『歪んだ王国』には、『思春期病』が蔓延している。
2008/11/25/Tue
『Pyun Pyun』や『SORAMIMI~空が耳をすましている~』だけじゃなく、『銀河通信』も幻聴系だよな。多少正常人(神経症者)フィルター即ち隠喩構造が被さっているけど。
谷山浩子って軽く統合失調症のケがあったんじゃないか、とすら思えてくる(まあ普通にスキゾイドだろうな)。なんでかリアルだ。彼女の幻聴表現は。『夢のスープ』とかはわかりやすいのだろう。ああいうのが聞こえてくる、と便宜的に思ってくれて構わない。
耳の中で音が粒子化する。乱反射するエコー。狂った精霊。散弾銃を撃たればらばらになった自分の肉片をかき集めるようにそれを言語化する。本来拾わない音も言語化されてしまう。いや、言語化できない。言語化されているのに言語化されていない。言語化された、意味のある言葉のまわりに余分な音を付加させるコロス。
技術的にはディレイとかになるんだろうか。いや違う。纏わりつく余分な音たちは、もっと自分勝手だ。
谷山浩子の音は、ずれている。不安定である。短絡的に言えば音痴である。
わたしの耳がずれているのか。ああそうね。かたっぽ難聴気味だし。
言葉にできない臨場感。という当たり障りのない言葉にしておこう。
ニコ動とかで人気あるところ見ると意識化できないけど感じる何かはみんな持ってるんだろうな、って思う。つか本人がチェックして「この動画いい」とか言ってるしな。
幻聴症状だけがそうだと言うわけではないが、それは一つの物自体的な身体の力動の表出である。器官なき身体がのた打ち回っているのである。それは不快なものだ。不快だからなんとかしようとする。ばらばらな音を必死で組み立てようとする。肉体が勝手に自動的にそうする。出来上がったものが周りから理解されるかされないかは関係ない。組み立てて語りかけようとしているのは、その時失われつつあるファルスだからだ。確かにお前にもファルスはあるだろう。無意識下に。だからキチガイの言葉は意識をすり抜けて肉体を震わせる。そういう物理的な現象にすぎない。
谷山の声はずれている。アルトーの声はささくれ立っている。
彼らの表現には余分なものが多すぎる。余分なものたちは自分勝手すぎる。
『Pyun Pyun』や『SORAMIMI~空が耳をすましている~』は悲恋をテーマにしているが、別に悲恋である必要はない。わたしにとって。たまたまその時代の悲恋をテーマにした歌(中島みゆきなど)に、言葉にできない臨場感のあるものが多いから聞いていた。事後的な言い訳だと自分でも思えるがそう思う。この時つけた間違った知恵が大人になってからの恋愛観を歪ませたのかもしれない。
悲恋だから、なのではない、と言いたいだけ。
たとえばあるキチガイの、なんでもない、本人はそんな気もないだろう、いたずら描きのようなイラストに、涙が出そうになることがある。
だけど、この涙は血の涙じゃないな、と思う。精液だ。わたしはそのキチガイに精液をぶっかけようとしている。この涙が精液が言動になれば、正常人の「キチガイを救いたがる症状」になるのだろう。
わたしの中の器官なき身体を、精液で窒息死させようとしている。
少なくともこれは、「悲恋」という語義に当てはまらない状態である。
正常人は、鏡の国を生きている。キチガイもいる国は、歪んだ鏡でできている。
そこでは、象徴界や想像界によるコミュニケーションは、相対的に軽んじられる。
言葉にできない臨場感、即ち狂気の伝染、即ちプレコックス感が優先されるからだ。
歪んだ王国では、従来の意思疎通は成立しにくい。あるキチガイは、誰かを泣かせようとしてイラストを描いたのではない。
そこから見れば、正常な王国は、ネットゲームと同じ世界である。
かと言って、歪んだ王国も、歪んだ鏡による幻想なのだ。
現実なんてどこにもないのだ。
それを理屈で示しただけにすぎないラカン論を、何故か正常な王国の住人はヒステリックに否認する。
それがわからないから、歪んだ王国の住人もヒステリックになる。ヒステリックな鏡像関係には正常な鏡と歪んだ鏡が混淆している。むしろパニックに近い。余分な住人たちは、自分勝手に、逃げ惑ったり一人で戦ったり寝返ったり自殺したりする。
正常な王国が、辺境の歪んだ王国を征服しようとしている。国中が精液で埋め尽くされる。
『歪んだ王国』には、『思春期病』が蔓延している。
手についた自分の精液を眺めるシンジたちが、歪んだ王国に亡命しようとしている。
