『異常』コンプレックス
2008/03/27/Thu
いやーワロタ。
テレ朝だからスーパーモーニングか。昨日のやつ。
この手の番組ってお笑いとしてしか見ないんだけど、今回は特に面白かったので記事にしてみよっかな、と。
いやね、なんかバイク事故で、相手が白バイで、片方の一般人が不当に加害者扱いされて、家族やらがわやわや言ってるありがちな構図。
いやいいんだよ、加害者扱いされた人の親族とか捜査してるところをカメラに収めてるんだけど、お母さんすごい。警察に対し噛みついている。これはエライなあと思った。「熱い」のよね。現代のクール主義を批判する立場としてはこういうのはもっとやれやれと思う。イヤミでもなんでもなくて。
だけどね。
なんか警察の報告者に「家族の『異常』なまでの関与があって~」って文言があったらしくて、それが県議会まで取り上げられてるらしい。
ごめん、チョーワラタ。
『異常』ってそんなにダメなこと?
県議会の人もとても頭の悪い言葉を吐いていた。
「人格を否定する『異常』という言葉を~」
とか。
おまえらどんだけ『異常』コンプレックスなんだと。
異常という言葉がそのまま人格を否定する言葉になっている。
問題になった報告書では、「通常ではない関与の仕方」という文脈である。これが「人格の否定」という言葉に連想するのは、『異常』という言葉コンプレックスと言わざるを得ない。おえんわー(わかる人だけわかればいい)。いやードラマとかじゃない番組でここまでリアリティのある「無意識は言語のように構造化されている」を体感できるとは。
てゆっか『異常』恐怖症か。めんどくさいから『異常』ノイローゼでいいや。
コメンテーターっていうか、この事件を追及しているジャーナリストの言葉にもワラタ。
「異常って言う方が異常」だって。
いや、すげー正しい。『異常』という言葉に否定的なものしか連想できないキミタチも充分『異常』だから。
わたしはこのブログで幾度となく「人類皆キチガイだ」と言っている。
ラカン論においては人間はどんな人間でもパラノイアか神経症者か倒錯者になってしまう。
もっと言うなら、「自我」という狂気により、異常状態たる「人間性」という幻想が成り立っているのだ。
この熱いお母さんはあんまり批判したくないんだけど、彼女の言い分に、
「わたしたちを異常者扱いしている」
とある。だから文句を言っているらしい。
この言葉は、この人たち自身が、他の異常者を(無意識的に)蔑視していることを表している。
「異常という方が異常」だね。まさに。補足するなら「『異常』という『単なる言葉』をそこまでケガラワシイものとして受け取るキミタチも、充分異常」ということ。
異常だから、正常なんですよ。
問題は、『異常』という言葉に何故これほど過剰な反応を起こすのか。そこにわたしは興味が湧いた。個人的に。基本悪食だから。
異常の反対は正常? 違うのよね。さっきも言ったとおり、精神分析視点では、通常の生物としてのシステムを、自我により異常化させているのが人間なのだから。異常なことが正常ってわけ。
そうじゃなくて、彼らの思っている異常の反対は、「周りの人と同じこと」なのよね。
まさに「欲望とは他者の欲望である」だなあ、としみじみオモタ。
つまり彼らは、周りの人と同じであるために、違う性質の人間、異性を排除したがっているのだ。異常者と言われるのを嫌がっているのは、周りの人から異性に見られることで、排除されることを恐れているからなのさ。
わたし? わたしはこのお母さん「異常」だと思うよ。立派という意味での異常。むしろ異常だから立派。他人と同じ、即ち「平凡」だと立派にならないでしょ?
だって現代人の特徴たる落ちないイカロスども、わかりやすく言えば周りの目をびくびくと気にしていじめターゲットとかを他人と同じにしなければ気がすまない「正常者」たちがキモチワルイんだもん。まあ逆に言えば公的ないじめターゲットを統一する機能がマスコミにはあるってことだけど。官僚とか弁護士とか。ルサンチマンあるいはエディプスコンプレックス丸出しの情動でも「テレビで言ってるからー」が免罪符になる。うんうん。合理的なシステムやね。合理的なシステムに飼われているブロイラーたち。「クール主義」的な「周りの人と同じでなければならない教義、同じになれる作法」を信仰している同じ顔で同じ言葉しか吐けないヤロウども。
『異常』でいいじゃない。(異常はいいじょ? とか書こうと思ったけど書けなかったと言いつつ書いてみる)
異常だからこそテレビに取り上げられて、この事件が公になったわけでしょ? この事件を公にするのが関係者のノゾミで、だからテレビに出たわけっしょ?
