「アスペルガー」の大バーゲン
2008/05/03/Sat
あーだめだ一日に二つ記事書くのはなんでか控えようと思ってたし前記事でバイナラしたのにもー。書いちゃう書いちゃう。
ここの記事読んで。リンク先も。こことかも。
正直簡易鑑定に振り回されるのは精神分析学んでいる身からするとネタにしか思えない。まー量刑に影響してくるわけだから関係者にとっちゃ大事なんだろうが。精神分析に簡易鑑定なんて存在しない。ラカン派では短時間セッションってのがあるがそれは一回ごとの話であり、終了まで数年とかかかるのが普通なのだ。
わたしは精神分析を逆利用、即ち他人や自分の狂気の増幅のために用いているからそんなこと知ったこっちゃないがね。
だからどーでもいいっちゃいいんだけど、ふと思い出した。
むかーし「自律神経失調症」って病名あったよね。今もあるんだろうけど、DSMにゃ載ってない病名。
んで雑誌やテレビでこの病名が取り上げられるようになって、自律神経失調症者なる存在もどーっと増えた。自律神経失調症が増える特別な社会的変化が要因としてあったのだろうか? もちろんこの文章は揶揄です。
いやいいんだよ、ポモ思想にはとってもよい具体例となろう。まさしくそれがシニフィアンの恣意性って現象なんだから。要するにアスペ診断をもっと厳密化しろ、なんて短絡的なことを言っているわけではない、ということ。
とはいえ便利なシニフィアンでもあるのよね、お薬あげるには診断しないといけないわけだから。大体な感じしかわからない初期段階での、(言い方悪いけど)大雑把な診断としてとっても便利。最近なら(鬱病じゃない)「抑鬱状態」とかがメジャーになるのかな?
それと同じことが、「アスペルガー症候群」というシニフィアンにも起こってるんじゃないのかね? とゆう話。
昨日ちょっと特殊ではあるがアスペって診断されててわたし視点でもアスペと思える子(ぱっと見確実に中二病と区別つかないタイプ)と話してたんだけど、彼はこう言った。
「(2ちゃんメンヘル板でも)最近明らかにフィーリングを感じない人がアスペアスペ言ってるから、アスペ診断か自分の感覚のどっちかがおかしいとの認識ではいた」
だとよ。いやその前にわたしがした「アスペの大バーゲン」的な話を受けてのものだけどね。別の話で。シニフィアンの増殖を寿ぐ現代資本主義社会においてはいい感じの言葉だ。
ちょっと前は「きちんと話したらその人が本当にアスペかどうかわかる」って言ってたのよ。この子。あ、ちなみにこいつもニキ・リンコ氏の文章読んで「あんま匂わなかった」ゆってた。ここの文章は「だるい時のオレの文章みたいだ」つってた。うん、わたしの記号分析的見地と合致する。
まーこの子は象徴的ファルスの代わりにパッチワーク的キャラ人格みたいなので防衛できているから、「別にアスペ増えてもちゃんと補助受けられるならいいやw」とかゆってたけど。
とらさんや、本当のというと語弊あるので人口の0.数%(とかだったよね? うろ覚え)に過ぎなかった従来のアスペと診断されてきた人たちにとって、重要なのは、「自閉症者という存在自体である一つの概念」なのだ。ポモ思想ならば、ラカンの「女は存在しない」における「女という存在自体である一つの概念」が問題なのだ。だからとらさんは、「アスペやスキゾはなおさら存在しない」と言ったのだろう。
精神分析において、シニフィアンの連鎖のスキマに落ちたものが真理であるということ。
そういうのにも関係してくるんじゃないだろうか? 「女は存在しない」や「アスペやスキゾはなおさら存在しない」って言葉は。
この「アスペルガーの大バーゲン」とは、非現実的な話ではない。わたしのこのブログのテーマの一つである、「ポモとはスキゾイドじゃない人間もスキゾイドになりたがる傾向である」に連結する。スキゾ化を目指してスキゾ仮面にしかなれなかったオタク文化や、従来のスキゾイド型ひきこもりと別物の社会型ひきこもりや、スキゾ的相対主義を口先だけで述べ本当の相対主義的主体は狂気の領域にあることを知らない者たち。類例はいくらでもある。
逆に言えば、「アスペルガーの大バーゲン」状態こそが、無意識的切断操作と呼べるのではないだろうか。基本シニフィアンなんてのはナイフなんだから。諸刃だけど。多分鈍感な大人はこの無意識的にそうなって「しまう」ことが理解できないんだろうけど。そうして彼らの象徴界には女やアスペやスキゾが存在しなくなる、っと。ってかそもそも象徴界がそういうもの。正確に言えば「女」や「アスペ」や「スキゾ」というシニフィアンは、クリステヴァ的な意味で棄却されやすいシニフィエを持っている、という話やね。
供犠の贄はマゾヒストやヒステリーに任せとけっつーに。
oi
みす
おい、笙野ファンども読んでるかい?