人種によって、「中二病」と呼ばれたり、「思春期病」と呼ばれたりしている。
歪んだ王国の歪んだ鏡に
僕と君だけがまっすぐ映る
谷山浩子って軽く統合失調症のケがあったんじゃないか、とすら思えてくる(まあ普通にスキゾイドだろうな)。なんでかリアルだ。彼女の幻聴表現は。『夢のスープ』とかはわかりやすいのだろう。ああいうのが聞こえてくる、と便宜的に思ってくれて構わない。
耳の中で音が粒子化する。乱反射するエコー。狂った精霊。散弾銃を撃たればらばらになった自分の肉片をかき集めるようにそれを言語化する。本来拾わない音も言語化されてしまう。いや、言語化できない。言語化されているのに言語化されていない。言語化された、意味のある言葉のまわりに余分な音を付加させるコロス。
技術的にはディレイとかになるんだろうか。いや違う。纏わりつく余分な音たちは、もっと自分勝手だ。
谷山浩子の音は、ずれている。不安定である。短絡的に言えば音痴である。
わたしの耳がずれているのか。ああそうね。かたっぽ難聴気味だし。
言葉にできない臨場感。という当たり障りのない言葉にしておこう。
ニコ動とかで人気あるところ見ると意識化できないけど感じる何かはみんな持ってるんだろうな、って思う。つか本人がチェックして「この動画いい」とか言ってるしな。
幻聴症状だけがそうだと言うわけではないが、それは一つの物自体的な身体の力動の表出である。器官なき身体がのた打ち回っているのである。それは不快なものだ。不快だからなんとかしようとする。ばらばらな音を必死で組み立てようとする。肉体が勝手に自動的にそうする。出来上がったものが周りから理解されるかされないかは関係ない。組み立てて語りかけようとしているのは、その時失われつつあるファルスだからだ。確かにお前にもファルスはあるだろう。無意識下に。だからキチガイの言葉は意識をすり抜けて肉体を震わせる。そういう物理的な現象にすぎない。
谷山の声はずれている。アルトーの声はささくれ立っている。
彼らの表現には余分なものが多すぎる。余分なものたちは自分勝手すぎる。
『Pyun Pyun』や『SORAMIMI~空が耳をすましている~』は悲恋をテーマにしているが、別に悲恋である必要はない。わたしにとって。たまたまその時代の悲恋をテーマにした歌(中島みゆきなど)に、言葉にできない臨場感のあるものが多いから聞いていた。事後的な言い訳だと自分でも思えるがそう思う。この時つけた間違った知恵が大人になってからの恋愛観を歪ませたのかもしれない。
悲恋だから、なのではない、と言いたいだけ。
たとえばあるキチガイの、なんでもない、本人はそんな気もないだろう、いたずら描きのようなイラストに、涙が出そうになることがある。
だけど、この涙は血の涙じゃないな、と思う。精液だ。わたしはそのキチガイに精液をぶっかけようとしている。この涙が精液が言動になれば、正常人の「キチガイを救いたがる症状」になるのだろう。
わたしの中の器官なき身体を、精液で窒息死させようとしている。
少なくともこれは、「悲恋」という語義に当てはまらない状態である。
正常人は、鏡の国を生きている。キチガイもいる国は、歪んだ鏡でできている。
そこでは、象徴界や想像界によるコミュニケーションは、相対的に軽んじられる。
言葉にできない臨場感、即ち狂気の伝染、即ちプレコックス感が優先されるからだ。
歪んだ王国では、従来の意思疎通は成立しにくい。あるキチガイは、誰かを泣かせようとしてイラストを描いたのではない。
そこから見れば、正常な王国は、ネットゲームと同じ世界である。
かと言って、歪んだ王国も、歪んだ鏡による幻想なのだ。
現実なんてどこにもないのだ。
それを理屈で示しただけにすぎないラカン論を、何故か正常な王国の住人はヒステリックに否認する。
それがわからないから、歪んだ王国の住人もヒステリックになる。ヒステリックな鏡像関係には正常な鏡と歪んだ鏡が混淆している。むしろパニックに近い。余分な住人たちは、自分勝手に、逃げ惑ったり一人で戦ったり寝返ったり自殺したりする。
正常な王国が、辺境の歪んだ王国を征服しようとしている。国中が精液で埋め尽くされる。
『歪んだ王国』には、『思春期病』が蔓延している。
手についた自分の精液を眺めるシンジたちが、歪んだ王国に亡命しようとしている。
人種によって、「中二病」と呼ばれたり、「思春期病」と呼ばれたりしている。
歪んだ王国の歪んだ鏡に
僕と君だけがまっすぐ映る