「もしこの世からファルスがなくなったら?」
2009/01/18/Sun
前記事にも書いた通りわたしはファルスを破壊しようとしている。
しかし、
「ならば、もしこの世からファルスがなくなったらどうするんだ? 『北斗の拳』のような獣性の暴力が渦巻く世界をお前は望んでいるのか?」
という反論は意味がない。
そんなのガタリに言え。『アンチ・オイディプス』によるならばファルスを一掃した世界は牧歌的なものとなるらしいぞ。
=====
わたしは逆精神分析なるものを主張している。神経症者のファルスに不具合を起こさせるのが逆精神分析だ。ファルスに不具合のある症状のたとえば一つが分裂症なのだから、神経症者を分裂症者化させるのが逆精神分析である、と換言可能である。
こう書くとガタリが主張する分裂分析のように思われるかもしれないが、彼自身分裂分析は社会に適用させるものだと定義している。一方わたしの逆精神分析は、社会なんていう人なるものの集合体による影絵などではなく、人なるものそのものを破壊することを目的としている。人なるものを人なるものたらしめる原因はファルスである。分裂分析は逆精神分析のごっこ遊びなのだ。
=====
わたしはハナから社会などというごっこ遊びの総体なんか相手にしていない。お前やガタリがしたがっている「もしこの世からファルスがなくなったら」などというSFごっこに付き合う気はない。人類が発生する以前の世界が暴力的なものか牧歌的なものかなんて好きに議論すればよい。男の子ってそういうの好きよね。傍から見てる分にはかわいらしいわ。おっさん同士でもそう思えるわたしはゲテモノ喰いです。
「違う。ごっこ遊びなどではない」
では、お前は自分のファルスの防衛のためにそう言っているのか? となる。それならば相手にしてやろう。お前のファルスを浮き彫りにして壊そうと仕向けてやってもよい。わたしにできるかわからんが、そういう労力を費やせというならやぶさかではない。まんこちゃん症例のごとく。
いや、お前はファルスを防衛したがっているわけであり、ファルスを破壊してもらおうと思っているわけではないんだよな。ならば、そもそもわたしなど相手にしなければよい。わたしなど見なければよい。それが一番の防衛策だ。
わたしはこう言っている。「正常人はあっけらかんとした正常人であってくれ」と。キチガイなんて主観世界に存在しない正常人であってくれ、ということだ。
わたしなんて見なければいいのだ。ケガレを棄却する能力は正常人のお前に常に既に備わっているのだから。
しかし、だからと言って、わたしがお前にうんこを投げるのをやめろ、という理屈にはならない。
何故かって?
「よかろう。以降私はお前にちょっかいを出さない。だからお前も私にちょっかいを出すべきではない」
という理屈は何を根拠にしているのだろうね?
まさに鏡像段階を根拠にしている。ファルスを根拠にしている。
お前はファルスに支配された正常人だ。おめでとう。
一方、ファルスが壊れているのがケガレたる未去勢者たちである。未去勢者たちの鏡は壊れている。
従ってわたしにこの理屈は適用されない。
わたしはその理屈の根拠が理解できない。全くというわけではないが、誰しも大人から教育される「自分も同じことされたら嫌でしょ?」という理屈に常に違和感を感じていた。感じ続けながら表面上だけ従って大人になった。表面上だけなのだから違和感は今でも残っている。
それだけの話である。
簡単な話である。
この記事から。
=====
まんこちゃんは薬師さんという自閉症者と接触した。薬師さんは自分と近い人間だと思って話しかけたのだが、違った。よってまんこちゃんを拒否した。拒否られたまんこちゃんはそれを不快に思った。
物語風に要約するならこういうことだ。
ブスでいじめられて「ああ、いっそ動物にでもなってしまいたい」とか思っている悩める女子高生がいた。彼女はある日スーパーで生肉を買って街を歩いていた。生肉の臭いに引き寄せられた狂犬が彼女に愛想を振り撒く。彼女は「この子ならわたしの心を癒してくれるかもしれない」と期待する。別の日、同じ街角を手ぶらで彼女は歩いている。あの狂犬がいる。この前愛想を振り撒いてくれたから、と思い彼女はそいつに近づく。今の手ぶらな彼女は狂犬にとって自分の存在を脅かす敵でしかない。よって狂犬は彼女に噛みつく。彼女は裏切られたと思う。狂犬を擬人化して認知するという傲慢さ故の怪我である。人間らしさという傲慢さ故の事件である。
=====
お前は狂犬に説教しているようなものだ。ムツゴロウさんばりの覚悟があれば聞いてやらんこともないが。