っていうか、「異常=人格の否定」と思っちゃうその固定観念が、異常者を差別して「しまう」原因であると、なんで誰も気づけないのだろう?
あ、ここでいう「異常者」は単なる言葉よ。だから精神的異常者でも肉体的異常者でもあなたの好きなように連想して。
もちろん「『異常』という言葉が人格否定だと連想されること」に対し、これほど異常に反応してしまうわたしだって異常者。自我はなかなか捨てられないものです。ムガー(ここ人狼プレイヤー笑うとこ)。目だって色覚異常だしね。
あー勘違いされたら困るけど、『異常』という言葉を差別している、即ち異常者を差別しているから、『異常』という言葉を言うべきでない、なんてアホウな論理は展開しないから。どっかのブ……ゲフゲフ。
ちゃーんとこのブログでも『異常』って言葉を連発してるのがいい証拠。
わたしが批判しているのは、まさに『異常』コンプレックス、つまり本当の言葉の意味での同性愛主義者たち。異性恐怖症者と言い換えてもよい。
異常なるものは、本来魅惑的なものなのだ。もちろんおぞましいものでもあるけどね。そういう両価的情動がアブジェクシオンなるもの。
『異常』が法に裁かれるのだって別に構わない。法ってな元々そういうもん。たとえばクリステヴァによれば、異常というケガレを排除するための神の言葉=旧約聖書が概念としての法の象徴よね。ライ病患者とかケガレだったわけだし。
法じゃなくても、排除しようという情動が働くのも構わない。まさに「異常=人格否定」だなんて貧困な連想をしてしまう愛媛県議会のジジイとか、気持ちはわかる。ただちょっと頭が悪いというとアレだからカタイだけと思って可愛くすら思える。小島よしおみたいな天然。
わたしは、人間が人間を差別してしまう情動について、否定しない。
何故なら、それはどうしようもなく存在しているのだから。だからと言って肯定もしない。だから、否定も肯定もする。何故なら、ただそうあるだけだから。
なんでこんな風に思えるのかって?
なんだかんだゆってわたし無神論者だもん。神を人より篤く、まさに異常に信じる故に、「神はいない」と言ってしまう無神論者。あれだけ言語という幻想を暴きながら手紙は届くと言い張るラカンも、反ユダヤの汚い言葉をわめき散らすセリーヌも同じ。
最近のインチキ宗教がウリにしている「慈愛」的な神ではなく、もっと冷酷で畏怖すべき神。
ケガレを焼き払う激しい神。氷の刃でわたしという不浄を切り裂く神。
つっか、そもそも(一神教的な、父性的な)神なんてものは、「否」を司るものだから。
なのでこの番組で一番笑ったのは、
「警察が目撃者に対し『非礼』とも思えるべき言葉を~」とかってとこ。
報告書に目撃者の証言には誤認の疑いがある、みたいなことを書いてたんだと。
どんだけおまえらマザコンなんだwww
と大笑いしました。
非礼じゃないだろう、情の問題だろう。
「礼」、即ちレヴィ=ストロース的な「マナー」として考えるならば、誰でも疑うのが警察の「礼」だろうよ。ただの目撃者だからといって容疑者と別格に扱う方がおかしいじゃん。もちろん身内、即ち事故った白バイ隊員にもね。わたしは実際に見てないからなんとも言えないけど。『CSI:マイアミ』とか見るとよいよ。キミタチみたいなマザコンは。
礼儀と「ボクチンを甘やかせて」というのは別物なのよ、ボクちゃん。
いやこの目撃者が不快に思うなとは言わないがね。個人としてそう思うのは全然構わない。息子の不当な扱いに怒るお母さんだってそう。ただマスコミが他人の情動を自論の補強という文脈で使っているところにキモチワルサが現れているって話さ。パラノイア患者がよくやる手法やね。「ボクがこう感じているからみんなも同じように感じているハズ」ってヤツ。まさに対称性原理。
いいのよ、別に。人間誰でもパラノイアか神経症者か倒錯者なんだから。
この目撃者が警察の「非礼」なるものを不快に感じているのと同じように、わたしはこの番組のそれを不快に感じたって話。これも自論の補強やね。
キチガイ性は誰でもキモチワルイものさ。キチガイ自身もな。それがわかってない分、キチガイよりこの番組の方が『異常』だ。集団パニックのようなものとしての、『異常』。
少なくともわたしは『異常』に思えたから興味を持って、このようなエセ分析じみたことを考えてみたってこと。
みんなが異常、みんなが非凡。そっちの方が世界はおもろいじゃん。
――仮に、神がいじめターゲットを決めたのだとしても、あなたは神じゃない。少なくとも、あなたはわたしじゃない。
あなたとわたしは、お互いに異常。
