それなんてドラマ?
2008/06/07/Sat
昔、友人が言った言葉を思い出した。
「わたしってさ、自分が好きになっていく時じゃなくて、好き度が弱くなっていく時に限って、相手に好かれるのよね」
適当に紡ぎ直したが、大意は合っていると思う。
わたしはなんて答えただろう。はいはいと聞き流したかもしれないが、
「それって恋愛が上手ってことじゃん」
って思ったように思う。むかついたと思う。そのようなことを言った気もする。
まさしく「人は欠如に欲望する」というラカン理論に合致するのだが、本当にそれが真理なのだろうか。
わたしは、最近事後的に思い始めたことだが、愛憎が混濁する状態を求めて恋愛していたような気がする。巷に流布する「癒されるような恋愛」も、たまにはいいのかなどと思いながら、最終的にはほぼ必ずと言っていいほど修羅場になっていた。きれいなというか大団円的な別れ話とか聞くと、「それなんてエロゲ?」ではないが、どこのドラマだよ、といつもむずむずした。
だから、好き度が弱くなることとは、嫌い度が強くなることではないっていうことぐらいはわかる。好きと嫌いを足したものの強度が弱くなることとは、無関心度が強くなることだ。
無関心度が高くなれば、相手を変えればいい、そんな合理的判断が、何故許されないのかがわからない。巷に流布する「癒されるような穏やかな恋愛」なんて、お互い無関心度が強い関係を保持するための洗脳フレーズじゃなかろうか? などと思ったことがある。
全てフリーメーソンが悪いのです。インボーロン。
無関心なるものに飲み込まれた状態が抑鬱症であるならば、わたしの抑鬱症嫌いは根が深いものだと思える。ある小劇団の打ち上げで、わたしと主宰を「赤と青」に対比させて意味なく盛り上がっていた光景が浮かぶ。主宰は抑鬱的だった。わたしは、劇団という仕事(作業)の関係に限ればよいパートナーだと思っていたが、人間としては好きじゃなかったし、普通に公言していた。既婚者だったしね。公務員の奥方と金持ちの実家に喰わせてもらってるクセに、権力者ぶるのが大好きな男だった。だから主宰なんてやってたのだろうけど。ともかく、そんなよきパートナーだったわけだから、口論は絶えなかった。わたしにとっては奴のそういう姿の方が印象が強かったため、「赤と青」話の際、「どこが青だか」と思った。演劇に関する知識は向こうの方が遥かに上だったので、わたしはいつも防衛側に回っていた。だけど、口論しない場合と口論した場合では、彼の台本や演出は、違ったものになっていたと思う。むしろわたしは、公演が独りよがり化するのを、よく言えば前衛的になるのを防ぐ立場だった。エンターテイメント派と言えばわかりやすいか。
しかし、彼にとってわたしは、抑圧以外の何者でもなかったろう。主宰という立場や彼のファロセントリスムから、わたしは防衛側だったなどとのたまったが、彼は自分がやりたい芝居を、わたしに抑圧されていたのだ。それはよくわかる。自覚もあった。わたしが裏からコントロールしないと、とどこかで思っていた。基本スタッフだったし。
しかし、彼にとって不運だったのは、そんな補償的パートナーたるわたしが、身勝手過ぎたことに尽きるだろう。相撲部屋の女将のような立場などまっぴらゴメンだった。わたしはむしろ一人の演劇人として彼と論を戦わせていた。そう思いたがっていた。
要するに、周りの見えない者同士が、集団の軸をなしていたのだ。今思うと、わたしの身勝手さを彼がフォローしていたようにすら思う。いやフォローしていた。集団の長として。よくがんばっていたと思う。
そこが嫌いなのだ。抑鬱症者の。
原則が男根主義者のクセに、わたしの知らないところで集団と協調する。わたしにできない集団内の調整役ができている。結果、わたしは孤立する。わたしを評した「赤」には、揶揄的な意味が込められている。嫌われるほど、劇団内の権威は高まった。仕込みの時など、「脂さんがいると団員はきびきび動くねえ」と外注スタッフに笑われたほどだ。
わたしは、世間一般あるいはフェミニストがまくし立てる「男根主義」とは、本質を見失っているのではないか、と思い始めた。
演出家とは抑圧機構でなければならない。彼の口癖だった。山崎哲氏の言葉だったか。わたしは、彼の調整役のようなところが、抑圧機構になり切れていないところだと思っていた。むしろ彼の手が回らなかった部分を、代わりに抑圧し(ようとし)ていたのかもしれない。
他者を抑圧すると同時に、抑圧のスケープゴートが、副作用的に生じて「しまう」のが、男根主義なるものではないか。わたしはそう思い始めていた。
……まあ、そんな偏見を持っている人間にとっちゃ、ラカン論はとってもマッチングーだったわけやね、みたいな話にまとめとこう。
ぼぶぁっ、なんでもない垂れ流し記事でした。
