自分でよかったら解剖してください
(そもそもあなたの言う解剖の意味が
辞書に載っているものとは違う可能性と
自分が単なる中二病である可能性があるけど)。
2008-12-15 月 17:46:02 /
URL /薬師 /
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したいね。
「解剖」は深く考えず使った言葉です。
2008-12-15 月 19:11:43 /
URL /脂 /
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「解剖」について勝手に考えてみました
またなんかやりだしました、すみません。
理科実験的なもの、と考えさせて頂くので
物理的なもので例を挙げると
電流を流してみたり心臓が動いてるのを見たり
細胞を顕微鏡で見たり。
精神的なもので例を挙げると
イタいところを突いてみたり
恥ずかしがらせたり怒らせるようなことを言ったり
精神分析したり追い詰めたり。
観察的なもの。
と言う事で
いつかリアルタイムでお話、チャットなんかを
する機会があればお好きなかたちで解剖していただきたいです。
主な出没地域は
自分持ちのお絵かきチャットと
ウインドウズなんたらのメッセンジャー。
構ってちゃんオーラ出しすぎと言うか露骨過ぎますね、すみません。
2008-12-15 月 19:36:38 /
URL /薬師 /
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あいあい。
ついでにわたしも勝手にやらせてもらうと、
>イタいところを突いてみたり
>恥ずかしがらせたり怒らせるようなことを言ったり
>精神分析したり追い詰めたり。
これができなくなったのが現代の精神分析なんだなあ、と思いました。
精液って強力だわ。
2008-12-15 月 20:45:31 /
URL /脂 /
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いくつか質問
逆精神分析について考えていたら、
「だったらあれも逆精神分析じゃないか」
みたいなものが続出して、頭が混乱してきた。
疑問(?)に思った事をつらつら書いてみます。
保坂和志『小説の誕生』という本に(もしかしたら『小説の自由』だったかもしれない)、こざかしい中学生うんぬんについて書かれているところがあったんですが、その部分を全部引用するのはとても労力がかかる上にべらぼうに分量が増えてしまう。だから要約して、そこで書かれている事の一部を書きます。要約とはすなわち劣化させる事なんだけどそこは勘弁。
---<要約開始>---
小賢しい中学生は部分部分で合っている論理を使う。
「人を殺しても良い」
と言う事も、その部分部分で合っている論理を使って、簡単に成立させてしまう。
例えば「戦場ではバタバタ人が死ぬし人をじゃんじゃん殺す」というユニットを使用して成立させる。
大人が「君は他人の痛みがわからないのか」と言っても「僕は他人じゃないから他人の痛みがわからない。当たり前だ」と言う。
そういった部分部分で辻褄の合った論理は非常に強靭だ。
そういう小賢しい中学生には
「私には君の痛みがわからないんだよ」
と言ってボコボコに殴ってやるのがいいだろう。
私の友人にも中学生の頃、
「理論的には俺にも核爆弾が作れる」
と言っている者がいる。
その友人は大学を卒業する頃には周囲の人間にちゃんと気遣える人間になった。
時間は驚くほど人を変える。
---<要約終了>---
「小賢しい中学生」は、大人(保坂)に「部分部分で辻褄の合っている強靭な論理」を振りかざした。それに対し、保坂は「そういうガキはボコボコにしてやれ」という幼い発想をした。
これは、「小賢しい中学生」が、保坂を退行させたという点で逆精神分析の一例となりうるの?
「小賢しい中学生」とは明らかに中二病の子供。
ということは、中二病の子供はパラノイアックな人格を退行させるのにうってつけの素材であるの?
つまり、“大人”が中二病の子供の発言にムキーッとなるのは逆精神分析なの? それとも、単に逆精神分析に似ているだけなの? と。
「小賢しい中学生は、相手の痛みを想像し、自分の事と同然に受け止め、人を殺してはいけないと言える“大人”にへと“成長”すべし」
という“大人”(保坂)の考えが「心の理論」なるものに則った上で成り立っているものだとしたら、ファルスの一時的な不具合が原因の中二病ないし小賢しい中学生は、同時に、一時的に「心の理論」にも不具合が生じているということなのかしら。
2009-02-17 火 17:13:34 /
URL /イトウ /
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うぜえなあ(ぉ。まあうざいからこそいろいろ考えるわけだが。
ぽろぽろと。
>これは、「小賢しい中学生」が、保坂を退行させたという点で逆精神分析の一例となりうるの?
わたしが逆精神分析をしたとして、保坂にぼこぼこにされて泣いて帰ってきたら、事後的にそうやって負け惜しみを言うな。
ケガレの棄却だわよ。まさに。
>ということは、中二病の子供はパラノイアックな人格を退行させるのにうってつけの素材であるの?
うってつけかはわからんが大人を退行させるにはいい素材だろうな。大人だって中二ぐらいなら既に記憶の構造化即ち象徴化はされている、即ち明確で筋の通った記憶として残っているのだろうから、そこにつけこむわけだな。つまりパラノイアックな人格者をそいつが中二だった頃に引きずり下ろす、と。
もちろんそれには精神分析的な条件が必要。
まず一つ目は、そいつ(以下便宜的に保坂と呼ぶ)が転移しているかどうかだな、その中二病者に。殴るくらい感情的になっているなら転移が成立しているとなる。負の転移だが。
中二病者の方がどうかは知らないがな。たとえば、この保坂の論は「子供は大人をなべて尊敬(転移の一つ)している」という前提がない場合成立しない。転移していないどうでもいい相手に殴られたら「なんで?」って思うだけだろ? あるいは最初はどうでもいい相手だったとしても、殴られた後むかつけばそれは負の転移となる。転移は成立する。これ自体が一つのトラウマとなるかもしれんね。
二つ目は保坂のトラウマを刺激しているか。
退行させるということは記憶を思い出すことではあるが、それだけだとダメ。だからわたしはトラウマの回帰とは「過去が現在化すること」と述べることがある。象徴化された記憶の惹起ならその過去が現在化しているとは言えない。過去の心的外傷が現在化するからたとえばPTSD者は心的苦痛を訴えるわけだ。精神分析治療ってそういうもの。抑圧していた(忘れていた)トラウマを再眼前化して他者と共有することにより、その記憶を過去のこととする。象徴化させる。象徴化された過去のことなわけだから、まるで日記を後から読み返すかのように冷静にそれを認識できる。めでたくPTSDは治療された、となる。
中二病者はさっきも言ったように殴られたこと自体がトラウマとなりうる。心的外傷は連鎖している。従って殴られたことというトラウマが、彼の鏡像段階の回帰の芋づるにはなりえるだろう。
ところが未去勢者は、他者の根拠が希薄なわけだから、トラウマを他者と共有できないし、転移が不得手だ、となる。心的エネルギー(リビドー)の備給先が確定されにくいわけだ。従って彼は、殴られたとしても「なんで?」のまま生き続けるだろう。トラウマは象徴化されない。過去の心的外傷が現在化する一瞬を生き続けなければならない。
要するに精神分析では自閉症や統合失調症のPTSD的症状は治療できないってことだ。