そういう「否」。
そうだからこその、隣人愛。
異常、じゃなくて以上。
いーねーたまには。こういうバカ番組見るのも。
わかるかなー、わかんねえんだろうなあ(いつの時代の人だとかツッコミはなしで)。
なんかこう、根本敬のマンガみたいな心地よいお笑いでした。
お母さんがんがれ。
なーんか今読み返して韜晦っぽく見えるので、要約するならば、キリスト教みたいなことをゆってると思って。
即ち、原罪みたいな、人間誰でも自分自身が罪人である=ケガレであることに気づこうね、という簡単なこと。
『異常』を人格否定としか読めないジジイも「異常という方が異常」とか言っちゃうオバハンもこんなイミフ文章垂れ流しているわたしも2ちゃんの厨並のことしか言えない心理カウンセラーも、みんなうんこでいいじゃない。
いや、よかないがw。
「だからこうするべき」とか答えを言っちゃうとそれこそ宗教になるから言えまへん。ある意味ここに踏み込んだユングはすげい。自我心理学もそうだけど。基本ここら辺って「ダカラ理性的ナワタシタチミタイニナリナサーイ」じゃない。分析したっていいのよ、クライアント側だって。それがディスクールっつうもんだ。つうかこの辺のキモチワルサになんでみんな気づかないのだろう? 学問っていう虎の威は偉大ってことなのかねえ。もっとクロスワードパズルみたいに気楽にやればいいと思うんだけど。
ラカン派の短時間セッションとか賛否両論あるけどこういうとこ踏まえて考えてみそ? クロスワードパズルみたいに、感情論的にね。
でもそう思うと、集団パニックとか書いたけど、人間という社会的動物にとって、集団パニック状態こそが「正常」なのだよね。エセ心理学ブームに騙された人多いし。タレントみたいなことしてて占い師に成り果てた心理学者もいるし。原則宗教は結婚詐欺と同じ精神構造だし。でもまあ少なくとも学問の領域では反則やね。
学問もスポーツみたいなもんだからルールを破るのは意外と簡単だもんさ。別にルール破ろうが(その人にとって)ゲームが成立すればいいんだし。学問は答えを出すためのものじゃなく、問いを作る装置だというルール。
だから別にどうでもいくなった。飽きた。
「お前の落とした転移は良い転移か、それとも悪い転移か」
「両方です」
これに不正解を突きつけるのが宗教。
現実的(ラカン的な意味で)には正解なのにね(ブログ内検索で「両価的」とか入れてみ。いや別にいいけど)。でも不正解と言わないと人間性を否定することになる。獣になる。糞尿地獄に落ちてしまう。
それだけのことさ。ただそうあるだけのこと。
だから良い転移だけしか見えないのだろうね。目のきれいなジャイアンどもは。本当は転移に良いも悪いもないのに。
いや、わたしもそう聞かれたら「残念!」ってゆうけど。みのもんたばりに。
みのもんたは神だった、でFA。
あ、この記事の追記。
録りだめしてちびちび見てるんだけど、シーズン4すごいね。チームに災難降りかかりまくり。ホレイショ様恋人殺されるわその容疑者になるわ。デルコも麻薬の疑いやらウルフも目に釘が刺さったりとか。デュケーンはどうでもいいや。ウルフの目に釘が刺さってるところこれでもかと普通に映しているのはすごいね。スナッフ技術の自信の表れだろうなー。日本なら絶対手で隠すと思いながら見てた。何より
ウルフ「(目に刺さってる釘を)抜きてえ」
デルコ「抜くな! 抜くと(出血で)死ぬぞ!」
みたいなやり取りはリアル過ぎてぞくぞくっとした。
なーんかオクサマ向けになりつつあるなー。いやわたしが勝手に思ってるオクサマ向けだけど。どろどろ好き? みたいな。ボヴァリスムーって違うか。
いや、それだけ。
テレ朝だからスーパーモーニングか。昨日のやつ。
この手の番組ってお笑いとしてしか見ないんだけど、今回は特に面白かったので記事にしてみよっかな、と。
いやね、なんかバイク事故で、相手が白バイで、片方の一般人が不当に加害者扱いされて、家族やらがわやわや言ってるありがちな構図。
いやいいんだよ、加害者扱いされた人の親族とか捜査してるところをカメラに収めてるんだけど、お母さんすごい。警察に対し噛みついている。これはエライなあと思った。「熱い」のよね。現代のクール主義を批判する立場としてはこういうのはもっとやれやれと思う。イヤミでもなんでもなくて。
だけどね。
なんか警察の報告者に「家族の『異常』なまでの関与があって~」って文言があったらしくて、それが県議会まで取り上げられてるらしい。
ごめん、チョーワラタ。
『異常』ってそんなにダメなこと?
