「扉」と「回転扉」
2006/12/13/Wed
以前、デリダの哲学を「間の哲学」と表現した。「差異哲学」よりさらに限定的、東洋的になったイメージだろうか。
今日はこの「間」を少し掘り下げてみたいと思う。前の記事(実は某掲示板に書き込んだレスの再掲だが)も参考にして欲しい。
そもそも私がデリダの哲学に惹かれるようになったのは、今思えばこの「間」と共通性を感じたからかもしれない。というのは、私が最も影響を受けた論者である渡邊守章氏が、この「間」についての思考を舞台芸術の文脈で論じていたのだが、私はそれを読んで深い感銘を覚えた。まさに「悟った」ような感覚だった。実際に薪能にはまっていた時期だったというのもあるだろう。能の筋書きなどはちんぷんかんぷんだったが私はその薪能の「空間」に惹かれていたのだ。それが原体験となって、氏の論が体感的に納得できてしまったのかもしれない。
大学では何故か理系だった私は、シュレーディンガーの猫などで有名な量子力学と、この渡邊氏の「間」の論理との間に、言葉にならない深い共振を感じた。
当時デリダは名前と「脱構築」という言葉だけ知っていたような感じだったが、数年たって読み返すと、ここにも「間」との共振を感じた。言葉で思考するなら芸術や物理より哲学の方が楽なので、私はデリダにはまっていった。
とまあちょっとかっこつけた前置きはこのぐらいにして。
「間」。私がこれまで書いた記事の中から一番最初に連想するのは、「曖昧なもの」「確かなもの」二項論理の、「曖昧なもの」即ち「非A≠A」の「間」にあるものだろう。これは正しいと思う。
非AとAという定性的なものがあり、それが一見非連続でもその間を定性的に見つめればそこに何がしかの定性的なものが現れるかもしれない。連続性の発見だ。それをそのまま「間」と定義してみよう。
ここで少し遡って、人は何故非AとAという「差異」を見出したのだろうか? を考える。それは非AとAが「劇的」に違っていたからに違いない。非AとAが酷似していたなら「同一」のものとして人は認知したかもしれないのだから。
非AとAが「劇的」に違っているからこそ人は「A」というものを認知し、「非A」というものが成り立つ。これらを繋ぐ(=連続するものとして見る)ための「間」は、「劇的瞬間」と言い換えてもおかしくなさそうだ。
これを比喩的に捉えると、「扉」だろう。非Aという部屋とAという部屋を繋ぐ「扉」。では「間」とは「扉」なのか。渡邊守章氏は、それを「回転扉」と表現した。なぜ「扉」ではいけないのか? 「扉」と「回転扉」、その違いは何であろう?
渡邊氏は、「間」を説明するのに、能の女面を例に挙げている。能役者の観世寿夫氏は、野上豊一郎博士が女面について「中間表情」と表現したのを嫌い、「前人称的表情」と呼ぶことを好んだという。ここに、我々が頭で理解している「間」と体感的にそれを知っている能役者の「間」の違いがありそうだ。
日本ではこの「間」という概念は西洋より重要視されてきたように思う。仏教で言う「空」の概念の影響もあるだろうか。
「間」とは何だろう。「空間的、時間的にあるものとあるものの間に当然存在する距離や間隔」と言ったところか。
具体的に考えてみよう。例えば日本の住宅建築では(今では廃れてしまったが)この「間」という言葉がよく用いられた。旅館などでは今でも「○○の間」などといって使われているのが思い出されるだろう。この「間」という部屋は、西洋住宅建築と比較すればわかるように、寝室や客間、ダイニングなどといったTPOによって様々な役割を担うことができる部屋だと言える。ここでは「空間の隙間」という意味での「間」だけではなく、その部屋が担いうるいろいろな「機能」を繋ぐ言葉として「間」が用いられているのがわかるだろう。
つまり、空間や時間に限らず、存在するものの間にあるもの、つまり「存在」-「非在」-「存在」という関係性の中の、「非在」が「間」であるということが言える。
再び能の女面に戻ろう。能面は角度によってその表情が変わると言われている。私は角度以外にも、その時の顔以外の所作や物語の流れなどといったいろいろな要素が複雑系的に絡み合い、観客はその面から人間的表情、情念を感じ取るものだと思っている。ここではそれは置いておいて、女面は真正面から見た時に限り「無表情」と見え、その角度が変われば「表情」が生まれるということを考えたい。
