芋虫ごろごろ
2008/05/10/Sat
「木村論使っている奴は、すぐ虹だとか言う(笑)」
そんな脳内反論を受けた。木村論って木村敏論だろうか? 笙野の文章における虹の話だろうか? もろドゥルーズのアイオーンとかそこら辺臭いけど。そういえばアイオーンもグノーシスだな。笙野もカワイイとこあるのう。
わたしの認知では、んなもん統合失調症者の「全体が部分、部分が全体」感覚に過ぎない。そうなってしまった時の体感を、不快感を、苦痛を、ナイアガラ花火の中を歩くような感覚を、それらの言葉は棄却している。虹なんてきれいなものではない。所詮二次元。
わたしは虹にこびりつく芋虫になっている。他にも芋虫はぽつぽついる。わたしは芋虫のようであって芋虫ではない。何故なら、わたしの黒い口からは、ミミズのような触手が何本も生えている。もちろん他の芋虫の前では見せない。口の中に隠している。
芋虫同士の愛情表現は、相手を食べることだ。共食いだ。もちろんそれは痛い。痛いのを我慢するから、本当の愛なのだ。体の中からは、カラフルな体液がほとばしる。虹を七色に染めている。
だけど、他の芋虫と少し違うわたしは、ただ食べられるだけじゃない。相手を食べるフリをしながら、触手を潜り込ませる。痛いのは同じだから、気づかれることは少ない。
触手は卵を生みつける。
数千個ほど生みつけるが、排泄され乾燥するとダメになるので、孵化するのは数百個ほどだ。共食いとは言っても、さすがに相手が死ぬまでやることは稀なので、孵化したわたしは血管の中を泳いで育つ。血管を塞いでしまいそうなほど育つと、宿主は大概死んでいる。上手くできている。
宿主に蛆が湧く。
でもよく見てみて。口が黒くなっているのが、時々いるでしょ? それがわたし。子供のわたし。
蛆がどんどん蝿になっていく。虹から飛び立っていく。わたしは芋虫だから、蝿になんかならない。宿主の死骸を食い荒らして、小指の半分ほどの大きさになっている。
小指の半分ほどになったとはいえ、他の芋虫から比べると、まだまだ子供だ。子供好きな芋虫だっている。大人の芋虫に噛まれたら、愛されたら、すぐ死んでしまう。
そうやって、百匹ほど残っていたわたしも、どんどん減っていく。大人だった頃の記憶を持ち合わせているのに、それが活用できない。むしろ、少なくなっていくほど、大人の頃の記憶を取り戻す。
やがてわたしは一匹になる。
死んでいったわたしたちは、なんだったのだろうか、と思う。死んでいったわたしたちが、わたしの体内で暴れる。
それが辛いから、また卵を生みつける。
あなたに。
気にしないでください。幻覚すれすれの幻想構築って奴です。
氏賀Y太ってダルマもの結構描いているけど、二階堂奥歯はどんな風に読んでたんだろう。死んでいるからそんな思いを馳せる。生きていたら、多分「黒い少女きめえ」って唾を吐くだけ。
未開文明のドキュメンタリーとかで、カブトムシの幼虫みたいなのを焼いて食べたりするじゃない。とてもおいしそうだと思う。とか言いつつ実際食うとなったら躊躇っちゃうんだろう。
虹に実体はありません。
酒酒。バッカスバッカス。
蛆ならいいんだけどね、蛆なら。
そりゃあわたしにとってはどうでもいいことだけど。
バスタブ一杯の蛆。正直邪魔。わたしは、空っぽのバスタブで、熱湯を受けたいのだ。
いやでも死んでいったわたしからも蛆は湧いているんだろうけど。
テリブルマザーとグレートマザーの違いって、断頭コンプレックスを通過しているかしていないかだと思った。わたしはアガペーを承認すると、二次元的言語ゲームを必要としなくなるだろう。多少は必要なんだろうけど、今ほどがりがり書くことはないだろう。アガペーを知っているなら、狂気の防衛たるサントームは必要なくなる。二次元の柵は必要なくなる。サントームがなくても二次元にいられる。あー芋虫って確かにちょっと断頭っぽいな。コンプレックス出てるのかね。
