「抑圧」と「分離」
2015/07/22/Wed
前記事で「抑圧」と「分離」は違うって書いたけどこれについてああわたしうまいこと言ったと思ったことがあるので書いておこう。
ファルスというのは、性関係を象徴するもので、それによってその子は性関係を「征服」する感じになるんだな。
んで性関係にある自分をも「征服」する「でっかいちんこ」として父という幻想を形成する。
これがファルスとそれと表裏一体な(象徴的)父という幻想。
まあ「抑圧」とは根っことして「性関係を征服する」ものなわけだよ。
「征服」と「分離」は違うだろ?
「A国がB国を征服しました」って言うとき、B国はA国から「分離」してるわけじゃないだろ?
むしろ正反対だ。
いじょ、説明終わり。
こういった「抑圧」と「分離」を勘違いしている男とか見分けるの簡単なんだよな、女だからかもしれんが。
「性関係は存在しない」とか口先では言ってるけどちょっと性的な志向を見せたとき揚げ足取ったら「これぐらいいいだろ」とか言い返してきたりすんだよ。
「これぐらいいいだろ」って思えるのが「それを抑えることで性関係を保護維持する抑圧」という精神構造。
この構造が一語に集約されておろう。
あれだよ、女は健全に育って「セックスって不快なもんだろー」って感覚を持つ大人になるわけだが、男ってセックスであればなんでもかんでも気持ちいいみたいに考えてるじゃん。でそういうのむかつくじゃんってのが「ペニス妬み」でわたしも大概そうなのだが、だからと言って「男みたいになんでもかんでも気持ちいいセックスしたい」とか思わないんだな。だから「ペニス羨望」じゃなくて「ペニス妬み」とわたしは書くが。原語はドイツ語だが「妬み」って翻訳でもあってるんだよな。つかそれを「羨望」って書くから日本は「女が精神分析を受けると曖昧なものがはっきりしてくる」って考えにならねえんじゃねえの、と。「妬み」と「羨望」ってぜんぜん違わなくね。
「羨望」してるんじゃねえんだよな。男に「セックスは不快なものでありうる」と教えてやってんだよ。
この「セックスは不快なものでありうる」っていうのがまさに「人間は煩悩を生きたがるが、煩悩から解脱しようというのが人間の本願である」って奴だ。煩悩の正体だ。
なので「自分にとってはセックスが特別気持ちいいわけじゃなく、セックスが特別気持ちいいと思っているような男子にむかついてしまう」女子は、自分は煩悩まみれな男に対し「少しでも煩悩の正体に、その煩悩自体に煩悩から解脱したがる気持ちが含まれていると気付かせようとしている」と思っときなせえ。あごめん特定の女子宛てだったわたしの脳内で。
それでも「いやお前は男みたいななんでもかんでも気持ちいいセックスを羨ましがってんだろ」とか言ってきたらそいつに神性、仏性はないと思えばよい。
神性がないんだから生きてようが死んでようがどうでもいいわけだ、そんな人間は。
まあ逆にそういう男が精神分析村に多いから困るんだが。
そういう場合は「ファルスのおかげでセックスは一律快楽である」というファルス脳な自分を、「普通に育ってセックスが快楽となりうるわけではない」女に投影しているわけだ。
だから精神分析やっちゃめーよ、女は。
精神分析的な主体が精神分析やると精神分析的じゃなくさせられてしまうという日本精神分析村のアホさ。
アホ村の一員でーす。
お前らが生きてようが死んでようがそこいらで交尾してようが構わんのだが、煩悩から解脱しようとする奴の足を引っ張るのはやめろよ。
女でもわかりにくい本能なんだから。
「男ってセックスであればなんでもかんでも気持ちいいみたいに考えてるじゃん。」ってところを補足しておこう。
ちんことまんこで考えるとよい。
たとえばまんこにおいてはそれこそレイプされるのは苦痛であるが、性関係である。膣による性関係は不快を意味しうる。
一方ちんこはどうか。たとえば誰かにちんこを蹴られたとしよう。それは性関係ではないとなろう。まあそういうのも性関係だと思える倒錯者もたまにはいるだろうが。大体の話な。
つまり、陰茎に対する痛みや不快さは、おおむね性関係と呼ばれない。そういう言語構造になっている。
このように、言語構造として、ちんこが介する性関係はすべて快楽だということになっておるのだ。
逆に言えば、それにおける性関係がすべて快楽だと無意識の言語構造として定義されているのが、ファルスという「性関係の象徴」なわけだよ。
一方、レイプという不快な性関係を介しうるまんこは、無意識の言語構造における定義にあわないからファルスではないわけだ。
まあ誰かにちんこ蹴られて「レイプされた!」と本気で思うような男の子だったらちんこついててもファルスな人じゃないかもなーと思ってあげなくはない。
ファルスというのは、性関係を象徴するもので、それによってその子は性関係を「征服」する感じになるんだな。
んで性関係にある自分をも「征服」する「でっかいちんこ」として父という幻想を形成する。
これがファルスとそれと表裏一体な(象徴的)父という幻想。
まあ「抑圧」とは根っことして「性関係を征服する」ものなわけだよ。
「征服」と「分離」は違うだろ?
