った子がいたんだな。
これについて、わたしはアメリカのある裁判を思い出した。レイプ犯が起訴されたのだが、「自分は女にふられるという被害に逢った。レイプはそれに対する正当防衛だ」として無罪を主張した人がいるんだよ。
もちろんそいつは有罪になったのだが、彼は自分の「セックスしたらトントン」という考え方が、このレイプ犯と同じ考え方ということに気付いているのだろうか、と。
そういう考え方をする自分に罪悪感を持っていないわけだ。
こういう子は精神分析不可能だと思えるんだな。「レイプは正当防衛だ」と主張したレイプ犯と同様に。
性関係をなすことが正しいことだと信じている。性関係は存在するのが現実だと思い込んでいる。
だからレイプは犯罪ではない、彼らにとって。
そのレイプ犯は愛着障害と診断されていた。
こういった「性関係をなすこと」に罪悪感を持たない人たちは、「毎日1500人子供産ませる」と言ったイザナギとだぶる。
そんなことから書いた記事でした。
あとあれだ、エロマンガでレイプする男に「現実ってものを教えてやるよ」とかセリフを言わせてた作品があったりしてな。
基本的に「産めよ増やせよ」的なアニミズム信仰(日本の天皇信仰含む)と、こういったエロマンガの発想は同じなんだよね。ファルスという精神分析においては論外の問題。
「性関係が無条件に許されるわけねえだろ」ってところから精神分析ははじまっているんだな。
「そんなのいいわけがない」って発想が、アニミズム文化の日本人にはないのではないだろうか。
イザナギが象徴するような「産めよ増やせよ」が無条件に正しいと考えるアニミズム文化であるゆえに。
まとめると、「毎日1500人子供産ませてやる」と言うイザナギや、エロマンガで「現実を教えてやるよ」と言ってレイプする男や、「セックスしたらトントン」と言った子や、「レイプは正当防衛だ」として無罪を主張したレイプ犯や、レイプ被害者に「性関係という現実を受け入れなさい」と教えたがるババアたちに共通しているのが、「性関係とは現実である」という妄想なわけだ。
それが精神分析において論外(あるいは予備面接でクリアされるべき問題)であるファルスという機制なわけだ。
このファルスという機制のせいで、レイプが犯罪であるという発想がなあなあになる。
「セックスしたらトントン」と言った彼のように、自分の考え方に罪悪感を持てない。
ゆえに、日本人は精神分析不可能だとなる、と。
DSM的に言えば、愛着障害とは性関係についての幻想に固着し、その幻想を幻想だと気付けない障害である。「レイプは正当防衛だ」と言ったレイプ犯にとっては、性関係は現実であるから、正当防衛となるのである。現実であるから罪悪感を持たない。
これってまさにイザナギだろ。
日本も陪審員制になったが、レイプ犯にはこういう主張をしてみてほしいものである。
もしかしたら正当防衛が認められるかもしれないと思えるのが「精神分析できない日本人」の恐ろしいところ。
「イザナギだって「産めよ増やせよ」だろ? 性関係がなされるのが現実だろ。レイプの何が悪いんだ? 性関係を拒否する女に性関係は存在する現実を教えてやってんだ。女たちもその被害者に対して「性関係という現実を受け入れろ」と言ってるだろ」とか言ってみてくれ。
それで正当防衛が一部でも認められたら日本人に精神分析は無理だとあきらめてあげる。
言い方を変えれば、「性関係を結ぼうとするとなぜ罪悪感を覚えるのだろうか」というキリスト教の原罪的な問題提起から精神分析ははじまっている、という話でもある。
だから、性関係を結ぼうとして罪悪感を覚えない、レイプしても罪悪感を覚えない人たちは、精神分析の範疇外になる、と。
ちなみに精神分析はその問題提起について、「性関係は存在しない現実に向かう本能が人間にはあるから」という考え方をしている。その本能が死の欲動だと。
