偽精神分析学
2015/07/22/Wed
ねえねえ、提案なんだけど。
日本のラカン派とか特に自分で精神分析を受けず本だけ読んで精神分析を冠した著作を出している人がいたりするけど(原和之とか)、精神分析の実践している人からみたらとんでもないこと言ってたりすんのな。
だから、「精神分析を実際に受けてないずに精神分析を語る」ことを明記した偽精神分析学とか旗揚げしたらどうかな。タイトルはなんでもいいけど。
むしろ精神分析受けた人は破門する学派。某自称分析家のように分析を5,6回受けただけというのは微妙なところになるが。
その方がこれから精神分析やる人困らないと思うんだ。
原和之も誤解されずに済むと思うんだな。
なんてのかな。精神分析の文章の読み方は、日常的な、また学術的な読み方とは違う。
精神分析は無意識を読む。それは夢や言い間違いやジョークに表れる。
言い間違いやジョークは、学術的な論文からはまっさきに削除されるものである。
よって論文などは精神分析として読めるべきものではない。
では、言い間違いやジョークに着目して読む読み方は特異なのか、というと、そうでもないとわたしには思える。
これは女同士の社会に特有のことかもしれないが、女は、言い間違いやジョークに着目して相手の話を聞くことが多い。
わたしがよくするたとえ。
あるスナックで、客のオヤジがママにジョークを言った。
ママは本気で怒った。
客「ジョーク、ジョークだよ」
ママ「ジョークだから余計悪いのよ」
なぜ「ジョークなら余計悪い」のか。このときこのママは、客がジョークで言っているとわかって、ジョークだからこそそれが彼の本音だと思っている。
この会話の読み方は、非常に精神分析的であると言える。
そして女同士は日常的にこのような会話をしている。
学術的な会話などジョークや言い間違いをまっさきに削除する会話に慣れている人は、精神分析の解釈が不得手になる。精神分析が読むべき箇所を、いつものくせで削除してしまうからだ。
そして、日本ラカン協会とは、一般的な女より、精神分析的な解釈が下手くそな人が集まっている。
説得力ないかなー。
だからねー、精神分析を受けるのが大事なのよ。
自分がする言い間違いやジョークについてあれこれ考えるようにならないと。
それは現代精神医学で言えばある種病的な精神状態だとも言えるが。
でまあ、そういうことは仕方ない部分もあるとは思うのね。誰にでも最初ってものはあるし。
でもさ、精神分析受けたこともない人が、精神分析を実践している人に対して、「精神分析はこれこれこいうものである」とか言っちゃいけないと思うんだよ。特に学問村の人たちは。自分たちが生きている社会環境が精神分析的な解釈を不得手にしていると自重した方がいい。学術的会話の方が精神分析的に正しいとか思っちゃいけない。学術的な会話しかしていない君たちだから、ジョークや言い間違いという精神分析がまず着目すべき箇所をいつものくせで削除する学術的会話ができる君たちだからこそ、精神分析に不向きなんだ。
先に書いたようなオヤジのように「ジョークだからなかったことにできる」と考えてしまう君たちは、表向き精神分析をしているように見せているだけで、その実精神分析をしないようにしているんだな。
君たちが精神分析できてない、いや自ら精神分析をしないようにしているから、精神分析を実践している人のそれを「それは精神分析じゃない」と言ってしまう。
長年精神分析を研究してきた人でも、その長い年月のあいだ、本人は精神分析をしているつもりかもしれないが、その実精神分析をしないようにしないようにしてきたわけだ。そういった人たちに限って自分が精神分析を受けたことがないことを隠したがる。
ほんとそういうの人生を無駄にしていると思うんだ。
批判じゃなく、哀れみを持って提案しとく。
なんつかな、女の感じ方かもしれんが、やっぱわかるんだよ。小笠原の表現だが「そいつが性関係が存在しない真理を持って生きてるかどうか」って。
男なら「死の覚悟を持って生きている」とかって感じになるのかもしれんが。
煩悩レーダーとも言おうか。
これがなくちゃ女は社会生きてくの難しいしな。
で実際に「性関係が存在しない真理を持って生きてる」男なんてごくまれだから会うと逆にびびったりもするが。
わたしが小笠原晋也と向井雅明を推すのは、煩悩レーダーが反応しないから。実際はわからんよ。わたしのレーダーが反応しないだけ。
他は煩悩レーダー反応しまくりである。
でまあレーダーだけじゃなくて傍証もあった某分析家とかまっさきに批判してたがラカニアンやめてくれたので次ってのが最近の事情。
逆に小笠原とか向井がいなければわたしもこんなこと書かずに済んでたんだけどな。「ああ精神分析ってのはそこいらにあるエロスバンジャイ思想ね」で済んでた。
一応そういうものだと思えば無視できるぐらいにはなってるからな。「現実を教えてやるよ」つってエロスを押し付けてくるような輩は「ああどうしようもない人間だなあ」で終わる。そういうどうしようもないのがいわゆる普通の人間ってものかもねえぐらいには思えてる。
でも精神分析はタナトスバンジャイっつうかエロス解脱思想っぽいのでしつこくなってる。
「ほんとにそうなのぉ?」的な。
他の国は知らんが日本ラカン村はエロスバンジャイ思想だな。本人たちは無自覚かもしれんが。小笠原と向井は除いて。