まとめよう。
転移とトラウマの回帰という二点があるかないかで、逆も含めた精神分析がこのケースに適用されたか否かが分かれる、というわけだ。理屈上な。
むしろ転移とトラウマの回帰という二点がそろわないと、それは鏡像段階即ち去勢の回帰とならない。
ファルスは鏡像段階において生成される。従って、「鏡像段階即ち去勢の回帰」はファルスの再発見と換言可能である。
とはいえこの時の殴る大人と殴られる中二が去勢済みな主体であったとしたら(即ちこの記事なら思春期病ではなかったら)、退行しても去勢というポイントで折り返されるだろう。つまり落としどころはあるわけだ。二人とも去勢済みな主体だったら。
だからラカンは「手紙は必ず宛先に届く」と言った。この時論争相手はデリダだったんだが、デリダが中二病だったわけだ。わたしはどっかでデリダはガタリよりキチガイに近づけていると書いたが、中二病がガタリよりデリダの方が重篤だったわけだ。
後に第三者からこの論争について、「あなたは何故手紙は必ず宛先に届くと考えるのですか?」と聞かれた時、ラカンはこう答えた。「それは彼(デリダ)が哲学者で私は臨床家だからです」と。
ラカン論は非神経症特に統合失調症や自閉症には触れらていない。ラカンは神経症専門の臨床家だったわけだ。パラノイアは過剰な正常さ故の異常だから論じているがね。つっか分析家のスタートがパラノイアだったんだよな。ラカン。パラノイアコンプレックスみたいなのがあったのかもしれない。
まあ要するに、神経症者即ち去勢済みな主体同士であったら落としどころは必ずある、という話だ。
落としどころがあるからこそ、ラカン論で言えば「手紙は必ず宛先に届く」と信じているからこそ、保坂は「殴ってやればいいんじゃね?」と言ったわけだ。後半の文章で「ほーれ見ろ、中二病は寛解するもんだ(笑)」と言っているのがその証拠。
保坂の主観世界にとまでは言わんが、少なくともこの文章に未去勢者は存在していない、とわたしは解釈する。
とはいえ、前半の「殴ってやればいいんじゃね?」だけなら、この落としどころを否定するための暴力とも解釈可能なのだ。即ち保坂はキチガイだとね。ところが、後半の中二病の寛解に言及している文章も含めた文脈から、保坂は去勢済みな主体の立場から発言している、となる。
まあ殴る理由がそもそも「他者を否定している中二病」だからとっても簡単な構図だと思うけどねー。簡単すぎるから深読みしたくなるのはわたしが未だ保坂ファンだからだろう。「いや違う、ここではこんなこと言っているが、これは自閉症のエコラリアのごときものであるとしたら、彼の本性が未去勢である可能性は棄てられない」とも言いたくなる。いきなり「殴れ」って言っているところとかはそう思える。屁理屈こねてるだけの中学生を殴るなんて、他者という根拠が希薄な状態だとも解釈可能じゃん。
わたしなら「じゃあわたしを殺してみそ?」って言うけどね。わたしを殺せたらその中二病者はわたしを殺したということがトラウマになり、常態としてファルスが不安定な一生を送るだろう。逆精神分析としては多少の成功となる。
彼が未去勢者だったら忘れるだろうね。薬師さんも言ってただろ? 「自分は命の大切さがわからない」と。大切じゃないから人を殺してもどうってことない。
むしろ「人殺し」と非難し続ける周囲の去勢済みな主体たちの(まさに)まなざしがトラウマとなるだろう。キチガイはね。わたしにとっては葬式に集まる人たちの不快丸出しの目線だな。「命の大切さがわからない」から葬式なんてコントとしか思えないのだよ。高校の先生が事故で死んだ時も周りがしくしく泣いているのを見て「なんでわたしは悲しくならないのだ?」と自分にいらだった。とはいえ当時は思春期真っ最中なわけだから、これだけ取り上げたら中二病の症状だとも言えるけどね。
まあそんなことはどうでもいい。
んでなんの話だ?
>つまり、“大人”が中二病の子供の発言にムキーッとなるのは逆精神分析なの? それとも、単に逆精神分析に似ているだけなの? と。
か。
「ムキーッ」っていうのは(負の)転移だな。トラウマが大人に回帰している可能性もあると考えられる。
そういった意味で、それは逆精神分析かつ正当な精神分析の最初の段階だとは言える。
しかし、先述の「落としどころ」たる「宛先に手紙が届くこと」を目的としているなら、それはファルスの再発見たる正当な精神分析となる。ファルスが不安定化する故クライアントはデプレッションに陥る。先の保坂の文章なら、中二病者は殴られることで落ち込んだりするわけだな。落ち込んで自分を見つめ直すうちにファルスを再発見するだろう。彼が去勢済みな主体だったならば。
つか精神分析治療を受けてみようって時点でファルスは不安定化しているもんだ。ファルスが不安定な故の心的苦痛が神経症なわけだからな。「逆精神分析は神経症の悪化を目的としている」というわたしの定義はそういう意味だ。
だからわたしは別に転移即ち共感を排除しない。逆精神分析の過程にも必要な要件だから。
逆精神分析はこの正当な精神分析における前半過程と同期している。ファルスを壊すためにはファルスを再発見させなきゃどうにもならない。ファルスってのは普通は無意識の奥底にあるもんだから。
早い話、逆精神分析は正当な精神分析の前半過程を排除していないのだよ。理屈上は。ファルスの再発見という正当な精神分析の目的が、一過程になるだけ。再発見したファルスを壊すのが逆精神分析の目的なわけだから。「宛先に手紙が届くこと」という「落としどころ」をまず見つけるのは、逆精神分析も正当な精神分析も過程として同期している、ということだ。
だからまんこちゃんに対しても
「これは途中まで逆精神分析の過程を踏んでいた。結果的に正当な精神分析になってしまったが」
と負け惜しみでわたしは言っているわけだ。
まとめると、逆精神分析としても正当な精神分析としても可能な、あくまでも一過程として、その状態はありえるよね、という話。
君が考えている次の段階が問題なのだよ。逆精神分析にしろ正当な精神分析にしろ。
だから君と某のぎゃーぎゃーも、逆精神分析の一過程として参考にはなるよね、ってこと。
一過程にすぎないわけだから、そっからどう転ぶかは知らない、って話。
2009-02-17 火 18:54:16 /
URL /脂 /
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つか何を聞きたいのかがよくわからない。
ファルスという実体を認知していないからそういう疑問が湧くんじゃないかね?
逆精神分析と正当な精神分析の分岐点はファルスを否定するか肯定するかだ。
だからファルス批判なガタリの分裂分析と似通っているが、所詮社会という「ごっこ遊び」の集大成にしか適用しないと定義している故、ガタリは分裂症を看板にしているチンピラだ、となるわけだ。
分裂症ってのは個人に適用される言葉だろ? なのにガタリは社会を分裂症化させることしか述べていない。だから「ごっこ遊び」。だから中二病としては軽症。ファルス批判をする本人がファルスばりばりだ、ってことになって、中二病の典型である、となるわけ。
自分のファルスに無自覚なだけなんだよな。ガタリは。
2009-02-17 火 19:18:15 /
URL /脂 /
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ファルスって言葉はうまいよ。何故ならファルスを脅かすアブジェを刺激すればするほどファルスは勃起する。まさにちんちんだ。
お前は刺激することしか見えていないから、「ファルスを再発見させる/ファルスを壊す」という正当な精神分析と逆精神分析の違いが認知できないんじゃないかね?