角度が変われば喜怒哀楽といった表情(感情)が能面に宿る。しかし、それら喜怒哀楽といった表情が違う表情に変わる時、能面は表情を宿した人間の顔から一旦「能面」そのものに戻る。Aという「表情」とBという「表情」の間を、無機質的な「無表情」が繋いでいるのだ。これは先程書いた「存在」-「非在」-「存在」のモデルにも当てはまる。能面が擬人的に表情(感情)を宿した顔ではなく、無表情な能面そのものだった瞬間が「間」なのだ。
これらの例で、何となく「間」というものが見えてくるだろうか。
「存在」-「非在」-「存在」の「非在」が「間」である。渡邊守章氏はこの「間」を「記号ゼロ度」と表現した。
この「間」は絵画なら「余白」と換喩できるだろう。確かに日本画は「余白」が重要な意味を持っている。音楽なら「休止」になるだろうか。楽曲中に「休止」があってもそれは必ずしも曲の終わりを意味しないという話である。詩(本来詩は朗読するものである)なら「沈黙」と言ってもよいか。演劇ならベケットはその不条理演劇において「劇的虚構」をゼロ化しようとしたとも言える。一般的に広げるならば「記号ゼロ度」という表現の方が体感的に理解しやすいだろう。
「間」は何故「扉」ではなく「回転扉」でなくてはならないのか。ここに戻ろう。
「間」を拙いながら私の言葉で表現するなら、「記号ゼロ度」的な「何でもない」からこそ「何にでもなりうる」瞬間、特異点という表現になる。
先に、私が好んで使う「曖昧なもの」「確かなもの」二項論理の「曖昧なもの」が「間」に換喩されるのではないか、と書いた。「非A≠A」の「≠」にごく微小な「非A∩A」的なものがあるとしてそれを「曖昧なもの」と定義した。これがあるからこそ非AとAとの間を行き来することができるとも。これなら確かに「扉」に過ぎないだろう。
しかし、住宅建築の「間」や能面の「間」を考えると、それと少し違った構図があることがわかる。「非A」-「曖昧なもの」-「A」ではなく、「A・B・C・・・」-「間」-「A・B・C・・・」なのだ。つまり「非A」-「曖昧なもの」-「A」では「曖昧なもの」は「中間」でしかない、という読み方になる。「A」から「B・C・D・・・」といろいろなものに変わりうる構図を持つ「間」は、「中間」だけでは不十分な概念なのだ(もちろん「間」⊃「中間」ではあるが)。ここまで来ると、「間」は一段と仏教思想の「空」に近くなってくる。
「曖昧なもの」を考えてみよう。私の定義では「曖昧なもの」は「確かなもの」の境界にある「確かでないもの」である。この非AやAといった「確かなもの」が世界を場合分けしたもの、世界の一部だったとしたら、その境界の「曖昧なもの」は空気のように世界に行き渡る。曖昧だから「曖昧なもの」と違う「曖昧なもの」の間の境界は成り立ちにくいのだ。わかりやすく言おう。「非A≠A」の間にある「曖昧なもの」と「非B≠B」の間にある「曖昧なもの」は、曖昧であるがゆえその差異が見出しにくいということだ。そうなると、「非A≠A」の間にあった「曖昧なもの」から、「非B≠B」の間にある「曖昧なもの」へ通じることが可能になる。つまり、「非A」から「B」へ移ることも可能になるのだ。
「曖昧なもの」の定義に則して言うなら、「曖昧なもの」がある故「非A←→A」という(中沢新一氏の言う)「対称性」が成り立つ。そして曖昧だからこそ、「非A≠A」の隣にある「非B≠B」との「中間」にも通じることができ、「非A←→B」という「換喩」的移行が成り立つ、ということだ。
私が「曖昧なもの」「確かなもの」二項論理を好む理由は、このように「間」の概念も説明可能だからということもある。
(余談になるが、前の記事でもやったように「曖昧なもの」「確かなもの」二項論理を事物の分類だけに用いると、陰陽思想の「陰陽」と酷似してしまう。少ししか調べていないがほぼ同一と言ってよいかもしれない。しかし「陰陽」という言葉だけだと、「対称性」も「間」の概念も暗喩できないので私は「曖昧なもの」「確かなもの」を使うようにしている。こっちの方が現代では換喩しやすいしね。)
「中間」だけでは不十分だから、女面は「中間表情」ではなく「前人称的表情」でなくてはならないし、「間」は「扉」ではなく「回転扉」でなくてはならない。