それはそうとして、「つまりキリスト教の原罪って発想からはじまった西洋文化なわけだから日本はカンケーねえだろ」と反論があるかもしれないが、日本にも煩悩を解脱しようとする仏教という考え方があるはずなんだがなあ、でも確かに現代日本仏教は煩悩バンジャイになってるしなあ、とかごにょごにょなる。まあなんだキリスト教で言えば聖職者も結婚できるとしたプロテスタントみたいなのが日本仏教だとも言えるかもしれんが。まあわたしはしいて言えば仏教派だが。
神仏論争は意外と神道が勝ってるのかもよ。「性関係は現実である」とするイザナギが、アニミズム文化が勝ってる、と。
だからわたしはこのブログで何度も言ってるだろ。
わたしは「毎日1000人子供を殺す」と言ったイザナミだ、と。
性関係は存在しない現実を生きる、黄泉を生きる女がわたしだ。
イザナミこそが仏教の言う煩悩を解脱した正覚者だったりしねえかい。
イザナミこそが「性関係は存在しない現実に向かう本能」を象徴する神様だったりしねえかい。
たまたま西洋ではそれをヤハウェだとしただけで。
「わたしはイザナミだ」とか言ったが別に神を信仰しているわけではない。わたしはわたしにある「性関係は存在しない現実に向かう本能」を証言しているだけである。
わたし以外の人間にそういう本能がないのなら仕方ない。わたしにはそれがあるだけだ。
とか書いたが最近はキリスト教の言う神(神性)とか、仏教の言う仏性とかって、要するに「性関係は存在しない現実に向かう人間の本能」ってことじゃねえの、って思うが。
それを神だとか仏だとか言うからファルスな人たちが歪曲しちゃってんじゃねえの、って思う。
信仰とかでもないんだよなあ。信じる信じないじゃないのよな。現実としてそういう何かがあるだけで。
単純にわたしにはそういうものがあるという事実を言っているだけ。
まあなんだ、最近はそういう本能がないのが人間という生き物なのかなとか思うようにもなってるし。全的堕落って奴っすか。人間に神性は存在しない、と。
まあ別にいいんじゃねえの、原罪あるいは煩悩を生きていても。本人がその方がいいのなら。って最近は考えてる。人間ってほんとどうしようもねえなってあきらめてる。レイプしても罪悪感を持てないのが本音ならそれで仕方ないんじゃね、と。レイプ被害者に同調するフリをして近づいて「性関係という現実を受け入れなさい」と言いたがるババアたちもそう言う自分が気持ち悪く思えないなら仕方ない。
他の人間たちになくても、わたしには、自分がいやでも、神性、仏性があってしまう。「性関係は存在しない現実に向かってしまう本能」がわたしにはあってしまう。自分が「現実を教えてやる」としてレイプしたり、レイプ被害者に「性関係という現実を受け入れなさい」と言ったなら、わたしは自分がいやになる。そう思う自分がいやでもそう思ってしまう。
お前らが自分のその考え方に罪悪感を持てないのなら、すなわち「私には神性、仏性がない」と言うなら仕方ない。
人間とは神性、仏性なるものがない生き物なのかもしれない。
わたしはそんな生き物は絶滅してもかまわないんじゃねと思うだけ。もちろん自分含めてだが。
種が絶滅することがありえるのが現実だろうに。
種が絶滅しないってことの方が幻想である。
誰ぞか「タナトスの子どもたち」って本を書いてたが、「イザナギの子どもたち」「ファルスの子どもたち」ってのを考えた方がいいんじゃねえの。
レイプを犯罪と思わないで済む狂気であるそれを。
わたしは「タナトスの子ども」でよい。わたしはイザナギなんて存在しない黄泉を生きている。わたしの世界にはレイプを犯罪だと思わないで済む狂気は存在しない。
余談だが、イザナミも自分の腐った体についてイザナギに「振り返らないで」って言ったのがあれだな。ファルスに妥協している。
