自体愛を殴り殺す自己愛
2008/09/14/Sun
付き合ってた男に、「お前は自己愛が強すぎる」と何度か言われたことがある。
そのたびにわたしは「違う」と反論してきた。しかし、知識を学んだ今では納得できるところもある。
確かにわたしは自己愛的である。彼の批判を受けた時からそう思っていた。しかし、世の中で言われているような自己愛とは全く違う。少なくとも成功者に必要不可欠と言われているようなそれではない。わたしの自己愛は、もっと断片的で自傷的で破滅的で攻撃的で腐臭が漂うものだ。こんなこと説明できるわけがないので、わけのわからない反論を返していたと思う。
今では、こう言える。
「わたしは確かにあなたという正常人から見れば自己愛が強いとなるだろう。しかし、わたしの自己愛は、あなたたち正常人たちが思う自己愛とは違う。いわば自体愛である。わたしの自己愛に、人格は備わっていない」
そう、わたしは、自分の身体反応のために恋愛をしていた。体中の神経が発火するような刺激を愛していた。彼というストレッサーがわたしに与える刺激を愛していた。あなたという人格ではなくあなたとの駆け引きを愛していた。わたしは、わたしの皮膚と肉の間で蠢く無数のムカデを愛していた。
わたしは、癲癇症者が自慰的に癲癇発作を楽しむように、あなたとの恋愛を楽しんでいただけなのだ。
だから、あなたがわたしを殴るのは、わたしのそういう欲望を読み取ってのものであったのだろう。であるならば、わたしはこう言わなければならない。こう言い返せばよかったのだ。
「わたしはあなたという人格を愛していたのではない。あなたが振るう暴力を愛していたのだ。あなたという不快を愛していたのだ」と。
わたしのあなたに関する愛は、あなたの「正常という狂気」によって改竄されていたのだ。
わたしの自体愛は、あなたの自己愛によって、殴り殺されていた。
わたしの暴力への愛は、あなたの正常な愛によって、殴り殺されていた。
無数のムカデの中に、わたしは座り込みたくなっている。
人間らしさという幻想を、放棄したくなっている。
そのたびにわたしは「違う」と反論してきた。しかし、知識を学んだ今では納得できるところもある。
確かにわたしは自己愛的である。彼の批判を受けた時からそう思っていた。しかし、世の中で言われているような自己愛とは全く違う。少なくとも成功者に必要不可欠と言われているようなそれではない。わたしの自己愛は、もっと断片的で自傷的で破滅的で攻撃的で腐臭が漂うものだ。こんなこと説明できるわけがないので、わけのわからない反論を返していたと思う。
今では、こう言える。
「わたしは確かにあなたという正常人から見れば自己愛が強いとなるだろう。しかし、わたしの自己愛は、あなたたち正常人たちが思う自己愛とは違う。いわば自体愛である。わたしの自己愛に、人格は備わっていない」
そう、わたしは、自分の身体反応のために恋愛をしていた。体中の神経が発火するような刺激を愛していた。彼というストレッサーがわたしに与える刺激を愛していた。あなたという人格ではなくあなたとの駆け引きを愛していた。わたしは、わたしの皮膚と肉の間で蠢く無数のムカデを愛していた。
わたしは、癲癇症者が自慰的に癲癇発作を楽しむように、あなたとの恋愛を楽しんでいただけなのだ。
だから、あなたがわたしを殴るのは、わたしのそういう欲望を読み取ってのものであったのだろう。であるならば、わたしはこう言わなければならない。こう言い返せばよかったのだ。
「わたしはあなたという人格を愛していたのではない。あなたが振るう暴力を愛していたのだ。あなたという不快を愛していたのだ」と。
わたしのあなたに関する愛は、あなたの「正常という狂気」によって改竄されていたのだ。
わたしの自体愛は、あなたの自己愛によって、殴り殺されていた。
わたしの暴力への愛は、あなたの正常な愛によって、殴り殺されていた。
無数のムカデの中に、わたしは座り込みたくなっている。
人間らしさという幻想を、放棄したくなっている。