回転扉が設置されている壁を考えよう。二つの部屋を繋ぐだけなら扉でもよい。では、回転扉を交点にしてその壁に対し直角な壁をもう一つ付け足す。部屋は四つになる。回転扉は四つの部屋どれとも繋がっている。壁をさらに増やせば六つの部屋になる。もうおわかりだろう。「A・B・C・・・」-「間」-「A・B・C・・・」を暗喩するためには、「扉」ではなく「回転扉」でなくてはならなかったのだ。
能はこの「間」を非常に重要視した舞台芸術だと言える。私の薪能での体験を少し述べさせて欲しい。
以前の記事で、「劇的瞬間」においては演者と観客の、「主観」と「客観」の境界さえ曖昧になる、という話をした。これを具体的に述べるため、昔の記憶を(なるべく精確に)言葉にしてみよう(精神分析的に言えば記憶を再創造する、つまり事実とは異なることがありうるということだ)。
私は能(主に薪能)を見るようになった理由は、その空間に惹かれたからだ。初めて見た薪能は、劇団の友人に無理矢理連れていかれたものだった。そこで私は奇妙な感覚を覚えた。その一例を記す。能の所作はスローモーだ。最初は退屈だった。だが薪に照らされる能面やその所作が醸しだす幻想的空間に、ついつい目が奪われていった。能役者の動きは相変わらずゆっくりだ。
しかしある瞬間、能役者の動きがその空間に波紋を立てたように感じた。現実には少しだけ素早い動きをしただけだろう。私はそのちょっとした、他の観客は何も感じていないだろうその所作に、びくっと体が振動した。実際に体は動いてなかったかもしれない。今その感覚を記憶を頼りに思い出してみる。くどいようだが記憶なので事実かどうかわからない。私は、多分演者に自分の体が、自分に演者の体が乗り移ったように感じていたのだ。余りにも退屈だけど幻想的なその身体に、いや空間に同一化していたのかもしれない。無意識的にそういう状態に引きずり込まれていた私は、少しだけ素早い所作が空間に波を立ててくれたお陰で、「客観」の立場に戻れたのだ。それまでの私はどうなっていたのだろう? こんなことをいうのはおこがましいかもしれないが、その時の私は「主観と客観の境界が曖昧になっていた状態」だったのかもしれない、と今言葉にしてみた。
以下余談。その後いくつか屋内のお能も鑑賞したが、初めて見た薪能と比べそのような感覚を覚えることは少なかった。夜中の屋外における薪の揺らぐ明かりが演出となって、(私が個人的に)「呪術的」効果を感じたのかもしれない。
お能は、この「間」として作用する空間、時間が幅広いのだ。「間」を「記号ゼロ度」と言い換えたら退屈に見えるというのも頷ける。ゼロ=「無」と考えたら、「有」がないと「無」は認知できない。「存在」-「間」-「存在」の「存在」があるからこそ「間」が成り立つとも言える。先の「劇的瞬間」ということを考えたら、「確かなもの」的な「存在」も「劇的瞬間」には必要不可欠なものだと言えるだろう。
「有」がないと「無」は認知できないと書いた。字数が多くなったので詳しくは論じないが、換喩的にそれを述べておこう。
前の記事で、「曖昧なもの」でもそれを究極まで突き詰めたとしたら、それは神話的な「カオス」となり、「曖昧」そのもの、エントロピーが無限大の状況であるという「確かなもの」化する、と書いた。これに則して言うならば、究極の「曖昧なもの」「確かなもの」は現実的にありえないが(人は認知できないが)、それを∞として仮定するなら、-∞と+∞が収束してしまう、つまり究極では「曖昧なもの」と「確かなもの」は収束してしまうということだ。数学的比喩でいうなら、タンジェント関数がx→π/2でy→±∞となる、ということに近いかもしれない。
つまり「有」が全く無い完全な「無」は、何もかも有るという完全な「有」と同義である、ということになるだろうか。
この現実の世界で辿りつけない(超越的な)収束地点が、「劇的瞬間」の本質、原型ではないだろうか、と私は直感的に思う。それを(低次元の)現実の世界で表現するため、換喩的に写像して収束地点を「ゼロ」にしたのが「間」や「劇的瞬間」なる瞬間ではないか。そこでは人は本能的に深層の心性を震わせてしまう。それが芸術的感動の本質なのではないか。現実で辿りつけない本来の収束地点は現実の世界(時間と三次元空間)を超越しているので、そこでは現実世界的表現なら「永遠」となる。
こういった換喩が働けば、「瞬間は永遠、永遠は瞬間」、即ち「芸術による感動は永遠」となるのではないだろうか。