なんて言うんだろ。ラカン派に向けた実況中継だろうか。「わたしの」内的世界の。そんなぐらいでも役に立てればいいや。反面教師になるんだろうけど。
二次元から落ちると、男性が拘りやすい、二次元上での広さってどうでもよくなる。メタとかってのも二次元の領域移動、視点移動にしか過ぎない。視点移動して二次元上を広く生きようよ、っていうのが最近よく使われている「メタ」って奴でしょ? ところが実際「メタ」って言葉使う奴ほど固定観念が強い。役割同一性に固執している。わたしの臨床ではね。ここんとこ分析するにゃーやっぱラカン論でしょ。二次元から落ちた人間が、「心の理論」なりなんでもいいけど、定型人はこうなんだ、って知るのにはラカン論ってとっても有効。実際神経症に一番効くのがラカン論なんでそ? そーゆーこと。定型人の「心の理論」なり思い込みなりを解体するのにとってもよく切れるメス。とらさんが最近よく口にする「女は存在しない。自閉症やスキゾはなおさら存在しない」って言葉も、神経症者視点、即ち定型人視点、即ち二次元住人視点で「存在しない」って言っているわけだから。もっと厳密に言えば、言葉にしてしまった時点で存在しなくなってしまう、存在しなくなっていく。ラカン派の口癖「常に既に」的に。女性性の本質なり自閉症者の本質は、常に既に存在しない。この「常に既に存在しない」は、先に挙げたとらさんの記事だと、「原理的に抜け落ちてしまう」に共鳴するだろう。ラカンはだから「女は存在しない」と「言葉で」言ったのだ。この言葉は、女性性の無限的な非象徴界的性質と、象徴界の有限性を同時に示した言葉だと捉えなければならない。だから、象徴界的な「心の理論」に囚われている定型人の心の有限さをも比喩できる、というわけ。
わたしもそんな感じがする。だからラカン論なりクリステヴァ論を、信仰ではなく言葉という道具として利用できる。信仰してたらこんな欲望丸出しで分析家の立場立つかよwww 本気で分析家目指している奴にとっちゃー真っ先に排除したいタイプだろう。つかさー、「欲望について真摯たれ」っていう治療テーマと「分析家の欲望の介入はあってはならない」って矛盾しねえか? 欲望について最も屈折しているのが分析家ということになる。最も分析治療を受けるべき人間こそが分析家であるということだ。「分析家は孤独でなければ機能しないが、集団でなければ生きられない」に繋がる矛盾だけど。それに気づけているラカン派さえ少なそうだ。いやそういった矛盾がラカン論の魅力なんだがね。
わたしゃ分析家目指しているわけじゃないから、よく切れるメスをただ振り回す。そういうこと。
二次元から落ちたくない。うんこのようにこびりつきたい。この爪が相手にちょっとでも食い込むと、爪の形だけを見て相手はわたしを象徴的父と見做す。ある二次元評論家が笙野頼子をブッシュ大統領に喩えたように。当たってるよ。笙野はしらんがわたしは象徴的父かつ自他未分化的な母になりたがっているんだから。あ、ここBGM中島みゆきの『やまねこ』で。ファリックマザーっすね。わたしはテリブルマザーって言うけど。更正しない鬼子母神。とか言いながら時々多少の引っかきでも堪えちゃう奴がいてすぐ動揺したり。まだまだじゃのう。
まあ、わたしのペニスはサントームだっつことよね。祈りでも可。祈りなんてな万人に正しく届くべきってものじゃないから。説明乞われたら気が向いている時なら答えるけどね。そりゃ届かないよか届いた方がいいもん。
この文章も、祈り。
傷つけるための爪だけが
抜けない棘のように光る
天からもらった贈り物が
この爪だけなんて
