物自体とは悪意である。
2008/09/23/Tue
癲癇発作。
脳内ニューロンが発火して、脳のどこが、どの機能が損傷を受けるか、あるいは受けないか、の話にすぎない。
記憶障害なら、「人間ごっこ」の記憶が壊れたら、自閉症になろうし、自閉症的症候がなくても間主観的自己感あるいはSAMあるいはファルスに不具合が生じたりしよう。記憶が残っていても、それを固定化する機能が壊れていたら、去勢後に破綻することもあろう。統合失調症である(もちろん癲癇発作という明確な症候がなくても自閉症や統合失調症が生じる可能性を否定する意味ではない)。
この視点から自閉症と統合失調症の違いを考えるならば、「人間ごっこ」の記憶(あるいはSAMあるいはファルス)を、一度は保持していたかどうか、ということになるのではないか。当然、脳科学的な視点からも、その差異は明確になっていくだろうし、ここでは暴論として述べていると思ってもらって構わない。斎藤環なんかは似たような考えをしているようだが。
これらは物質的な問題なので、心因のように、人格やアガペーによる影響が関与してどうかなるというものではない。
それは心因的な記憶障害ではない。
いぶきのごとく、抑圧していたトラウマを思い出し表象代理したからと言って、治癒されるものではない。
これが、「現実界とは命のしかめっ面である」ということだ。
これが、「物自体とは悪意である」ということだ。
心身二元論における精神にとっては、物自体とは常に既に負的な側面を伴うものなのだ。負的な側面が排除された物自体など、既に精神によって汚染された妄想でしかない。
むしろ、物自体から負的な側面を棄却したものが、人間の精神性なるものである、とさえ言える。
お前らは、自分自身という物体も物自体であることがわかっているのか? 本当に、実存在としてそれを認知できているのか?
わかっていないから、物自体を自分と関係ないものとして語れるだけではないか? それを無意識的に外部に設定してしまっているだけではないか?
……こんなことを言っても「頭だけでしか」理解できないんだろうな。
物自体とは、わたしにとっては、悪意である。
この言葉を否認する人間は、精神疾患を持つ者に、「気合いが足りないんだよ気合いが」などという根性論をぶつける下劣な人間となんら違いはない。
わたしはそんな奴らに殺意を抱く。
お前らの精神構造が、異常なのだ。
治療されるべきは、お前らなのだ。
「人間ごっこ」という妄想の中でしか生きられない、パラノイアなのだ。
心に問題のない人間なんていない。
これは正しいようで正しくない。
鏡像段階という問題から、物ではない心が発生するのだ。鏡像段階というトラウマが、「人であること」という心を形成していくのだ。
問題が、人間の心を生むのだ。
心そのものの本質が、問題なのだ。
脳内ニューロンが発火して、脳のどこが、どの機能が損傷を受けるか、あるいは受けないか、の話にすぎない。
記憶障害なら、「人間ごっこ」の記憶が壊れたら、自閉症になろうし、自閉症的症候がなくても間主観的自己感あるいはSAMあるいはファルスに不具合が生じたりしよう。記憶が残っていても、それを固定化する機能が壊れていたら、去勢後に破綻することもあろう。統合失調症である(もちろん癲癇発作という明確な症候がなくても自閉症や統合失調症が生じる可能性を否定する意味ではない)。
この視点から自閉症と統合失調症の違いを考えるならば、「人間ごっこ」の記憶(あるいはSAMあるいはファルス)を、一度は保持していたかどうか、ということになるのではないか。当然、脳科学的な視点からも、その差異は明確になっていくだろうし、ここでは暴論として述べていると思ってもらって構わない。斎藤環なんかは似たような考えをしているようだが。
これらは物質的な問題なので、心因のように、人格やアガペーによる影響が関与してどうかなるというものではない。
それは心因的な記憶障害ではない。
いぶきのごとく、抑圧していたトラウマを思い出し表象代理したからと言って、治癒されるものではない。
これが、「現実界とは命のしかめっ面である」ということだ。
これが、「物自体とは悪意である」ということだ。
心身二元論における精神にとっては、物自体とは常に既に負的な側面を伴うものなのだ。負的な側面が排除された物自体など、既に精神によって汚染された妄想でしかない。
むしろ、物自体から負的な側面を棄却したものが、人間の精神性なるものである、とさえ言える。
お前らは、自分自身という物体も物自体であることがわかっているのか? 本当に、実存在としてそれを認知できているのか?
わかっていないから、物自体を自分と関係ないものとして語れるだけではないか? それを無意識的に外部に設定してしまっているだけではないか?
……こんなことを言っても「頭だけでしか」理解できないんだろうな。
物自体とは、わたしにとっては、悪意である。
この言葉を否認する人間は、精神疾患を持つ者に、「気合いが足りないんだよ気合いが」などという根性論をぶつける下劣な人間となんら違いはない。
わたしはそんな奴らに殺意を抱く。
お前らの精神構造が、異常なのだ。
治療されるべきは、お前らなのだ。
「人間ごっこ」という妄想の中でしか生きられない、パラノイアなのだ。
心に問題のない人間なんていない。
これは正しいようで正しくない。
鏡像段階という問題から、物ではない心が発生するのだ。鏡像段階というトラウマが、「人であること」という心を形成していくのだ。
問題が、人間の心を生むのだ。
心そのものの本質が、問題なのだ。