しもた。最後デンパっちゃったよ……。
今日はこの「間」を少し掘り下げてみたいと思う。前の記事(実は某掲示板に書き込んだレスの再掲だが)も参考にして欲しい。
そもそも私がデリダの哲学に惹かれるようになったのは、今思えばこの「間」と共通性を感じたからかもしれない。というのは、私が最も影響を受けた論者である渡邊守章氏が、この「間」についての思考を舞台芸術の文脈で論じていたのだが、私はそれを読んで深い感銘を覚えた。まさに「悟った」ような感覚だった。実際に薪能にはまっていた時期だったというのもあるだろう。能の筋書きなどはちんぷんかんぷんだったが私はその薪能の「空間」に惹かれていたのだ。それが原体験となって、氏の論が体感的に納得できてしまったのかもしれない。
大学では何故か理系だった私は、シュレーディンガーの猫などで有名な量子力学と、この渡邊氏の「間」の論理との間に、言葉にならない深い共振を感じた。
当時デリダは名前と「脱構築」という言葉だけ知っていたような感じだったが、数年たって読み返すと、ここにも「間」との共振を感じた。言葉で思考するなら芸術や物理より哲学の方が楽なので、私はデリダにはまっていった。
とまあちょっとかっこつけた前置きはこのぐらいにして。
「間」。私がこれまで書いた記事の中から一番最初に連想するのは、「曖昧なもの」「確かなもの」二項論理の、「曖昧なもの」即ち「非A≠A」の「間」にあるものだろう。これは正しいと思う。
非AとAという定性的なものがあり、それが一見非連続でもその間を定性的に見つめればそこに何がしかの定性的なものが現れるかもしれない。連続性の発見だ。それをそのまま「間」と定義してみよう。
ここで少し遡って、人は何故非AとAという「差異」を見出したのだろうか? を考える。それは非AとAが「劇的」に違っていたからに違いない。非AとAが酷似していたなら「同一」のものとして人は認知したかもしれないのだから。
非AとAが「劇的」に違っているからこそ人は「A」というものを認知し、「非A」というものが成り立つ。これらを繋ぐ(=連続するものとして見る)ための「間」は、「劇的瞬間」と言い換えてもおかしくなさそうだ。
これを比喩的に捉えると、「扉」だろう。非Aという部屋とAという部屋を繋ぐ「扉」。では「間」とは「扉」なのか。渡邊守章氏は、それを「回転扉」と表現した。なぜ「扉」ではいけないのか? 「扉」と「回転扉」、その違いは何であろう?
渡邊氏は、「間」を説明するのに、能の女面を例に挙げている。能役者の観世寿夫氏は、野上豊一郎博士が女面について「中間表情」と表現したのを嫌い、「前人称的表情」と呼ぶことを好んだという。ここに、我々が頭で理解している「間」と体感的にそれを知っている能役者の「間」の違いがありそうだ。
日本ではこの「間」という概念は西洋より重要視されてきたように思う。仏教で言う「空」の概念の影響もあるだろうか。
「間」とは何だろう。「空間的、時間的にあるものとあるものの間に当然存在する距離や間隔」と言ったところか。
具体的に考えてみよう。例えば日本の住宅建築では(今では廃れてしまったが)この「間」という言葉がよく用いられた。旅館などでは今でも「○○の間」などといって使われているのが思い出されるだろう。この「間」という部屋は、西洋住宅建築と比較すればわかるように、寝室や客間、ダイニングなどといったTPOによって様々な役割を担うことができる部屋だと言える。ここでは「空間の隙間」という意味での「間」だけではなく、その部屋が担いうるいろいろな「機能」を繋ぐ言葉として「間」が用いられているのがわかるだろう。
つまり、空間や時間に限らず、存在するものの間にあるもの、つまり「存在」-「非在」-「存在」という関係性の中の、「非在」が「間」であるということが言える。
再び能の女面に戻ろう。能面は角度によってその表情が変わると言われている。私は角度以外にも、その時の顔以外の所作や物語の流れなどといったいろいろな要素が複雑系的に絡み合い、観客はその面から人間的表情、情念を感じ取るものだと思っている。ここではそれは置いておいて、女面は真正面から見た時に限り「無表情」と見え、その角度が変われば「表情」が生まれるということを考えたい。