わたしはイザナギに「振り返れよ」と言うイザナミだ。
「お前が求めている性関係の実体は、この腐った肉だよ」と教えてやる。
性関係とは幻想であることを証明してやる。
性関係は存在しない現実を教えてやる。
それでもわたしという腐った肉が見えないなら、仕方がない。お前に神性、仏性はないと認めてやる。
お前に精神分析は不可能だと認めてやる。
胸を張って堕落すればよい。
イザナギのように。ファルスとして。
人間がそういう生き物であればあるほど、わたしは人間をあきらめられる。
逆に言えば、「性関係は存在しない現実に向かう本能が人間にはある」としている精神分析は、それを神性あるいは仏性とするなら、「人間には誰しも神性あるいは仏性がある」って考え方なんだよな。
全的堕落の逆バージョン。全的神性とでも言おうか。
カルヴィニズムはだから嫌いだ。つかキリスト教が嫌いなのはわたしがたまたま行った教会で牧師がそういう話をしていたからだが、全的堕落に真っ向から反論するカトリックの小笠原晋也の言説を読んでキリスト教を見直した。
わたしの脳内では「煩悩から解脱しようとする仏教」vs「煩悩がない人にも原罪だと言って煩悩があるとするキリスト教」だったんだな。煩悩から解脱しようとする人の足を引っ張るのがキリスト教だと思ってた。でも小笠原晋也の考えるキリスト教は仏教と同じ「煩悩から解脱しようとする」ものだった。
ごめんねキリスト教。カルヴィニズムがいけないんだよ。全的堕落って「人間は全員堕落しているから、神に近づきましょう」って話だと思うんだが、「人間は全員堕落しているから堕落して生きていていいんだ」とか考える倒錯者を増やしてんじゃねえの。
特に「イザナギの子どもたち」である日本では。
ふとシモネタアラフォーババアのEさんを思い出した。
彼女の母親は自称レイプ被害者で、娘であるEさんに「レイプされる現実を受け入れなさい」というような話をする人だったそうだ。
「性関係という現実を受け入れなさい」と言うのが母親である場合もある、と。
Eさんの母親も、レイプ掲示板のババアたちも、そうやって「性関係という現実」を教える自分を気持ち悪く思わないのだろうか。
「レイプは正当防衛だ」と言うレイプ犯や「セックスしたらトントン」と言う子と発想として同じなのに、そういう自分の発想に、罪悪感とはいかないまでも気持ち悪さや違和感などを覚えないのだろうか。
覚えないのかもな。
むしろそういうババアたちが「レイプは正当防衛だ」と言うレイプ犯や「セックスしたらトントン」と言う子を育ててたりするんだろう。
「性関係は現実だから、レイプしても罪悪感を覚えたり自分をいやに思ったりしなくていいのよ」的な。
イザナギファルス文化の日本人恐るべし。さすがイザナギという愛着障害者を神様と祀る文化である。グロテスク極まりない。男も女も共犯でレイプを犯罪じゃなくしている。
日本人には、いやさ、人間には神性、仏性はないのかもしれないな。人類はなべて堕落した生き物なのかもしれない。カルヴィニズムは正しいのかもしれない。
まあそれならいいよ、人類絶滅しちゃって。
そりゃEさんも自殺するわ(彼女自殺未遂経験者です)。
ヒステリー女性を自殺に追い込むのは、こういった「イザナギの子ども」たちのせいかもしれんな。
「性関係は存在しない現実に向かう本能」が許されない。
人間は全員堕落しているのであるから、神性、仏性がある主体は、堕落していない主体は人間ではない。
堕落から逃れようとする主体は、自分の神性、仏性を殺せない主体は、自殺というその本能を端的に示すシニフィアンを選ぶしかない。
「神殺し」をしてなお飽きたらない堕落した人間たちは、性関係は存在しない現実に直面して生きる、神性、仏性から逃れられないヒステリーや自閉症を殺す。
