いろいろめんでえ
2008/09/26/Fri
なんかーあーまー普通に考えたらそうだろうなーとか思ってわたしの糞尿の泉が便意が収束しつつある。
いろいろめんどくさくなった。
めんどくさいので(リンク貼ったりすんのが)そのまま引用。こちらから。
=====
私が時々のぞいているあるブログ(現役の精神科医が書いているブログ)で、
最近、連続してアスペルガー症候群に関する記事がアップされていました。
記事のURLは以下のとおりです。
http://ameblo.jp/kyupin/entry-10140864551.html
http://ameblo.jp/kyupin/entry-10140914577.html
http://ameblo.jp/kyupin/entry-10141003396.html
http://ameblo.jp/kyupin/entry-10141261702.html
http://ameblo.jp/kyupin/entry-10141945684.html
(中略)
ちなみに記事を書いているのは「普通の」精神科医で、発達障害の専門家ではありません。
=====
若干炎上しているのはブログ主はそういうのを予測して書いたらしいからどうでもいいけど、定型でこんな風に気づいている人が、しかもシステムの内部にいる人が言うなら、後はなるようになるんじゃない? と思う。
これを社会問題化したいとかってなるのはなんかちげえし、こういうのは結論が出ないまま推移していく問題だと思うんだよな。結論じゃなくて対症療法的な妥協点を生産していくのみ。いやそれが悪いって言っているんじゃなくて、そういうものだと思う。
このブログ主の「アスペとはなるべく診断せずに、診断してもなるべく告知せずに治療する」ってのも結局は対症療法なわけで、それが悪いとは思わない。
治療の現場としては、ね。
ただ学問という人間の業とも呼べる冷酷無残な営為として考えるならば、対症療法的な妥協に縛られるのは、本質に接近することの妨害になるってだけで。
ラカン曰く。
=====
神経症者達は困難な人生を生きていて、われわれは彼らの不快を和らげようとしている……。分析をあまりに先へと無理に押し進めることはない。分析主体が生きていることに幸せを感じるなら、それで十分なのだ。
=====
一応断っておくと逆精神分析からしてみればこの言葉は馬耳東風。
このブログ主の論旨、「アスペルガーの大バーゲン」に対して批判的なところや、自閉症の負の側面にもっと着目しようぜ、なんてのは、全くわたしと同じ論旨だし、その上で「告知しない」対症療法を選択しているならそれはそれでいいんじゃない? って思う。
文体から考慮すると、かっこつけて言うならクリステヴァ的記号分析すると、この「語る主体」(ブログ主)はいかにも定型的でわたしは微妙な嫌悪感を覚えてしまうのだが、理屈的にはわたしと同じこと言っているので我慢する。まあ平たく言えば生理的に好きになれないタイプと妄想チックに感じたってこと。もちろん実際に会ったら変わることもあるだろう印象論あるいは感情論。
というわけでなんか一気に傍観モードになったとさ。
お昼ごはんの話なんかしたくない
おサイフを見せないで
恋がどこに隠れてるか知らないの?
昨夜見た夢の中よ
わたしのことが知りたければ質問をしないで
今夜わたしと同じ夢を見たいと言ってよ
夢なんてのはトラウマがもっとも露骨に現れる世界であり、「同じ夢を見たい」っていうのは、その主体の狂気を苦痛を共有したいというのと同義だ、ということを留意して……とかってどうでもいいや。
……ん? いや全然関係ない。
ヒスイ
心に深く
ヒスイ
沈めた恋の
ヒスイ
ゆらめき
これとか笙野頼子の「どろどろ権現の中のぺかぺか水晶」と似ているように思えるんだがこんなこと言ったら谷山浩子ファンに怒られそうだから書いておこう。
その時気づいた
探していたのは、あなたじゃない
いろいろめんどくさくなった。
めんどくさいので(リンク貼ったりすんのが)そのまま引用。こちらから。
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私が時々のぞいているあるブログ(現役の精神科医が書いているブログ)で、
最近、連続してアスペルガー症候群に関する記事がアップされていました。
記事のURLは以下のとおりです。
http://ameblo.jp/kyupin/entry-10140864551.html
http://ameblo.jp/kyupin/entry-10140914577.html
http://ameblo.jp/kyupin/entry-10141003396.html
http://ameblo.jp/kyupin/entry-10141261702.html
http://ameblo.jp/kyupin/entry-10141945684.html
(中略)
ちなみに記事を書いているのは「普通の」精神科医で、発達障害の専門家ではありません。
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若干炎上しているのはブログ主はそういうのを予測して書いたらしいからどうでもいいけど、定型でこんな風に気づいている人が、しかもシステムの内部にいる人が言うなら、後はなるようになるんじゃない? と思う。
これを社会問題化したいとかってなるのはなんかちげえし、こういうのは結論が出ないまま推移していく問題だと思うんだよな。結論じゃなくて対症療法的な妥協点を生産していくのみ。いやそれが悪いって言っているんじゃなくて、そういうものだと思う。
このブログ主の「アスペとはなるべく診断せずに、診断してもなるべく告知せずに治療する」ってのも結局は対症療法なわけで、それが悪いとは思わない。
治療の現場としては、ね。
ただ学問という人間の業とも呼べる冷酷無残な営為として考えるならば、対症療法的な妥協に縛られるのは、本質に接近することの妨害になるってだけで。
ラカン曰く。
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神経症者達は困難な人生を生きていて、われわれは彼らの不快を和らげようとしている……。分析をあまりに先へと無理に押し進めることはない。分析主体が生きていることに幸せを感じるなら、それで十分なのだ。
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一応断っておくと逆精神分析からしてみればこの言葉は馬耳東風。
このブログ主の論旨、「アスペルガーの大バーゲン」に対して批判的なところや、自閉症の負の側面にもっと着目しようぜ、なんてのは、全くわたしと同じ論旨だし、その上で「告知しない」対症療法を選択しているならそれはそれでいいんじゃない? って思う。
文体から考慮すると、かっこつけて言うならクリステヴァ的記号分析すると、この「語る主体」(ブログ主)はいかにも定型的でわたしは微妙な嫌悪感を覚えてしまうのだが、理屈的にはわたしと同じこと言っているので我慢する。まあ平たく言えば生理的に好きになれないタイプと妄想チックに感じたってこと。もちろん実際に会ったら変わることもあるだろう印象論あるいは感情論。
というわけでなんか一気に傍観モードになったとさ。
お昼ごはんの話なんかしたくない
おサイフを見せないで
恋がどこに隠れてるか知らないの?
昨夜見た夢の中よ
わたしのことが知りたければ質問をしないで
今夜わたしと同じ夢を見たいと言ってよ
夢なんてのはトラウマがもっとも露骨に現れる世界であり、「同じ夢を見たい」っていうのは、その主体の狂気を苦痛を共有したいというのと同義だ、ということを留意して……とかってどうでもいいや。
……ん? いや全然関係ない。
ヒスイ
心に深く
ヒスイ
沈めた恋の
ヒスイ
ゆらめき
これとか笙野頼子の「どろどろ権現の中のぺかぺか水晶」と似ているように思えるんだがこんなこと言ったら谷山浩子ファンに怒られそうだから書いておこう。
その時気づいた
探していたのは、あなたじゃない