シャッター
2009/01/13/Tue
わたしは病院にいた。
歩けるのに車椅子に座っていた。歩けると思ったのはそう気づいた時にそう思っただけで、実際は歩けないのかもしれなかった。
やけに広い廊下だった。車二台軽々通れそうだった。
前から続々とけが人が歩いてくる。けが人にまじって時々血塗れの手首や足を持っている人がいた。医者だろう、と思った。
窓はなかった。乳白色の壁に時々ぽつんぽつんとドアがあった。すぐ近くのドアからは、古臭い演歌が聞こえていた。近づくと、犬が爪でひっかいているような音が聞こえた。わたしは開けるのをやめた。
ドアに近づく時、床が水平でないことに気づいた。壁に沿って移動するのと壁に向かって移動するのとで、力の入れ具合が違っていたからだ。ためしに背もたれに体重を乗せてみる。ゆっくりと後ろに移動する。やっぱり、と思った。
仕方ないので、けが人がやって来る方向へ進むことにした。歩いてくるけが人はどんどん増えていた。床に糞尿がこぼれていた。よほどひどいけがをしているのだろう、と悲しくなった。
看護師がやって来た。背が高くスタイルもよく、マネキンのようなおばさんだった。マネキンのおばさんはてきぱきとけが人たちの衣服を脱がせていた。脱がされたけが人は上半身裸でまた歩き始めた。流れ作業のようにも見えたが、脱がせないまま素通りするけが人も大勢いた。もしかたら後方で同じようなことをしているのかもしれない、と思った。
わたしはただ壁に沿って移動していた。
気がつくと、病院というより、地下街なのかもしれない、と思った。壁のところどころが、中途半端な間口のシャッターになっていたからだ。たまたま隣にあったシャッターを押してみた。がしゃんと鳴った。シャッターだと確認できた。確認できたのに、わたしはもう一度押してみる。がしゃんと鳴る。何度か押してみる。何度もがしゃんと鳴る。楽しくなった。すると、押してないのにがしゃんと鳴った。周りを見る。押しているのはわたしだけだ。またがしゃんと鳴る。内側から押しているのだ、とわかった。わたしと意思疎通をしたいのだろうか、と思ったけれど、怒っているのかもしれないので、わたしはそそくさと立ち去った。
だけど、それ以上前に進む気にはなれなかった。さっきのシャッターがやけに気になった。わたしと意思疎通を試みていたのならとても申し訳ないことをしたと思う。確認のために戻ってもう一度押してみるべきか迷う。
迷っていると、誰かがわたしに声をかけようとしているのがわかった。わたしと同じように車椅子に乗っている子供だった。車椅子に慣れていないのか、行き交う人にぶつかっている。助けてあげようか迷う。そもそもわたしに声をかけようとしているのかも疑わしい。かと言ってこのまま立ち去るのも変な誤解を受けそうだ。
悩んだ挙句、わたしは背もたれに体重をかけた。車椅子はゆっくりと後ずさりし始めた。これなら自然に立ち去っているように見えるだろう、と思った。
どん、と何かに当たる。
振り返ると、足が倒れていた。膝から下の足だけ。大変だ、と思って持ち主を探す。片足がない人はたくさんいた。たくさんの片足のない人は、まるで両足があるかのように平気で歩いていた。車椅子のわたしじゃとても追いつけない速度で歩いていた。仕方ない、と思った。倒れた足の中から、たくさんの甲虫が這い出ていた。
ふと、シャッターの開く音が聞こえた。
わたしは心躍った。
音の聞こえた方向を見た。
遠くの方にあるシャッターが開いていくのが見える。もう少し近くにあるシャッターも開いていく。ドミノ倒しのようにたくさんのシャッターが開いていく。
シャッターの中から、無数のボールがこぼれてくる。色も大きさもいろいろなボール。両手一杯ぐらいのもの、ボーリングぐらいのもの、ピンポン玉ぐらいのもの、無数のボールがシャッターから溢れて来る。
無数のボールが、ボーリングのピンのように足だけを倒していく。足だけを倒しながら、わたしの方へ転がって来る。わたしはますますわくわくしてくる。
無数のボールがわたしを襲う。わたしはボールに埋もれていく。ボールに埋もれながら、わたしは自分の頭を探していた。頭を落としたと思ったからだ。動ける範囲でボールたちをまさぐる。つるつるしている。頭はつるつるしていない。
わたしの頭はもっと遠くに流されてしまったのかもしれない。
だけどわたしは頭を探し続けた。
興奮しながら。