よく考えてみろよ。お前の某とのぎゃーぎゃーも相手のファルスを勃起させてるわけじゃん。お前がぎゃーぎゃー言うからこそ相手は正常であることに意固地になった、と。
わたしとまんこちゃんとのディスクールと同じ構造だったわけだ。この視点から見ると、だけど。
2009-02-17 火 19:21:58 /
URL /脂 /
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そうかー釈然としない部分が凄い多いなあと感じていたのは、肝心のファルスを認知していなかったからなのか。
あーすげー納得。
知識ではラカン周辺の本で「ほむほむそんな感じのもんなんか」とわかった気でいた。
2009-02-17 火 19:27:47 /
URL /イトウ /
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>お前の某とのぎゃーぎゃーも相手のファルスを勃起させてるわけじゃん。お前がぎゃーぎゃー言うからこそ相手は正常であることに意固地になった、と。
なるほど。
2009-02-17 火 19:33:35 /
URL /イトウ /
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あ、わかった。
「逆精神分析=刺激」としか解釈してないんだな。多分。
刺激を加えたらファルスのある人間のファルスは勃起するわな。
とはいえ逆精神分析は、目的を持たない。目的を持ちたがることこそがファルス故の症状なわけだから。
そういう意味で、目的を考えない故に「刺激=逆精神分析」という解釈はありなんだ。
だからわたしはまんこちゃんから引いた。
こういう結果になることは大体予測してたしな。
ファルス批判って目的があったにも関わらずガタリはその論文でファルスをだだ漏れさせている。
目的を持たないという態度はあり。
だけどお前がわからなくなってしまったのは、目的がわからなくなった、ということで、お前自身が目的に執着している態度だ、となるんじゃないの?
目的を持たない、というより目的に執着しない、ということだな。
精神分析はあくまでも発祥は医学だから、治療という目的を棄てられない。縛られている。
わたしの逆精神分析は治療という目的を棄てている。縛られていない。
目的そのものを棄てているから、目的を道具として設定するのはあり、ってなる。だから別に治療を目的とした正当な精神分析だって道具として利用可能になるんだ。
わかるかなー?
目的というかなんでもかんでもが一過程だ、って言い方の方がいいかもね。
進化論にしろ、完璧な生体を目指すのが進化だ、って解釈している馬鹿が多いが、単に環境に適応していくだけなんだよ。完璧な生体というゴールはない。
前者はゴールがあるという意味で精神分析的。後者は逆精神分析的。
そういう話。
2009-02-17 火 19:37:19 /
URL /脂 /
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刺激させて勃起したところを根元から毟り取る事が必要なんか。いや、勃起させる必要はないか。どの道「壊す」段階にはまだまだ遠かったという。
ぎゃーぎゃーがどうのこうのっていうこと意味がようやくわかった(おそい
2009-02-17 火 19:38:57 /
URL /イトウ /
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>目的そのものを棄てているから、目的を道具として設定するのはあり、ってなる。
この前脂さんの言った「大人としての狡猾さを道具として身に付けるのもアリ」っていうのを思い出した。
目的に執着しないっていうのは言われて初めて気づいた。
2009-02-17 火 19:42:31 /
URL /イトウ /
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相手のファルスを摘出する過程は、前にもどっかで言ったが相手を精神的に解剖することだから、ファルスは不可避的に勃起するわな。
勃起したらしたでファルスをいじくりやすくなるわけだから、正当な精神分析としても逆精神分析としても過程としてOKとなるわけだ。
2009-02-17 火 19:42:34 /
URL /脂 /
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目的は未来。未来と過去は象徴的あるいは想像的という意味で非現実界的なもの。
トラウマの「過去が現在化する」にも通ずるが、現在という一瞬の問題なんだよな。逆精神分析って。
2009-02-17 火 19:45:15 /
URL /脂 /
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>この前脂さんの言った「大人としての狡猾さを道具として身に付けるのもアリ」っていうのを
うん。だから保坂のケースなら、フリだけ「周囲の人間にちゃんと気遣える人間になっ」て、殴った保坂がそう言った時に
「プギャーwww 俺は未だにお前のこと恨んでるよwww 俺はあの頃から成長してないよwww」
とか言えば保坂の「時を経れば人は必ず大人になる」という確信は揺らぐだろ?
保坂のファルスが不安定になった一瞬だ。
2009-02-17 火 19:54:07 /
URL /脂 /
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なる。
自分は某に刺激を与えた先の未来に幻想抱いていたのか。足元見ずに前を見ていたのか。ただ、刺激を与えた先にどうなるかっていうことは全く想定していなかった。「ファルスの破壊」ってところに目がいってなかった。
「目的」は「~になるように努める」
「想定」は「たぶん~になるだろう」
「未来」「目的」「想定」を回避しつつ、ファルスを破壊?
あ、ここで「目的を道具として使う」がひっついてくるのか。
自分は道具の使い方をまったく知らないらしいことがわかった。そのくせ「目的」に固執していたっていう一番駄目なパターン。
>だから保坂のケースなら、フリだけ「周囲の人間にちゃんと気遣える人間になっ」て、殴った保坂がそう言った時に
>「プギャーwww 俺は未だにお前のこと恨んでるよwww 俺はあの頃から成長してないよwww」
>とか言えば保坂の「時を経れば人は必ず大人になる」という確信は揺らぐだろ?
>保坂のファルスが不安定になった一瞬だ。
あーー!! 道具ってそういう風に使うことなのか!!!