県議会の人もとても頭の悪い言葉を吐いていた。
「人格を否定する『異常』という言葉を~」
とか。
おまえらどんだけ『異常』コンプレックスなんだと。
異常という言葉がそのまま人格を否定する言葉になっている。
問題になった報告書では、「通常ではない関与の仕方」という文脈である。これが「人格の否定」という言葉に連想するのは、『異常』という言葉コンプレックスと言わざるを得ない。おえんわー(わかる人だけわかればいい)。いやードラマとかじゃない番組でここまでリアリティのある「無意識は言語のように構造化されている」を体感できるとは。
てゆっか『異常』恐怖症か。めんどくさいから『異常』ノイローゼでいいや。
コメンテーターっていうか、この事件を追及しているジャーナリストの言葉にもワラタ。
「異常って言う方が異常」だって。
いや、すげー正しい。『異常』という言葉に否定的なものしか連想できないキミタチも充分『異常』だから。
わたしはこのブログで幾度となく「人類皆キチガイだ」と言っている。
ラカン論においては人間はどんな人間でもパラノイアか神経症者か倒錯者になってしまう。
もっと言うなら、「自我」という狂気により、異常状態たる「人間性」という幻想が成り立っているのだ。
この熱いお母さんはあんまり批判したくないんだけど、彼女の言い分に、
「わたしたちを異常者扱いしている」
とある。だから文句を言っているらしい。
この言葉は、この人たち自身が、他の異常者を(無意識的に)蔑視していることを表している。
「異常という方が異常」だね。まさに。補足するなら「『異常』という『単なる言葉』をそこまでケガラワシイものとして受け取るキミタチも、充分異常」ということ。
異常だから、正常なんですよ。
問題は、『異常』という言葉に何故これほど過剰な反応を起こすのか。そこにわたしは興味が湧いた。個人的に。基本悪食だから。
異常の反対は正常? 違うのよね。さっきも言ったとおり、精神分析視点では、通常の生物としてのシステムを、自我により異常化させているのが人間なのだから。異常なことが正常ってわけ。
そうじゃなくて、彼らの思っている異常の反対は、「周りの人と同じこと」なのよね。
まさに「欲望とは他者の欲望である」だなあ、としみじみオモタ。
つまり彼らは、周りの人と同じであるために、違う性質の人間、異性を排除したがっているのだ。異常者と言われるのを嫌がっているのは、周りの人から異性に見られることで、排除されることを恐れているからなのさ。
わたし? わたしはこのお母さん「異常」だと思うよ。立派という意味での異常。むしろ異常だから立派。他人と同じ、即ち「平凡」だと立派にならないでしょ?
だって現代人の特徴たる落ちないイカロスども、わかりやすく言えば周りの目をびくびくと気にしていじめターゲットとかを他人と同じにしなければ気がすまない「正常者」たちがキモチワルイんだもん。まあ逆に言えば公的ないじめターゲットを統一する機能がマスコミにはあるってことだけど。官僚とか弁護士とか。ルサンチマンあるいはエディプスコンプレックス丸出しの情動でも「テレビで言ってるからー」が免罪符になる。うんうん。合理的なシステムやね。合理的なシステムに飼われているブロイラーたち。「クール主義」的な「周りの人と同じでなければならない教義、同じになれる作法」を信仰している同じ顔で同じ言葉しか吐けないヤロウども。
『異常』でいいじゃない。(異常はいいじょ? とか書こうと思ったけど書けなかったと言いつつ書いてみる)
異常だからこそテレビに取り上げられて、この事件が公になったわけでしょ? この事件を公にするのが関係者のノゾミで、だからテレビに出たわけっしょ?