そもそも、正常人は圧倒的多数だから正常と呼ばれているのだ。
わたしは人類が存在する限りファルスがこの世から一掃されることなどありえないと考えている。ファルスは人間という獣の一習性であるからだ。
人間という動物において、ほとんどの個体にファルスという機能が存在するのは、自然の理だと考えている。
たまたま「ほとんどの個体」ではない個体であるのが未去勢者たちだ。
もし、お前の言う通り、ファルスという機能を持っていない人類が数多く発見されたなら、生物学的に人類ではない別の種と定義されるかもしれない。この記事では、ネアンデルタール人の脳機能こそが未去勢者(分裂症者や自閉症者やスキゾイド)のそれに親近しているのではないか、とわたしは述べている。
ただそれだけの話である。
そういう現実の話である。
笙野頼子も未去勢者たちは人類とは別の種であった方が助かるのだろうな。
「私は地球人のために小説を書いているのであって、火星人のために書いているのではない。私が書いているのは地球人の天国であり、火星人の天国ではない。何故なら私は地球人だからだ」
と言えるもんな。
全く正当な理屈である。反論しようがない。
いぶきが仮に未去勢者であって、笙野が作った天国で周りのみたこ信者たちに「集団の怖さ」を覚えながら「心が散々破壊され血だらけになってようやく無気力な操り人形のように定型側の要求結果を出力するだけの隷属関係になるまで虫の息」になっていたとしても、笙野という詐欺師の甘言に乗せられたいぶきが悪いのだ。自業自得なのだ。
救われない魂は
傷ついた自分のことじゃなく
救われない魂は
傷つけ返そうとしている自分だ
獣は傷つけ返してしまう。それは物体における作用に対する反作用のようなものである。物理的な理なのである。傷つけ返そうとする自分という物体に逆らえないのである。
だから、獣は救われない。
未去勢者に天国など存在しない。
しかし、
「ならば、もしこの世からファルスがなくなったらどうするんだ? 『北斗の拳』のような獣性の暴力が渦巻く世界をお前は望んでいるのか?」
という反論は意味がない。
そんなのガタリに言え。『アンチ・オイディプス』によるならばファルスを一掃した世界は牧歌的なものとなるらしいぞ。
=====
わたしは逆精神分析なるものを主張している。神経症者のファルスに不具合を起こさせるのが逆精神分析だ。ファルスに不具合のある症状のたとえば一つが分裂症なのだから、神経症者を分裂症者化させるのが逆精神分析である、と換言可能である。
こう書くとガタリが主張する分裂分析のように思われるかもしれないが、彼自身分裂分析は社会に適用させるものだと定義している。一方わたしの逆精神分析は、社会なんていう人なるものの集合体による影絵などではなく、人なるものそのものを破壊することを目的としている。人なるものを人なるものたらしめる原因はファルスである。分裂分析は逆精神分析のごっこ遊びなのだ。
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わたしはハナから社会などというごっこ遊びの総体なんか相手にしていない。お前やガタリがしたがっている「もしこの世からファルスがなくなったら」などというSFごっこに付き合う気はない。人類が発生する以前の世界が暴力的なものか牧歌的なものかなんて好きに議論すればよい。男の子ってそういうの好きよね。傍から見てる分にはかわいらしいわ。おっさん同士でもそう思えるわたしはゲテモノ喰いです。
「違う。ごっこ遊びなどではない」
では、お前は自分のファルスの防衛のためにそう言っているのか? となる。それならば相手にしてやろう。お前のファルスを浮き彫りにして壊そうと仕向けてやってもよい。わたしにできるかわからんが、そういう労力を費やせというならやぶさかではない。まんこちゃん症例のごとく。
いや、お前はファルスを防衛したがっているわけであり、ファルスを破壊してもらおうと思っているわけではないんだよな。ならば、そもそもわたしなど相手にしなければよい。わたしなど見なければよい。それが一番の防衛策だ。
わたしはこう言っている。「正常人はあっけらかんとした正常人であってくれ」と。キチガイなんて主観世界に存在しない正常人であってくれ、ということだ。
わたしなんて見なければいいのだ。ケガレを棄却する能力は正常人のお前に常に既に備わっているのだから。
しかし、だからと言って、わたしがお前にうんこを投げるのをやめろ、という理屈にはならない。
何故かって?