2009-02-17 火 20:02:27 /
URL /イトウ /
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「目的」を道具として使うなら、
「わたしあなたの言っている事ものすごく理解できる」と最初めちゃくちゃ賛同し、仲が良くなったところで「実はそう思っていない」と翻ると相手へのダメージ(⇒ふぁるすの不安定化が大きくなりそう)もまた出来そうだなーと思った。かなり効率悪いけど。
2009-02-17 火 20:06:50 /
URL /イトウ /
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>仲が良くなったところで「実はそう思っていない」と翻ると相手へのダメージ
それ薬師さんも言ってたわ。
ありだろうね、とは答えといた。
2009-02-17 火 20:12:11 /
URL /脂 /
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つかわたしの恋愛って大体そうだわ。
芝居関係者なら「あなたの演劇論よくわかる。その通りだと思う」って言って(本音は全く理解できていない)近づいて、事後的に「いやあれは違う。実際にあなたのやっていることは違うじゃない」とか言って暴力を振るわれる、と。
ちんちんを萎えさせるには勃起させとかなきゃならんわけじゃん。
萎えさせるのを通り越してちんちんを切り落とそうとするから「わたしは阿部定だ」と思ったのだろうかね。
2009-02-17 火 20:17:07 /
URL /脂 /
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要するに「逆精神分析はファルスを壊すことを目的としている」なんてのも道具なんだよ。わたしがこれまで生きてきてやってきたことへの言い訳としての道具。
正当化という目的もないわけだから、正当化という目的を道具として利用しているわけ。
違う記事にコメントしてもうた。
こういう時管理者って楽だわ。
2009-02-17 火 20:22:08 /
URL /脂 /
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そもそさ、「逆精神分析とは神経症を悪化させることである」(これは目的というより説明)ってことだけど、人間何かの目的があって神経症になるわけじゃないじゃん。何かの目的に執着することが原因となって神経症になることはあるが。
2009-02-17 火 20:51:38 /
URL /脂 /
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恋愛対象はボットン便所であったりボールペンであったり人間じゃないときが多いかもしれん。ぶっちゃけ人間は声を発するから付き合うのマンドクセ。
阿部定知らんからぐぐってみた。阿部サダヲなら知ってるけど別人だろう。アブラブ常連客のくせにこういうところは何も知らない自分。
>人間何かの目的があって神経症になるわけじゃないじゃん
ほんとだー、あー言われてから気づいた事が非常に多い…。
2009-02-17 火 20:59:46 /
URL /イトウ /
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目的がない、って、学習0の無限義的なものにちょっとだけ似てるかもしれないと思った。思ったというよりそんな印象を感じた。独り言。
2009-02-17 火 21:07:49 /
URL /イトウ /
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んー、でもまあ、保坂に限っては若干スキゾフレニック臭がするのよね。猫に対しての視線とか。
目的がないことって要するに自分勝手で予測のつかないことなわけじゃん。自分のためという目的すらない自分勝手さっていうか。
猫って自分勝手な印象を人間に持たれているわけじゃん。印象つか象徴としてそういう感じの言葉が割り当てられることが多い。
同じ猫好きでも、笙野とか猫が死んだ時おいおい泣きそうだけど、保坂のバヤイ「ま、命あるものそういうもんだ」ってなって「はい次の猫」ってなりそうじゃん。
まあわたしは笙野にとって飼い猫とはファルスであると解釈してて、ラカン論の定理「(神経症の)女はファルスを所有したがる」にばっちし当てはまるんだけどね。
猫をファルスとして見てない分、保坂の猫に向ける視線は目的のない身勝手で予測不可能な感じがする、ってことかな。
まあこれは詩人的感応力ってことになるんだろうなー。
きれいごとばかり言う「いい人」でも、エコラリア的にそう言っている場合があるから、なんとも言えない。
谷山浩子もそう。「いい人」丸出しの歌もあれば、キチガイっぽい歌もある。わたしは『夢半球』ってアルバムが彼女の本音だと思っているけど、彼女自身「このアルバムはあんまり思い出したくない^^;」って書いているのを見て確信した。
従って、彼女の本音は『夢半球』に歌われているような歌、つまりキチガイっぽい歌の方だ、と思える。
これがあるから「いい人」っぽいありがちな歌も「自分の嫌なところを隠そうとしている」努力を感じてよい、となる。
今でもスキゾフレニックな本音をぽろぽろ歌っているしね。
笙野みたいに、「そちら側に行っちゃった」と確信する違和感がない。あっても作詞が宮崎息子だったりして「あーなるほどなー」ってなる。
笙野の場合そちら側即ち去勢済みな主体チックな言葉こそが本音に聞こえる。ようになった。最近。
保坂のバヤイ、どっちが本音かは知らん。その本読んでないし。
2009-02-17 火 21:20:22 /
URL /脂 /
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保坂だけは昔やたら読んでいるので、その記憶を辿る限り、飼い猫が死にそうになっている頃から号泣して、死んだあとも一週間くらい泣き通したらしい。だからそこらへんは笙野と似てるかもなーと思った。男はファルスになりたがる、女はファルスを所持したがるっていう観点からはどうなんかわからんけど。
どうでもいいが谷山浩子のCDがほしくなってきてしまった。
これに関連して思い出した。あんまり関係ない話。
自分が結構小さい頃(具体的にいつだったかは覚えていない)、犬が妊娠したことがあった。
生まれた子供のうち一匹は死に、残りの四匹は保健所で知らない人間の手元に渡った。妹は子犬がいなくなったことに大号泣して、小田和正の音楽をBGMにして子犬の写真を見ながら泣いていた。小田和正をBGMにしてまで感傷モードを完遂しようとするのはある意味凄いなあでもキモイなあと思った。
そんだけ。
2009-02-17 火 22:05:43 /
URL /イトウ /
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泣いてんのかよw
普通だな。
妹すげえな。
そこまでして泣いたら泣いたで「この涙は嘘の涙じゃないか?」って思わないんだろうか?
ただ涙を流したい、っていうか涙が自然と出る、っていうのはあるがな。
まあ泣いている時のわたしは正常人だと感じられるが、予測不可能な勝手さで流れ出てくる涙もあるから、一概には言えんなあ。
2009-02-17 火 22:32:08 /
URL /脂 /
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電話で尋ねた妹いわく、
「んー……。ほんなこと考えんへんかったわ」
2009-02-17 火 22:44:53 /
URL /イトウ /
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ステキやん。
つかさいたまさんにうらやましがってもらうとよい。
2009-02-17 火 22:46:35 /
URL /脂 /
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原文知らんからなんとも言えんが、
=====
「僕は他人じゃないから他人の痛みがわからない。当たり前だ」と言う。
そういった部分部分で辻褄の合った論理は非常に強靭だ。
そういう小賢しい中学生には
「私には君の痛みがわからないんだよ」
と言ってボコボコに殴ってやるのがいいだろう。
=====
って言うのは、その中学生が去勢済みな主体であることを前提にしているんだよな。
「他人の痛みがわからない」を「他人の気持ちがわからない」と置き換えてまず考えてみよう。
他者なるものの根拠が希薄な未去勢者たちは、常時「人と気持ちが通じない」痛みを感じ続けている。この痛みは、子供と言えどもある(何度も言うが去勢即ち鏡像段階は生後二年以内に生じる)他者の集合体である社会性により弾かれる結果生じる実体のある痛みだ。
というのは、たとえば他者と共感するのが不得手だとされる自閉症者でも、共感することがある。ウタ・フリスが示しているような「飢餓状態の子供の番組を見て、自分の空腹時を思い出して不快に感じる」ということ。