わたしは、この爪で、自分がヤマアラシだと知りながら、あなたを抱く。
そんな脳内反論を受けた。木村論って木村敏論だろうか? 笙野の文章における虹の話だろうか? もろドゥルーズのアイオーンとかそこら辺臭いけど。そういえばアイオーンもグノーシスだな。笙野もカワイイとこあるのう。
わたしの認知では、んなもん統合失調症者の「全体が部分、部分が全体」感覚に過ぎない。そうなってしまった時の体感を、不快感を、苦痛を、ナイアガラ花火の中を歩くような感覚を、それらの言葉は棄却している。虹なんてきれいなものではない。所詮二次元。
わたしは虹にこびりつく芋虫になっている。他にも芋虫はぽつぽついる。わたしは芋虫のようであって芋虫ではない。何故なら、わたしの黒い口からは、ミミズのような触手が何本も生えている。もちろん他の芋虫の前では見せない。口の中に隠している。
芋虫同士の愛情表現は、相手を食べることだ。共食いだ。もちろんそれは痛い。痛いのを我慢するから、本当の愛なのだ。体の中からは、カラフルな体液がほとばしる。虹を七色に染めている。
だけど、他の芋虫と少し違うわたしは、ただ食べられるだけじゃない。相手を食べるフリをしながら、触手を潜り込ませる。痛いのは同じだから、気づかれることは少ない。
触手は卵を生みつける。
数千個ほど生みつけるが、排泄され乾燥するとダメになるので、孵化するのは数百個ほどだ。共食いとは言っても、さすがに相手が死ぬまでやることは稀なので、孵化したわたしは血管の中を泳いで育つ。血管を塞いでしまいそうなほど育つと、宿主は大概死んでいる。上手くできている。
宿主に蛆が湧く。
でもよく見てみて。口が黒くなっているのが、時々いるでしょ? それがわたし。子供のわたし。
蛆がどんどん蝿になっていく。虹から飛び立っていく。わたしは芋虫だから、蝿になんかならない。宿主の死骸を食い荒らして、小指の半分ほどの大きさになっている。
小指の半分ほどになったとはいえ、他の芋虫から比べると、まだまだ子供だ。子供好きな芋虫だっている。大人の芋虫に噛まれたら、愛されたら、すぐ死んでしまう。
そうやって、百匹ほど残っていたわたしも、どんどん減っていく。大人だった頃の記憶を持ち合わせているのに、それが活用できない。むしろ、少なくなっていくほど、大人の頃の記憶を取り戻す。
やがてわたしは一匹になる。
死んでいったわたしたちは、なんだったのだろうか、と思う。死んでいったわたしたちが、わたしの体内で暴れる。
それが辛いから、また卵を生みつける。
あなたに。
気にしないでください。幻覚すれすれの幻想構築って奴です。
氏賀Y太ってダルマもの結構描いているけど、二階堂奥歯はどんな風に読んでたんだろう。死んでいるからそんな思いを馳せる。生きていたら、多分「黒い少女きめえ」って唾を吐くだけ。
未開文明のドキュメンタリーとかで、カブトムシの幼虫みたいなのを焼いて食べたりするじゃない。とてもおいしそうだと思う。とか言いつつ実際食うとなったら躊躇っちゃうんだろう。
虹に実体はありません。
酒酒。バッカスバッカス。
蛆ならいいんだけどね、蛆なら。
そりゃあわたしにとってはどうでもいいことだけど。
バスタブ一杯の蛆。正直邪魔。わたしは、空っぽのバスタブで、熱湯を受けたいのだ。
いやでも死んでいったわたしからも蛆は湧いているんだろうけど。
テリブルマザーとグレートマザーの違いって、断頭コンプレックスを通過しているかしていないかだと思った。わたしはアガペーを承認すると、二次元的言語ゲームを必要としなくなるだろう。多少は必要なんだろうけど、今ほどがりがり書くことはないだろう。アガペーを知っているなら、狂気の防衛たるサントームは必要なくなる。二次元の柵は必要なくなる。サントームがなくても二次元にいられる。あー芋虫って確かにちょっと断頭っぽいな。コンプレックス出てるのかね。