イザナギは、イザナミを殺していることに気付け。
日本人は、その「産めよ増やせよ」というファルス主義が、ある種の人間たちを自殺に追い込んでいることに気付け。
そしたら多少罪悪感も湧くだろう。
彼は「毎日1500人子供を産ませる」とか言ってるだろ。
つまり「性関係はなされるべき」という考えの子なわけだ。
一方、精神分析とは、「性関係は存在しない現実」を知ることである。
精神分析ではイザナギみたいなのは「性関係という幻想に固着している主体」となろう。
ゆえに、その末裔を天皇としてありがたがっている日本人は精神分析不可能である、と。
イザナミの末裔だとか言ってるならわからなくもないがな。
「毎日子供を1000人殺す」と言ったイザナミは、性関係は存在しない現実を生きているのだ。
精神分析的主体である。
「性関係の象徴」がファルスであって、「ファルスという性関係の象徴があるから性関係は存在する」と人間は考えるわけだな。
性関係という幻想を現実だと思い込む。そういう妄想狂として生きる。
なので「産めよ増やせよ」の象徴として天皇一族を担いでいる日本はファルス国家であるわけだよ。
アニミズムとか基本的に「産めよ増やせよ」なわけだが、そういうのは女系文化とかに分類されたりすることもあるんだが、「産めよ増やせよ」って発想自体が男であれ女であれファルスなんだな。
ラカン派においては「男」であるわけだ。それが生物学的に女であっても。
たとえばわたし自身大概トラウマになってるんだが、「人間ってほんとどうしようもねえな」と人間をあきらめるきっかけにもなったのだが、レイプ被害の掲示板みたいなのがあってな。そこに自分自身はレイプ被害を受けてないババアたちが集まってて、レイプ被害者たちに対し「性関係という現実を受け入れなさい」みたいな話で盛り上がってたんだな。
こういうババアたちこそが女系文化と分類されうるが実体としては男性原理たる「産めよ増やせよ」的なアニミズム文化と言えよう。
そういうババアたちに限って「セカンドレイプは許されない」と言うが、お前がレイプ被害者に対して「性関係という現実を受け入れなさい」と言うのがセカンドレイプだろ、と。しみじみ人間の精神とはグロテスクなものだと思った。
このときレイプ被害者に「性関係という現実を受け入れなさい」と教えたがっていたババアたちは生物学的に女であってもファルスの主体であり、精神分析においては「男」とされる。
一方、「性関係は存在しない現実」と直面しているのがラカン派の言う「女」である。
日本神話のイザナミこそが、精神分析的な主体なのである。
「日本人は精神分析できない」とは、日本人は性関係という妄想を妄想だと気付くことが難しい民族だとラカンは言っているのだと思うんだな。
それこそDSMの言う愛着障害のように性関係という妄想に固着しているのがイザナギであり、そういう愛着障害者を国家の象徴としているのが日本という文化なのだな。
「毎日1500人子供を産ませる」と言ったイザナギみたいな考え方は、精神分析では論外なのだな。
しいて言えばここで書いているように予備面接でクリアされるべき問題。
雅子様がイザナミにだぶるぜ。
離婚しちゃえばいいのに、某ダイアナみたいに。
雅子様とかは精神分析的主体と言えるであろう。
こんなことを考えたのは、「男だって女にふられるという被害に逢う」とか言ってた子がいて、「じゃあどういう状態ならいいのよ」と聞いたら、「セックスしたらトントン」と言った子がいたんだな。
これについて、わたしはアメリカのある裁判を思い出した。レイプ犯が起訴されたのだが、「自分は女にふられるという被害に逢った。レイプはそれに対する正当防衛だ」として無罪を主張した人がいるんだよ。
もちろんそいつは有罪になったのだが、彼は自分の「セックスしたらトントン」という考え方が、このレイプ犯と同じ考え方ということに気付いているのだろうか、と。