わたしは自閉症とは鏡像段階(スターン論なら間主観的自己感の形成期)において不具合があると考えている。であるならば、不快・苦痛の共有こそが共感なるものの本質である、となる。理屈的に。
共感の原始的な姿は、快の共有ではなく不快の共有だということだ。
まあ逆に言えば、不快の共有だけってのは幼稚で稚拙な共感だ、ってことになるが。
要するに、たとえ(鏡像段階で生じる)ファルスに不具合がある未去勢者と言えども、自分に対して不快に思う周りの人に共感して、痛みを感じる、ということだ。
こういったことから、わたしは苦痛を重視している。不快を重視している。
転移の原初は不快の共有であり、快の共有ではない、ということ。
なのに、快の共有という高度な転移ができない人間に快の共有を強制するのが、アガペーという原パラノイアなわけだ。「人間らしさ」という暴力なわけだ。
つまり、未去勢者ほど不快の共有には敏感であり、快の共有という「人間らしい」高等な転移ができるようになったのが去勢済みな主体だ、ということ。
だから、保坂の提案は、確率的に正しいと言える。去勢済みな主体が多いわけだからな。
一方、確率的には低いが、その中学生が本当に「他人の気持ちがわからない」故に常時痛みを感じ続けている未去勢者(自閉症者あるいは統合失調症者あるいはスキゾイド)だったとしたら、逆効果も甚だしい。去勢済みな主体という「人の気持ちをわかる(と思い込んでいる)」パラノイアックなBPDたちにより常時不快・苦痛を覚えさせられているわけだから。殴られても「なんで?」のまま生き続けるだろう。心的外傷が現在化された一瞬を生き続けるだろう。苦痛を漠然とした不安感や恐怖感や恨みに変換させることはあったとしても。
むしろ、「人は人の気持ちがわかり合えるものだ」のごとき「人間らしさ」という暴力の典型とも解釈しうる。
自分の主観世界に「器質因・内因的に人の気持ちがよくわからない人間」が存在していないということを自白している。
そういった人間を主観世界から抹殺していることを自白している。
そういう話だな。
痛み即ち不快を重視させようとした言動か、痛みを含めた気持ちの共有を重視させようとした言動か、どっちとも取れる。この文章だけならな。
でも最後のオチ見ると「ほーれ、人と気遣い合う(=人と気持ちがわかり合える)ことはいいことだろ?」っていう「不快も快も含めた気持ちの共有」を主張している、と解釈されてしまう。
ここに論理の飛躍があるとは言えるが、要約だからなんとも。
まあ、相手が去勢済みな主体が一時的に不安定になったそれこそ中二病者だったら、それでもいいんじゃね? と思う。
っていうか興味ない。
2009-02-17 火 23:15:42 /
URL /脂 /
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しかしあれだな。
>飼い猫が死にそうになっている頃から号泣して、死んだあとも一週間くらい泣き通したらしい。
飼っている鳥が近所の飼い猫に食い殺されて激高してその猫をとっ捕まえて目に五寸釘刺して橋の上から吊るして殺した車谷長吉と好対照を成しているな。
猫の飼い主のババアが落ち込んでいるのを見てもなんとも思わなかったとか書いてた。
別の作品では保坂の小説こき下ろしてたしな。
わたしゃどっちも好きだが(と日和っておく)。むしろ二人のバトルを見たいが私小説家廃業したらしいし直木賞も取ったし車谷も大人(神経症者)に成長できたんだろう。
まあ私小説の体裁を取っているとはいえ真実とは限らんが。虚実混淆だな。
2009-02-18 水 06:59:08 /
URL /脂 /
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携帯から。
思春期病は未去勢者しかなりえず、中二病は去勢済主体の一時的なファルスの不安定化でそれが寛解するのは再び去勢されたとき、か。ところで未去勢者って自閉症・高機能自閉症者以外にありえる? 内因には後天的なものがあるんかしらんけど。
2009-02-18 水 23:33:29 /URL /イトウ /
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統合失調症者とスキゾイドも一応未去勢者って考えてはいる。
他にもあるかもしれんし、スキゾイドあたりは神経症も多くいるんじゃないかと思ってるくらい適当な考えだけど。
薬師さんあたりは自閉症というより分裂病「型」人格障害(スキゾイド即ち分裂病「質」人格障害とはちょっち違うのがややこしい)のケもあるなあ、とは思う。
あ、当然ながらわたしの自論にすぎないから信用すんなよ。
2009-02-18 水 23:41:21 /
URL /脂 /
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>寛解するのは再び去勢されたとき
つかそれ去勢の承認だな。
去勢そのもの(ラカン論ではイコール鏡像段階)と、去勢というトラウマが亡霊のごとく回帰することは別。
「未去勢/去勢済み」と「去勢の否認/去勢の承認」は別。
まあこの辺柄谷レベルでもごっちゃにしているから別にそういう言い方でもいいんだろうけどね。
2009-02-18 水 23:57:33 /
URL /脂 /
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>「未去勢/去勢済み」と「去勢の否認/去勢の承認」は別。
おk。
中二病は去勢を否認している状態(→よってファルスが不安定になる)だったのか。
>去勢の承認
をすることで寛解する、と。
去勢関連の知識がごっちゃになっている気がせんでもないので新宮さんの本でも読み返してみる。
2009-02-19 木 07:39:00 /
URL /イトウ /
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>去勢関連の知識がごっちゃになっている
なる方が正しい。フロイト派ならエディプスコンプレックスが去勢になるからな。だから女性はなべて未去勢だとなり、女性には超自我はない、なんてトンデモ理屈になる。
ところがラカンは、エディプスコンプレックスはフロイトの妄想だとし、去勢なるものの実体を探った結果、鏡像段階という理屈を構築した。鏡像段階こそが去勢の実体だとね。
そうなると男性でも女性でも去勢済みとなる。男女関係なく超自我は生じることになる。生後十八ヶ月までの乳児の話だからな。
ただし、わたしはフロイトのエディプスコンプレックスも、鏡像段階というトラウマの回帰として、傾向的に多く看取される症状だと考えている。
簡単に言えば、男女関わらず生後十八ヶ月以内の鏡像段階で去勢されるが、エディプスコンプレックスというファルス増長機制を経るか経ないかが、男女性の差異として一般的に見られる・考えられている傾向の原因だということ。
鏡像段階においてファルスは男女ともに生じているが、男性はエディプスコンプレックスというファルス増長機制を経るため、女性よりファルスの作用は強くなる、というわけ。従って、傾向的に男性は女性より超自我が強い、となって、フロイトの理屈も一部採用可能となる。
要するに、フロイト派で去勢と言われることは、ラカン派では去勢の回帰あるいは去勢の承認となる、ってだけの話。
ラカン理論は、精神医学・心理学以外の哲学・思想系への影響は強いが、精神医学・心理学においては窓際もいいとこだぜ。つーかフロイトやクライン含める精神分析派自体が窓際。精神分析派の中でも「自我ばんじゃーい」っつーフロイト娘の自我心理学派が強い。精神分析コンプレックス(つーかフロイトコンプレックスだな)丸出しのロジャース派も強いらしいな。
pikarrrたんがおもろい記事書いてたなそういや。あった。
http://d.hatena.ne.jp/pikarrr/20080807
フロイト‐クライン‐ラカン(‐クリステヴァ)ってわたしが影響を受けている奴らはこぞって死の欲動とかそれ系のことに目を向けている人たちなのだよね。
だから外で「死の欲動が~」とか言ったら「ぷwww 死の欲動って死語www 時代遅れもいいとこwww」とか言われること間違いなし。
例のチャットでも心理学をちょっと齧っただけの奴が「精神分析とかwww」とか言ったことがあるけど「多数派な俺たちが正しい」っつー正常という精神疾患丸出しだったからいじめてやったことがある。飲茶曰く「無自覚権力志向型定型人」だな。「もう二度とこのチャットには来ません」とか言ってたクセにすぐ戻ってきてたわ。2ちゃんでは既にギャグコピペになっているようなことそのまんまでむしろ感心した。2ちゃんに。
つかちょっとドリルしただけなのにそいつもpikarrrたんもやわすぎる。「ボクチンはファルスを振り回すけどボクチンをメスで切りつけないで」って言っているようなもんだ。
ファルスを振り回していることに無自覚なのが正常であることだからそれでいいんだけどね。
まずは己を見つめようよ、そうじゃないとそのちっちゃなちんちんは隠せないよ、と言ってあげたい。
