フェリーの天ぷら
2008/07/02/Wed
久しぶりに強烈な夢を見た。
それを再編集するには時間が経っていなさ過ぎるので、その夢を見ながら、似たような夢を見たな、と思った夢について書く。
その夢を見ながら、というのは嘘かもしれない。しかし、起きた後、昔から密かにつけている夢日記を(と言ってもノート三冊程度)を引っ張り出してきて、がーっとめくったのは事実だ。
もちろん、以下に記す文章は、ノートにあるその概要を、なるべく思い出しながら、再編集したものである。
わたしはフェリーに乗っている。父と母と一緒だ。窓のない大部屋の中、乗客は思い思いの場所にマットを敷いて、雑魚寝している。
それほど混んでいない。昔地震があって、学校の体育館に泊まった時より、人は密集していない。もちろん話し声は筒抜けだが、無理矢理気にしないでいれば、気にならなくもないかもしれないという程度には、わたしたちと他の乗客の距離は離れていた。
気がつくと、父が誰かと口論していた。口論するのはいつも母の方だったので、珍しいこともあるもんだ、と思いながら見ていた。
口論が終わると、わたしたちは大部屋から追い出された。父の要領の得ない説明を聞きながら、乗船切符か何かに問題があったのだな、と思った。
わたしは、地震の夜、学校の体育館に泊まった時ぐらいの年齢だった。要するに小学生だった。
わたしたちは、通路にマットを敷き、そこで横になった。通行人は邪魔そうにわたしたちの横を通り過ぎる。とてもみじめだった。マットを取り上げられなかっただけマシだと思った。
さまざまな人が、通路を通り過ぎて行った。
バンドミュージシャン風の、体のでかい青年が通り過ぎた。しばらくして帰ってきたら、ずぶ濡れだった。床が水浸しになり、わたしたちのマットも濡れてしまった。またしばらくして、船内アナウンスが聞こえた。
「今海は荒れていますので、お客様は甲板に出ないようにお願いします」
さっきの人は甲板に出てしまったのだな、と思った。
とてもきれいな女性が通り過ぎた。輪郭は角張っていて、目も吊り上がり気味だったけど、美人だと思った。着ている服も、上品な感じがした。水商売というより、どことなく芸能人のような雰囲気があった。
わたしたちがいる通路の横に、小さなスペースがあった。上下に開くドアがあった。手荷物用のエレベータだった。わたしが見ている前で、その女性は、エレベータに乗り込んだ。体を折り曲げ、体育座りして、中に入った。上下に開閉するドアが、閉まる直前に、ぬっと腕を出し、ドアの横にあるボタンを押した。腕が引っ込むと同時にドアは閉まった。とても慣れているように思えた。
船は激しく揺れた。父が壁に強く頭を打ちつけた。わたしはとても情けなくなって、泣いた。吐きそうだった。自分の顔に流れているものが、涙かゲロかわからなかった。涙かゲロかわからないものは、母の服に染み込んでいった。
わたしはどきどきして寝られなかった。何度も何度も目を覚ました。ふと気づくと、父がいなかった。
小学生だったわたしは、好奇心に負けて、船内を探検することにした。
わたしは、手荷物用エレベータに乗り込んだ。思ったより中は窮屈じゃなかった。体が小さいこともあっただろう。外にあるボタンも、上手く押せた。ドアが閉まり、真っ暗になった。こういう空間は嫌いじゃなかった。でもやがてドアは開いた。薄暗い空間が広がった。
そこは、機関室のようだった。室というより、大小さまざまなパイプや機械が、劇画調に広がっている世界だった。
でこぼこしたリノリウムが敷かれた、キャットウォークのようなところを歩いた。船が揺れているのか、リノリウムがべこべこしているのかわからなかったけれど、とても足元は不安定だった。
周りを囲むパイプや機械は、油か水蒸気かわからなかったけれど、てらてらと光っていた。それが、わずかな光を乱反射して、劇画調の印象を生んでいたのだな、と思った。
わたしは、あのきれいな女性を探していた。手荷物用エレベータに乗ったのだから、手荷物室にいると思った。
手荷物室はすぐに見つかった。ドアを開ける。細長い部屋だった。部屋の両脇に、三段ぐらいになっているベッドが備えつけられていた。そこには、たくさんの乗客が、膝を折り曲げ座っていた。横になってすらいなかった。密集しすぎて、横になれないのだった。ベッドというより、棚だった。手荷物室なのだから、棚なのだった。
棚に乗せられた彼らは、わたしに無関心のように見えた。わたしは部屋に入り、彼らの中から、あの女性を探そうとした。でも、探し出してどうするのかわからなかった。どうすることもできないと気づいた頃には、わたしは部屋の中ほどにいた。