「A国がB国を征服しました」って言うとき、B国はA国から「分離」してるわけじゃないだろ?
むしろ正反対だ。
いじょ、説明終わり。
こういった「抑圧」と「分離」を勘違いしている男とか見分けるの簡単なんだよな、女だからかもしれんが。
「性関係は存在しない」とか口先では言ってるけどちょっと性的な志向を見せたとき揚げ足取ったら「これぐらいいいだろ」とか言い返してきたりすんだよ。
「これぐらいいいだろ」って思えるのが「それを抑えることで性関係を保護維持する抑圧」という精神構造。
この構造が一語に集約されておろう。
あれだよ、女は健全に育って「セックスって不快なもんだろー」って感覚を持つ大人になるわけだが、男ってセックスであればなんでもかんでも気持ちいいみたいに考えてるじゃん。でそういうのむかつくじゃんってのが「ペニス妬み」でわたしも大概そうなのだが、だからと言って「男みたいになんでもかんでも気持ちいいセックスしたい」とか思わないんだな。だから「ペニス羨望」じゃなくて「ペニス妬み」とわたしは書くが。原語はドイツ語だが「妬み」って翻訳でもあってるんだよな。つかそれを「羨望」って書くから日本は「女が精神分析を受けると曖昧なものがはっきりしてくる」って考えにならねえんじゃねえの、と。「妬み」と「羨望」ってぜんぜん違わなくね。
「羨望」してるんじゃねえんだよな。男に「セックスは不快なものでありうる」と教えてやってんだよ。
この「セックスは不快なものでありうる」っていうのがまさに「人間は煩悩を生きたがるが、煩悩から解脱しようというのが人間の本願である」って奴だ。煩悩の正体だ。
なので「自分にとってはセックスが特別気持ちいいわけじゃなく、セックスが特別気持ちいいと思っているような男子にむかついてしまう」女子は、自分は煩悩まみれな男に対し「少しでも煩悩の正体に、その煩悩自体に煩悩から解脱したがる気持ちが含まれていると気付かせようとしている」と思っときなせえ。あごめん特定の女子宛てだったわたしの脳内で。
それでも「いやお前は男みたいななんでもかんでも気持ちいいセックスを羨ましがってんだろ」とか言ってきたらそいつに神性、仏性はないと思えばよい。
神性がないんだから生きてようが死んでようがどうでもいいわけだ、そんな人間は。
まあ逆にそういう男が精神分析村に多いから困るんだが。
そういう場合は「ファルスのおかげでセックスは一律快楽である」というファルス脳な自分を、「普通に育ってセックスが快楽となりうるわけではない」女に投影しているわけだ。
だから精神分析やっちゃめーよ、女は。
精神分析的な主体が精神分析やると精神分析的じゃなくさせられてしまうという日本精神分析村のアホさ。
アホ村の一員でーす。
お前らが生きてようが死んでようがそこいらで交尾してようが構わんのだが、煩悩から解脱しようとする奴の足を引っ張るのはやめろよ。
女でもわかりにくい本能なんだから。
「男ってセックスであればなんでもかんでも気持ちいいみたいに考えてるじゃん。」ってところを補足しておこう。
ちんことまんこで考えるとよい。
たとえばまんこにおいてはそれこそレイプされるのは苦痛であるが、性関係である。膣による性関係は不快を意味しうる。
一方ちんこはどうか。たとえば誰かにちんこを蹴られたとしよう。それは性関係ではないとなろう。まあそういうのも性関係だと思える倒錯者もたまにはいるだろうが。大体の話な。
つまり、陰茎に対する痛みや不快さは、おおむね性関係と呼ばれない。そういう言語構造になっている。
このように、言語構造として、ちんこが介する性関係はすべて快楽だということになっておるのだ。
逆に言えば、それにおける性関係がすべて快楽だと無意識の言語構造として定義されているのが、ファルスという「性関係の象徴」なわけだよ。
一方、レイプという不快な性関係を介しうるまんこは、無意識の言語構造における定義にあわないからファルスではないわけだ。
まあ誰かにちんこ蹴られて「レイプされた!」と本気で思うような男の子だったらちんこついててもファルスな人じゃないかもなーと思ってあげなくはない。
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