ちなみにこのちっちゃなちんちんはラカン理論を採用するなら男女ともあることになる。女に「ちんちん」はさすがにかわいそうだから「肥大したクリトリス」とか言うけどね。一応エディプスコンプレックスっつーファルス増長機制を経てはいないんだろうからクリトリス。
そういう意味がきちんとあるのだよ? わたしの言葉は(理屈も一部として含める)隠喩の森だ。
まあフィーリングで言う言葉もあるからごめんちょっと言いすぎでした。
2009-02-19 木 08:24:09 /
URL /脂 /
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>傾向的に男性は女性より超自我が強い、となって、
短絡馬鹿女どもが文句つけてきそうな気がしたので補足しておく。
超自我が弱いことは何も悪いことじゃない。物事には全ていい面もあれば悪い面もある。「いい/悪い」っつーのが既に恣意的な区分だから。要するに幻想だから。
女は超自我の軸であるファルスが弱い、という風に考える。
ファルスは全てのS2(シニフィアン群)に隠喩作用を及ぼす。この隠喩作用によりS2は構造化される。「無意識(超自我)は言語のように構造化されている」って奴だ。
これはつまり、ファルスが強いと思考回路が固定観念的になることでもあるわけだ。要するに超自我が強いということは固定観念が強いということ。自由な発想が困難であるということ。
これが物事には全ていい面もあれば悪い面もあるということだ。
脊髄反射的に反論する馬鹿が例のチャットでは多かったからな。それ思い出して過剰防衛してしまったと思ってくれ。
2009-02-19 木 08:51:12 /
URL /脂 /
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去勢ってそんなめんどくさい事情が裏にあったのね。フロイト~ラカンへの流れは知らなかったから始終「あぼーん」であった。
>ファルスは全てのS2(シニフィアン群)に隠喩作用を及ぼす。
>ファルスが強いと思考回路が固定観念的になることでもあるわけだ
じゃあ反対にファルスに不具合があったり不安定化していると固定観念がゆるくなる、と。去勢済みの主体の中二病は、去勢の否認から去勢の承認に向かう事で寛解し、同時にその承認は「固定観念ガチガチ」をもたらすのか。
ファルスのない世界はドぅルーズの言う「牧歌的な世界」(だっけ)にならん。
――って、いつだったか脂さんが言ってた記憶がある。
固定観念の存在しない世界は、ファルスから生み出された様々な幻想が剥ぎ取られた状態であるから、「北斗の拳の世界のようなもの凄く殺伐とした感じになる」のか。
色々な要素が繋がったやった。
じゃあ一体何があってドゥルーズは「牧歌的」うんぬんなんてことを言ったんだろう? と不思議だ。でももう死んでしまっているから訊けない……。
2009-02-19 木 20:22:53 /
URL /イトウ /
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>じゃあ一体何があってドゥルーズは「牧歌的」うんぬんなんてことを言ったんだろう?
「雨が降るように人が死ぬ」ならそら自然淘汰も牧歌的になろうもん。
ネットラカニアンの草分けのしとがええこと書いとるよ。
http://www.geocities.jp/captifamoureux/occult.htm
=====
しかし、しばしば日本でドゥルーズを援用する人々は、この自然を予定調和的に把握している。あるいは荒れ狂う自然がもたらす災禍から目をそむけて、単純にカオスを礼賛しているのではないだろうか。彼らには社会科学的思考が完全に欠如している(象徴界の機能不全の一例ともいえるだろう)。
例えば「人が死ぬことに何の意味があるだろう? 何が悲惨なのだろう? 雨が降るように人が死ぬ、ただそれだけのことだ」などと平気でいうだろう。「雨が降るように人が死ぬ」(il meurt comme il pleut.)というのは確かに『意味の論理学』21セリーでのドゥルーズの言葉には違いない(より正確にはブランショの影響である)。彼らはフランス語では非人称の「人」について述べていることを、経験的現実に短絡してしまっているのだ。
自然科学的には、あるいは潜在的次元では人一人が死ぬことにたいした意味はないかもしれない。広い宇宙のどこかで、あるとき、ある生物個体がその生命活動を停止するのは何ら珍しいことではない。しかし、実存的にも社会的にも考えるなら、人一人の死は軽視できる問題ではありえない。ちょっと反論されたくらいで怒り出す彼らが自分の死に関して達観できているとは到底思えないのだ。
=====
それこそこういうドゥルージアンには「じゃあ君を殺していいんだな」つって殺してあげるのがよろしかろう。
ただドゥルーズは死に際が悲惨そうだからそんなに癇に障らない。
ガタリの方が気持ち悪い。ツラも。
2009-02-19 木 20:34:59 /
URL /脂 /
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呼びましたか?
「みんなの常識」を否定されるとすぐに、
「クソソソのことかぁ~!」と言ってキレル
みんなの無自覚権力志向型スーパー定型人3の俺がきましたよ。
2009-02-20 金 06:39:06 /URL /飲茶 /
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呼んでねえw
2009-02-20 金 15:39:23 /
URL /脂 /
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ふと思った。
ファルスの機能と心の理論の機能って、重なるところ多い?
もしくは、まったく重ならない?
もしくは、ファルスの機能を、心の理論がより強固にしているのかな。
2009-02-20 金 22:01:49 /URL /イトウ /
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つうかコメント数40こえてるwwwwww
2009-02-20 金 22:03:09 /URL /イトウ /
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違う気がするな。
じゃあ繋がっていると考えれば。
心の理論っつーのは他者を根拠にした思考回路のこと。サリーとアンの課題とか明らかにそうだろ。
一方ラカン論は大文字の他者(象徴界)、小文字の他者(想像界)ということになっている。
ではファルスは他者か。
他者の根拠は父の名なんだよな。
心の理論という他者を根拠にした思考回路が何故可能か、というと父の名を原因としているから、とは言えるだろうな。
うーん、違うと思うぜ。繋がりを考えるのはおもしろいとは思うが。
ファルスはあくまでも思考回路の固定化だからな。
ファルスから展開した超自我(S2群)が心の理論に則っているのは間違いなかろうが。それこそ大文字の他者だ。
心の理論の課題が猿にも解けるかって問題になるが、条件反射で覚えてしまう、っていう要件が妨害になるだろうな。
アスペルガー症候群者たちは普通にサリーとアンの課題を解ける。でもそれが条件反射として学習したものか、自然発生的にそうなったものかわからない、と。
ファルスは軸。内面の軸。
サントームは柵。条件反射的に学習することはサントームになろうな。
ベイトソンの学習理論でも、学習1から学習2の経過が自然発生的にできるか。学習2なんてのも具体的やり方を覚えこませればできなかない。その具体的やり方に関わることにしか応用できないだろうが。
うーん、わからん。
考慮が必要っつことで。
2009-02-20 金 23:43:55 /
URL /脂 /
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自閉症の心の理論の課題を解けない症状って、統合失調症の自己の流出に似てるよな。
2009-02-20 金 23:49:44 /
URL /脂 /
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>ファルス 父の名
>心の理論 常に他者を根拠にしてる
自分はファルスの成り立つ前提と心の理論の成り立つ前提が理解できていなかったからこんな疑問が湧いたのだと推測。
ウィキペディアの「心の理論」の項に
>生物と非生物を区別する能力
ってあるんだけど、
これはアブラブの『サバルタンのディスクール』
(
http://aburax.blog80.fc2.com/blog-entry-262.html)
って記事の、
>まなざしという専制君主は、「お前は人間しか愛してはいけない」と命令している。そういうファロセントリスムを、アガペーは備えている。主体に人間主義という洗脳を施している。人間主義に則れないアスペルガー症候群者やスキゾイドを殺戮している。そのパラノイアックな力をもって。
心の理論がきちんと作動している人間の
「生物/非生物の見分け」
は、まなざしによって
「人間/人間でないものの見分け」
にすりかわってしまった可能性はないの?