わたしが、棚に乗せられた彼らの横を通り過ぎるたび、彼らの体がゆっくりとわずかに動くのを感じた。いや、彼らは手荷物なんかじゃなく、人間だから、動くのは当然だ。実際、わたしが部屋に入った時も、一瞬だけこっちを気にするかのような動きを、みんながみんなした。だけど、すぐに関心がなくなったように見えた。とはいえ、ゆっくりとわずかにしか動かない彼らと比べると、部屋を歩くわたしは、浮いていた。だから、そんなわたしが横を通り過ぎると、彼らはわずかながらにも反応するというのは、わからないでもなかった。
部屋の中に、あの女性はいなさそうだった。中ほどを過ぎて、やっとそう思えた。部屋の奥には、入った時のと同じようなドアがある。通り抜けようか引き返そうかと一瞬迷って、わたしは振り返った。
手荷物たちが、一斉にわたしを見ていた。
わたしは反射的に前を向いた。背中に熱した油をかけられたようだった。前へ走った。向かいのドアを開けた。わたしは手荷物室を通り抜けた。手荷物たちの視線を通り魔のように断ち切りながら、火花のように部屋を出た。
部屋を出ると、さっきと同じようなパイプや機械が蠢いていた。パイプや機械は生きていた。熱帯雨林だった。フェリーはいつの間にか上陸していた。
機械音か獣の鳴き声かわからない中を、わたしは走った。後ろは振り返れなかった。パイプの間から、木々の間から、ずぶ濡れの乗客たちがぬっと出てきて、わたしの背中を見送っているように思えたから。
わたしは、箱詰めされている。
真っ暗な狭い空間。
開けてはならない手荷物。
人間みんな手荷物だ。手荷物になっちゃえば、住宅問題も食糧問題も考えなくていい。
中を開けられるのが怖いから、人間のフリをしている。熱帯雨林の木々とどんな違いがあるのだろう? 人間もパイプも木々も手荷物も、みんな同じだ。
背中が痛い。剣山で引っかかれたように痛い。背中から揚げられている。わたしは天ぷらだった。
熱帯雨林で遭難死する、天ぷら。
あの女性の唇は、天ぷらを食べたから、あんなにてかっていたのだ。
手荷物なんて開けちゃいけない。
中には天ぷらが詰まっているだけ。
相変わらず、船はゆりかごのように揺れていた。
それを再編集するには時間が経っていなさ過ぎるので、その夢を見ながら、似たような夢を見たな、と思った夢について書く。
その夢を見ながら、というのは嘘かもしれない。しかし、起きた後、昔から密かにつけている夢日記を(と言ってもノート三冊程度)を引っ張り出してきて、がーっとめくったのは事実だ。
もちろん、以下に記す文章は、ノートにあるその概要を、なるべく思い出しながら、再編集したものである。
わたしはフェリーに乗っている。父と母と一緒だ。窓のない大部屋の中、乗客は思い思いの場所にマットを敷いて、雑魚寝している。
それほど混んでいない。昔地震があって、学校の体育館に泊まった時より、人は密集していない。もちろん話し声は筒抜けだが、無理矢理気にしないでいれば、気にならなくもないかもしれないという程度には、わたしたちと他の乗客の距離は離れていた。
気がつくと、父が誰かと口論していた。口論するのはいつも母の方だったので、珍しいこともあるもんだ、と思いながら見ていた。
口論が終わると、わたしたちは大部屋から追い出された。父の要領の得ない説明を聞きながら、乗船切符か何かに問題があったのだな、と思った。
わたしは、地震の夜、学校の体育館に泊まった時ぐらいの年齢だった。要するに小学生だった。
わたしたちは、通路にマットを敷き、そこで横になった。通行人は邪魔そうにわたしたちの横を通り過ぎる。とてもみじめだった。マットを取り上げられなかっただけマシだと思った。
さまざまな人が、通路を通り過ぎて行った。
バンドミュージシャン風の、体のでかい青年が通り過ぎた。しばらくして帰ってきたら、ずぶ濡れだった。床が水浸しになり、わたしたちのマットも濡れてしまった。またしばらくして、船内アナウンスが聞こえた。
「今海は荒れていますので、お客様は甲板に出ないようにお願いします」
さっきの人は甲板に出てしまったのだな、と思った。
とてもきれいな女性が通り過ぎた。輪郭は角張っていて、目も吊り上がり気味だったけど、美人だと思った。着ている服も、上品な感じがした。水商売というより、どことなく芸能人のような雰囲気があった。