「よかろう。以降私はお前にちょっかいを出さない。だからお前も私にちょっかいを出すべきではない」
という理屈は何を根拠にしているのだろうね?
まさに鏡像段階を根拠にしている。ファルスを根拠にしている。
お前はファルスに支配された正常人だ。おめでとう。
一方、ファルスが壊れているのがケガレたる未去勢者たちである。未去勢者たちの鏡は壊れている。
従ってわたしにこの理屈は適用されない。
わたしはその理屈の根拠が理解できない。全くというわけではないが、誰しも大人から教育される「自分も同じことされたら嫌でしょ?」という理屈に常に違和感を感じていた。感じ続けながら表面上だけ従って大人になった。表面上だけなのだから違和感は今でも残っている。
それだけの話である。
簡単な話である。
この記事から。
=====
まんこちゃんは薬師さんという自閉症者と接触した。薬師さんは自分と近い人間だと思って話しかけたのだが、違った。よってまんこちゃんを拒否した。拒否られたまんこちゃんはそれを不快に思った。
物語風に要約するならこういうことだ。
ブスでいじめられて「ああ、いっそ動物にでもなってしまいたい」とか思っている悩める女子高生がいた。彼女はある日スーパーで生肉を買って街を歩いていた。生肉の臭いに引き寄せられた狂犬が彼女に愛想を振り撒く。彼女は「この子ならわたしの心を癒してくれるかもしれない」と期待する。別の日、同じ街角を手ぶらで彼女は歩いている。あの狂犬がいる。この前愛想を振り撒いてくれたから、と思い彼女はそいつに近づく。今の手ぶらな彼女は狂犬にとって自分の存在を脅かす敵でしかない。よって狂犬は彼女に噛みつく。彼女は裏切られたと思う。狂犬を擬人化して認知するという傲慢さ故の怪我である。人間らしさという傲慢さ故の事件である。
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お前は狂犬に説教しているようなものだ。ムツゴロウさんばりの覚悟があれば聞いてやらんこともないが。
そもそも、正常人は圧倒的多数だから正常と呼ばれているのだ。
わたしは人類が存在する限りファルスがこの世から一掃されることなどありえないと考えている。ファルスは人間という獣の一習性であるからだ。
人間という動物において、ほとんどの個体にファルスという機能が存在するのは、自然の理だと考えている。
たまたま「ほとんどの個体」ではない個体であるのが未去勢者たちだ。
もし、お前の言う通り、ファルスという機能を持っていない人類が数多く発見されたなら、生物学的に人類ではない別の種と定義されるかもしれない。この記事では、ネアンデルタール人の脳機能こそが未去勢者(分裂症者や自閉症者やスキゾイド)のそれに親近しているのではないか、とわたしは述べている。
ただそれだけの話である。
そういう現実の話である。
笙野頼子も未去勢者たちは人類とは別の種であった方が助かるのだろうな。
「私は地球人のために小説を書いているのであって、火星人のために書いているのではない。私が書いているのは地球人の天国であり、火星人の天国ではない。何故なら私は地球人だからだ」
と言えるもんな。
全く正当な理屈である。反論しようがない。
いぶきが仮に未去勢者であって、笙野が作った天国で周りのみたこ信者たちに「集団の怖さ」を覚えながら「心が散々破壊され血だらけになってようやく無気力な操り人形のように定型側の要求結果を出力するだけの隷属関係になるまで虫の息」になっていたとしても、笙野という詐欺師の甘言に乗せられたいぶきが悪いのだ。自業自得なのだ。
救われない魂は
傷ついた自分のことじゃなく
救われない魂は
傷つけ返そうとしている自分だ
獣は傷つけ返してしまう。それは物体における作用に対する反作用のようなものである。物理的な理なのである。傷つけ返そうとする自分という物体に逆らえないのである。
だから、獣は救われない。
未去勢者に天国など存在しない。