生物とは人間のことであり、生物ではないものは人間以外である、という。
あ、ここで気づいたんだけど、心の理論における「他者」って人間の事しか示していないのね。
ということは、まなざしは心の理論における「他者は人間しかありえない」というものをさらに強化させてしまうシロモノでありうる?
これが
「(人間らしさとは)慈愛とか協調性とかだと思います」
(
http://www.geocities.jp/gosikku4/kubosan.html)
という久保さんの言葉に関連するのかもしれん、って思った。
人間を「他の生物とは違う」と区分してしまったがゆえに出てきた考えなんじゃなかろうか。
「他の生物は人間でない」と言い、「人間こそ生物である」という短絡があるんかな?
「人間らしさ」をもてない「動物、植物」は最初から排除されており(まなざしによって)、
さらに「人間らしさ」を獲得できていない「人間」までも排除しようっていう。
あれ、いろいろ飛躍してるな。
自分にだけわかればいいって言い方になっちゃってるし。
読み返してもわかりにくい上にごちゃごちゃ。
ま、いっか。
独り言っていうことで。
あーこうやってなんでもかんでも心の理論に繋げてみようとする自分の態度は駄目だなー、別にこれは
「つなげたいから」
ってわけじゃなく単に
「つながる可能性があるのかどうか気になる」
というだけであって(ry
つまり、「生物とは人間の事である」という考えが潜んでいるのではないかと。
「人間以外の生物は生物ではない」という思考を無意識的に処理して、あらゆるところから「人間でないもの」を排除していく傾向のある人とか、それが「人間らしい人」なのか。
それは例えば、
「赤信号みんなで渡れば怖くない」
「みんなで食べれば美味しいね」
「人間、一人で生きていくことはできない」→「だからみんなで助け合って生きていこう」
で謳われる「みんな」は、人間しか想定されていない、という。
>自閉症の心の理論の課題を解けない症状って、統合失調症の自己の流出に似てるよな。
あ、なるほど。言われれば確かに。
2009-02-21 土 11:54:50 /URL /イトウ /
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いや、どっちかというと理屈としての問題だな。
感覚的に「繋がるんじゃね?」っていうのはわかるが、一応学徒のはしくれとして慎重にやるべきことな気がする、という話。
>「(人間らしさとは)慈愛とか協調性とかだと思います」
ああうん、精液だと思った。わたしも。
2009-02-21 土 18:29:54 /
URL /脂 /
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ただ
>「(人間らしさとは)慈愛とか協調性とかだと思います」
とか言うだけならできるからな。キチガイでも。
要するにそういったことが無意識的で定性的な快楽になっているかどうか?
快楽になっても、意識的で偶発的なものだったら性質とはならないだろ。性質の語義として。
2009-02-21 土 18:50:23 /
URL /脂 /
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おk。
エコラリア的にそういっている可能性がある、というのはそゆことだったのね。
2009-02-21 土 22:25:23 /URL /イトウ /
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>「生物/非生物の見分け」
は既に幻想だろう。カブトムシを見たことがなくておもちゃのそれだけ知っている子供が、本物のカブトムシを死なせて「ねえ、電池入れかえて」って言うのと同じ。
たとえば「動いているもの/止まっているもの」の見分けとかの方が認知として先に学習してる気がしねえか?
その次に「自分と似た形をしたもの/そうでないもの」って区分(鏡像段階な)ができて、これが「人なるもの/それ以外」って区分になるのはそうな気がするだろ。
「生物/非生物」って区分はそれより後な気がするぞ。わたしはね。
たとえば渦巻きとかエネルギーの流入・流出があるという要件だけ考えれば生物だ。子孫は作れないがね。ただし分裂する渦巻きがあったら、細胞分裂とどう違うねん、って話になる。また、粘菌なんかは活動停止している時は生物の定義としては死んでいるはずなのに生き返る。
「生物/非生物」ってむしろ逆に「人なるもの/それ以外」から隠喩的に派生した区分だとわたしは思うなあ。
「人は生物だ。だから生物はオトモダチだ」
みたいなね。
この視点で言うと「ボールはトモダチだ」つって足蹴にする翼くんなんかそこだけ考えればとってもスキゾフレニックなんだよな。
逆にトモダチになれたからボールを支配できるようになる、と解釈したらそれこそ精液だ。ボールという物体の擬人化だな。
2009-02-22 日 03:57:40 /
URL /脂 /
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心の理論のそれなら、たとえば姿動きを精巧に似せた虫のロボットと本物の虫の見分けなんて動物につくと思うか?
見分けがついてたらルアー釣りできないだろ。
猿に動くおもちゃ見せてどうなる? とか動物番組でよくあるが大概威嚇するじゃん、ただの非生物たるおもちゃに。
2009-02-22 日 04:17:53 /
URL /脂 /
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結局「生物/非生物」なんて科学哲学的なところでも定義は曖昧なんだし、人間でない動物に対しては上記のようなことになってるわけで、事後的で学問的で固定観念的な区別にすぎないと思うぜ。
人間は生物だと自己定義しているから「生物/非生物」って区別に観察者が無意識的かつ固定観念的に執着している、とも言えるわけだ。心の理論うんぬんについてのそれはな。
要するにわたしがたびたび言及している「観察者の主観問題」だ。「色眼鏡」って奴。
それと同様に、君の「人なるもの/それ以外」という区別の先に「生物/非生物」という区別が根本としてある、という思考回路そのものを指摘しているわけだな。わたしは。
2009-02-22 日 04:21:52 /
URL /脂 /
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そういや『メメント』って映画でボールペンばきって折って中のインクを針につけて自分でタトゥー入れるシーンがあったんだがあれ見てボールペンに恋する君はどう反応するか一瞬興味を持ったけど次の瞬間どうでもよくなった。
2009-02-22 日 04:58:52 /
URL /脂 /
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>たとえば「動いているもの/止まっているもの」の見分けとかの方が認知として先に学習してる気がしねえか?
