はさみさま
2007/11/13/Tue
飲み友達に、売れないマジシャンがいる。
何度か彼から簡単なマジックを教えてもらったことがあるが、自分の不器用さに絶望しただけだった。やるより見てる方が楽しい、と言って彼のマジックに見惚れることにした。
彼の手の動きは、華麗だった。流麗だった。メロディアスな音楽を聴いているようだった。
ある時、彼のマジック論を聞きながら、わたしはふと『一握の砂』を思い出した。
指の間から落ちる砂。
彼の指は、巧みに砂を選別しているのではないだろうか。客に見せてよい砂と見せてはいけない砂。もちろん見せてはいけない砂が、トリックだ。見せてよい砂が、旋律を形成する。
まるで言葉だと思った。
言ってよい言葉と言ってはいけない言葉。手の中に残る言葉と指の間から落ちる言葉。
そんなことを思ったのは、常連客の国語の教師が同席していたからかもしれない。その時本当に同席していたかどうかは忘れてしまったけれど。
だけどわたしは、自分の不器用さに深く納得してしまった。
飲み友達に、放浪癖を持つ人がいる。
四十近くにもなって定職に就かないのは、いつ自分が旅に出てしまうかわからなくて、続けられる自信がないから、と言ってけらけら笑っていた。
常連客は彼のことを、「旅人だから」と説明する。彼は「ただのあぶれ者だよ」と、金属音が響くように答える。
彼の初めての放浪は、学生時代、女性と駆け落ちしたのがそうらしい。駆け落ちと言うとロマンチックに聞こえるが、実情はひどいもんだった、と彼は笑った。毎日口論になって、でも放浪をやめられないのは、多分その女性が放浪したがっていたからで、自分はおまけみたいなものだった、と。半年ほどで、女性は家に帰ったそうだ。
なのに彼は放浪を続けている。
放浪の途中で、彼が女性を捨てたのか。放浪をやめることで、女性が彼を捨てたのか。
彼の金属片のような笑い声を聞きながら、そんな意地悪なことをわたしは考えていた。
あぶれているのは、どちらだろう?
飲み友達で、ものすごく懐かしい人に再会した。
嬉しかった。
話していて、お互いの今に探りを入れるという緊張感と、過去の話を共有するという安堵感という、二つの極を行ったり来たりが楽しかった。忙しかった。夢中だった。言葉はウイルスのように増殖した。アルコールが培養液だった。
話していると、やがて二つの極の振幅は小さくなっていった。
わたしは、飽きてしまった。
飽きている自分が申し訳なくて、無理に盛り上がろうとした。
それが辛かった。しんどかった。重かった。口からレバーの塊を吐くように喋っていた。
彼が、こわくなった。
わたしは、懐かしい人に会いたがっていたのではなく、懐かしく思う自分を欲していただけだった。
母と二人でテレビを見ていた。
子犬のようなリスのような小動物。その顔の下に、一回り小さい似たような顔があった。
わたしはそれを、大きい顔の方が捕らえた獲物だと思っていたが、母に、獲物ではなくその子供だと訂正された。
わたしはむっと来て、無言でテレビを見続けた。
画面は変わって、お宝鑑定番組だったのか、昔のブリキのロボットのおもちゃが映し出されていた。
そのロボットは懐かしい人だった。
四角い顔の部分だけがブリキを繰り抜かれ、中に彼の丸顔がみっちりと詰め込まれていた。彼はロボットらしく、無表情だった。
彼と出会った後、こんな夢を見た。だから、そんなことを思っただけかもしれない……。
言葉は、流れていると楽しい。流れてなくちゃいけない。だけど流れてはいけない。引っかからなければならない。引っかけるのが言葉だから。切断するのが言葉だから。
こわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわい……
無表情な肉の顔を詰め込まれたような建物がこわい。内臓をぶちまけたような自然がこわい。そんなこわい世界がずっと続いているかのような道路がこわい。二日酔いが一生続くかのような自分がこわい。
はさみは何故刃が二つあるのだろう。まるで両目を突き刺せと言っているようじゃないか。指を入れる二つの穴は、眼窩に詰め込まれた眼球を非難しているようじゃないか。こわい。
眼球は、突き刺されたがっている。
