死にたくなった。
2008/12/18/Thu
精神分析系臨床心理でそこそこ有名なサイトの管理人に読まれているらしいことが判明して死にたくなった。
その人がここのテクストを肯定してるのか否定してるのかわからないが、肯定されすぎるとわたしって死にたくなるんだ、と発見した。やっぱり症状に苦しむゴッホを写生に行かせたのは間違いだ。器官なき身体に折り畳ませるべきだった。アルトーの言う通りだ。ゴッホはその精神科医に殺された。
今のとこわたしを肯定していいのはあるキチガイだけだ。今後どうなるかわからんが。彼がどこかの中二病者と鏡像的関係を構築し「心の理論」に洗脳されるあるいは正常という精神疾患に罹患する可能性はわたしは否定しない。これはキチガイ(わたしの語用においてはたとえば統合失調症、自閉症、スキゾイド等を指す)が正常化されるあるいは治療される可能性を否定しないのと等しい意味である。
正常化とはそいつのキチガイの部分を棄却あるいは殺戮することと等しい。従って、そいつのキチガイ度が高ければ高いほど、そいつにとっての正常化とは死ぬことと限りなく親近していく。
だから、わたしは肯定されない。
肯定じゃないな。表面的な肯定には彼でも違和感がある。ああ、解剖したい。
いや、誰でもいいんだ。
彼は誰でもない感じがするから、彼をレイプしたいんだな。アルトーもそう。
主体化への恐れ、か。誰でもないのが物自体。
嫌がる彼あるいはアルトーが抵抗する。わたしをナイフで刺す。
やり返される。レイプされる。
原始的な鏡像関係。
なんだどっちみち死ぬんじゃん(笑)。
キチガイとのレイプしレイプされる関係は、獣道にうずくまることだ。獣の性関係だ。
だから『杳子』はセックスするようになってうずくまったのか。いや違和感あるな。相手の男(主人公)はキチガイじゃない。あれではわたしはうずくまれない。わたしの個人的臨床例(要するに性遍歴)と比較しても彼は正常人度が高い。古井由吉も自分に対する感情移入から完全には抜け出しきれてないってことにしておこう。まあ小説だしな。多少は劣化しないと売れねえし。
あ、そうそう、学問の劣化を目的とした(本人が言ってたんだからな、「哲学のライトノベル化」って。まさに永井均派。けど飲茶には読者をコバカにしている態度が見えるから嫌いじゃない)『哲学的な何か』シリーズ二冊目が出たらしいよ。宣伝宣伝。
……相手が正常人すぎる正常人だからうずくまったのか?
人間として死ぬか、獣として死ぬか、ってこと? 射精して死ぬか、射精されて死ぬか。
うええ(嘔吐)。
とりあえずナイフは正常人に向けておく。
この殺意がある限りわたしはうずくまらないし死なない。
自分を肯定する表面的なものを壊すことで、わたしは生きていられる。
わたしなら、『杳子』の主人公を、殺すとまではいかないかもしれないけれど、浣腸シーンの写メを会社に送って社会的に抹殺する。純文学ってアレルギーあるのよねえって人はリンク先の記事読めばいいと思うよ。どっちも似たような実体を示している。
ただのルーチンワークなんだよね。生きるための。
退屈なんて意味も忘れたわ
刺激なんていつも
飢えたこともないし
殺せ、殺せ、正常人を殺せ。
おら、出てこいよ。
前記事を読んで、彼女のそのキチガイに対する態度は彼に対するわたしの気持ちにも似ていると思った。
だけど、やっぱり決定的に違うのは、他人に認めてもらうことを真理としているところだ。
彼女は他の記事で、そのキチガイに向けての言葉かわからないが、「他のあなたを認めてくれる人と仲良くやってればいいじゃん」みたいなことを書いていた。これも彼女自身が他人に認めてもらうことを真理としている証拠の一つとして挙げられるのだが、他人に認めてもらうことを根拠にする思考回路を他人事として見ていられてる分、まだ望みはある。中二病の悪化の徴候。道路にぽっかり空いた獣道への入り口。『歪んだ王国』の城門。本当の生の覗き穴。
キチガイの世界へようこそ。