>その次に「自分と似た形をしたもの/そうでないもの」って区分(鏡像段階な)ができて、これが「人なるもの/それ以外」って区分になるのはそうな気がするだろ。
>「生物/非生物」って区分はそれより後な気がするぞ。わたしはね。
>「生物/非生物」ってむしろ逆に「人なるもの/それ以外」から隠喩的に派生した区分だとわたしは思うなあ。
ほんとだー!! すげー納得した。
「生物/非生物」というものが基盤にあり「人間/人間以外」というものが出来上がるんじゃねという固定観念にとらわれていたみたいだわ。
基盤を疑えていなかった、と。
2009-02-22 日 13:46:56 /URL /イトウ /
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亮介さんが「~と迷惑に思う人もいるだろうからやめたほうがいい」と言う、常に他者を根拠にした発言を繰り返すのは(さっき来た別のメールでも言ってたし)、「無意識的で定性的な快楽になっている」状態(心の理論に正常に則っている状態)と判断して良い、のか?
となるとみっくさんがやたら「私たち」「我々」と言うのは「無意識的に味方を増やしている」という時点で常に他者を頼りにしており、ということは、これもまた「無意識的で定性的な快楽」になっている可能性が高い?
相手は自分じゃないから意識的なものか無意識的なものか判断するのってムズカチ。
2009-02-22 日 13:51:24 /URL /イトウ /
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>人間は生物だと自己定義しているから「生物/非生物」って区別に観察者が無意識的かつ固定観念的に執着している、とも言えるわけだ。心の理論うんぬんについてのそれはな。
>それと同様に、君の「人なるもの/それ以外」という区別の先に「生物/非生物」という区別が根本としてある、という思考回路そのものを指摘しているわけだな。わたしは。
ああ、そういうことか。
心の理論に極めて正常に則っている人は「生物/非生物」の発展形が「人/人以外」なんじゃね、と自分が言うとき、既に自分は「生物/非生物」という区分が根付いた思考回路に陥っている、ということ? なのか。人間を生物と判断しているのはあくまで「自己定義」でしかないという。
>そういや『メメント』って映画でボールペンばきって折って中のインクを針につけて自分でタトゥー入れるシーンがあった
ヘテロの男が「女の子なら誰でもいいってわけじゃない」と言うように、ボールペンだったらどれでもいいってわけじゃないんだからねッ!!
2009-02-22 日 14:00:35 /URL /イトウ /
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>相手は自分じゃないから意識的なものか無意識的なものか判断するのってムズカチ。
判断するために「お前ってこうだな」つって相手をラベリングするのもあり。一手段としてな。
そうやって怒らせたり動揺させたり不安にさせたり体調崩させたりして相手の本性を露にさせるのが逆精神分析。
2009-02-22 日 21:06:15 /
URL /脂 /
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要するに判断も一過程にすぎないってこと。
後になってその判断を翻したりするのもあり。
無責任極まりないと思われるかもしれないが何故自分の主観による判断が一貫してなければならないのか。思想が一貫してなければならないのか。
ファルスの固定化作用なんだよな、これも。
2009-02-22 日 21:51:20 /
URL /脂 /
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基本アブジェって禁忌そのもの故禁忌が存在しないわけだけど、一応アブジェに向かう逆精神分析の方策としては「癒し(治療含む)の真逆」だと思っておけばおk。
癒し論ダイスキなかべどんなんかも「癒し=安定化」みたいなこと言ってたしな。
2009-02-23 月 00:14:13 /
URL /脂 /
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たとえば推理小説やなんかで孤島に取り残されたグループ、みたいなシチュがあるじゃん。その中で必ず一人不安を隠しもせず不吉なことを言ってみんなの不安を助長するキャラがいるだろ?
それによって「大丈夫だよ、助けに来ている途中さ」みたいな楽観論をぶって無理矢理落ち着こうとしている他のメンバーの本性が徐々に表れていく。
ここではそういったシチュこそ逆精神分析の長椅子であり、不安を助長せしめるキャラこそが逆精神分析家だということになる。
とはいえ、名探偵が現れて真実が明らかになって行く過程は正統な精神分析だとなる。快方だな。
こんなところにも「逆精神分析は精神分析の一過程である」って定理が存在している、というわけ。
2009-02-23 月 01:00:30 /
URL /脂 /
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あ、イトウさん、最終選考に残ったみたいですね。
おめでとう!万歳ー万歳ー\(^O^)/
デビューできるといいですね(●^o^●)
2009-02-23 月 11:27:47 /URL /飲茶 /
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>ファルスの固定化作用
浮気は駄目、夫は妻だけを(妻は夫だけを)愛し続けなければならないっていうのもまたそれに関係してそう、って思った。
過去の積み重ねで現在が今の現在がある、という考え方もまたその連続性(固定性)を信じているからこそ成り立っており、未来もまた然り、ってわけで、両方ともファルスの固定化作用を受けているのか。
今思うとすげーなファルスって。
いろんなところでその作用が働いている。
関係ないけど、亮介さんが
「あなたは自分のメアドとメール本文を誰かのサイトで晒されキモイと言われても気にならないのか。それ以上そういうことをするなら、俺もお前に同じことをするぞ。目には目を、だ」
とおしゃった。
それに対して
「気にならない。むしろそう思うなら、積極的にそうするべきだ」
と言った。
これって結構相手のファルスを不安定化させられるんじゃないだろうか、と自分で自分の言う事に思った。
2009-02-23 月 17:00:29 /URL /イトウ /
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>ラベリング
なるほろ。そういう手があるのか。
>アブジェ
>癒し(治療含む)の真逆
「癒される~」って思った事がないので癒しがどのようなものかわからんがとにかく一般的な精神分析の使う方法と似ているものとだけ思っておこう。あ、
「彼と一緒にいるときわたしの気持ちはとても安らかになる」
っていうのもまた「癒し」なんだな。
「安らか」という「誤解」を得られるものが「癒し」であると認識。
>推理小説~
だったらバトロワとかもまんまそうだなーって思った。
キャラ同士がお互いをわざと不安にさせて殺す隙を狙ったりしてるから。
あるいは
「味方を装うフリをして、相手を自分は安全だと思わせておいて最後に相手を刺す」
とかいう難易度高い逆精神分析っぽい方法とかも行なわれているし。
2009-02-23 月 17:28:43 /URL /イトウ /
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ヤムチャさん
>おめでとう!万歳ー万歳ー\(^O^)/
o( ●´∀`)=◯)`ν°)・;'.
2009-02-23 月 17:45:38 /URL /イトウ /
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チャット状態だな。
2009-02-23 月 19:54:04 /
URL /脂 /
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イトウさんへ
僕、社会に出てるけど、遅刻しまくってますよー。だから、大丈夫みたいです、遅刻。
イトウさんもがんがん、バイト先で遅刻してください。o(^-^)o
2009-02-24 火 00:32:18 /URL /飲茶 /
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向こうに書けよw
2009-02-24 火 00:33:41 /
URL /脂 /
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だってイトウさんのブログ、携帯でコメントできないんだもん。
ヤフーでログインしてないと、コメントできないっぽい???
2009-02-24 火 01:12:12 /URL /飲茶 /
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そっか。
まー好きに使ってくれい。
2009-02-24 火 02:04:25 /
URL /脂 /
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