こわい。
――アナタノ宝物ヲクダサイ。
何度か彼から簡単なマジックを教えてもらったことがあるが、自分の不器用さに絶望しただけだった。やるより見てる方が楽しい、と言って彼のマジックに見惚れることにした。
彼の手の動きは、華麗だった。流麗だった。メロディアスな音楽を聴いているようだった。
ある時、彼のマジック論を聞きながら、わたしはふと『一握の砂』を思い出した。
指の間から落ちる砂。
彼の指は、巧みに砂を選別しているのではないだろうか。客に見せてよい砂と見せてはいけない砂。もちろん見せてはいけない砂が、トリックだ。見せてよい砂が、旋律を形成する。
まるで言葉だと思った。
言ってよい言葉と言ってはいけない言葉。手の中に残る言葉と指の間から落ちる言葉。
そんなことを思ったのは、常連客の国語の教師が同席していたからかもしれない。その時本当に同席していたかどうかは忘れてしまったけれど。
だけどわたしは、自分の不器用さに深く納得してしまった。
飲み友達に、放浪癖を持つ人がいる。
四十近くにもなって定職に就かないのは、いつ自分が旅に出てしまうかわからなくて、続けられる自信がないから、と言ってけらけら笑っていた。
常連客は彼のことを、「旅人だから」と説明する。彼は「ただのあぶれ者だよ」と、金属音が響くように答える。
彼の初めての放浪は、学生時代、女性と駆け落ちしたのがそうらしい。駆け落ちと言うとロマンチックに聞こえるが、実情はひどいもんだった、と彼は笑った。毎日口論になって、でも放浪をやめられないのは、多分その女性が放浪したがっていたからで、自分はおまけみたいなものだった、と。半年ほどで、女性は家に帰ったそうだ。
なのに彼は放浪を続けている。
放浪の途中で、彼が女性を捨てたのか。放浪をやめることで、女性が彼を捨てたのか。
彼の金属片のような笑い声を聞きながら、そんな意地悪なことをわたしは考えていた。
あぶれているのは、どちらだろう?
飲み友達で、ものすごく懐かしい人に再会した。
嬉しかった。
話していて、お互いの今に探りを入れるという緊張感と、過去の話を共有するという安堵感という、二つの極を行ったり来たりが楽しかった。忙しかった。夢中だった。言葉はウイルスのように増殖した。アルコールが培養液だった。
話していると、やがて二つの極の振幅は小さくなっていった。
わたしは、飽きてしまった。
飽きている自分が申し訳なくて、無理に盛り上がろうとした。
それが辛かった。しんどかった。重かった。口からレバーの塊を吐くように喋っていた。
彼が、こわくなった。
わたしは、懐かしい人に会いたがっていたのではなく、懐かしく思う自分を欲していただけだった。
母と二人でテレビを見ていた。
子犬のようなリスのような小動物。その顔の下に、一回り小さい似たような顔があった。
わたしはそれを、大きい顔の方が捕らえた獲物だと思っていたが、母に、獲物ではなくその子供だと訂正された。
わたしはむっと来て、無言でテレビを見続けた。
画面は変わって、お宝鑑定番組だったのか、昔のブリキのロボットのおもちゃが映し出されていた。
そのロボットは懐かしい人だった。
四角い顔の部分だけがブリキを繰り抜かれ、中に彼の丸顔がみっちりと詰め込まれていた。彼はロボットらしく、無表情だった。
彼と出会った後、こんな夢を見た。だから、そんなことを思っただけかもしれない……。
言葉は、流れていると楽しい。流れてなくちゃいけない。だけど流れてはいけない。引っかからなければならない。引っかけるのが言葉だから。切断するのが言葉だから。
こわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわい……
無表情な肉の顔を詰め込まれたような建物がこわい。内臓をぶちまけたような自然がこわい。そんなこわい世界がずっと続いているかのような道路がこわい。二日酔いが一生続くかのような自分がこわい。
はさみは何故刃が二つあるのだろう。まるで両目を突き刺せと言っているようじゃないか。指を入れる二つの穴は、眼窩に詰め込まれた眼球を非難しているようじゃないか。こわい。
眼球は、突き刺されたがっている。
こわい。
――アナタノ宝物ヲクダサイ。