わたしたちがいる通路の横に、小さなスペースがあった。上下に開くドアがあった。手荷物用のエレベータだった。わたしが見ている前で、その女性は、エレベータに乗り込んだ。体を折り曲げ、体育座りして、中に入った。上下に開閉するドアが、閉まる直前に、ぬっと腕を出し、ドアの横にあるボタンを押した。腕が引っ込むと同時にドアは閉まった。とても慣れているように思えた。
船は激しく揺れた。父が壁に強く頭を打ちつけた。わたしはとても情けなくなって、泣いた。吐きそうだった。自分の顔に流れているものが、涙かゲロかわからなかった。涙かゲロかわからないものは、母の服に染み込んでいった。
わたしはどきどきして寝られなかった。何度も何度も目を覚ました。ふと気づくと、父がいなかった。
小学生だったわたしは、好奇心に負けて、船内を探検することにした。
わたしは、手荷物用エレベータに乗り込んだ。思ったより中は窮屈じゃなかった。体が小さいこともあっただろう。外にあるボタンも、上手く押せた。ドアが閉まり、真っ暗になった。こういう空間は嫌いじゃなかった。でもやがてドアは開いた。薄暗い空間が広がった。
そこは、機関室のようだった。室というより、大小さまざまなパイプや機械が、劇画調に広がっている世界だった。
でこぼこしたリノリウムが敷かれた、キャットウォークのようなところを歩いた。船が揺れているのか、リノリウムがべこべこしているのかわからなかったけれど、とても足元は不安定だった。
周りを囲むパイプや機械は、油か水蒸気かわからなかったけれど、てらてらと光っていた。それが、わずかな光を乱反射して、劇画調の印象を生んでいたのだな、と思った。
わたしは、あのきれいな女性を探していた。手荷物用エレベータに乗ったのだから、手荷物室にいると思った。
手荷物室はすぐに見つかった。ドアを開ける。細長い部屋だった。部屋の両脇に、三段ぐらいになっているベッドが備えつけられていた。そこには、たくさんの乗客が、膝を折り曲げ座っていた。横になってすらいなかった。密集しすぎて、横になれないのだった。ベッドというより、棚だった。手荷物室なのだから、棚なのだった。
棚に乗せられた彼らは、わたしに無関心のように見えた。わたしは部屋に入り、彼らの中から、あの女性を探そうとした。でも、探し出してどうするのかわからなかった。どうすることもできないと気づいた頃には、わたしは部屋の中ほどにいた。
わたしが、棚に乗せられた彼らの横を通り過ぎるたび、彼らの体がゆっくりとわずかに動くのを感じた。いや、彼らは手荷物なんかじゃなく、人間だから、動くのは当然だ。実際、わたしが部屋に入った時も、一瞬だけこっちを気にするかのような動きを、みんながみんなした。だけど、すぐに関心がなくなったように見えた。とはいえ、ゆっくりとわずかにしか動かない彼らと比べると、部屋を歩くわたしは、浮いていた。だから、そんなわたしが横を通り過ぎると、彼らはわずかながらにも反応するというのは、わからないでもなかった。
部屋の中に、あの女性はいなさそうだった。中ほどを過ぎて、やっとそう思えた。部屋の奥には、入った時のと同じようなドアがある。通り抜けようか引き返そうかと一瞬迷って、わたしは振り返った。
手荷物たちが、一斉にわたしを見ていた。
わたしは反射的に前を向いた。背中に熱した油をかけられたようだった。前へ走った。向かいのドアを開けた。わたしは手荷物室を通り抜けた。手荷物たちの視線を通り魔のように断ち切りながら、火花のように部屋を出た。
部屋を出ると、さっきと同じようなパイプや機械が蠢いていた。パイプや機械は生きていた。熱帯雨林だった。フェリーはいつの間にか上陸していた。
機械音か獣の鳴き声かわからない中を、わたしは走った。後ろは振り返れなかった。パイプの間から、木々の間から、ずぶ濡れの乗客たちがぬっと出てきて、わたしの背中を見送っているように思えたから。
わたしは、箱詰めされている。
真っ暗な狭い空間。
開けてはならない手荷物。
人間みんな手荷物だ。手荷物になっちゃえば、住宅問題も食糧問題も考えなくていい。
中を開けられるのが怖いから、人間のフリをしている。熱帯雨林の木々とどんな違いがあるのだろう? 人間もパイプも木々も手荷物も、みんな同じだ。
背中が痛い。剣山で引っかかれたように痛い。背中から揚げられている。わたしは天ぷらだった。
熱帯雨林で遭難死する、天ぷら。
あの女性の唇は、天ぷらを食べたから、あんなにてかっていたのだ。
手荷物なんて開けちゃいけない。
中には天ぷらが詰まっているだけ。
相変わらず、船はゆりかごのように揺れていた。