角度が変われば喜怒哀楽といった表情(感情)が能面に宿る。しかし、それら喜怒哀楽といった表情が違う表情に変わる時、能面は表情を宿した人間の顔から一旦「能面」そのものに戻る。Aという「表情」とBという「表情」の間を、無機質的な「無表情」が繋いでいるのだ。これは先程書いた「存在」-「非在」-「存在」のモデルにも当てはまる。能面が擬人的に表情(感情)を宿した顔ではなく、無表情な能面そのものだった瞬間が「間」なのだ。
これらの例で、何となく「間」というものが見えてくるだろうか。
「存在」-「非在」-「存在」の「非在」が「間」である。渡邊守章氏はこの「間」を「記号ゼロ度」と表現した。
この「間」は絵画なら「余白」と換喩できるだろう。確かに日本画は「余白」が重要な意味を持っている。音楽なら「休止」になるだろうか。楽曲中に「休止」があってもそれは必ずしも曲の終わりを意味しないという話である。詩(本来詩は朗読するものである)なら「沈黙」と言ってもよいか。演劇ならベケットはその不条理演劇において「劇的虚構」をゼロ化しようとしたとも言える。一般的に広げるならば「記号ゼロ度」という表現の方が体感的に理解しやすいだろう。
「間」は何故「扉」ではなく「回転扉」でなくてはならないのか。ここに戻ろう。
「間」を拙いながら私の言葉で表現するなら、「記号ゼロ度」的な「何でもない」からこそ「何にでもなりうる」瞬間、特異点という表現になる。
先に、私が好んで使う「曖昧なもの」「確かなもの」二項論理の「曖昧なもの」が「間」に換喩されるのではないか、と書いた。「非A≠A」の「≠」にごく微小な「非A∩A」的なものがあるとしてそれを「曖昧なもの」と定義した。これがあるからこそ非AとAとの間を行き来することができるとも。これなら確かに「扉」に過ぎないだろう。
しかし、住宅建築の「間」や能面の「間」を考えると、それと少し違った構図があることがわかる。「非A」-「曖昧なもの」-「A」ではなく、「A・B・C・・・」-「間」-「A・B・C・・・」なのだ。つまり「非A」-「曖昧なもの」-「A」では「曖昧なもの」は「中間」でしかない、という読み方になる。「A」から「B・C・D・・・」といろいろなものに変わりうる構図を持つ「間」は、「中間」だけでは不十分な概念なのだ(もちろん「間」⊃「中間」ではあるが)。ここまで来ると、「間」は一段と仏教思想の「空」に近くなってくる。
「曖昧なもの」を考えてみよう。私の定義では「曖昧なもの」は「確かなもの」の境界にある「確かでないもの」である。この非AやAといった「確かなもの」が世界を場合分けしたもの、世界の一部だったとしたら、その境界の「曖昧なもの」は空気のように世界に行き渡る。曖昧だから「曖昧なもの」と違う「曖昧なもの」の間の境界は成り立ちにくいのだ。わかりやすく言おう。「非A≠A」の間にある「曖昧なもの」と「非B≠B」の間にある「曖昧なもの」は、曖昧であるがゆえその差異が見出しにくいということだ。そうなると、「非A≠A」の間にあった「曖昧なもの」から、「非B≠B」の間にある「曖昧なもの」へ通じることが可能になる。つまり、「非A」から「B」へ移ることも可能になるのだ。
「曖昧なもの」の定義に則して言うなら、「曖昧なもの」がある故「非A←→A」という(中沢新一氏の言う)「対称性」が成り立つ。そして曖昧だからこそ、「非A≠A」の隣にある「非B≠B」との「中間」にも通じることができ、「非A←→B」という「換喩」的移行が成り立つ、ということだ。
私が「曖昧なもの」「確かなもの」二項論理を好む理由は、このように「間」の概念も説明可能だからということもある。
(余談になるが、前の記事でもやったように「曖昧なもの」「確かなもの」二項論理を事物の分類だけに用いると、陰陽思想の「陰陽」と酷似してしまう。少ししか調べていないがほぼ同一と言ってよいかもしれない。しかし「陰陽」という言葉だけだと、「対称性」も「間」の概念も暗喩できないので私は「曖昧なもの」「確かなもの」を使うようにしている。こっちの方が現代では換喩しやすいしね。)
「中間」だけでは不十分だから、女面は「中間表情」ではなく「前人称的表情」でなくてはならないし、「間」は「扉」ではなく「回転扉」でなくてはならない。