そういう考え方をする自分に罪悪感を持っていないわけだ。
こういう子は精神分析不可能だと思えるんだな。「レイプは正当防衛だ」と主張したレイプ犯と同様に。
性関係をなすことが正しいことだと信じている。性関係は存在するのが現実だと思い込んでいる。
だからレイプは犯罪ではない、彼らにとって。
そのレイプ犯は愛着障害と診断されていた。
こういった「性関係をなすこと」に罪悪感を持たない人たちは、「毎日1500人子供産ませる」と言ったイザナギとだぶる。
そんなことから書いた記事でした。
あとあれだ、エロマンガでレイプする男に「現実ってものを教えてやるよ」とかセリフを言わせてた作品があったりしてな。
基本的に「産めよ増やせよ」的なアニミズム信仰(日本の天皇信仰含む)と、こういったエロマンガの発想は同じなんだよね。ファルスという精神分析においては論外の問題。
「性関係が無条件に許されるわけねえだろ」ってところから精神分析ははじまっているんだな。
「そんなのいいわけがない」って発想が、アニミズム文化の日本人にはないのではないだろうか。
イザナギが象徴するような「産めよ増やせよ」が無条件に正しいと考えるアニミズム文化であるゆえに。
まとめると、「毎日1500人子供産ませてやる」と言うイザナギや、エロマンガで「現実を教えてやるよ」と言ってレイプする男や、「セックスしたらトントン」と言った子や、「レイプは正当防衛だ」として無罪を主張したレイプ犯や、レイプ被害者に「性関係という現実を受け入れなさい」と教えたがるババアたちに共通しているのが、「性関係とは現実である」という妄想なわけだ。
それが精神分析において論外(あるいは予備面接でクリアされるべき問題)であるファルスという機制なわけだ。
このファルスという機制のせいで、レイプが犯罪であるという発想がなあなあになる。
「セックスしたらトントン」と言った彼のように、自分の考え方に罪悪感を持てない。
ゆえに、日本人は精神分析不可能だとなる、と。
DSM的に言えば、愛着障害とは性関係についての幻想に固着し、その幻想を幻想だと気付けない障害である。「レイプは正当防衛だ」と言ったレイプ犯にとっては、性関係は現実であるから、正当防衛となるのである。現実であるから罪悪感を持たない。
これってまさにイザナギだろ。
日本も陪審員制になったが、レイプ犯にはこういう主張をしてみてほしいものである。
もしかしたら正当防衛が認められるかもしれないと思えるのが「精神分析できない日本人」の恐ろしいところ。
「イザナギだって「産めよ増やせよ」だろ? 性関係がなされるのが現実だろ。レイプの何が悪いんだ? 性関係を拒否する女に性関係は存在する現実を教えてやってんだ。女たちもその被害者に対して「性関係という現実を受け入れろ」と言ってるだろ」とか言ってみてくれ。
それで正当防衛が一部でも認められたら日本人に精神分析は無理だとあきらめてあげる。
言い方を変えれば、「性関係を結ぼうとするとなぜ罪悪感を覚えるのだろうか」というキリスト教の原罪的な問題提起から精神分析ははじまっている、という話でもある。
だから、性関係を結ぼうとして罪悪感を覚えない、レイプしても罪悪感を覚えない人たちは、精神分析の範疇外になる、と。
ちなみに精神分析はその問題提起について、「性関係は存在しない現実に向かう本能が人間にはあるから」という考え方をしている。その本能が死の欲動だと。
それはそうとして、「つまりキリスト教の原罪って発想からはじまった西洋文化なわけだから日本はカンケーねえだろ」と反論があるかもしれないが、日本にも煩悩を解脱しようとする仏教という考え方があるはずなんだがなあ、でも確かに現代日本仏教は煩悩バンジャイになってるしなあ、とかごにょごにょなる。まあなんだキリスト教で言えば聖職者も結婚できるとしたプロテスタントみたいなのが日本仏教だとも言えるかもしれんが。まあわたしはしいて言えば仏教派だが。