日本のラカン派とか特に自分で精神分析を受けず本だけ読んで精神分析を冠した著作を出している人がいたりするけど(原和之とか)、精神分析の実践している人からみたらとんでもないこと言ってたりすんのな。
だから、「精神分析を実際に受けてないずに精神分析を語る」ことを明記した偽精神分析学とか旗揚げしたらどうかな。タイトルはなんでもいいけど。
むしろ精神分析受けた人は破門する学派。某自称分析家のように分析を5,6回受けただけというのは微妙なところになるが。
その方がこれから精神分析やる人困らないと思うんだ。
原和之も誤解されずに済むと思うんだな。
なんてのかな。精神分析の文章の読み方は、日常的な、また学術的な読み方とは違う。
精神分析は無意識を読む。それは夢や言い間違いやジョークに表れる。
言い間違いやジョークは、学術的な論文からはまっさきに削除されるものである。
よって論文などは精神分析として読めるべきものではない。
では、言い間違いやジョークに着目して読む読み方は特異なのか、というと、そうでもないとわたしには思える。
これは女同士の社会に特有のことかもしれないが、女は、言い間違いやジョークに着目して相手の話を聞くことが多い。
わたしがよくするたとえ。
あるスナックで、客のオヤジがママにジョークを言った。
ママは本気で怒った。
客「ジョーク、ジョークだよ」
ママ「ジョークだから余計悪いのよ」
なぜ「ジョークなら余計悪い」のか。このときこのママは、客がジョークで言っているとわかって、ジョークだからこそそれが彼の本音だと思っている。
この会話の読み方は、非常に精神分析的であると言える。
そして女同士は日常的にこのような会話をしている。
学術的な会話などジョークや言い間違いをまっさきに削除する会話に慣れている人は、精神分析の解釈が不得手になる。精神分析が読むべき箇所を、いつものくせで削除してしまうからだ。
そして、日本ラカン協会とは、一般的な女より、精神分析的な解釈が下手くそな人が集まっている。
説得力ないかなー。
だからねー、精神分析を受けるのが大事なのよ。
自分がする言い間違いやジョークについてあれこれ考えるようにならないと。
それは現代精神医学で言えばある種病的な精神状態だとも言えるが。
でまあ、そういうことは仕方ない部分もあるとは思うのね。誰にでも最初ってものはあるし。
でもさ、精神分析受けたこともない人が、精神分析を実践している人に対して、「精神分析はこれこれこいうものである」とか言っちゃいけないと思うんだよ。特に学問村の人たちは。自分たちが生きている社会環境が精神分析的な解釈を不得手にしていると自重した方がいい。学術的会話の方が精神分析的に正しいとか思っちゃいけない。学術的な会話しかしていない君たちだから、ジョークや言い間違いという精神分析がまず着目すべき箇所をいつものくせで削除する学術的会話ができる君たちだからこそ、精神分析に不向きなんだ。
先に書いたようなオヤジのように「ジョークだからなかったことにできる」と考えてしまう君たちは、表向き精神分析をしているように見せているだけで、その実精神分析をしないようにしているんだな。
君たちが精神分析できてない、いや自ら精神分析をしないようにしているから、精神分析を実践している人のそれを「それは精神分析じゃない」と言ってしまう。
長年精神分析を研究してきた人でも、その長い年月のあいだ、本人は精神分析をしているつもりかもしれないが、その実精神分析をしないようにしないようにしてきたわけだ。そういった人たちに限って自分が精神分析を受けたことがないことを隠したがる。
ほんとそういうの人生を無駄にしていると思うんだ。
批判じゃなく、哀れみを持って提案しとく。
なんつかな、女の感じ方かもしれんが、やっぱわかるんだよ。小笠原の表現だが「そいつが性関係が存在しない真理を持って生きてるかどうか」って。
男なら「死の覚悟を持って生きている」とかって感じになるのかもしれんが。
煩悩レーダーとも言おうか。
これがなくちゃ女は社会生きてくの難しいしな。
で実際に「性関係が存在しない真理を持って生きてる」男なんてごくまれだから会うと逆にびびったりもするが。
わたしが小笠原晋也と向井雅明を推すのは、煩悩レーダーが反応しないから。実際はわからんよ。わたしのレーダーが反応しないだけ。
他は煩悩レーダー反応しまくりである。
でまあレーダーだけじゃなくて傍証もあった某分析家とかまっさきに批判してたがラカニアンやめてくれたので次ってのが最近の事情。
逆に小笠原とか向井がいなければわたしもこんなこと書かずに済んでたんだけどな。「ああ精神分析ってのはそこいらにあるエロスバンジャイ思想ね」で済んでた。
一応そういうものだと思えば無視できるぐらいにはなってるからな。「現実を教えてやるよ」つってエロスを押し付けてくるような輩は「ああどうしようもない人間だなあ」で終わる。そういうどうしようもないのがいわゆる普通の人間ってものかもねえぐらいには思えてる。
でも精神分析はタナトスバンジャイっつうかエロス解脱思想っぽいのでしつこくなってる。
「ほんとにそうなのぉ?」的な。
他の国は知らんが日本ラカン村はエロスバンジャイ思想だな。本人たちは無自覚かもしれんが。小笠原と向井は除いて。
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