1の欺瞞
2007/10/03/Wed
混沌の水面に出る。
そこは水玉の世界。水玉模様に、水玉の音、水玉の匂い、水玉の感触。
水玉なのに鋭い。世界を裂いている。わたしは世界から裂かれる。
この瞬間、1と-1が生じる。
1と-1は同時に生じる。
わたしを裂く水玉と、わたしを包む水玉。
1と-1を結ぶのが0である。
水玉のない世界に気づく。そこが0。
水玉は統合される。現れるのは、人の姿。
それを1だと思い込む。
元は、わたしを裂いた水玉なのに。
言葉の表現たる文芸は、この1を解体するものである。
解体を目的として、-1や0を利用する。
それだけのことである。
1の欺瞞を暴くのは、言葉だ。
この欺瞞の例を一つだけあげておこう。
「穏やかでなければならない」「自分は寛容だと思い込みたがる」強迫神経症者たちとしての心理カウンセラーだ。
自分たちは教育を受けて深い心的体験を持っているから寛容だ、などと言っている輩どもである。
カウンセラーや精神分析家は母性的に患者を受け入れなければならない。彼らは、妊婦ジャケットを着て「ああ、妊婦って大変なんですねえ」とへらへら笑う男性のようなものだ。
その程度で寛容になれるのは、ただの鈍感である。
何故鈍感になるのか。
1の欺瞞で厚化粧しているからだ。
1というライナスの毛布を手放していないからだ。
鈍感だから、患者を見下せるのだ。
この記事のコメントにおける「もしかして、精神科の患者さんですかあ?」などという言葉がそれをよく表している。「自分たちはキチガイじゃないんでちゅよー」という無意識。まあこのコメントをした方が、まさかカウンセラーであるわけはないだろうが。
はあ……。
哀れだ。
科学という毛布にくるまれたわたしも哀れだ。
――いや、マジメに言うけどさ、カウンセラーさんたち一回舞台役者の稽古受けてみたら? 理屈にはできんけど、なんかそう思う。その方がよっぽど「本当の意味での寛容」になりそうな気がするわ。サークル程度の劇団だとアウトだが。
まあ、ゲージツ家と精神分析家って怪盗と探偵みたいなものだと思ってはいるけどさ。
あれっすよ、「演劇的知」っすよ(意味不明)。
そこは水玉の世界。水玉模様に、水玉の音、水玉の匂い、水玉の感触。
水玉なのに鋭い。世界を裂いている。わたしは世界から裂かれる。
この瞬間、1と-1が生じる。
1と-1は同時に生じる。
わたしを裂く水玉と、わたしを包む水玉。
1と-1を結ぶのが0である。
水玉のない世界に気づく。そこが0。
水玉は統合される。現れるのは、人の姿。
それを1だと思い込む。
元は、わたしを裂いた水玉なのに。
言葉の表現たる文芸は、この1を解体するものである。
解体を目的として、-1や0を利用する。
それだけのことである。
1の欺瞞を暴くのは、言葉だ。
この欺瞞の例を一つだけあげておこう。
「穏やかでなければならない」「自分は寛容だと思い込みたがる」強迫神経症者たちとしての心理カウンセラーだ。
自分たちは教育を受けて深い心的体験を持っているから寛容だ、などと言っている輩どもである。
カウンセラーや精神分析家は母性的に患者を受け入れなければならない。彼らは、妊婦ジャケットを着て「ああ、妊婦って大変なんですねえ」とへらへら笑う男性のようなものだ。
その程度で寛容になれるのは、ただの鈍感である。
何故鈍感になるのか。
1の欺瞞で厚化粧しているからだ。
1というライナスの毛布を手放していないからだ。
鈍感だから、患者を見下せるのだ。
この記事のコメントにおける「もしかして、精神科の患者さんですかあ?」などという言葉がそれをよく表している。「自分たちはキチガイじゃないんでちゅよー」という無意識。まあこのコメントをした方が、まさかカウンセラーであるわけはないだろうが。
はあ……。
哀れだ。
科学という毛布にくるまれたわたしも哀れだ。
――いや、マジメに言うけどさ、カウンセラーさんたち一回舞台役者の稽古受けてみたら? 理屈にはできんけど、なんかそう思う。その方がよっぽど「本当の意味での寛容」になりそうな気がするわ。サークル程度の劇団だとアウトだが。
まあ、ゲージツ家と精神分析家って怪盗と探偵みたいなものだと思ってはいるけどさ。
あれっすよ、「演劇的知」っすよ(意味不明)。