カブトムシの幼虫はこんな気持ちをしているのだろうか、と思った。
歩けるのに車椅子に座っていた。歩けると思ったのはそう気づいた時にそう思っただけで、実際は歩けないのかもしれなかった。
やけに広い廊下だった。車二台軽々通れそうだった。
前から続々とけが人が歩いてくる。けが人にまじって時々血塗れの手首や足を持っている人がいた。医者だろう、と思った。
窓はなかった。乳白色の壁に時々ぽつんぽつんとドアがあった。すぐ近くのドアからは、古臭い演歌が聞こえていた。近づくと、犬が爪でひっかいているような音が聞こえた。わたしは開けるのをやめた。
ドアに近づく時、床が水平でないことに気づいた。壁に沿って移動するのと壁に向かって移動するのとで、力の入れ具合が違っていたからだ。ためしに背もたれに体重を乗せてみる。ゆっくりと後ろに移動する。やっぱり、と思った。
仕方ないので、けが人がやって来る方向へ進むことにした。歩いてくるけが人はどんどん増えていた。床に糞尿がこぼれていた。よほどひどいけがをしているのだろう、と悲しくなった。
看護師がやって来た。背が高くスタイルもよく、マネキンのようなおばさんだった。マネキンのおばさんはてきぱきとけが人たちの衣服を脱がせていた。脱がされたけが人は上半身裸でまた歩き始めた。流れ作業のようにも見えたが、脱がせないまま素通りするけが人も大勢いた。もしかたら後方で同じようなことをしているのかもしれない、と思った。
わたしはただ壁に沿って移動していた。
気がつくと、病院というより、地下街なのかもしれない、と思った。壁のところどころが、中途半端な間口のシャッターになっていたからだ。たまたま隣にあったシャッターを押してみた。がしゃんと鳴った。シャッターだと確認できた。確認できたのに、わたしはもう一度押してみる。がしゃんと鳴る。何度か押してみる。何度もがしゃんと鳴る。楽しくなった。すると、押してないのにがしゃんと鳴った。周りを見る。押しているのはわたしだけだ。またがしゃんと鳴る。内側から押しているのだ、とわかった。わたしと意思疎通をしたいのだろうか、と思ったけれど、怒っているのかもしれないので、わたしはそそくさと立ち去った。
だけど、それ以上前に進む気にはなれなかった。さっきのシャッターがやけに気になった。わたしと意思疎通を試みていたのならとても申し訳ないことをしたと思う。確認のために戻ってもう一度押してみるべきか迷う。
迷っていると、誰かがわたしに声をかけようとしているのがわかった。わたしと同じように車椅子に乗っている子供だった。車椅子に慣れていないのか、行き交う人にぶつかっている。助けてあげようか迷う。そもそもわたしに声をかけようとしているのかも疑わしい。かと言ってこのまま立ち去るのも変な誤解を受けそうだ。
悩んだ挙句、わたしは背もたれに体重をかけた。車椅子はゆっくりと後ずさりし始めた。これなら自然に立ち去っているように見えるだろう、と思った。
どん、と何かに当たる。
振り返ると、足が倒れていた。膝から下の足だけ。大変だ、と思って持ち主を探す。片足がない人はたくさんいた。たくさんの片足のない人は、まるで両足があるかのように平気で歩いていた。車椅子のわたしじゃとても追いつけない速度で歩いていた。仕方ない、と思った。倒れた足の中から、たくさんの甲虫が這い出ていた。
ふと、シャッターの開く音が聞こえた。
わたしは心躍った。
音の聞こえた方向を見た。
遠くの方にあるシャッターが開いていくのが見える。もう少し近くにあるシャッターも開いていく。ドミノ倒しのようにたくさんのシャッターが開いていく。
シャッターの中から、無数のボールがこぼれてくる。色も大きさもいろいろなボール。両手一杯ぐらいのもの、ボーリングぐらいのもの、ピンポン玉ぐらいのもの、無数のボールがシャッターから溢れて来る。
無数のボールが、ボーリングのピンのように足だけを倒していく。足だけを倒しながら、わたしの方へ転がって来る。わたしはますますわくわくしてくる。
無数のボールがわたしを襲う。わたしはボールに埋もれていく。ボールに埋もれながら、わたしは自分の頭を探していた。頭を落としたと思ったからだ。動ける範囲でボールたちをまさぐる。つるつるしている。頭はつるつるしていない。
わたしの頭はもっと遠くに流されてしまったのかもしれない。
だけどわたしは頭を探し続けた。
興奮しながら。
カブトムシの幼虫はこんな気持ちをしているのだろうか、と思った。