神仏論争は意外と神道が勝ってるのかもよ。「性関係は現実である」とするイザナギが、アニミズム文化が勝ってる、と。
だからわたしはこのブログで何度も言ってるだろ。
わたしは「毎日1000人子供を殺す」と言ったイザナミだ、と。
性関係は存在しない現実を生きる、黄泉を生きる女がわたしだ。
イザナミこそが仏教の言う煩悩を解脱した正覚者だったりしねえかい。
イザナミこそが「性関係は存在しない現実に向かう本能」を象徴する神様だったりしねえかい。
たまたま西洋ではそれをヤハウェだとしただけで。
「わたしはイザナミだ」とか言ったが別に神を信仰しているわけではない。わたしはわたしにある「性関係は存在しない現実に向かう本能」を証言しているだけである。
わたし以外の人間にそういう本能がないのなら仕方ない。わたしにはそれがあるだけだ。
とか書いたが最近はキリスト教の言う神(神性)とか、仏教の言う仏性とかって、要するに「性関係は存在しない現実に向かう人間の本能」ってことじゃねえの、って思うが。
それを神だとか仏だとか言うからファルスな人たちが歪曲しちゃってんじゃねえの、って思う。
信仰とかでもないんだよなあ。信じる信じないじゃないのよな。現実としてそういう何かがあるだけで。
単純にわたしにはそういうものがあるという事実を言っているだけ。
まあなんだ、最近はそういう本能がないのが人間という生き物なのかなとか思うようにもなってるし。全的堕落って奴っすか。人間に神性は存在しない、と。
まあ別にいいんじゃねえの、原罪あるいは煩悩を生きていても。本人がその方がいいのなら。って最近は考えてる。人間ってほんとどうしようもねえなってあきらめてる。レイプしても罪悪感を持てないのが本音ならそれで仕方ないんじゃね、と。レイプ被害者に同調するフリをして近づいて「性関係という現実を受け入れなさい」と言いたがるババアたちもそう言う自分が気持ち悪く思えないなら仕方ない。
他の人間たちになくても、わたしには、自分がいやでも、神性、仏性があってしまう。「性関係は存在しない現実に向かってしまう本能」がわたしにはあってしまう。自分が「現実を教えてやる」としてレイプしたり、レイプ被害者に「性関係という現実を受け入れなさい」と言ったなら、わたしは自分がいやになる。そう思う自分がいやでもそう思ってしまう。
お前らが自分のその考え方に罪悪感を持てないのなら、すなわち「私には神性、仏性がない」と言うなら仕方ない。
人間とは神性、仏性なるものがない生き物なのかもしれない。
わたしはそんな生き物は絶滅してもかまわないんじゃねと思うだけ。もちろん自分含めてだが。
種が絶滅することがありえるのが現実だろうに。
種が絶滅しないってことの方が幻想である。
誰ぞか「タナトスの子どもたち」って本を書いてたが、「イザナギの子どもたち」「ファルスの子どもたち」ってのを考えた方がいいんじゃねえの。
レイプを犯罪と思わないで済む狂気であるそれを。
わたしは「タナトスの子ども」でよい。わたしはイザナギなんて存在しない黄泉を生きている。わたしの世界にはレイプを犯罪だと思わないで済む狂気は存在しない。
余談だが、イザナミも自分の腐った体についてイザナギに「振り返らないで」って言ったのがあれだな。ファルスに妥協している。
わたしはイザナギに「振り返れよ」と言うイザナミだ。
「お前が求めている性関係の実体は、この腐った肉だよ」と教えてやる。
性関係とは幻想であることを証明してやる。
性関係は存在しない現実を教えてやる。
それでもわたしという腐った肉が見えないなら、仕方がない。お前に神性、仏性はないと認めてやる。