なんて言うんだろ。ラカン派に向けた実況中継だろうか。「わたしの」内的世界の。そんなぐらいでも役に立てればいいや。反面教師になるんだろうけど。
二次元から落ちると、男性が拘りやすい、二次元上での広さってどうでもよくなる。メタとかってのも二次元の領域移動、視点移動にしか過ぎない。視点移動して二次元上を広く生きようよ、っていうのが最近よく使われている「メタ」って奴でしょ? ところが実際「メタ」って言葉使う奴ほど固定観念が強い。役割同一性に固執している。わたしの臨床ではね。ここんとこ分析するにゃーやっぱラカン論でしょ。二次元から落ちた人間が、「心の理論」なりなんでもいいけど、定型人はこうなんだ、って知るのにはラカン論ってとっても有効。実際神経症に一番効くのがラカン論なんでそ? そーゆーこと。定型人の「心の理論」なり思い込みなりを解体するのにとってもよく切れるメス。とらさんが最近よく口にする「女は存在しない。自閉症やスキゾはなおさら存在しない」って言葉も、神経症者視点、即ち定型人視点、即ち二次元住人視点で「存在しない」って言っているわけだから。もっと厳密に言えば、言葉にしてしまった時点で存在しなくなってしまう、存在しなくなっていく。ラカン派の口癖「常に既に」的に。女性性の本質なり自閉症者の本質は、常に既に存在しない。この「常に既に存在しない」は、先に挙げたとらさんの記事だと、「原理的に抜け落ちてしまう」に共鳴するだろう。ラカンはだから「女は存在しない」と「言葉で」言ったのだ。この言葉は、女性性の無限的な非象徴界的性質と、象徴界の有限性を同時に示した言葉だと捉えなければならない。だから、象徴界的な「心の理論」に囚われている定型人の心の有限さをも比喩できる、というわけ。
わたしもそんな感じがする。だからラカン論なりクリステヴァ論を、信仰ではなく言葉という道具として利用できる。信仰してたらこんな欲望丸出しで分析家の立場立つかよwww 本気で分析家目指している奴にとっちゃー真っ先に排除したいタイプだろう。つかさー、「欲望について真摯たれ」っていう治療テーマと「分析家の欲望の介入はあってはならない」って矛盾しねえか? 欲望について最も屈折しているのが分析家ということになる。最も分析治療を受けるべき人間こそが分析家であるということだ。「分析家は孤独でなければ機能しないが、集団でなければ生きられない」に繋がる矛盾だけど。それに気づけているラカン派さえ少なそうだ。いやそういった矛盾がラカン論の魅力なんだがね。
わたしゃ分析家目指しているわけじゃないから、よく切れるメスをただ振り回す。そういうこと。
二次元から落ちたくない。うんこのようにこびりつきたい。この爪が相手にちょっとでも食い込むと、爪の形だけを見て相手はわたしを象徴的父と見做す。ある二次元評論家が笙野頼子をブッシュ大統領に喩えたように。当たってるよ。笙野はしらんがわたしは象徴的父かつ自他未分化的な母になりたがっているんだから。あ、ここBGM中島みゆきの『やまねこ』で。ファリックマザーっすね。わたしはテリブルマザーって言うけど。更正しない鬼子母神。とか言いながら時々多少の引っかきでも堪えちゃう奴がいてすぐ動揺したり。まだまだじゃのう。
まあ、わたしのペニスはサントームだっつことよね。祈りでも可。祈りなんてな万人に正しく届くべきってものじゃないから。説明乞われたら気が向いている時なら答えるけどね。そりゃ届かないよか届いた方がいいもん。
この文章も、祈り。
傷つけるための爪だけが
抜けない棘のように光る
天からもらった贈り物が
この爪だけなんて
わたしは、この爪で、自分がヤマアラシだと知りながら、あなたを抱く。