イザナミという享楽
2008/09/05/Fri
この記事のリンク先にも書いたことだが、ラカンを齧っただけの奴に限って、現実界を軽々しく捉えている。
「現実界とは命のしかめっ面である」という言葉の意味が全くわかっていない。
現実界と触れたければ、享楽するしかないのだ。
享楽とは、充実身体がのた打ち回ることだ。
それは、医学的な治療とは、全く逆の状態である。
わたしは、この「享楽」をこう言い換える。
「狂気の伝染」と。
日本のラカニアンで、実際に享楽に触れられたとわたしが認めるのは、小笠原晋也のみである。
ほとんどの日本のラカニアンたちは、「享楽」を劣化コピーしている。
ラカン論自体を劣化コピーさせているように一見見える著作を書いている斎藤環など、実はまだマシな方である。何故なら、わたしはそれこそが一つの「狂気の伝染」だと考える、「プレコックス感」に関連させて現実界を考えているからだ。
「ラカン萌え」な斎藤の方が、哲学系のラカニアンたちより、よっぽど現実界がわかっている。
もちろんこのことは臨床家であることも関係していようが。
なので、斎藤環はまだ許してやれる。
しかし、先で反論している相手など、ラカニアンとも呼べないと思うが、このレベルの自称ラカニアンも結構いる。
わたしは、そいつらに殺意さえ覚える。
何故なら、彼らがやっている現実界の劣化コピーとは、わたしが生きる領域を無化させることだからだ。
わたしはそいつらに殺され続けている。
「女は存在しない」
わたしは存在しない。
ラカンはそう述べることで、わたしに死者の居場所を与えてくれた。
わたしが埋められた地面を、土足で歩く奴らに、わたしは呪いをかける。
理屈で塗り固められた呪い。
お前たちの精神を破壊するための反論。
わたしは、お前たちを殺してあげよう、と言っているのだ。
そんなに現実界に触れたいのなら、わたしが触れさせてあげようと言っているのだ。
わたしの肉体に、イザナミの肉体に、触れさせてあげようと言っているのだ。
殺してあげる。
お前らの肉体を、切り刻んであげる。
「現実界とは命のしかめっ面である」という言葉の意味が全くわかっていない。
現実界と触れたければ、享楽するしかないのだ。
享楽とは、充実身体がのた打ち回ることだ。
それは、医学的な治療とは、全く逆の状態である。
わたしは、この「享楽」をこう言い換える。
「狂気の伝染」と。
日本のラカニアンで、実際に享楽に触れられたとわたしが認めるのは、小笠原晋也のみである。
ほとんどの日本のラカニアンたちは、「享楽」を劣化コピーしている。
ラカン論自体を劣化コピーさせているように一見見える著作を書いている斎藤環など、実はまだマシな方である。何故なら、わたしはそれこそが一つの「狂気の伝染」だと考える、「プレコックス感」に関連させて現実界を考えているからだ。
「ラカン萌え」な斎藤の方が、哲学系のラカニアンたちより、よっぽど現実界がわかっている。
もちろんこのことは臨床家であることも関係していようが。
なので、斎藤環はまだ許してやれる。
しかし、先で反論している相手など、ラカニアンとも呼べないと思うが、このレベルの自称ラカニアンも結構いる。
わたしは、そいつらに殺意さえ覚える。
何故なら、彼らがやっている現実界の劣化コピーとは、わたしが生きる領域を無化させることだからだ。
わたしはそいつらに殺され続けている。
「女は存在しない」
わたしは存在しない。
ラカンはそう述べることで、わたしに死者の居場所を与えてくれた。
わたしが埋められた地面を、土足で歩く奴らに、わたしは呪いをかける。
理屈で塗り固められた呪い。
お前たちの精神を破壊するための反論。
わたしは、お前たちを殺してあげよう、と言っているのだ。
そんなに現実界に触れたいのなら、わたしが触れさせてあげようと言っているのだ。
わたしの肉体に、イザナミの肉体に、触れさせてあげようと言っているのだ。
殺してあげる。
お前らの肉体を、切り刻んであげる。