レイプしレイプされる関係は、趣味が合うことや認めてもらうことではない。合意の上でのセックスではない。それらは劣化されている。
「性関係とは全て幻想である」というラカンの言葉は正しい。厳密には「人の性関係は獣の性関係が(幻想化という意味で)劣化したものである」ということだ。
カニバリズムにしても、死体を喰らうのでは、(一般的な性関係よりはるかに現実的という意味で劣化されていないが)多少の劣化が施されていると言えよう。少しでも意識が残っているところを喰らうのと比較すれば。後者の方が獣の性関係に親近している。やっぱり氏賀Y太(短編『好吃! 鳳嬌』参照のこと)はよくわかっている。
あーなるほどなー。掴めた掴めた。
わたしが解剖したいキチガイは、レイプされてもチッスは死ぬ気で拒むらしい。どっかのバイタみたいだ。彼にとっては口唇欲動が『歪んだ王国』の城門だってことか。つまり、正常な世界との一縷の通気口。
わたしは肛門欲動か? ちんちん噛み千切るイメージがデフォになっちゃってるしなあ。
松浦理英子も微妙になってきたしな。氏賀Y太だけは信じておこう。
年を取るのは素敵なことです
そうじゃないですか?
素敵だけど、怖いね。
悲しい記憶の数ばかり飽和の量より増えたなら
忘れるより他ないじゃありませんか
飽和してくれないんだもんよ。
死にたい。死ぬしか忘れる方法はない。
あ、涙出てきた。劣化モード入ります。さんきゅ、中二病のまんこちゃん。
いえーい、精神分析やってるみなさん見てるぅ? こっちから見たら人殺しのパラノイアックな素顔が丸見えだよー。「分析家は対象aでなくてはならない」とか(大爆笑)。
素顔で殺しちゃえよ。シンジみてえにもじもじしてないで。もっとこっちにおいで。
小笠原晋也になっちゃえよ。
その人がここのテクストを肯定してるのか否定してるのかわからないが、肯定されすぎるとわたしって死にたくなるんだ、と発見した。やっぱり症状に苦しむゴッホを写生に行かせたのは間違いだ。器官なき身体に折り畳ませるべきだった。アルトーの言う通りだ。ゴッホはその精神科医に殺された。
今のとこわたしを肯定していいのはあるキチガイだけだ。今後どうなるかわからんが。彼がどこかの中二病者と鏡像的関係を構築し「心の理論」に洗脳されるあるいは正常という精神疾患に罹患する可能性はわたしは否定しない。これはキチガイ(わたしの語用においてはたとえば統合失調症、自閉症、スキゾイド等を指す)が正常化されるあるいは治療される可能性を否定しないのと等しい意味である。
正常化とはそいつのキチガイの部分を棄却あるいは殺戮することと等しい。従って、そいつのキチガイ度が高ければ高いほど、そいつにとっての正常化とは死ぬことと限りなく親近していく。
だから、わたしは肯定されない。
肯定じゃないな。表面的な肯定には彼でも違和感がある。ああ、解剖したい。
いや、誰でもいいんだ。
彼は誰でもない感じがするから、彼をレイプしたいんだな。アルトーもそう。
主体化への恐れ、か。誰でもないのが物自体。
嫌がる彼あるいはアルトーが抵抗する。わたしをナイフで刺す。
やり返される。レイプされる。
原始的な鏡像関係。
なんだどっちみち死ぬんじゃん(笑)。
キチガイとのレイプしレイプされる関係は、獣道にうずくまることだ。獣の性関係だ。
だから『杳子』はセックスするようになってうずくまったのか。いや違和感あるな。相手の男(主人公)はキチガイじゃない。あれではわたしはうずくまれない。わたしの個人的臨床例(要するに性遍歴)と比較しても彼は正常人度が高い。古井由吉も自分に対する感情移入から完全には抜け出しきれてないってことにしておこう。まあ小説だしな。多少は劣化しないと売れねえし。
あ、そうそう、学問の劣化を目的とした(本人が言ってたんだからな、「哲学のライトノベル化」って。まさに永井均派。けど飲茶には読者をコバカにしている態度が見えるから嫌いじゃない)『哲学的な何か』シリーズ二冊目が出たらしいよ。宣伝宣伝。
……相手が正常人すぎる正常人だからうずくまったのか?