っていうか、「異常=人格の否定」と思っちゃうその固定観念が、異常者を差別して「しまう」原因であると、なんで誰も気づけないのだろう?
あ、ここでいう「異常者」は単なる言葉よ。だから精神的異常者でも肉体的異常者でもあなたの好きなように連想して。
もちろん「『異常』という言葉が人格否定だと連想されること」に対し、これほど異常に反応してしまうわたしだって異常者。自我はなかなか捨てられないものです。ムガー(ここ人狼プレイヤー笑うとこ)。目だって色覚異常だしね。
あー勘違いされたら困るけど、『異常』という言葉を差別している、即ち異常者を差別しているから、『異常』という言葉を言うべきでない、なんてアホウな論理は展開しないから。どっかのブ……ゲフゲフ。
ちゃーんとこのブログでも『異常』って言葉を連発してるのがいい証拠。
わたしが批判しているのは、まさに『異常』コンプレックス、つまり本当の言葉の意味での同性愛主義者たち。異性恐怖症者と言い換えてもよい。
異常なるものは、本来魅惑的なものなのだ。もちろんおぞましいものでもあるけどね。そういう両価的情動がアブジェクシオンなるもの。
『異常』が法に裁かれるのだって別に構わない。法ってな元々そういうもん。たとえばクリステヴァによれば、異常というケガレを排除するための神の言葉=旧約聖書が概念としての法の象徴よね。ライ病患者とかケガレだったわけだし。
法じゃなくても、排除しようという情動が働くのも構わない。まさに「異常=人格否定」だなんて貧困な連想をしてしまう愛媛県議会のジジイとか、気持ちはわかる。ただちょっと頭が悪いというとアレだからカタイだけと思って可愛くすら思える。小島よしおみたいな天然。
わたしは、人間が人間を差別してしまう情動について、否定しない。
何故なら、それはどうしようもなく存在しているのだから。だからと言って肯定もしない。だから、否定も肯定もする。何故なら、ただそうあるだけだから。
なんでこんな風に思えるのかって?
なんだかんだゆってわたし無神論者だもん。神を人より篤く、まさに異常に信じる故に、「神はいない」と言ってしまう無神論者。あれだけ言語という幻想を暴きながら手紙は届くと言い張るラカンも、反ユダヤの汚い言葉をわめき散らすセリーヌも同じ。
最近のインチキ宗教がウリにしている「慈愛」的な神ではなく、もっと冷酷で畏怖すべき神。
ケガレを焼き払う激しい神。氷の刃でわたしという不浄を切り裂く神。
つっか、そもそも(一神教的な、父性的な)神なんてものは、「否」を司るものだから。
なのでこの番組で一番笑ったのは、
「警察が目撃者に対し『非礼』とも思えるべき言葉を~」とかってとこ。
報告書に目撃者の証言には誤認の疑いがある、みたいなことを書いてたんだと。
どんだけおまえらマザコンなんだwww
と大笑いしました。
非礼じゃないだろう、情の問題だろう。
「礼」、即ちレヴィ=ストロース的な「マナー」として考えるならば、誰でも疑うのが警察の「礼」だろうよ。ただの目撃者だからといって容疑者と別格に扱う方がおかしいじゃん。もちろん身内、即ち事故った白バイ隊員にもね。わたしは実際に見てないからなんとも言えないけど。『CSI:マイアミ』とか見るとよいよ。キミタチみたいなマザコンは。
礼儀と「ボクチンを甘やかせて」というのは別物なのよ、ボクちゃん。
いやこの目撃者が不快に思うなとは言わないがね。個人としてそう思うのは全然構わない。息子の不当な扱いに怒るお母さんだってそう。ただマスコミが他人の情動を自論の補強という文脈で使っているところにキモチワルサが現れているって話さ。パラノイア患者がよくやる手法やね。「ボクがこう感じているからみんなも同じように感じているハズ」ってヤツ。まさに対称性原理。
いいのよ、別に。人間誰でもパラノイアか神経症者か倒錯者なんだから。
この目撃者が警察の「非礼」なるものを不快に感じているのと同じように、わたしはこの番組のそれを不快に感じたって話。これも自論の補強やね。
キチガイ性は誰でもキモチワルイものさ。キチガイ自身もな。それがわかってない分、キチガイよりこの番組の方が『異常』だ。集団パニックのようなものとしての、『異常』。