お前に精神分析は不可能だと認めてやる。
胸を張って堕落すればよい。
イザナギのように。ファルスとして。
人間がそういう生き物であればあるほど、わたしは人間をあきらめられる。
逆に言えば、「性関係は存在しない現実に向かう本能が人間にはある」としている精神分析は、それを神性あるいは仏性とするなら、「人間には誰しも神性あるいは仏性がある」って考え方なんだよな。
全的堕落の逆バージョン。全的神性とでも言おうか。
カルヴィニズムはだから嫌いだ。つかキリスト教が嫌いなのはわたしがたまたま行った教会で牧師がそういう話をしていたからだが、全的堕落に真っ向から反論するカトリックの小笠原晋也の言説を読んでキリスト教を見直した。
わたしの脳内では「煩悩から解脱しようとする仏教」vs「煩悩がない人にも原罪だと言って煩悩があるとするキリスト教」だったんだな。煩悩から解脱しようとする人の足を引っ張るのがキリスト教だと思ってた。でも小笠原晋也の考えるキリスト教は仏教と同じ「煩悩から解脱しようとする」ものだった。
ごめんねキリスト教。カルヴィニズムがいけないんだよ。全的堕落って「人間は全員堕落しているから、神に近づきましょう」って話だと思うんだが、「人間は全員堕落しているから堕落して生きていていいんだ」とか考える倒錯者を増やしてんじゃねえの。
特に「イザナギの子どもたち」である日本では。
ふとシモネタアラフォーババアのEさんを思い出した。
彼女の母親は自称レイプ被害者で、娘であるEさんに「レイプされる現実を受け入れなさい」というような話をする人だったそうだ。
「性関係という現実を受け入れなさい」と言うのが母親である場合もある、と。
Eさんの母親も、レイプ掲示板のババアたちも、そうやって「性関係という現実」を教える自分を気持ち悪く思わないのだろうか。
「レイプは正当防衛だ」と言うレイプ犯や「セックスしたらトントン」と言う子と発想として同じなのに、そういう自分の発想に、罪悪感とはいかないまでも気持ち悪さや違和感などを覚えないのだろうか。
覚えないのかもな。
むしろそういうババアたちが「レイプは正当防衛だ」と言うレイプ犯や「セックスしたらトントン」と言う子を育ててたりするんだろう。
「性関係は現実だから、レイプしても罪悪感を覚えたり自分をいやに思ったりしなくていいのよ」的な。
イザナギファルス文化の日本人恐るべし。さすがイザナギという愛着障害者を神様と祀る文化である。グロテスク極まりない。男も女も共犯でレイプを犯罪じゃなくしている。
日本人には、いやさ、人間には神性、仏性はないのかもしれないな。人類はなべて堕落した生き物なのかもしれない。カルヴィニズムは正しいのかもしれない。
まあそれならいいよ、人類絶滅しちゃって。
そりゃEさんも自殺するわ(彼女自殺未遂経験者です)。
ヒステリー女性を自殺に追い込むのは、こういった「イザナギの子ども」たちのせいかもしれんな。
「性関係は存在しない現実に向かう本能」が許されない。
人間は全員堕落しているのであるから、神性、仏性がある主体は、堕落していない主体は人間ではない。
堕落から逃れようとする主体は、自分の神性、仏性を殺せない主体は、自殺というその本能を端的に示すシニフィアンを選ぶしかない。
「神殺し」をしてなお飽きたらない堕落した人間たちは、性関係は存在しない現実に直面して生きる、神性、仏性から逃れられないヒステリーや自閉症を殺す。
イザナギは、イザナミを殺していることに気付け。
日本人は、その「産めよ増やせよ」というファルス主義が、ある種の人間たちを自殺に追い込んでいることに気付け。
そしたら多少罪悪感も湧くだろう。
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