人間として死ぬか、獣として死ぬか、ってこと? 射精して死ぬか、射精されて死ぬか。
うええ(嘔吐)。
とりあえずナイフは正常人に向けておく。
この殺意がある限りわたしはうずくまらないし死なない。
自分を肯定する表面的なものを壊すことで、わたしは生きていられる。
わたしなら、『杳子』の主人公を、殺すとまではいかないかもしれないけれど、浣腸シーンの写メを会社に送って社会的に抹殺する。純文学ってアレルギーあるのよねえって人はリンク先の記事読めばいいと思うよ。どっちも似たような実体を示している。
ただのルーチンワークなんだよね。生きるための。
退屈なんて意味も忘れたわ
刺激なんていつも
飢えたこともないし
殺せ、殺せ、正常人を殺せ。
おら、出てこいよ。
前記事を読んで、彼女のそのキチガイに対する態度は彼に対するわたしの気持ちにも似ていると思った。
だけど、やっぱり決定的に違うのは、他人に認めてもらうことを真理としているところだ。
彼女は他の記事で、そのキチガイに向けての言葉かわからないが、「他のあなたを認めてくれる人と仲良くやってればいいじゃん」みたいなことを書いていた。これも彼女自身が他人に認めてもらうことを真理としている証拠の一つとして挙げられるのだが、他人に認めてもらうことを根拠にする思考回路を他人事として見ていられてる分、まだ望みはある。中二病の悪化の徴候。道路にぽっかり空いた獣道への入り口。『歪んだ王国』の城門。本当の生の覗き穴。
キチガイの世界へようこそ。
レイプしレイプされる関係は、趣味が合うことや認めてもらうことではない。合意の上でのセックスではない。それらは劣化されている。
「性関係とは全て幻想である」というラカンの言葉は正しい。厳密には「人の性関係は獣の性関係が(幻想化という意味で)劣化したものである」ということだ。
カニバリズムにしても、死体を喰らうのでは、(一般的な性関係よりはるかに現実的という意味で劣化されていないが)多少の劣化が施されていると言えよう。少しでも意識が残っているところを喰らうのと比較すれば。後者の方が獣の性関係に親近している。やっぱり氏賀Y太(短編『好吃! 鳳嬌』参照のこと)はよくわかっている。
あーなるほどなー。掴めた掴めた。
わたしが解剖したいキチガイは、レイプされてもチッスは死ぬ気で拒むらしい。どっかのバイタみたいだ。彼にとっては口唇欲動が『歪んだ王国』の城門だってことか。つまり、正常な世界との一縷の通気口。
わたしは肛門欲動か? ちんちん噛み千切るイメージがデフォになっちゃってるしなあ。
松浦理英子も微妙になってきたしな。氏賀Y太だけは信じておこう。
年を取るのは素敵なことです
そうじゃないですか?
素敵だけど、怖いね。
悲しい記憶の数ばかり飽和の量より増えたなら
忘れるより他ないじゃありませんか
飽和してくれないんだもんよ。
死にたい。死ぬしか忘れる方法はない。
あ、涙出てきた。劣化モード入ります。さんきゅ、中二病のまんこちゃん。
いえーい、精神分析やってるみなさん見てるぅ? こっちから見たら人殺しのパラノイアックな素顔が丸見えだよー。「分析家は対象aでなくてはならない」とか(大爆笑)。
素顔で殺しちゃえよ。シンジみてえにもじもじしてないで。もっとこっちにおいで。
小笠原晋也になっちゃえよ。