歪んでないでちゅねー(笑)
2008/12/12/Fri
歪んでいると言われている方からすれば、歪んでいないと言われている方が、歪んでいる。
しかし、歪んでいる歪んでいないは多数決で決まっている事実も厳としてある。
一つ一つが別々の形で歪んでいても、大体このぐらいの歪みまでなら歪んでいないと見てやろう、という公差である。公差に収まれば歪みが見えなくなる。パラノイアの妄想と同じ構造をしている。
こういったパラノイアックな精神疾患が存在するのは事実である。そしてこのパラノイアックな精神疾患が正常と呼ばれるための条件であることも。
従って、わたしは自分を歪んでいると言う。
お前たちを歪んでいないと言う。
「うんうん、歪んでないねー(笑)」って感じで。
わたしは正常じゃない。正常であることこそ異常であることを告発するために、そう言う。
わたしも歪んでいる。あなたも歪んでいる。
だからといって同じじゃない。
歪んでいないことが、同じなのである。公差の範囲に収まる規格品なのである。
一方不良品は、一つ一つが別な形で歪んでいる。不良品から見ても他の不良品は歪んでいるのである。
多くの人に歪んでいないと認められているあなたは、歪んでいない。公差の範囲に収まっている。
歪んでいるわたしから見て、歪んでいるだけである。
パラノイアックなあなたは、パラノイアックな世界の中では、歪んでいない。
こちらに来たければ、公差を狭めればよい。つまり、周りの同じ公差に収まっている物を破壊すればよい。
狂人になりたくば、正常人を殺せ。
多数決で決まる公差の範囲を、自分がそこから漏れてしまうまで、狭めたまえ。
あなたが公差に収まっていれば収まっているほど、殺さなければならない人数は増えるだろう。
ただそういう問題にすぎない。
工場の検品ラインと同じことである。
疫病にかかった家畜を殺処分するのと同じことである。
正常人もやっていることである。
歪んでないと言われているあなたが、内部から公差を狭めてくれるのは、歪んでいると言われるわたしにとってもありがたいことだ。
何故なら、現代の公差は拡大している。許容範囲が広くなっている。
わたしは公差に飲み込まれそうになっている。
しかし、歪みが認知できなくなる精神疾患にうまく罹患できなかったわたしは、公差の中でも歪みを認知するだろう。公差の範囲に収まっているだけで、規格品であろうが、一つ一つそれぞれ歪んでいるのが現実だ。
公差に飲み込まれることとは、わたしにとって、歪みに飲み込まれることなのだ。
歪んでいないあなたにとっては、公差の内部は、歪みが矯正された清く正しく美しい世界かもしれないが、わたしは違う。わたしは歪みを認知してしまう。
だから実は、歪みを矯正されることに反発するあなたの心理は理解できない。狂人になりたがるあなたを理解できない。
公差の内部にしろ外部にしろ、歪みは一つ一つの物体に存在するのに。
とはいえ、公差という多数決の権力が存在するのは事実として認める。
だから、わたしは中二病のあなたを擁護する。理解できないけれど。
歪みを欲望するあなたにとって、歪みを認知してしまうわたしにとって、問題なのはこの公差であり、それを生み出す精神疾患であり、公差内部の規格品たちではない。
わたしは好きでゲリラ戦をやっているのではない。
戦線が縮小すれば、わたしも平和な生活を享受できるのかもしれない。
あるゲリラ犯がこんなことを言っていた。
「私たちは、戦争そのものと戦争している」
しかし、歪んでいる歪んでいないは多数決で決まっている事実も厳としてある。
一つ一つが別々の形で歪んでいても、大体このぐらいの歪みまでなら歪んでいないと見てやろう、という公差である。公差に収まれば歪みが見えなくなる。パラノイアの妄想と同じ構造をしている。
こういったパラノイアックな精神疾患が存在するのは事実である。そしてこのパラノイアックな精神疾患が正常と呼ばれるための条件であることも。
従って、わたしは自分を歪んでいると言う。
お前たちを歪んでいないと言う。
「うんうん、歪んでないねー(笑)」って感じで。
わたしは正常じゃない。正常であることこそ異常であることを告発するために、そう言う。
わたしも歪んでいる。あなたも歪んでいる。
だからといって同じじゃない。
歪んでいないことが、同じなのである。公差の範囲に収まる規格品なのである。
一方不良品は、一つ一つが別な形で歪んでいる。不良品から見ても他の不良品は歪んでいるのである。
多くの人に歪んでいないと認められているあなたは、歪んでいない。公差の範囲に収まっている。
歪んでいるわたしから見て、歪んでいるだけである。
パラノイアックなあなたは、パラノイアックな世界の中では、歪んでいない。
こちらに来たければ、公差を狭めればよい。つまり、周りの同じ公差に収まっている物を破壊すればよい。
狂人になりたくば、正常人を殺せ。
多数決で決まる公差の範囲を、自分がそこから漏れてしまうまで、狭めたまえ。
あなたが公差に収まっていれば収まっているほど、殺さなければならない人数は増えるだろう。
ただそういう問題にすぎない。
工場の検品ラインと同じことである。
疫病にかかった家畜を殺処分するのと同じことである。
正常人もやっていることである。
歪んでないと言われているあなたが、内部から公差を狭めてくれるのは、歪んでいると言われるわたしにとってもありがたいことだ。
何故なら、現代の公差は拡大している。許容範囲が広くなっている。
わたしは公差に飲み込まれそうになっている。
しかし、歪みが認知できなくなる精神疾患にうまく罹患できなかったわたしは、公差の中でも歪みを認知するだろう。公差の範囲に収まっているだけで、規格品であろうが、一つ一つそれぞれ歪んでいるのが現実だ。
公差に飲み込まれることとは、わたしにとって、歪みに飲み込まれることなのだ。
歪んでいないあなたにとっては、公差の内部は、歪みが矯正された清く正しく美しい世界かもしれないが、わたしは違う。わたしは歪みを認知してしまう。
だから実は、歪みを矯正されることに反発するあなたの心理は理解できない。狂人になりたがるあなたを理解できない。
公差の内部にしろ外部にしろ、歪みは一つ一つの物体に存在するのに。
とはいえ、公差という多数決の権力が存在するのは事実として認める。
だから、わたしは中二病のあなたを擁護する。理解できないけれど。
歪みを欲望するあなたにとって、歪みを認知してしまうわたしにとって、問題なのはこの公差であり、それを生み出す精神疾患であり、公差内部の規格品たちではない。
わたしは好きでゲリラ戦をやっているのではない。
戦線が縮小すれば、わたしも平和な生活を享受できるのかもしれない。
あるゲリラ犯がこんなことを言っていた。
「私たちは、戦争そのものと戦争している」