少なくともわたしは『異常』に思えたから興味を持って、このようなエセ分析じみたことを考えてみたってこと。
みんなが異常、みんなが非凡。そっちの方が世界はおもろいじゃん。
――仮に、神がいじめターゲットを決めたのだとしても、あなたは神じゃない。少なくとも、あなたはわたしじゃない。
あなたとわたしは、お互いに異常。
そういう「否」。
そうだからこその、隣人愛。
異常、じゃなくて以上。
いーねーたまには。こういうバカ番組見るのも。
わかるかなー、わかんねえんだろうなあ(いつの時代の人だとかツッコミはなしで)。
なんかこう、根本敬のマンガみたいな心地よいお笑いでした。
お母さんがんがれ。
なーんか今読み返して韜晦っぽく見えるので、要約するならば、キリスト教みたいなことをゆってると思って。
即ち、原罪みたいな、人間誰でも自分自身が罪人である=ケガレであることに気づこうね、という簡単なこと。
『異常』を人格否定としか読めないジジイも「異常という方が異常」とか言っちゃうオバハンもこんなイミフ文章垂れ流しているわたしも2ちゃんの厨並のことしか言えない心理カウンセラーも、みんなうんこでいいじゃない。
いや、よかないがw。
「だからこうするべき」とか答えを言っちゃうとそれこそ宗教になるから言えまへん。ある意味ここに踏み込んだユングはすげい。自我心理学もそうだけど。基本ここら辺って「ダカラ理性的ナワタシタチミタイニナリナサーイ」じゃない。分析したっていいのよ、クライアント側だって。それがディスクールっつうもんだ。つうかこの辺のキモチワルサになんでみんな気づかないのだろう? 学問っていう虎の威は偉大ってことなのかねえ。もっとクロスワードパズルみたいに気楽にやればいいと思うんだけど。
ラカン派の短時間セッションとか賛否両論あるけどこういうとこ踏まえて考えてみそ? クロスワードパズルみたいに、感情論的にね。
でもそう思うと、集団パニックとか書いたけど、人間という社会的動物にとって、集団パニック状態こそが「正常」なのだよね。エセ心理学ブームに騙された人多いし。タレントみたいなことしてて占い師に成り果てた心理学者もいるし。原則宗教は結婚詐欺と同じ精神構造だし。でもまあ少なくとも学問の領域では反則やね。
学問もスポーツみたいなもんだからルールを破るのは意外と簡単だもんさ。別にルール破ろうが(その人にとって)ゲームが成立すればいいんだし。学問は答えを出すためのものじゃなく、問いを作る装置だというルール。
だから別にどうでもいくなった。飽きた。
「お前の落とした転移は良い転移か、それとも悪い転移か」
「両方です」
これに不正解を突きつけるのが宗教。
現実的(ラカン的な意味で)には正解なのにね(ブログ内検索で「両価的」とか入れてみ。いや別にいいけど)。でも不正解と言わないと人間性を否定することになる。獣になる。糞尿地獄に落ちてしまう。
それだけのことさ。ただそうあるだけのこと。
だから良い転移だけしか見えないのだろうね。目のきれいなジャイアンどもは。本当は転移に良いも悪いもないのに。
いや、わたしもそう聞かれたら「残念!」ってゆうけど。みのもんたばりに。
みのもんたは神だった、でFA。
あ、この記事の追記。
録りだめしてちびちび見てるんだけど、シーズン4すごいね。チームに災難降りかかりまくり。ホレイショ様恋人殺されるわその容疑者になるわ。デルコも麻薬の疑いやらウルフも目に釘が刺さったりとか。デュケーンはどうでもいいや。ウルフの目に釘が刺さってるところこれでもかと普通に映しているのはすごいね。スナッフ技術の自信の表れだろうなー。日本なら絶対手で隠すと思いながら見てた。何より
ウルフ「(目に刺さってる釘を)抜きてえ」
デルコ「抜くな! 抜くと(出血で)死ぬぞ!」
みたいなやり取りはリアル過ぎてぞくぞくっとした。
なーんかオクサマ向けになりつつあるなー。いやわたしが勝手に思ってるオクサマ向けだけど。どろどろ好き? みたいな。ボヴァリスムーって違うか。
いや、それだけ。