あ、男子バレー五輪出場おめ。
「わたしってさ、自分が好きになっていく時じゃなくて、好き度が弱くなっていく時に限って、相手に好かれるのよね」
適当に紡ぎ直したが、大意は合っていると思う。
わたしはなんて答えただろう。はいはいと聞き流したかもしれないが、
「それって恋愛が上手ってことじゃん」
って思ったように思う。むかついたと思う。そのようなことを言った気もする。
まさしく「人は欠如に欲望する」というラカン理論に合致するのだが、本当にそれが真理なのだろうか。
わたしは、最近事後的に思い始めたことだが、愛憎が混濁する状態を求めて恋愛していたような気がする。巷に流布する「癒されるような恋愛」も、たまにはいいのかなどと思いながら、最終的にはほぼ必ずと言っていいほど修羅場になっていた。きれいなというか大団円的な別れ話とか聞くと、「それなんてエロゲ?」ではないが、どこのドラマだよ、といつもむずむずした。
だから、好き度が弱くなることとは、嫌い度が強くなることではないっていうことぐらいはわかる。好きと嫌いを足したものの強度が弱くなることとは、無関心度が強くなることだ。
無関心度が高くなれば、相手を変えればいい、そんな合理的判断が、何故許されないのかがわからない。巷に流布する「癒されるような穏やかな恋愛」なんて、お互い無関心度が強い関係を保持するための洗脳フレーズじゃなかろうか? などと思ったことがある。
全てフリーメーソンが悪いのです。インボーロン。
無関心なるものに飲み込まれた状態が抑鬱症であるならば、わたしの抑鬱症嫌いは根が深いものだと思える。ある小劇団の打ち上げで、わたしと主宰を「赤と青」に対比させて意味なく盛り上がっていた光景が浮かぶ。主宰は抑鬱的だった。わたしは、劇団という仕事(作業)の関係に限ればよいパートナーだと思っていたが、人間としては好きじゃなかったし、普通に公言していた。既婚者だったしね。公務員の奥方と金持ちの実家に喰わせてもらってるクセに、権力者ぶるのが大好きな男だった。だから主宰なんてやってたのだろうけど。ともかく、そんなよきパートナーだったわけだから、口論は絶えなかった。わたしにとっては奴のそういう姿の方が印象が強かったため、「赤と青」話の際、「どこが青だか」と思った。演劇に関する知識は向こうの方が遥かに上だったので、わたしはいつも防衛側に回っていた。だけど、口論しない場合と口論した場合では、彼の台本や演出は、違ったものになっていたと思う。むしろわたしは、公演が独りよがり化するのを、よく言えば前衛的になるのを防ぐ立場だった。エンターテイメント派と言えばわかりやすいか。
しかし、彼にとってわたしは、抑圧以外の何者でもなかったろう。主宰という立場や彼のファロセントリスムから、わたしは防衛側だったなどとのたまったが、彼は自分がやりたい芝居を、わたしに抑圧されていたのだ。それはよくわかる。自覚もあった。わたしが裏からコントロールしないと、とどこかで思っていた。基本スタッフだったし。
しかし、彼にとって不運だったのは、そんな補償的パートナーたるわたしが、身勝手過ぎたことに尽きるだろう。相撲部屋の女将のような立場などまっぴらゴメンだった。わたしはむしろ一人の演劇人として彼と論を戦わせていた。そう思いたがっていた。
要するに、周りの見えない者同士が、集団の軸をなしていたのだ。今思うと、わたしの身勝手さを彼がフォローしていたようにすら思う。いやフォローしていた。集団の長として。よくがんばっていたと思う。
そこが嫌いなのだ。抑鬱症者の。
原則が男根主義者のクセに、わたしの知らないところで集団と協調する。わたしにできない集団内の調整役ができている。結果、わたしは孤立する。わたしを評した「赤」には、揶揄的な意味が込められている。嫌われるほど、劇団内の権威は高まった。仕込みの時など、「脂さんがいると団員はきびきび動くねえ」と外注スタッフに笑われたほどだ。
わたしは、世間一般あるいはフェミニストがまくし立てる「男根主義」とは、本質を見失っているのではないか、と思い始めた。
演出家とは抑圧機構でなければならない。彼の口癖だった。山崎哲氏の言葉だったか。わたしは、彼の調整役のようなところが、抑圧機構になり切れていないところだと思っていた。むしろ彼の手が回らなかった部分を、代わりに抑圧し(ようとし)ていたのかもしれない。
他者を抑圧すると同時に、抑圧のスケープゴートが、副作用的に生じて「しまう」のが、男根主義なるものではないか。わたしはそう思い始めていた。
……まあ、そんな偏見を持っている人間にとっちゃ、ラカン論はとってもマッチングーだったわけやね、みたいな話にまとめとこう。
ぼぶぁっ、なんでもない垂れ流し記事でした。
あ、男子バレー五輪出場おめ。