君らがやっている「被権力者ブリッコの座を争う権力者たち」というコントの横で、こうやって本質的被権力者たち=棄却されやすい者たち=存在しない者たちの居場所がどんどん失われていっているんだぞ。
まあ本質的権力者が目を向けるだけで本質的被権力者の居場所を削ることになるんだがね。先にも書いただろ? わたしのやってることは狂気の増幅。対峙したいなら、全力で祈れ。全ての他人が、異常者だ。わたしとあなたはお互いに異常。あなたと彼氏もお互いに異常。他人と対峙したいなら、祈りにしがみつけ。
リンク先の二人はドードーとらさんとは違う話をしたがっているように見える。「自閉症者の存在自体が一つの概念」という話は三次元の話で、象徴界に限定した二次元の話をしたがっているよう。どっちが正しい悪いって話じゃなくて。
エーゴ好きな人の方のコメント欄、
=====
検察の側が積極的に切断操作を行うメリットが自分にはわかりません。むしろ予想される弁護側の(切断操作的な側面を伴う)主張に対する予防線であると考える方が、理解しやすいようには感じます。
=====
なんてセリフがとっても象徴的。メリットデメリットで考えてたらそりゃー理解できないだろうと思う。思った。メリットとかデメリットとかっていう二次元的領域の話じゃないとわたしゃ思うがな。
もちろんわたしも二人とは違う話をしているのかもしれない。わたしがこんな記事書くのはおせっかいどころか撹乱に他ならないってことを自覚しつつ、『相棒』見てます。右京様かっこええ。
カンケーないけどこんなんみっけた。なかなか。
あ、またカンケーないけどってなくはないな、これこそ大バーゲンの象徴だw これちょっとオモロイ。
=====
製薬資本や精神医学は、そこに止まれない人々を対象にした、ささやかなビジネスを展開しているに過ぎないのだ。
=====
かどうかはシラネエけど、製薬株は鳥インフルやら再編やらでお小遣い稼がせてもらったからだまっとこ。
ぬふー。
ここの記事読んで。リンク先も。こことかも。
正直簡易鑑定に振り回されるのは精神分析学んでいる身からするとネタにしか思えない。まー量刑に影響してくるわけだから関係者にとっちゃ大事なんだろうが。精神分析に簡易鑑定なんて存在しない。ラカン派では短時間セッションってのがあるがそれは一回ごとの話であり、終了まで数年とかかかるのが普通なのだ。
わたしは精神分析を逆利用、即ち他人や自分の狂気の増幅のために用いているからそんなこと知ったこっちゃないがね。
だからどーでもいいっちゃいいんだけど、ふと思い出した。
むかーし「自律神経失調症」って病名あったよね。今もあるんだろうけど、DSMにゃ載ってない病名。
んで雑誌やテレビでこの病名が取り上げられるようになって、自律神経失調症者なる存在もどーっと増えた。自律神経失調症が増える特別な社会的変化が要因としてあったのだろうか? もちろんこの文章は揶揄です。
いやいいんだよ、ポモ思想にはとってもよい具体例となろう。まさしくそれがシニフィアンの恣意性って現象なんだから。要するにアスペ診断をもっと厳密化しろ、なんて短絡的なことを言っているわけではない、ということ。
とはいえ便利なシニフィアンでもあるのよね、お薬あげるには診断しないといけないわけだから。大体な感じしかわからない初期段階での、(言い方悪いけど)大雑把な診断としてとっても便利。最近なら(鬱病じゃない)「抑鬱状態」とかがメジャーになるのかな?
