時期的に
2008/09/21/Sun
そろそろさ、『KY(空気読めない)のすすめ』みたいなタイトルの、ちゃらい思想書みたいなん(哲学書だがちゃらさ的には『哲学的な何か、あと科学とか』レベルの)出したら売れるんじゃね?
序文タイトル「空気なんて読んで何かいいことあるの?」とか。
いやマジデ思ってるんだけど。風速的に。動物的勘。いやむしろちょっと遅いか、ぐらいに思ってる。わたしのこういう勘結構当たるぜ? 興味が薄いことに限るけど。だから対人テクニック全くないのに技術営業とかやらされてたんじゃねえかな。「お前に愛想は期待してない」とまで言われた営業。「ただ客先を論破するのはやめてくれ」と父親ほどの営業部長に怒られた。
第一章はそれこそ「ひとりの限界はどこか?」とかいいかもね。流れ的に。
とか書いたら飲茶がヤクザ出版社に提案してくれそうだから書いてみよっと。何気に悪意のある釣りとか上手いしな。
がんばれー。
ぐぐったら既に使用されてたらしい。そりゃそっか。
まあ適当に釣りコピー考えてくれや。
しかしこの記事の論旨もファロセントリックかつ精液だだ漏れだよなあ。この程度なら普通か。我慢できないこともない。
でも書いちゃう書いちゃうー。空気読まずに(空気読むって要は相手の人格に気を遣うってことじゃね? なら空気を読むことってパラノイア育成システムじゃん。人格とはパラノイアなんだから)。
「他人に害を及ぼすKY」と「無頓着さとしてのKY」を分けている時点で筆者が前者のKYを排除しているわけである。「わざとなKY」と「そうと知らない故のKY」って意味もあろうが、「そうと知らない故のKY」で他人に害を及ぼすのはどうなるのだろう? たとえば自閉症者は器質因的に空気が読めないから定型発達者に不快に思われる。それ以前に、相手のその言動を害と思うかどうかは受け取る主体によるだろう。マゾヒストは苦痛を享楽する(ただし苦痛ならなんでもいいというわけではない)。わたしとかは「時と場合によって」不快に向かってしまう。
「他人に害を及ぼすKYはみんなイヤなはずだろう」という、(マゾヒストやわたしを排除する)空気を読んで「しまっている」ことに、自覚があるのかね? この筆者は。
少なくとも「何故他人に害を及ぼすKYはいけないのか」「他人に害を及ぼすこと、他人から害を及ぼされることとはどういうことか」「自分は何をもってそれを害と思うのか」「自分にとって害とはなんぞや」という思考ができていないのは確かだ。
まあブログだし別にそれでいいんだけどさ。
とはいえ、そういう根底にある基準を疑いもしないのは、この筆者が、快楽原則と現実原則という固定観念に縛られた「定型発達という精神障害」者即ち正常人だからなんだろうな、という分析さ。彼のような男性性的主体がKYを推奨しても、快楽原則主義的な「ツレション感情移入ごっこ」反対、従って現実原則主義的な「イデオロギー抑圧ごっこ」バンザイ、となるだけのように思える(ここのコメント欄とか参考になろう)。記事の後半で会社といういかにも象徴界的共同体で例示しているその比喩連鎖に、既にそういう無意識が見て取れる。
れらるれれりるれろーりこーん。
いえ関係ありませんふと笙野作品のフレーズが惹起されただけです。
っていうかfc2ブログって自動で下書き保存してくれるのね。長文記事とかワードパッドで書いてからうpってたから今気づいた。
ちょー便利ー。
序文タイトル「空気なんて読んで何かいいことあるの?」とか。
いやマジデ思ってるんだけど。風速的に。動物的勘。いやむしろちょっと遅いか、ぐらいに思ってる。わたしのこういう勘結構当たるぜ? 興味が薄いことに限るけど。だから対人テクニック全くないのに技術営業とかやらされてたんじゃねえかな。「お前に愛想は期待してない」とまで言われた営業。「ただ客先を論破するのはやめてくれ」と父親ほどの営業部長に怒られた。
第一章はそれこそ「ひとりの限界はどこか?」とかいいかもね。流れ的に。
とか書いたら飲茶がヤクザ出版社に提案してくれそうだから書いてみよっと。何気に悪意のある釣りとか上手いしな。
がんばれー。
ぐぐったら既に使用されてたらしい。そりゃそっか。
まあ適当に釣りコピー考えてくれや。
しかしこの記事の論旨もファロセントリックかつ精液だだ漏れだよなあ。この程度なら普通か。我慢できないこともない。
でも書いちゃう書いちゃうー。空気読まずに(空気読むって要は相手の人格に気を遣うってことじゃね? なら空気を読むことってパラノイア育成システムじゃん。人格とはパラノイアなんだから)。
「他人に害を及ぼすKY」と「無頓着さとしてのKY」を分けている時点で筆者が前者のKYを排除しているわけである。「わざとなKY」と「そうと知らない故のKY」って意味もあろうが、「そうと知らない故のKY」で他人に害を及ぼすのはどうなるのだろう? たとえば自閉症者は器質因的に空気が読めないから定型発達者に不快に思われる。それ以前に、相手のその言動を害と思うかどうかは受け取る主体によるだろう。マゾヒストは苦痛を享楽する(ただし苦痛ならなんでもいいというわけではない)。わたしとかは「時と場合によって」不快に向かってしまう。
「他人に害を及ぼすKYはみんなイヤなはずだろう」という、(マゾヒストやわたしを排除する)空気を読んで「しまっている」ことに、自覚があるのかね? この筆者は。
少なくとも「何故他人に害を及ぼすKYはいけないのか」「他人に害を及ぼすこと、他人から害を及ぼされることとはどういうことか」「自分は何をもってそれを害と思うのか」「自分にとって害とはなんぞや」という思考ができていないのは確かだ。
まあブログだし別にそれでいいんだけどさ。
とはいえ、そういう根底にある基準を疑いもしないのは、この筆者が、快楽原則と現実原則という固定観念に縛られた「定型発達という精神障害」者即ち正常人だからなんだろうな、という分析さ。彼のような男性性的主体がKYを推奨しても、快楽原則主義的な「ツレション感情移入ごっこ」反対、従って現実原則主義的な「イデオロギー抑圧ごっこ」バンザイ、となるだけのように思える(ここのコメント欄とか参考になろう)。記事の後半で会社といういかにも象徴界的共同体で例示しているその比喩連鎖に、既にそういう無意識が見て取れる。
れらるれれりるれろーりこーん。
いえ関係ありませんふと笙野作品のフレーズが惹起されただけです。
っていうかfc2ブログって自動で下書き保存してくれるのね。長文記事とかワードパッドで書いてからうpってたから今気づいた。
ちょー便利ー。