回転扉が設置されている壁を考えよう。二つの部屋を繋ぐだけなら扉でもよい。では、回転扉を交点にしてその壁に対し直角な壁をもう一つ付け足す。部屋は四つになる。回転扉は四つの部屋どれとも繋がっている。壁をさらに増やせば六つの部屋になる。もうおわかりだろう。「A・B・C・・・」-「間」-「A・B・C・・・」を暗喩するためには、「扉」ではなく「回転扉」でなくてはならなかったのだ。
能はこの「間」を非常に重要視した舞台芸術だと言える。私の薪能での体験を少し述べさせて欲しい。
以前の記事で、「劇的瞬間」においては演者と観客の、「主観」と「客観」の境界さえ曖昧になる、という話をした。これを具体的に述べるため、昔の記憶を(なるべく精確に)言葉にしてみよう(精神分析的に言えば記憶を再創造する、つまり事実とは異なることがありうるということだ)。
私は能(主に薪能)を見るようになった理由は、その空間に惹かれたからだ。初めて見た薪能は、劇団の友人に無理矢理連れていかれたものだった。そこで私は奇妙な感覚を覚えた。その一例を記す。能の所作はスローモーだ。最初は退屈だった。だが薪に照らされる能面やその所作が醸しだす幻想的空間に、ついつい目が奪われていった。能役者の動きは相変わらずゆっくりだ。
しかしある瞬間、能役者の動きがその空間に波紋を立てたように感じた。現実には少しだけ素早い動きをしただけだろう。私はそのちょっとした、他の観客は何も感じていないだろうその所作に、びくっと体が振動した。実際に体は動いてなかったかもしれない。今その感覚を記憶を頼りに思い出してみる。くどいようだが記憶なので事実かどうかわからない。私は、多分演者に自分の体が、自分に演者の体が乗り移ったように感じていたのだ。余りにも退屈だけど幻想的なその身体に、いや空間に同一化していたのかもしれない。無意識的にそういう状態に引きずり込まれていた私は、少しだけ素早い所作が空間に波を立ててくれたお陰で、「客観」の立場に戻れたのだ。それまでの私はどうなっていたのだろう? こんなことをいうのはおこがましいかもしれないが、その時の私は「主観と客観の境界が曖昧になっていた状態」だったのかもしれない、と今言葉にしてみた。
以下余談。その後いくつか屋内のお能も鑑賞したが、初めて見た薪能と比べそのような感覚を覚えることは少なかった。夜中の屋外における薪の揺らぐ明かりが演出となって、(私が個人的に)「呪術的」効果を感じたのかもしれない。
お能は、この「間」として作用する空間、時間が幅広いのだ。「間」を「記号ゼロ度」と言い換えたら退屈に見えるというのも頷ける。ゼロ=「無」と考えたら、「有」がないと「無」は認知できない。「存在」-「間」-「存在」の「存在」があるからこそ「間」が成り立つとも言える。先の「劇的瞬間」ということを考えたら、「確かなもの」的な「存在」も「劇的瞬間」には必要不可欠なものだと言えるだろう。
「有」がないと「無」は認知できないと書いた。字数が多くなったので詳しくは論じないが、換喩的にそれを述べておこう。
前の記事で、「曖昧なもの」でもそれを究極まで突き詰めたとしたら、それは神話的な「カオス」となり、「曖昧」そのもの、エントロピーが無限大の状況であるという「確かなもの」化する、と書いた。これに則して言うならば、究極の「曖昧なもの」「確かなもの」は現実的にありえないが(人は認知できないが)、それを∞として仮定するなら、-∞と+∞が収束してしまう、つまり究極では「曖昧なもの」と「確かなもの」は収束してしまうということだ。数学的比喩でいうなら、タンジェント関数がx→π/2でy→±∞となる、ということに近いかもしれない。
つまり「有」が全く無い完全な「無」は、何もかも有るという完全な「有」と同義である、ということになるだろうか。
この現実の世界で辿りつけない(超越的な)収束地点が、「劇的瞬間」の本質、原型ではないだろうか、と私は直感的に思う。それを(低次元の)現実の世界で表現するため、換喩的に写像して収束地点を「ゼロ」にしたのが「間」や「劇的瞬間」なる瞬間ではないか。そこでは人は本能的に深層の心性を震わせてしまう。それが芸術的感動の本質なのではないか。現実で辿りつけない本来の収束地点は現実の世界(時間と三次元空間)を超越しているので、そこでは現実世界的表現なら「永遠」となる。
こういった換喩が働けば、「瞬間は永遠、永遠は瞬間」、即ち「芸術による感動は永遠」となるのではないだろうか。
しもた。最後デンパっちゃったよ……。