それと同じことが、「アスペルガー症候群」というシニフィアンにも起こってるんじゃないのかね? とゆう話。
昨日ちょっと特殊ではあるがアスペって診断されててわたし視点でもアスペと思える子(ぱっと見確実に中二病と区別つかないタイプ)と話してたんだけど、彼はこう言った。
「(2ちゃんメンヘル板でも)最近明らかにフィーリングを感じない人がアスペアスペ言ってるから、アスペ診断か自分の感覚のどっちかがおかしいとの認識ではいた」
だとよ。いやその前にわたしがした「アスペの大バーゲン」的な話を受けてのものだけどね。別の話で。シニフィアンの増殖を寿ぐ現代資本主義社会においてはいい感じの言葉だ。
ちょっと前は「きちんと話したらその人が本当にアスペかどうかわかる」って言ってたのよ。この子。あ、ちなみにこいつもニキ・リンコ氏の文章読んで「あんま匂わなかった」ゆってた。ここの文章は「だるい時のオレの文章みたいだ」つってた。うん、わたしの記号分析的見地と合致する。
まーこの子は象徴的ファルスの代わりにパッチワーク的キャラ人格みたいなので防衛できているから、「別にアスペ増えてもちゃんと補助受けられるならいいやw」とかゆってたけど。
とらさんや、本当のというと語弊あるので人口の0.数%(とかだったよね? うろ覚え)に過ぎなかった従来のアスペと診断されてきた人たちにとって、重要なのは、「自閉症者という存在自体である一つの概念」なのだ。ポモ思想ならば、ラカンの「女は存在しない」における「女という存在自体である一つの概念」が問題なのだ。だからとらさんは、「アスペやスキゾはなおさら存在しない」と言ったのだろう。
精神分析において、シニフィアンの連鎖のスキマに落ちたものが真理であるということ。
そういうのにも関係してくるんじゃないだろうか? 「女は存在しない」や「アスペやスキゾはなおさら存在しない」って言葉は。
この「アスペルガーの大バーゲン」とは、非現実的な話ではない。わたしのこのブログのテーマの一つである、「ポモとはスキゾイドじゃない人間もスキゾイドになりたがる傾向である」に連結する。スキゾ化を目指してスキゾ仮面にしかなれなかったオタク文化や、従来のスキゾイド型ひきこもりと別物の社会型ひきこもりや、スキゾ的相対主義を口先だけで述べ本当の相対主義的主体は狂気の領域にあることを知らない者たち。類例はいくらでもある。
逆に言えば、「アスペルガーの大バーゲン」状態こそが、無意識的切断操作と呼べるのではないだろうか。基本シニフィアンなんてのはナイフなんだから。諸刃だけど。多分鈍感な大人はこの無意識的にそうなって「しまう」ことが理解できないんだろうけど。そうして彼らの象徴界には女やアスペやスキゾが存在しなくなる、っと。ってかそもそも象徴界がそういうもの。正確に言えば「女」や「アスペ」や「スキゾ」というシニフィアンは、クリステヴァ的な意味で棄却されやすいシニフィエを持っている、という話やね。
供犠の贄はマゾヒストやヒステリーに任せとけっつーに。
oi
みす
おい、笙野ファンども読んでるかい?
君らがやっている「被権力者ブリッコの座を争う権力者たち」というコントの横で、こうやって本質的被権力者たち=棄却されやすい者たち=存在しない者たちの居場所がどんどん失われていっているんだぞ。
まあ本質的権力者が目を向けるだけで本質的被権力者の居場所を削ることになるんだがね。先にも書いただろ? わたしのやってることは狂気の増幅。対峙したいなら、全力で祈れ。全ての他人が、異常者だ。わたしとあなたはお互いに異常。あなたと彼氏もお互いに異常。他人と対峙したいなら、祈りにしがみつけ。
リンク先の二人はドードーとらさんとは違う話をしたがっているように見える。「自閉症者の存在自体が一つの概念」という話は三次元の話で、象徴界に限定した二次元の話をしたがっているよう。どっちが正しい悪いって話じゃなくて。
エーゴ好きな人の方のコメント欄、
=====
検察の側が積極的に切断操作を行うメリットが自分にはわかりません。むしろ予想される弁護側の(切断操作的な側面を伴う)主張に対する予防線であると考える方が、理解しやすいようには感じます。
=====
なんてセリフがとっても象徴的。メリットデメリットで考えてたらそりゃー理解できないだろうと思う。思った。メリットとかデメリットとかっていう二次元的領域の話じゃないとわたしゃ思うがな。
もちろんわたしも二人とは違う話をしているのかもしれない。わたしがこんな記事書くのはおせっかいどころか撹乱に他ならないってことを自覚しつつ、『相棒』見てます。右京様かっこええ。
カンケーないけどこんなんみっけた。なかなか。
あ、またカンケーないけどってなくはないな、これこそ大バーゲンの象徴だw これちょっとオモロイ。
=====
製薬資本や精神医学は、そこに止まれない人々を対象にした、ささやかなビジネスを展開しているに過ぎないのだ。
=====
かどうかはシラネエけど、製薬株は鳥インフルやら再編やらでお小遣い稼がせてもらったからだまっとこ。
ぬふー。